SSブログ

本草と夢と錬金術と-物質的想像力の現象学 [本(東洋史]

『本草と夢と錬金術と』
山田慶兒(中国医学史、科学史)
朝日新聞社(1997)


中国の科学思想を知る良書。

中世中国のベストセラー。それは暦。
天暦元年1328年の官暦は、
312万3185部も発行されたのだ。

松烟墨は後漢の発明。
紙の広まりに対応したのかな。

爆薬の最古の記述は、850年頃の錬金術書。
『真元妙道要略』に記載がある。

鄭和の宝船の排水量は3100t。
木製とは思えないほどの巨大さだ。

周には占夢の官がある。
漢書芸文志には黄帝長柳占夢十一巻、甘徳長柳占夢二十巻との記録。
素問巻24方盛衰論篇には、五臓の気が虚厥でみだりに夢を見るとする。
霊枢巻七淫邪発夢篇に夢と身体の関係が説かれている。
ちょっとユングの思想を連想した。

葛洪の神仙伝によると、陰長生は後漢新野の人。
和帝の皇后陰氏はその曾孫で、
南陽の馬明生に道術を学ぶこと20年、
太清金液神丹を授けられたという。
光武帝の皇后陰麗華はどうやら錬金術師一家の娘のようだ。

『DNAでたどる日本人10万年の旅』
崎谷満(分子生物学によるヒト集団の解明)
昭和堂(2008)


分子生物学の話。
分析の話ばかりなのでちょっと退屈。

長江文明の担い手はオーストロアジア語族。
越族。

長江文明の崩壊は、
前473年呉の滅亡と前334年頃越の滅亡。
朝鮮半島へ難民となる。
これは半島での水稲拡大時期に一致し、
日本の弥生時代開始とも一致する。
渡来系弥生人は越人らしい。
呉や越は日本人と韓国人の先祖の一つのようだ。
臥薪嘗胆の故事にも親しみが持てますね。

『司馬遷-史記の世界』
武田泰淳(作家)
講談社文芸文庫(1997)


大室幹雄みたいな感じ。よくわからん。

無位無冠の男にへりくだる秦王時代の始皇帝。
そして始皇帝は楽しまなかった。
始皇帝って、
支配者だけど人生を全然楽しんでないよな。
何だか可哀想な気がする。

・今日の一言
鄭和の宝船の排水量は3100tあった。
Zheng He's treasure ship has a displacement of 3100 tons
전화의 보선(寶船) 배수량은 3100톤 있었다.
郑和的宝船排水量有3100吨。

タグ:山田慶兒
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

孔子神話-宗教としての儒教の形成 [本(東洋史]

『孔子神話-宗教としての儒教の形成』
浅野裕一(中国哲学)
岩波書店(1997)


孔子の神格化の歴史を知る。かなり過激な内容。

孔子は生涯を通じてまともな官職には就かなかった。
孔子家語などのすべて偽りの履歴であるという。

論語にある孔子の冉有へのやっかみ。
冉有が遅く帰宅した。それを問いつめると政務だからという。
これを評した孔子の言葉が面白い。
「政務だなどと言うがそれは嘘で、お前がしていたのは、
どうせただの事務仕事に決まっている。
本当に重大な政務があったのなら、
いくら朝廷がわしを登用しないからと言っても、
必ず一言ぐらいわしにも相談があるはずだからな。」
……この著者にかかると、孔子はかなり病的な人物である。

著者は孔子の学識も切り捨てる。
孔子の三代の礼制への学説は観念的な空想の産物に過ぎないとする。

著者の孔子の評価はこうである。
紀元前479年、中国最大のペテン師がこの世を去った。
その男は、自ら王者となり、
わが手で新王朝を樹立せんとする誇大妄想に取り憑かれたあげく、
夢破れて挫折した。

また孔子と王莽を比較する。
王莽は孔子がやろうとしてできなかったことを見事に成し遂げた。
漢の逆臣にして孔子の忠臣であるという。
これは何となくわかる。
そういえば孟子は王者の500年周期説を出していた。
孔子のちょうど500年後が王莽である。

『楽戸-中国・伝統音楽文化の担い手』
項陽(中国音楽史、中国伝統音楽文化)
解放出版社(2007)


中国の音楽家の歴史。

楽戸の由来。
犯罪者の妻子が楽戸になった。

楽戸の民間の仕事とは。
誕生日、満一歳の祝い、立春、上元節、
天中節、迎神賽社、婚葬嫁娶など。

辺境の守備隊長は鼓吹楽人を所持していた。
軍隊にも楽人が不可欠である。

『乾隆帝-その政治の図像学』
中野美代子(中国文学)
文春新書(2007)


乾隆帝の雑学。

帝王の後継者争いの雑学
唐の高宗の廃皇太子忠は女装して刺客に備えたのに殺された。
悲惨だ……

唐太宗の皇太子泰の廃立は長孫無忌の陰謀。
唐太宗李世民ともあろう者が何をしているのか?

康煕帝の毒殺説や、
雍正帝が女刺客呂四娘による刺殺説。
乾隆帝は漢族の陳元龍の息子説なども。

皇帝の後継者争いは難しいものだ。

上都=ザナドゥーというらしい。
ザナドゥーが中国の都市だとは知らなかった。

・今日の一言
紀元前479年、中国最大のペテン師がこの世を去った。その男は、自ら王者となり、わが手で新王朝を樹立せんとする誇大妄想に取り憑かれたあげく、夢破れて死んだ。
기원전 479년, 중국 최고의 사기꾼이 이 세상을 떠났다. 그 놈은 자기 자신이 왕자가 되고, 스스로의 힘으로 새왕조를 세운다는 과대 망상에 사로잡힌 끝에, 꿈은 깨지고 죽었다.
公元前479年,中国最大的骗子去世了。他妄想了亲自成为帝王,建立新王朝。结果,他的梦想破灭以后死了。
The greatest Chinese fraudster passed away in 479 B.C. This man developed delusions of grandeur. He thought that he would become a king and establish a new dynasty on his own. But his dream was shattered and he died.

タグ:浅野裕一
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

中国雑話中国的思想(文春新書) [本(東洋史]

『中国雑話中国的思想/酒見賢一/文春新書/2007』
著者:作家
評価:主に中国武術の話。

中国人はそんな考え方はしないと言われると痛い。
これは中国を舞台にした小説を書くものの宿命だ。

それで敢えてそれらしいところを探してみる。

中国の支配者は、
才能より周囲が押し立てた結果としての王位がしっかり来る。
自分でやる曹操は皇帝向きでなかったという。

これは日本人的な錯覚だと思う。
中国の皇帝はほとんどが、
自分でやる曹操タイプの英雄ばかりだからだ。

そうした中の例外が劉邦と劉備と後は晋武帝の司馬炎ぐらい。
日本では、三国志と楚漢の戦いが人気があり有名である。
だから、優れた君主とはああいうものと思ってしまう。
だがこれは全くの誤解で、中国史にはあの二人しかいない。

才能より器の君主というのは、実は日本人の好みの英雄である。
だからこそ三国志と楚漢の戦いが人気があるのである。
他の時代の建国の英雄は、みな自身の能力が高く、
重要な仕事はすべて自分でこなし、
家臣はそれに付き従うという形がほとんどなのだ。

昔の人の寿命は短く特に寒冷地で50まで生きる人は少ないという。
これはどうなんだろう。
三国志では、明らかに呉の人間の寿命の方が短い。
南方は病気が多いからだ。

孫子では、長期戦をうまくやって成功した例はないという。
これはまあしょせん理想像で、
実際には長期戦で勝利して天下を統一した例はたくさんある。

孫子は春秋の都市国家時代のスケールの小さな時代の兵法書なので、
その後の時代には通じない記述が多数ある。
呉子と比較しても矛盾する点が3つほどあるし、
日本では少々評価されすぎではないかと思う。

『中国史にみる女性群像/田村実造/清水新書/1990』
著者:東洋史
評価:中国史に登場する女性とその周辺の話

項羽の妻の虞姫は、斉の官僚一家の出身らしい。

匈奴に嫁いだ王昭君の話。
三世紀頃から王昭君の話は悲劇に変化した。
もともとは、悲劇ではなかったらしい。

則天武后は嵩山に封禅した。
何で泰山じゃないんだろう。
ちょっと不思議だ。

『中国のカーニバル/明神洋/ぶんりき文庫/2000』
著者:東洋哲学、中国文学、現代中国語
評価:グラネの思想を中心に語る

始皇帝は水銀中毒の慢性病だった。
水銀は適量なら新陳代謝を促すらしい。
皇帝は毒物中毒が多いな。

大地の四方×北斗七星=二十八宿。
これは知らなかった。ロジックがあるわけだ。

列子にある、周穆王時代の人造人間の話。
中国人はかなり無神論的な感覚だ。
人間機械論まで後一歩である。

韓非子にある音楽の力。
晋の平公に聴かせた音楽。
"清徴"を奏でると鶴の舞い踊る。
"清角"を奏でると嵐を呼んでしまった。

・今日の一言
始皇帝は水銀中毒だった。
The first Emperor had mercury poisoning.
시황제는 수은중독이었다.
始皇帝是水银中毒。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

三国志-正史と小説の狭間 [本(東洋史]

『三国志-正史と小説の狭間/満田剛/白帝社/2006』
著者:三国時代の史学史
評価:正史三国志の研究書・三国志ファンなら面白いでしょう

陳寿三国志では、魏>蜀>呉の位置づけ。
劉備の妻は皇后と記載される。
また楊戯の伝があるのは季漢輔臣賛を載せるため。

魏や呉から蜀漢の銭が出土する。
蜀はなかなか経済政策に優れていたようだ。

曹操の青州兵や劉焉の東州兵が兵戸制の基礎になった。
これってさらに光武帝の黎陽営にさかのぼれそうだ。 

袁紹、袁術、曹操、劉備、劉虞は光武帝を意識していた。
後漢の群雄たちは光武帝の陰に操られていたという。
これをいうならさらに、
孔明が隠棲した場所が、
光武帝の出身地に近いことも指摘しておきたい。
たぶん漢の復興を考えて、
光武帝の事績を調べる目的を兼ねていたのではないかと思う。
あんなすぐに戦争になりそうな場所に隠棲するのは不自然だもの。

魏武帝曹操生涯最大の失敗。
それは曹操の徐州侵攻の虐殺。
この一件のため曹操は天下を取れなかったのだ。
徐州出身者は呉と蜀へと逃げてしまい、反曹操連合になったのだ。

荀彧の妻は宦官の娘。
曹操と共感するものがありそうだ。

劉備の孔明への国を取れの遺言。
これは孫策と張昭の間にもあった。
君臣の関係の深さを示すエピソードだ。

孔明の北伐の戦略とは?
持久戦で魏の兵糧切れを持ち西方を押さえて長安を狙うこと。
孔明北伐時は魏も兵糧に苦しんでいたことが記録されるのだ。
大国の魏といえど、万全の体制ではなかったのである。

・今日の一言
後漢の群雄たちは光武帝の陰に操られていた。
The rival leaders in Houhan were manipulated by the shadow of Guang Wu Di.
동한의 군웅들은 광무제의 그림자로 놀려져 있었다.
后汉群雄受光武帝的幻影操纵。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

四書五経入門-中国思想の形成と展開(平凡社ライブラリー) [本(東洋史]

『四書五経入門』
竹内照夫(中国文学)
平凡社ライブラリー(2000)


儒教経典をコンパクトに解説する良書。

書経における革命。
張り切る湯王と乗り気でない人民。
民衆はどうでもよかったっぽいのが面白い。

周の制度。
諸侯は6年に一度朝廷に来る。
参勤交代みたいだ。

西洋語の男女中性の区別。
これは管理や処置する人の分類から来るという。

易では、物事はすべて八卦に分類される
・乾は天
・坤は大地
・震は地震と雷
・巽は風と木
・坎は穴と水
・離は火と太陽
・艮は山
・兌は沢
易の論理構造を調べると面白いものがありそうだ。

礼の二種。
畏敬の礼と和平の礼。
王と臣の上下の応対技術と、諸侯同士の対等の応対技術。

荀子の性悪論。
形をもって心を作り変えるのが礼儀。
形を繰り返すことで心を磨くわけ。

天子の寵愛。
妃は15日に一夜。夫人は45日ごと。その他は135日ごと。
回数が決まっているらしい。子孫作りは仕事みたいなものか。

孔子の言う詩の効能。
感じる力を深め観察力を増し、人を理解し愛憎を知る。
父や君に仕えることができ、鳥獣草木の名前を知る。
また外交の場では詩を選んで贈るので、それにも有効だった。

春秋で筆法のあるのは三ヵ所だけ。
趙盾、崔杼、世子止のみらしい。

孔子の教育論
・詩は心を和らげ情愛を深める
・書は歴史を知り知識豊かに
・易は精神を鎮め思考を精密にする
・礼は身を引き締め態度を慎重にする
・春秋は事件の因果関係を読む力を得る

論語。
由也升堂矣,未入於室也。
子路は堂に上ったけど、部屋には入ってない。
学問がかなり進んだけど、核心まではまだということ。
光武帝と朱祜の関係で、
"先升講舎"とあるのと対応している。
光武帝より、朱祜は先に進級しちゃったわけ。

人間は中身と外観の両方が必要。
質勝文則野,文勝質則史。
(文より質だと粗野、質より文だと形式主義)

道家思想はどこから来るか。
人類学の君主安静の習俗。これが道家の無為の政治に転換した。
また老子の思想は征服された弱小諸侯の立場を代弁したものらしい。

p302。漢文帝は"政治は王覇を兼ねること文弱ではいけない"
といったという。これって宣帝じゃないかな?

朱子学の知先行後、陽明学の知行合一。
朱子は研究者的で、王陽明は政治家的だな。

『孝経 全訳注』
加地伸行(中国哲学史)
講談社学術文庫(2007)


孝経の宗教的解釈と研究資料。孝の真の意味を知る。

天子の孝とは、親から国内国外へ広がる。

体系的な骨格を持つ孝経。
経と呼ばれるだけあり、論理的に構成されているのだ。

孝の二種。愛と敬。
身体的感情中心の愛、精神性が中心の敬。

儒教の宗教的側面。
祖先祭祀に敬を尽くせば鬼神が感応して現われるという。

孝とは、祖先祭祀を通じて生命の連続を意識自覚すること。
祖先祭祀により精神の解脱をする。
子孫一族の存在により身体の解脱し、
死の不安と恐怖を乗り越えるのである。

中国人の思考法。
欧米人は死一般について思考するが、
中国人は誰でも実感できる共通を選び具体的に思考する。
具体例の極致をもって一般例とするのである。
これは優劣ではなく、具体性を重んじるということである。

『中国山水画の誕生』
マイケル・サリヴァン(中国美術史)
青土社(2005)


図版の多く古代の雰囲気が伝わる。

後漢明帝の頃、王景に、
治水のため山海経、史記の河渠書、禹貢を与えた。
山海経は絵入りというか、絵がメインで文字解説だったらしい。
当時だから帛書かな。山海経って絵本なのね。妖怪絵本か……

猿回しは後漢の頃に既にあったらしい。

『太玄経』
鈴木由次郎(漢易研究、太玄易の研究)
明徳出版社(1972)


漢代の大儒。楊雄の漢代象数易の精華。

漢代象数易の極致にして、老荘思想を加味した易・太玄易。
陰陽消長の理を一段高くした老子の道であね玄が根本原理。

太玄経は筮法は筮竹を三本ずつ数える、

易は陰陽二元論だが、太玄は天地人三元論。
司馬光は楊雄を孔子に続く大儒と評価している。

・今日の一言
文より質だと粗野、質より文だと形式主義。
質勝文則野,文勝質則史。(孔子)

これで思い出したのが、
カナダのロックバンド、ラッシュの曲 Grand Designsの歌詞。
Power Windows [Original recording remastered] [from US] [Import]
ゲディ・リーって、もしかして論語を読んだのかな?

人物も音楽も、中身と形の両方が揃ってこそ本物というわけ。

So much style without substance. So much stuff without style. It's hard to recognize the real thing.(Rush)
見た目だけで中身がないもの。中身ばかりで形のないもの。本物を見つけるのは難しい。(ラッシュ)
겉보기뿐이고 내용이 없는 것. 내용뿐이고 겉보기가 없는 것. 진짜를 분간하는 것이 어렵다.(러시)
华而不实。实而不华。很难鉴别真假。(突进)

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

漢字の社会史-東洋文明を支えた文字の三千年(PHP新書) [本(東洋史]

『漢字の社会史/阿辻哲次/PHP新書/1999』
著者:中国語学、文字学、漢字の文化史
評価:東アジアにおける漢字を役割を知る良書

古代の本の大きさ。
孝経は1尺2寸、論語は8寸の木簡を使う。
本の偉さで、大きさが違うのだ。

朝廷からの急ぎの連絡である檄。
長さは尺で鳥の羽根をつけるという。
鳥のように急げというわけ。

古代の名刺・謁。
姓名だけでなく挨拶と用件を書き添える。
だから長さ25.3cm、幅3cmもあった。
……持ち運ぶのに不便そうだ。

紙と絹の関係。
紙は絹の代用品だった。紙は普及用で、いい本は絹なのだ。

丸文字は0.5mmシャーペンで横書きすると自然になる書体らしい。
可愛いから書いていたわけじゃなかったのか。

漢代の役人採用試験。
17歳以上男子に実施。
9000字の文章を何も見ずに書き、
その漢字を6種の書体で書き分けさせる。
そのため書館という塾もできたという。
後漢は特に教育の発達した時代だからね。
傭書という本を書き写す仕事も流行っていた。

発掘された唐代の論語の書き写し。
書いたのは12歳の卜天寿。
末尾にには早く帰りたいという落書きがあったという。
エジプトの学校でも似たものがあったようだ。

漢文は省エネ的文章記録法という。
文章と音声言語の差が大きくなったのは、
書写材料が青銅だったり亀甲だったりして、
制約があるので字数を少なくする必要があったため。
漢文とは、あくまでも中国語の文法に従った、簡易中国語なのだ。

東アジア最大のベストセラーは論語らしい。
東の論語、西の聖書ってわけだ。

『書を楽しもう/魚住和晃/岩波ジュニア新書/2002』
著者:書家、筆跡学
評価:書の歴史

唐太宗は王羲之の書2000余作を所有した。
李世民は趣味が結構文化的だな。

写経生は一字の間違いでも罰金。
厳しい仕事だ。

神社に10年暮らした良寛和尚。
お坊さんなのに神社って……日本は適当だなあ。

・今日の一言
論語は東アジア最大のベストセラーである。
Analects of Confucius is the best-selling book in East Asia.
논어는 동아시아 최대의 베스트 셀러이다.
论语是东亚最大的畅销书。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

李退渓小伝-附 陶山書院要覧・清涼山略志 [本(東洋史]

『李退渓小伝/鄭飛石/多田屋/1979』
著者:歴史作家
評価:韓国のお札の肖像の人の伝記・意外に面白い

少年時代のあだなはおでこらしい。
クレヨンしんちゃんみたい。
韓国語タイトルは、"짱구는 못 말려 (おでこは止められない)"

次男の死後、その嫁を実家に帰し再婚させる話。
これがなかなか感動的ないい話です。

散歩の後にお香を焚いて読書するらしい。

韓国のセマウル運動と李退渓の郷約の類似。
このあたり今も知名度が高いのと関係しそう。

行動が異常に正しい鄭仁弘の失脚を予言する。
不自然なまでに厳格で堅苦しい人物を、異常として評価しなかった。

政治の要諦は予民同楽という。
民衆と同じ目線で同じものを楽しむこと。

四端七情
四端は、孟子のいう心。仁義礼知の理から発する善なるもの。
七情は、喜怒哀懼愛悪欲。
外物がその現象に衝き当たり内側に働くことによって発するもの。

理師気卒論
理は理性/論理で、気は感性/感情のこと。
理と気を厳格に区別した。
理をもって気を制し理に気が順従して道徳思想が確立されるとする。
理が気を治める立場で調和するのだ。

気は動力であり、エネルギーのようなもので、
それを理が将軍として統率することで、
人間らしい生き方ができるのだ。

この本は、韓国では学校で使う副読本らしい。

お札の二人の比較。
李退渓は立言垂後、李栗谷は出世行道。
李退渓は顔回タイプ。長生きしたところが違いかな。
顔回がもし長生きできればこんな感じだろうかと思った。

李退渓の学問の考え。
朱子の学問精神にならい折衷百家、定論万世。
朱子は、自然科学的な思考の持ち主で、格物知致を、
知識を広く集めることで知恵を得ると考えた。
思想家、哲学者に多い演繹推論タイプではなく、
帰納推論タイプの人である。
李退渓もまた極端を廃し、広く知識を集めて、
それぞれを調整しながら理論を定めるという考えだ。
人類学でいう、プリコラージュの手法にも似ていると感じた。

『人物韓国史(上)/麗羅/徳間文庫/1989』
著者:歴史作家
評価:人物中心で読みやすい

韓国史で女王は三人のみ。
新羅の善徳女王と真徳女王と真聖女王。
全部新羅である。

風水地理学の宗祖・道詵の鄭鑑録秘訣。
王朝の姓と首都と統治期間が記載されているらしい。
ネタ的に面白そう。

著者の感慨。
王朝の創始者は平和の大義名分があっても、
実際には権力欲と征服欲の持ち主であり、
苦労して権力の頂点に立っても支配期間は短く、
死後は骨肉の争いが起こるものと感嘆する。

古今東西あらゆる英雄にあてはまる法則である。
だからこそ、唯一の例外たる光武帝劉秀という人物の奇異さを感じる。
統一という大義名分のもとに戦い、
権力欲も支配欲にも無縁で、
苦労して頂点に立つと、その期間以上の年月を統治し、
死後も骨肉の争いがなかったのだ。

『人物韓国史(下)/麗羅/徳間文庫/1989』
著者:作家
評価:読みやすい韓国史

1597.9.16、李舜臣は12隻で敵の大船団に勝利した。
さすがに東郷平八郎が評価した名将だけのことはある。

当時、朝鮮より日本は小さいという認識。
実際は人口でも2倍あった。
いかに日本への知識がなかったかわかる。

端宗と死六臣の物語、忠臣蔵のように有名だという。
あるやん。主君の仇討ちの話。
韓国に忠の話がないって、インド哲学者はあてにならんなあ

それにしても韓国の派閥争いはひどい。
どんな国でも派閥があり、争いがあるが、
普通、外圧があると派閥争いは打ち切りになるもの。
それが打ち切りにならずつぶし合い続けるのはなぜなのか。
知識人における国家や王朝に対する認識が気になる。

一つには、中国を本朝と呼び、その地方政権と認識していたこと。
それにより、朝鮮王朝に対する忠誠心が欠如していたのかもしれない。

逆に、戦乱になると民衆から義兵が挙がるのが興味深い。
半島における知識人の教育が、
中国から自立していなかったということであり、
また、今、韓国はまさに自らの教育体制を模索しているといえるだろう。

『恨の韓国史/麗羅/徳間文庫/1988』
著者:作家
評価:六つの都市別の歴史案内・読みやすい

金色の蛙の子どもだった金蛙が東扶余の王に。
卵から生まれた朱蒙。
卵から生まれた新羅の昔脱解。
伽耶国では、六個の卵が六人の童子に。

韓国人は爬虫類か?(笑)
卵が好きやなー。

百済と日本は本国と分国の関係か?
新羅や高句麗はその漢字の読みなのに、百済は読みが漢字音ではない。
それは、大きな国の意味のクンナラ⇒クダラになった。
すなわち、百済が本国で日本は分国だったとする説である。

ノーマンコンクエストとの類似が面白い。
天皇家をノルマンディ公と見なすわけである。

『世宗大王とハングル/片野次雄/誠文堂新光社/1985』
著者:民俗学、紀行文
評価:科学者としての世宗大王を知る

世宗大王はハングルを創案した人で、
韓国のお札の人。

ハングル、金属活字、測雨器の作製、医学大全集の編集など、
科学者として優れた人物であったことがわかる。

ちなみに古い本ということもあって、
日本が出てくる部分の記述はかなり偏っている。
よっぽど韓国好きなのか、日本嫌いなのか……

・今日の一言
理性と感情は調和しつつ、理性が感情を制御する。
Harmonizing reason with emotion, reason controls emotion.
이성과 감정은 조화하면서, 이성이 감정을 제어한다.
理智和感情调和着,理智控制感情。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

中国人の死体観察学-「洗冤集録」の世界 [本(東洋史]

『中国人の死体観察学』
宋慈(広東管区の司法長官)
雄山閣(1999)


世界最古の法医学書「洗冤集録」。資料。

中国の中世の殺人がわかる。
迷信だらけの本だが、丁寧に監修して迷信を訂正してある。

肛門に凶器がないかを探すべし。
年老いた夫と若い妻の場合の殺人に見つかることがあるらしい。

カワナヤギの皮を身体に湿布すると、
かぶれて打撲傷そっくりになるという。
色合いが似ているわけか。

検屍助手、下級役人、家族、犯人などへの、
買収や証拠隠滅の注意が実に細かい。
法律なんてお金次第なのだ。

妻が人妻と浮気した事件。
周四姐は膣口に肉棒があるふたなりだった。

鶏姦殺人事件。
男が男に強姦の後に殺人。哀れすぎる。

焼死体の屈曲はボクサーのファイティングポーズに似るらしい。

親族以外が死んだ場所にいないときはすべて検屍官が検屍する。
他人が一人でもいないと疑わしいのだ。

殺人罪適用期間。
殴打は10日、鈍器で20日、刃物や湯火で30日、骨折50日。
この日数以内で死ぬと殺人罪、超えれば傷害である。

『主張する〈愚民〉たち』
大沢正昭(中国史研究者)
角川書店(1996)


宋代の裁判記録"清明集"の内容と解説。伝統中国の裁判話。

宋代の裁判。
士人は民衆より罪が軽くなる。
刑罰の場で、俺は士人だと宣言する。
すると、その場で詩文を書かされたりして試験となる。
そして、士人であると認められると、罪が軽くなるのである。
"罪は士大夫に及ばず"というやつだ。

女性は権利を認められておらず、男性に付属するもの扱い。
不倫の罪で、女性に"射射"という刑が言い渡された。
"射射"とは、前線の兵士の元に女性を連れて行き、
そこの兵士が弓の試合をして、
優勝したものが女性を商品として受け取るのである。

中国には村落共同体がなかった。
もめ事があったとき、その場の人たちでケリを付けることができない。
すぐに裁判になり、お上の裁きを待つことになるという。

中央集権による中間組織の欠如。
自己とお上はあっても、帰属できる組織がないのが中国社会である。
漢代の中国では既に、
皇帝が末端の村での宴会の席順にまで影響を及ぼすようになっていた。
中央が直接に個人を支配する伝統があるのだ。

中国では、我の強くないものは生きていくことができない。

『泰山-中国人の信仰』
シャヴァンヌ(中国史)
勉誠出版(2001)


泰山の観光と信仰の紹介。

天をたたえるのが封のまつり
地をたたえるのが禅のまつり
合わせて封禅

泰山にある無字碑
無文字のまま二千年経ち続けた石柱。
高さ4.85mで漢の武帝が運ばせたものという。

前漢末の開山図という予言書
泰山在左亢夫在右亢夫知生泰山知死
とあり、そのころから既に泰山は死を司る山と考えられていたらしい。

・今日の一言
焼死体はボクシングのファイティングポーズをとる。
A burned body takes a boxing fighting pose.
소사체는 복싱의 파이팅 포즈를 취한다.
烧死体摆出拳击的战斗姿势。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

大学(講談社学術文庫) [本(東洋史]

『大学/宇野哲人/講談社学術文庫/1983』
著者:中国哲学
評価:まず自分を正しくしてから他人を動かすべし・良書

銅像で有名な二宮金次郎が持つ本が『大学』である。

8歳になったら王侯から平民まで小学に入学する
そして成績の優秀な者は、15歳で大学に入る。
これが古代の学校制度である。
後漢王朝では、ほとんどの子どもが学校に通っていたと言われている。

『尚書』の秦誓に理想の大臣像が描かれる
誠実で真面目だが、特に技能はないけども、
寛容で度量大きく、他人の長所を心から喜び、
口で称えるだけでなく起用する人。
これは……鄧禹ではないか。
後漢王朝建国のNo1.功臣の鄧禹は、特別な才能は何もなかった。
武勇も策略も無かったが、人を見抜く目に長け、
たくさんの人物を推挙して、朝廷に送り込んだ人物である。
まさに他人の長所を心から喜び、起用する人である。
また『尚書』は、光武帝が学生時代に学んだテキストである。

格物致知の解釈三種
・朱子の格物致知
知識が足りないから知恵を得ることができない。
知識を広く得て知恵を獲得できる。自然科学的な朱子らしい考えだ。
・王陽明の格物致知
自らの真心を正すことで知恵を得る。
・著者の格物致知、
物=六芸に通じることで知恵を得る。
経典を学ぶことで知恵が得られるわけ。

其本亂而末治者否矣
自分の身を修めずに天下を治めようというのはできないこと。

修身在正其心
身を修めるには心を正すこと。
喜怒哀楽が認識を誤らせるからである。

なぜ自分を治められない人間、
自立して自らを律することができない人は、
家庭も社会も国家も治められないのか?

認識に歪みがあるからである。

世の中にはさまざまなハンディキャップを背負った人たちがいるが、
それでも自立して自分を生きることができる人がたくさんいる。
自立できるかどうかは能力とは関係がないのだ。
認識の問題である。
それは、自分の認識と世界が正しくかみ合っているからである。
能力にハンディキャップがあっても認識が正しければ、
自立して生きることができる。
自分を治めるとは、能力の大小ではなく、認識の正誤の問題である。

自立できない人たちは、自分の認識に異常があり、
自分にできることとできないことの区別ができず、
自分の知っていることと知らないことの区別ができないのだ。
ただ自分の知らないことを知っているかのように語り
妄想を語るのみである。

こうした認識と思考に歪みを持った人間が家庭や社会や国家を見ても、
現実を捉えることはできず、妄想を垂れ流すだけである。
ネットの世界では、
ブログや掲示板で妄想を垂れ流す人がたくさんいるが、
そうした人たちの中には、
まともな日常生活を送れていない人が多く混じっている。

社会や世界に危惧を抱くよりまず自分を知るべきである。
そして、自分を満足に律することができたとき、
現実も正しく読みとることができる。

『中庸/宇野哲人/講談社学術文庫/1983』
著者:中国哲学
評価:中庸の本当の意味を知る

喜怒哀樂之未發謂之中
喜怒哀楽の情は外物の刺激に応じて起こる。
まだ起こらない精神状態は一方へ偏りがないので中と呼ぶ。
未発の中は万人にあるが凡愚の人は過ぎたり及ばなかったりする
これを中節の和を失っているという。

『中庸』の著者は子思ではないらしい。
『孟子』より新しいテキストなのだ。

感情というのは、外からの力により起動するものだ。
感情をうまく制御できないというのは、
周囲や他人に動かされているということである。
それは自己の力でも何でもない。
感情に振り回される人間とは、自分というものがない人間である。

【追記】
もちろんこれは老荘の無、仏教の空とは異なる。
老荘の無、仏教の空は、自他ともに無/空であるが、
感情に囚われた人間とは、自がなく他のみの存在だからである。

『易/本田済/朝日選書/1997』
著者:中国哲学
評価:優れた資料本だが現代語訳が読みにくくて少し不便

情報量の多い、リファレンス・ブック。
通じて読める簡単な本を読んで、対照して見ると面白そうな本である。


『中国小史/鳥山喜一/角川文庫/1972』
著者:東洋史
評価:コンパクトや中国通史

王安石のあだなは拗相公と呼ばれたらしい。
あれだけの優れた施策がうまく実施しきれなかったのは、
王安石の性格に原因があるのだろうか。


『百姓から見た戦国大名/黒田基樹/ちくま新書/2006』
著者:日本中世史
評価:国という概念は戦国大名より

中世後期は、江戸時代後半の大飢饉の状態が日常であった。
戦国大名の戦争は慢性的飢饉のため。
戦国時代は本当に苛酷な時代だったのである。

村とは他の集団との戦いのための組織。
この本では、村と村の戦争が紹介されている。
日本の村は武力組織、武装集団なのだ。

だから領主の所領支配は自力で行う。
将軍から承認されても実力で支配する必要があった。
受け取るのに軍勢を動かして平定しなければならないのだ。

秀吉の天下統一とは、戦争の主体が秀吉のみになるということ。
村の武力が失われ、武装集団でなくなったのである。

検地は課税額決定と村領域の保障の意味を持つ。
また楽市とは大名が楽=平和を実現し保障することでもあった。
武装集団としての村が変化する代償である。

こうして大名が村から兵士を動員するようになり、
人々は国家を認識するようになった。
村が初めて国家に組み込まれたのである。

・今日の一言
自分の身を修めずに世界を正しく把握することはできない。
Without leading a virtuous life, you cannot to understand the world.
수신 제가하지 않고 세계를 정확하게 파악할 수는 없다.
不修身,就不能齐家,更谈不到治国。

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

秦漢儒教の研究 [本(東洋史]

『秦漢儒教の研究』
斎木哲郎(中国哲学)
汲古書院(2004)


儒教の実態を知る良書。

胡適によると、儒は殷の遺民であり、
殷の宗教思想と儒は関係が深いらしい。
老子もまた殷に関係するらしい。

始皇帝と儒の深い関係
尚書の堯典は秦儒により改修されているという。
始皇帝の儒者への期待の例。
・博士官を立てて儒者を採用
・儀式で斉魯の儒に諮問
・儒の聖人に比肩し自らを儒家的な聖人君主を目指した
・各地の碑文でも儒家的聖人君主として記録される

焚書坑儒で殺されたのは方士であるが、
そもそも方士と儒に特別な区別はなかった。
儒と秦が対立していたという事実はないのである。
さらに言うと、法家というのも儒の一種である。
儒家や道家や法家という分類が成立するのは前漢末なのだ。

漢代の"孝"思想。
漢は孝を以て天下を治む。
漢の皇帝は、高祖と光武帝を除きすべて孝をつけるのはその表れ。

孝廉察挙では孝経の読誦するらしい。
当時の教育の基本は、論語と孝経の暗記だ。

後漢の皇位の継承には、儒教の教養が条件にあった。
第四子の明帝が皇帝になれたのは春秋と尚書に詳しいからで、
第五子の章帝が皇帝になれたのはは詩や春秋に詳しいかららしい。
明帝と章帝はともに史上有数の名君なので、
この方針は正しかったといえるのかもしれない。

経典を作った楊雄
易に太玄、論語に法言、史篇に訓纂、箴に州箴。
聖人になることを学問の課題としたという。
気宇壮大な学者である。
太玄経は天地人の3つの組み合わせから81首を得るという。
読んでみたいと思う。

『中国古代の田制と邑制』
佐竹靖彦(中国前近代史)
岩波書店(2006)


古代中国の農業発展を知る。

周秦の地には城郭都市はなかったらしい。
殷の地域とは文化的にも違うようだ。

商鞅田制は鉄製農具の普及の結果。
代田法は鉄犂牛耕に対応したもので前漢中期。

牛耕は、前漢から後漢への変化への重大な契機である。

亭は異域との結界と捉えられた。
亭長は結界における守護者という。
だから、亭長は家が貧しいかアウトロー出身。
亭長になるのは県に給仕することで、
求盗や亭長は厳しい管理下にあった。
劉邦が夏侯嬰を傷つけたとき、
両者とも否定したが、嬰は一年も投獄され数百むち打たれたのである。

亭長は役人といっても、半分奴隷のような存在であり、
とても進んでやるような仕事ではないのである。

『儒教と道教』
マックス・ウェーバー(理解社会学)
創文社(1971)


東西の社会史の比較。

インドや中国では都市は村落より自治が少ない。
西洋と逆であるという。西洋では都市こそ自治するものなのだ。

歴史の5大革命
・12世紀から13世紀のイタリア革命
・16世紀のオランダ革命
・17世紀のイギリス革命
・18世紀のアメリカとフランスの革命
イタリアの革命ってルネサンスかな。
ちょっと早い気もするけど。

劉邦は村落の農場監視人だった。
また、村落には輪番制の見張り義務の有給の番人がいるという。

亭長ってのは、田畑の番人なのだ。
警察とかいうから、偉いように錯覚してしまうのだ。
田畑の番人をみなが嫌がるのは当然だ。
城外にあるのも納得である。

・今日の一言
漢王朝は孝を以て天下を治めた。
한(漢)왕조는 효(孝)로 천하를 다스렸다.
汉朝以孝治理了天下。
The Han dynasty ruled over the whole country by the thought of filial piety.

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

易学-成立と展開(サーラ叢書) [本(東洋史]

『易学-成立と展開』
本田済(支那哲学)
平楽寺書店(1960)


易がどのように成立したわかる。良書。

『漢書』によると八卦は包犠、卦辞は文王、十翼は孔子が書いた。

古代人は共通の職業の者はギルドを作り共通の標識を持っていた。
卜筮者は蜥蜴らしい。
易は蜥蜴の意味だから。

易の辞は結構、下世話だ。
棚からぼた餅、花より団子、老いが至るまでに歓楽を尽くせ
やもめ世帯に花が咲く、三人旅はまとまらぬ。
など。おみくじと変わりません。

朱子と鄭玄の違い。
鄭玄は、真理は経の中で完結していると考えたが、
朱子は、真理は万物にあり、経は真理をつかむ手段とした。
朱子はかなり論理的である。

『不老不死という欲望』
三浦國雄(中国・朝鮮思想史)
人文書院(2000)


不老不死を目指す道教思想のしくみ。

房中術とは、sexを養生や長生術に転用すること。
六朝の道教徒は、二十歳に過度儀があり、
師の前で性交するらしい。
エロ・カルトだ。

中国人は現世で楽しむのが好き。
思凡とは、天上人の下界ホームシック。
仙人になって天界に登ると、地上が恋しいらしい。

悟りの違い。
儒教の悟りとは、楽天知命、天人合一、脱然貫通。
老荘の悟りは、喪我、坐忘、心斎、虚室生白、槁木死灰。
道教では、白日昇天となる。

ユング心理学者J.シンガー
太極拳とは、
無極太極から陰陽が生じ万物が生じる天地創造の舞いである。
という。易がベースにある拳法なのだ。

漢末には陽九百六の会という終末論があったらしい。
ちょっと気になる。後漢末?前漢末?……どっちだろ。

『神々の誕生』
貝塚茂樹(古代中国史、甲骨文字)
筑摩書房(1963)


戦国までの神話文化を世界比較で理解する。

戦国時代以前の資料は口頭伝承。
漢以降とは、資料の質が違うのだ。

戦国時代の宮廷では、故事暗唱の口頭伝承の物語により子弟を教育した。
語とは、古の王様の故事によるたとえ話のこと。
国語という書は、まさに各国の故事集だ。

秦漢の頃には、
もの凄い形相をした蚩尤の肖像画が民間に普及し、
悪魔を払う守護神とされた。
漢高祖も挙兵に蚩尤を祀った。
蚩尤は、青銅武器の発明者にして軍神であったのだ。

月に兎がいるという伝説は後漢の末に成立した。
それまではカエルだったようだ。

『修訂 中国の呪法』
沢田瑞穂(中国文学)
平河出版社(1984)


道士と呪術の話。資料。

鬼神を使役する高獲は、光武帝の友人でもある。
田中芳樹氏の小説にも出ましたね。
また禁気の術をする劉憑は隊商の護衛もした。
漢代に専門の視鬼がいた。巫の一種である。
その邪鬼の制圧の道具は符と剣と水である。

魔除けの絵になった泣く子も黙る勇士たち。
劉胡、楊大眼、麻秋、檀道済、桓康。
詳しくはわからない人もいるな。

声を長く引く口技、長嘯。魏晋から唐の名士に流行した。
口をすぼめ両唇を合わせまるめた隙間から呼気を押し出す。
霊魂、役鬼、精霊、鳥獣、風雲、雷雨など異類異物を招集する呪法。
口笛なのか、声なのか、モンゴルのホーミーみたいなのか気になるな。

漢の武帝を呪詛した事件。
武帝の離宮甘泉宮に至る車道に木人を埋める。
一般に、木を刻んで人の形にし土中に埋める。
枷を加え両手を縛り心臓に釘を打つこともあった。

道士の悪のエロ技、玉女喜神術。
女を裸にして姦淫するらしい。
催眠術か?

戦場でのエロ技、陰門陣の秘法。
陰部まるだしの女たちを陣頭に立てて敵の火砲を沈黙させるという。
明代に実際に行われたらしい。

『風水探源』
何暁昕(風水研究)
人文書院(1995)


風水の歴史的研究書。

風水という言葉は郭璞の『葬書』より始まった。
意外に歴史は古い。

最古の風水書は、『堪輿金匱』。
そこに六壬術がある。
六壬盤を用いて占うらしい。
『論衡』には、図宅術、禁忌、厭勝、魔除けなども記載され、
風水関連の技は漢代に既にたくさん広まっていたらしい。

・今日の一言
太極拳は天地創造の舞いである。(J・シンガー)
Tai chi chuan is the dance of the Creation. (J.Singer)
태극권은 천지창조의 무용이다. (싱거)
太极拳是开天辟地的舞蹈。(辛格)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

不老不死の身体-道教と「胎」の思想(あじあブックス) [本(東洋史]

(あじあブックス)
『不老不死の身体-道教と「胎」の思想/加藤千恵/大修館書店/2002』
著者:中国思想
評価:道教の神秘的人体観を知る

道教では、
小宇宙たる人体と大宇宙そのものがつながっていると考えられた。
"大自然につながるへその緒をたぐり寄せること"が修行である。

内景図の人体と宇宙の対比。
不死の仙薬があるとされる蓬莱や崑崙。
宇宙と人体が同じであるから、不死の仙薬も体内にも備わる。
すなわち、修行により身体を不死とできると考えた。

抱朴子でいう胎息の技法
鼻や口で呼吸するのでなく、
母親の胞胎のなかにあるが如く呼吸せよという。
呼吸を静かにしていくのである。

道基吐納経によると、修行により30日近くやせ衰えるが、
40日目から好転するしていくという。

三浦国雄の儒、仏、道の基本思想の比較。
儒教は関係性、仏教は空無化、道教の生命である。

天と人間を結びつける思想。
玉鈐経の主命原には、
人の吉凶は結胎受気の日によって定まり、
すべて天上から列宿の精を得るとする。
詩経の節南山之什の小弁にも
"天之生我,我辰安在"とあり、
古来より続く思想である。

・今日の一言
胎児のように呼吸せよ。
Breathe like a fetus.
태아와 같이 호흡해라.
象胎儿一样地呼吸。

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

君当に酔人を恕すべし 中国の酒文化(図説中国文化百華) [本(東洋史]

図説中国文化百華017
『君当に酔人を恕すべし 中国の酒文化』
蔡毅(比較文学)
農山漁村文化協会(2006)


酒にまつわる中国史。図版が多く楽しめる。

蓮の葉を杯にする碧筒杯。美味しいらしい。
何と、しゅーらんさんが詳細に実験レポートをしている。
三世紀or六世紀中国の蓮酒(碧筒酒)をやってみた(しゅーらんの白昼夢記)

これは象鼻杯として日本各地で行われているという。
象鼻杯で検索するとやり方などもたくさん見つかる。

象鼻杯(百度画像)
象鼻杯(Google画像)

漢代の風習
重陽の節句には、
高い山に登りはじかみを携えて菊花酒を飲むらしい。
ピクニックだね。

サヨナラダケガ人生ダは、
晩唐の詩人于武陵の詩。
人生足別離
を翻訳したもの。
さすがに詩人の発想は凄いな。

図説中国文化百華006
『神と人の交響楽 中国仮面の世界』
稲畑耕一郎(中国古代学)
農山漁村文化協会(2003)


仮面の中国史。図版が多く楽しめる。

南北朝時代鉄面をつけるのは普通だった。
蘭陵王が鉄面をつけたのも、当時としては当然だったらしい。

追儺
年の暮れに悪鬼悪疫を追い払う。
黄金の四目の面をつけた方相氏が鉞を持つ。
巫が箒を持つ。
赤い帽子に黒い服の子どもが弓矢を持って射る。
松明を打ち振って悪鬼を追う。

追儺の三種
国の儺:都の9つの門で犬羊鶏を犠牲にし陰を気を追う。
天子の儺:天子が仲秋に陽気を追い払い秋の気を引き入れる。
大儺:天子から庶民までが行う。
役人が四方の門で犠牲とし、土牛を作って寒気を送り出す。

図説中国文化百華002
『天翔るシンボルたち 幻想動物の文化誌』
張競(比較文学、比較文化、日中比較文化史)
農山漁村文化協会(2002)


想像の動物の中国史。図版が多く楽しめる。

辟邪とは麒麟+虎の動物。
残念なことに、光武帝陵から出た辟邪の写真がない。無念。

史記における劉邦が龍の子との記述。
これは貶めるためという説があるらしい。
当時は龍は変な動物として見られていただけで、
むしろこの記述によって神聖な動物となったらしい。
龍が神聖だから劉邦に結びついたのでなく、
劉邦に結びつくことで龍が神聖になったというわけ。ホントかな?

図説中国文化百華013
『「天下」を目指して 中国多民族国家の歩み』
王柯(中国近現代史)
農山漁村文化協会(2007)


周囲の外国との中国史。図版が多く楽しめる。

歴史という言葉は明以降にできた。
それまでの史とは違うらしい。

春秋時代には、蛮や夷や戎という漢字を謚にすることもあった。
差別意識はなかったらしい。

『習俗の始原をたずねて』
井本英一(ペルシア語)
法政大学出版局(1992)


日本、中国、朝鮮、インド、イラン、ヨーロッパの習慣比較。

中国で12月23と24日はかまど祭り。
その日から年末までに神々が天に昇るので
この時期に人々は結婚するらしい。
年末に結婚式が多いってことかなあ。

白川静によると"道"とは、
異族の首をたずさえてお祓いして道を進むの意味。
アフリカでは小児の魂が道を行く女性の胎内に入るように、
死体を道端に埋めた。
日本でも交通事故で道端に石と花と水を置く。
何だか怖い話だ。

『中国薬草ものがたり』
繆文渭(民間文学)
東方書店(1992)


薬の起源についての民話集。

中国の言葉。
三不留とは、話をしない、ご馳走しない、泊めない。
村八分みたいなものかな。



『物候学-大自然語の手引き』
竺可楨(現代物候学)
円青社(1988)


生物の気候変化による周期現象の話。

粟を播くのは2月上旬ポプラの葉が出て花芽がつく時。
3月上旬桃の花が咲く。
4月上旬棗の木に葉がつき桑の花が散る。
この時期になるともう遅いという。

・今日の一言
サヨナラダケガ人生ダ。(井伏鱒二)
To say goodbye is to die a little.(Raymond Chandler)
인생족별리。
人生足別離。(于武陵)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

道教とはなにか(中公叢書) [本(東洋史]

『道教とはなにか』
坂出祥伸(中国哲学史)
中公叢書(2005)


道教をその根源から歴史的かつ多角的に知る良書。

陶弘景の真霊位業図の第七階図に、始皇帝がいる。
あの冷徹で悪評高い始皇帝も祭られているとは意外だ。

西漢の羽人
耳が大きく眉が突き出て披髪で羽根を持つ人。
妖精みたいだけど、中国の仙人だからおっさんかな?

北宋末に娼婦から仙女になった張珍奴。
キリスト教のマグダラのマリアみたいなものかな。

婦人を御する術に長じた甘始、東郭延年、封君達。
加藤鷹みたいな人なんでしょうか?
チョコボール向井みたいだったらやだな。
マッチョ道士って、似合わねー。

呪言とともに禹歩を行う。
その一種の歩綱躡紀とは、北斗の九星の動きで、
ぴょんぴょん鳥のように跳び歩くらしい。
馬王堆や雲夢の記録では、古代の巫が禹歩を行ったとある。
すると、漢代の道士や方士は禹歩をしていたわけだ。
前漢末には西王母信仰の団体が、歌い踊って都に乱入した。
江戸時代の"ええじゃないか"みたいなのがあった。
これなんか事実上、道教じゃないかと思う。

呪禁の五法とは
存思とはイメージすること
禹歩とは北斗七星の動き
営目とは片目をつぶる
掌訣とは親指を隠して握ること
手印とは二手十指の形の印契。
こうやって呪術を行うわけだ。

丹砂と金液重視の葛洪は魏伯陽と異なる流派。
その系譜は、
馬明生⇒陰長生……左慈⇒葛玄⇒鄭隠⇒葛洪となる。
陰長生って誰か気になるな。
もしかして、陰麗華の一族では?
陰子方の字だったりして。

唐の詩人もみんな道教の道士。
李白は参同契の要約詩を書いたし、
白居易は参同契を授けられたし、
杜甫も丹砂の詩を書いた。
唐玄宗は道士皇帝だし。
唐は道士だらけだ。

東洋医学の脈診の3つの尺度。
浮⇔沈、数⇔遅、弦⇔緊
脈を三次元的に布置して見るわけだ。

岡倉天心は道教の熱心な崇拝者。
美術と道教って相性が良さそうだ。

現代も認められた伝統気功の四功法
易筋経、六字訣、八段錦、五禽戯。
五禽戯は華陀だよね。2000年の歴史もあるわけだ。

『「気」と道教・方術の世界』
坂出祥伸(中国哲学史)
角川選書(1996)


気とは何か、道教とは何かを知る。

生命活動の根源が気である。
気は感応するもの=遠距離で瞬間に反応する存在である。

気韻生動とは、対象と見る側が一体となった境地。
見る側と対象の気が感応することが大事。

著者は道教を、
気の運動に身を委ねて救済を求める宗教、
と定義している。

日本人は中国を儒教の国と思っているが、
西欧人は中国を儒教でなく道教の国と思っているらしい。

望気術とは空や空気の気を見て、未来を占う方法。
左伝655年より記述がある。
その後、兵法として軍事占となった。
戦国時代末からマニュアル図が描かれている。
気の形の図を見て、未来を予測するわけだ。
晋書の天文志の中に、気の観察法が書かれている。
雲や霧に似ていて、
上に見えると100里内近くで、
水平で木々の隙から見えると2000里と遠くの出来事を示すらしい。

馬王堆の合陰陽の五欲の徴兆
女の顔が火照ったら口づけ
乳頭が堅くなり鼻が汗ばんだらゆっくり抱く
女の舌が軽やかでなめらかになったら身体をすりあわせる
股が湿ってきたら始める
喉が渇き唾を飲み込むようになったらゆっくりと女の体を揺する
……
セックスもマニュアル化してる。
張衡の同声歌に、図を枕元に並べるとあり、
こうした房中図の絵が漢代には広まっていたらしい。
図を見ながらするんだろうか……

・今日の一言
禹歩とは北斗の九星の形に跳ねること。
Step of Yu is the steps of the Big Dipper.
우보(禹步)는 북두구성 모양에 뛰는 것.
禹步是像北斗九星形状的跳跃。

タグ:坂出祥伸
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

三星堆・中国古代文明の謎-史実としての『山海経』(あじあブックス) [本(東洋史]

『三星堆・中国古代文明の謎/徐朝龍/大修館書店/1998』
著者:中国考古学、南アジア考古学、古代史、比較文化
評価:西王母は蜀の女王である・山海経と三星堆の関係を知る

三星堆遺跡の城壁は、東西2100m、南北2000m。
古代の大都市である。

三星堆の青銅製遺物により表現された精神世界は、
山海経の記述に非常に近い。
蒙文通は、荊楚地方の人が蜀で採取した神話伝説を
まとめたものが山海経だという。

穆天子伝は周王と蜀王の面会を示すという。
西王母の邦とは、三星堆蜀国であり、
崑崙とは岷山山脈のことらしい。

『魏晋南北朝壁画墓の世界/蘇哲/白帝社/2007』
著者:中国魏晋南北朝考古学
評価:図版多く騎馬民族の風俗がわかりやすい

沮渠蒙遜ら河西廬水胡は西王母を信仰していた。
道教徒になるんでしょうか。

平壌南の安岳三号墓は高句麗古墳ではない。
韓国側は当然、高句麗だと主張しているんでしょうね。

西晋には、千里の馬の他、八百里の牛という言葉があった。
牛の速さも自慢らしい。

北魏には若い男性が2本のおさげを結ぶ習慣があった。
日本のみずらにも似ている気がする。

重装騎兵は安息=パルティア起源で、後漢末伝来かもという。
鎧馬の産地であるのは幽州と冀州で、
袁紹は300、曹操は10しか馬鎧がなかったらしい。
これが当時の戦争の最強部隊である。

私が思うに、後漢建国期の突騎=鉄騎と思う。
突騎とは、敵陣地に突入する騎兵のこと。
軽装の騎兵には不可能だから。
また、後漢建国期の馬武や賈復の戦い方は、
前漢の李広らと全く違う。
前漢の豪傑はみな弓の名手で、
騎兵は、その機動力で突如現れて弓矢を浴びせて、
さっと去っていく存在である。
対して、後漢建国期の猛将はみな、
陣地を突破して名を馳せているからだ。
後に鎧馬の産地が幽州と冀州になるのにも一致している。

・今日の一言
西王母は蜀の女王である。
Xi Wang Mu was a queen of Shu kingdom.
서왕모는 초나라의 여왕이다.
西王母是蜀国女王。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

風水と身体-中国古代のエコロジー(あじあブックス) [本(東洋史]

(あじあブックス)
『風水と身体』
加納喜光(中国哲学)
大修館書店(2001)


医学と環境を結ぶ中国思想を知る。
意外と面白い。

中国の森林被覆率
西周の時代は53%だが、現在はたったの12%。
四分の一以下である。

文明は森林とともに滅ぶというが、
中国文明は死に体のまま生きているのかもしれない。
ちなみに日本の森林被覆率は68%である。
また、古代の中国は意外と日本に似た、
森林豊かな環境であることもわかる。

プラトンはアッティカの森の荒廃を嘆き、
孟子は牛山が丸裸なのを嘆いた。
環境問題は文明とともに誕生したのだ。
文明と対立する自然回帰の老荘思想も、
環境問題から発生した。
漢の貢禹は、銅鉄採掘と災害の関係を指摘している。

中国の気候変化。
三国時代直前まで今より2℃高いかった。
唐は1℃高い。
ところが、宋から清まで1~2℃ほど低いのだ。

中国思想では、風景は身体の中で再現される。
大陸を流れる川の12経水が、身体の12経脈に対応させられる。
身体も解剖図ではなく内景図と呼ぶ。
治病の治と治水の治は同じ意味。
洪水を治めることと病を治すことのアナロジー思考である。

中国の三大名医。
薬王扁鵲、医聖張仲景、神医華陀。
パルティア人の安世高の仏典翻訳に、
ジーヴァカの外科手術の記録がある。
華陀の技術も外来らしい。

(あじあブックス)
『干支の漢字学』
水上静夫(中国哲学、中国植物学、漢字)
大修館書店(1998)


論文。十二支や十干は循環序数詞である。

はっきりいってこれは論文そのまま。
興味がないと厳しい。

序数は順序を表すため
必ずしも数詞は必要ないらしい。
優勝、準優勝とかも数詞になる。

天文学の解説で、ヴェリコフスキーとか出てきたのには参った。
先生、友達を選んでください。

十二支の動物は論衡が初出。
とすると後漢では既に、「俺の干支は寅だけど、君は?」
とか会話したんだろうか。

河図は易の八卦のこと。
洛書は尚書の洪範の「初一曰五行~威六極」までの65字。

王充は世界初の唯物論者らしい。ちょっと誇張な気がする。
ギリシャに唯物論者っていなかったっけ?

『中国農業史』
フランチェスカ・ブレイ(中国農業史)
京都大学学術出版会(2007)


ニーダムの中国の科学の一巻。やや退屈。

時代により気温が異なり、農業も変わる。
気温が高い漢と唐では水稲の範囲が拡大した。
対して、気温低下で揚子江下流で
冬麦を導入したのが宋代である。

甘い香りの花ショウブの開花を合図に農作業の時を計る。
古代人はまさに自然とともに生きてきた。

農業における人糞尿肥料の使用は、殷商時代より。
日本でも行われた方法は相当に起源が古いようだ。

中国へ到来した新しい作物。
トウモロコシの、最古の記録は1511年。
ピーナッツは、16世紀初に福建より。
綿栽培は、13世紀後期に揚子江地方に到達。

四民月令には、小麦粉のウドンや団子が急速に普及したとある。
後漢の新しい食事風景である。

『中国古代史を散歩する』
李家正文(随筆家、朝日新聞記者)
泰流社(1989)


図版がたくさんあって面白い。

剣器舞とは、
長い裾と長い袖をひるがえして泳ぐように踊る。
袖を切って手に持つこともある。
漢代より長巾を使って舞うこともあった。

公孫大娘の剣舞は書に通じる。
張旭は、舞いは草書の師匠と悟ったという。

このあたり、ジェット・リーの映画『英雄(HERO)』を思い出した。

長沙抵王の子が劉秀とある。
間違いである。
何で光武帝関連の話はみんな間違ったことを書くんだろう。
貝塚茂樹は、劉盆子をすぐに死んだことにしてしまうし、
梅原郁は、光武帝の皇后を馬皇后だと書くし。
研究者が誤植なみの間違いを書くのはこの時代だけだと思う。

・今日の一言
漢代は今より気温が2℃高かった。
The temperature in the Han Dynasty was 2 degrees higher than now.
한대 기온은 지금보다 2도 높았다.
汉朝时代的气温比现在高2℃。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

漂泊のヒーロー-中国武侠小説への道(あじあブックス) [本(東洋史]

(あじあブックス)
『漂泊のヒーロー』
岡崎由美(中国大衆文芸)
大修館書店(2002)


中国の大衆文学の歴史を知る・面白い。

出土した漢代説書俑。太鼓とばちを持ち踊り出しそうなもの。
こうした芸人が、文人の誕生祝い宴会には演芸をしたり、
仏教の法要に名医の話をしたらしい。

唐までは刀剣を振り回す文人がいた。
文武の区別がはっきりするのは唐以降のこと。
漢代は特に成人男子には全員兵役があるので、
文人も当然のように剣を使う。
風俗も江戸時代に似ているのが面白い。

中国のチャンバラはファンタジー。
香港武侠映画の爆発やレーザーは唐の時代より記録される。
唐の伝記小説の撃剣術では、剣を揮えば風雷を伴い稲妻が空を裂くのだ。
おっと、そういえば光武帝の昆陽の戦いでは、
文字通り風雷を伴い稲妻が空を裂き、王莽軍が潰滅したけど、
劉秀もやはり剣の達人かな?

唐の開元年間、勅命で慶事の際に民草に酒食を賜る宴があった。
これはもちろん漢代など他の時代にもあった。
祝日は国家推進でお祭りをするわけだ。

漢代の画像石には、
額にのせた竿の先に演技者がぶら下がったり逆立ちする図もある。
基本的に今の雑伎と同じ。
中国雑伎団の歴史は、二千年を超えるのだ。

江湖とは、長江と洞庭湖のこと。
官に対する野の世界を意味する。
盗賊がすみかとするのが長江と洞庭湖ってことかな。

侠客の仮の姿で多いのが、渡り歩きの薬売り。
怪我をしやすいから自然に薬にも詳しいわけ。

中国の剣は、よくしなり片手で扱うもの。
頸動脈を斬るか急所を刺すので、動きはフェンシングに近い。
太平花とは、利き手の逆の側に構え、
バックハンドで水平に弧を描いて刺突を送る基本技。
確かに画像石を見ても、
ヒットアンドアウェイのフェンシングのポーズが多い。
日本の殺陣とは全く違うわけ。

臨陣招親とは、戦って結婚すること。
女が「私に勝てる男と結婚する」……のはずが、
楊家将では、「私が勝ったら結婚しなさい」となり、
女がいつも勝つらしい。(笑)

金庸のキャラクターは今や一般名詞。
権力欲の代名詞は左冷禅、偽善者の代名詞岳不群。
名前を呼ぶだけで悪口として通じるのだ。

『金瓶梅:天下第一の奇書』
日下翠(中国文学)
中公新書(1996)


金瓶梅の読み方・人物を中心に読む。

金瓶梅の内容を一言でいうと、
明の富豪の生活と因果応報の話だそうだ。

金瓶梅は画期的なのは、エロだからではなく、
人物の性格が細かく描かれていること。
支那の小説では人物が性格を持たなかったのが、変わったのである。

登場する使用人は、必ずお使いの上前をはねる。これは中国の常識。
役人も収入は明示されない部分がほとんど。
古来より法律よりも慣習で動く国である。

日本は女性が過ごしやすいという。
欧米では男女ペアでの行動を強制されるし、
中国でも、女性は結婚への圧力が強い。
確か王敏氏も同じことを言っていた。
仕事をするという点では、日本はあまりよい環境ではないが、
生活に干渉されないという点では楽なようだ。

・今日の一言
中国のチャンバラはファンタジーだ。
Chinese sword fight is fantasy.
중국의 칼싸움은 상상이다.
中国的武打片是幻想。

タグ:岡崎由美
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

中国の大航海者 鄭和(清水新書) [本(東洋史]

『中国の大航海者 鄭和』
寺田隆信(東洋史)
清水新書(1984)


大航海時代よりも凄い中国の鄭和。良書。

8世紀末の広州の西アジア人は数十万人。
年に40隻が往来したという。
海上貿易は陶磁器の道と呼ばれた。
後の時代、宋銭は世界の通貨と呼ばれた。

明太祖の建国から末年までに耕地面積が5倍に。
朱元璋は、たくさんの人を殺したが、
一般庶民の民政という点においては抜群だったといえるだろう。

鄭和は身長180cm腰回り1mの巨漢。
全然、宦官らしくない。

宝船は船長150m、幅62mの巨大な船。
貿易が主要目的であり、西洋取宝船と呼ばれた。
鄭和の4次5次航海によりキリンが続々と到来した。
インド洋の航海はアラビア人の航海法で、
アラビア式観測器カマール=牽星板を使っていた。
この鄭和は日本来訪し、足利義満と会見したという説もあるらしい。

・今日の一言
宝船の船長は150mだ。
The length of a Treasure Ship is 150-meter-long.
보선의 선장은 150m이다.
宝船的船身长达150米。

タグ:寺田隆信
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

日本人になった祖先たち [本(東洋史]

『日本人になった祖先たち』
篠田謙一(分子人類学)
NHKブックス(2007)

DNAから人類進化と日本人の由来を解明する。
良書。

ネアンデルタール人は70-50万年前に分岐した。
すなわち私たち現代人とは異なる枝の人類である。

著者はDNAや遺伝子を
アナロジーに使うことを嫌っている。
"創業者のDNA"、"ものづくりのDNA"などの表現は、
DNAを誤解させるからだ。
私も同感で、このような衒学的な表現は恥ずかしいものと思う。

著者は高校では生物学は必修科目でないことを憂いている。
これは全く同感である。生物学はただ理科の科目というだけでなく、
人権や差別、さらに道徳問題に関係する重大なものであるる
生物学は、すべての人にとって必須の学問なのだ。

一般に隣接して暮らす人々は最もDNAを共有する。
フィンランドやハンガリーは、東洋系の文化と言語を持つ国だが、
その人たちは完全に西洋人の風貌であり、
DNAも周囲の西洋人と同じなのである。

酒を飲めるかどうかのアセトアルデヒド分解能力を持たせる遺伝子。
酒に弱い変異型は中国南部で生まれた。
正常遺伝子が2つある日本人は、約56%。
1つが変異型の人は約38%。
2つとも変異した人は約4%。
1つだけ変異した人の分解能力は、半分ではなく約6%しかない。
日本人の半数は酒が飲めないのである。

ミトコンドリアDNAで人類を分類すると4種になる。
その内の3種はアフリカ人だ。
それほどアフリカ人は変異が大きいのである。
男性平均身長が140cm以下のピグミーから
180cm以上のマサイまでいるのだ。

インド人の60%はアジア系DNAを持つ。
言語的には印欧語族と呼ばれるがDNAは違うのだ。

沖縄の人の由来。
沖縄は狩猟採集で永住するには狭すぎる。
農耕を持ち込んで定住可能になった。
南太平洋に最初に移住したのも中国南部の農耕民であった。
今の沖縄人は本土から南下した人たちである。
台湾とは関係がない。

朝鮮半島に縄文人と同じDNAの人たちがいる。
北部九州と朝鮮半島南部は同じ地域集団に属しているのだ。
これは古代の九州王朝を支持しているといえるだろう。
半島南部と九州北部の海洋王朝があったのだ。

朝鮮半島と日本人の近縁性を説明するのに、
埴原和郎は100万人渡来説を出した。
しかし今は縄文人と弥生人の人口増加率の差で説明可能とする。
農耕の力による人口爆発があれば、
最初に渡来した人の数は少なくてよいのだ。
さらにもう一つ要因を考えることもできる。
『旅と病の三千年史』
のように、渡来人は結核とともに来たという考えである。
縄文人は結核に抵抗力が全くなく、
少数の弥生人の子孫のみが繁栄したのかも知れない。

日本人に近縁なのは朝鮮半島、遼東半島、山東半島の人々である。
これら韓国人、中国人は、アイヌ人や沖縄人よりも
日本本土の人たちに近縁なのだ。

これは結構、重大な意味がある。
というのも、沖縄人は日本本土から移住した人たちであり、
『新説!日本人と日本語の起源』
にも書かれているが、3世紀に南九州人が琉球へ南下したのであり、
これはほぼ確実なものと考えられているのだ。

その沖縄人よりも中国人、韓国人の方が近いというのは、
日本人が遼東半島、山東半島の中国人や朝鮮人と分離したのは、
その3世紀より後であることを示唆するからだ。

岡田英弘は、
『倭国-東アジア世界の中で』  
において、中国春秋時代の越国を日本人、韓国人の祖先と想定している。
越は呉と戦い勝利して、中国の覇者となり、山東半島まで進出し、
その後、忽然と崩壊する。
その前5世紀の越人が、
華南⇒青島⇒朝鮮半島⇒日本と移住したと考えているのだ。
呉越同舟や臥薪嘗胆がまさか日本人と韓国人のエピソードだとは……

DNA分析が示した、
日本人と、朝鮮半島、遼東半島、山東半島の人々の近縁性は
氏の強引な推測が、正しい可能性を示している。

これらの分析はミトコンドリアDNA、すなわち女系の分析である。
対して男性の系統である、Y染色体の分析もある。
ところこの場合、大陸と日本のY染色体DNAは、
大きく異なっているのだ。
そして、これは大陸側に原因があるという。

これは何を意味しているのか?
朝鮮半島、遼東半島、山東半島では、
男系のDNAが断絶しているということだ。
別の民族の侵入により、大量に男性が死んだことを意味する。
モンゴルや清により、男性の系統が入り交じっているのである。

『倭人と韓人-記紀からよむ古代交流史』
上垣外憲一(日韓文化交流史、比較文学、比較文化)
講談社学術文庫(2003)


古代の列島と半島の関係を知る。

古事記でいう高天原は朝鮮半島だそうだ。

半島から鉄を輸入し、奴隷、玉、織物を輸出していたという。
日本から輸出された翡翠が新羅や加羅で発見されているらしい。

神功皇后の新羅征伐とは新羅系である下関王朝の打倒のこと。

豊かな木材による造船の発達が4-5世紀の倭国の強さ。
韓国は木が少なく海軍力が制限されるのである。

『日本人とは何か』
宮城音弥(日本の心理学者の草分け)
朝日新聞社(1972)


多角的かつ客観的な良書

日本人の会話には失文法的傾向があるという。
そこに南洋系の語彙に、アルタイ系の文法が融合した可能性を見る。

日本の精神病者には宗教妄想がなくかわりに天皇妄想がある。
キリストの弟子でなく天皇の弟になるという。

欧米人はいう、日本人は嘘をつくと。
それは個人の責任を重視しないため、
騙すのでなく自分の発言を重要視しないからだという。

日本人論の問題点3つ
・自分の狭い専門からだけ考察する
・一つの標語で表そうとする
・明治以来の政治教育のもの

私は宮城音弥の本はほとんど読んでいるし、できるだけ買っている。
なぜ宮城音弥の文章が好きなのか。
まず一文が短く、歯切れがよい。本も薄い。
そして常に多角的であり、客観的でのめり込むところがない。
私の思考にフィットする部分が多いのである。

朝鮮語と日本語の語彙の類似点
水・ミル、釜・カマ、事・コト、串・コス、酢・スー、
熊・コム、暖か・タッタト、鍋・ナンビ、朝・アシャムなど。

日本語:"買う"の過去形は"買った"
韓国語:"사다サダ(買う)"の過去形は"샀다サッタ(買った)"
など、文法でも気になる類似は多い。

『日本人のルーツ 探索マップ』
道方しのぶ(フリーライター)
平凡社新書(2004)


考古学の話。

華北の新石器時代人は、現代華北人より
華南人や東南アジア人に似ているという。

これの理解としては、
後から中央へと別民族が進出し、
元々いた民族が東南アジアや日本や韓国へ押し出されていくのである。
だから中国人というのは、文化は古いが遺伝子はちっとも古くない。

日本人も韓国人も中国人も、
民族の移動というものをまともに理解していない。
3000年前に住んでいた中国大陸、朝鮮半島、日本列島の古代人は、
今の中国人、韓国人、日本人とあまり血縁関係はない。
当たり前だが北京原人と中国人に血縁関係は全くない。

・今日の一言
越王句践は日本人の先祖かもしれない。
King of Yue "Goujian" may be an ancestor of Japanese people.
월나라 왕 구천은 일본인의 조상일지도 모른다.
越王句践说不定是日本人的祖先。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

厚黒学(徳間文庫) [本(東洋史]

『厚黒学』
李宗吾(日中戦争時の四川在住の教師)
徳間文庫(2002)


面白過ぎ。
英雄豪傑はただ面の皮が厚く心が腹黒いだけだ!!!

中国最後の諸子百家、李宗吾の厚黒史観を見よ!
厚黒史観とは?
二十四史の英雄豪傑の成功の秘訣、それは面の皮が厚く腹黒いこと!

黒さとは何か?
曹操である。自分を信頼する人物を次々と殺して平然としている。
何と腹黒いことよ!
厚さとは何か?
劉備である。戦に負け続けて弱いくせに国をもらい平然としている。
何と厚かましいことよ!
三国志とは腹黒い曹操と厚かましい劉備の対決なのだ。
そして呉の孫権は、厚さと黒さを少しずつ兼ねることで国を建てた。

天下を統一したのは司馬氏である。
寡婦や孤児を欺く腹黒さと、
巾幗の辱めをものともせぬ面の皮の厚さを持つ司馬懿こそは、
厚さ黒さを兼ね持つ厚黒学の大家である。
著者は『三国志』を読み、司馬懿が孔明の巾幗を受け取ったとき、
ハタと手を打ち、"天下は司馬氏に帰す!"と叫んだという。(笑)

楚漢の戦いもまた、厚黒の法則通りに展開した。
厚さはあっても黒くなかったのが韓信である。
劉邦をだまし討ちにする腹黒さがなかった。
黒さはあっても厚くなかったのが項羽である。
郷里に帰って再興を目指す厚かましさがなかった。
そして厚さと黒さを兼ね備えた劉邦こそが天下を取ったのだ。
劉邦よ、司馬懿よ。厚いぞ!黒いぞ!

厚さと黒さのない人間に天下は取れない。
光武帝劉秀ですら、兄の死に平然と振る舞う厚さがあり、
河北自立のとき謝躬をだまし討ちにする黒さがあった。
唐太宗李世民だって、父を幽閉し兄弟を殺す厚黒さがあった。
宋太祖趙匡胤だって、酔ったふりして皇帝になる厚黒さがあった。

厚黒学が提示する策略は身も蓋もない。

・やがら切断法
矢の刺さった負傷者に、矢の柄だけを切り取り、
後は内科だといって治療費を請求した外科医。
やっかいな仕事はすべて他人に押しつける謀略である。
岳飛と秦檜を比べたとき、岳飛が失敗したのは、
鏃を自分で取ろうとしたからだという。

・鍋補修法
穴の空いた鍋の修理を頼むお客。
その客に用事を頼んで隙を作り、
その間に割れ目を広げて修理代を大きくしてから補修した鋳掛け屋。
斉の桓公が小国を援助しようとしたとき、
国が滅ぶ前に助けずに、滅んでから復興させることにしたケースである。
その方が利益が大きいからだ。

儒教経典の語句を入れ替えて書かれた厚黒経も面白い。
なかでも面白いフレーズは、

"いにしえをもって弟子となす"

古代の著者は学識が浅いから、自分が先生になって添削せよというのだ。
『論語』だろうが『孫子』だろうが、
そんな昔の知識のないやつの文章は間違いだらけだから
赤ペンで訂正してやれというわけだ。

この本は日中戦争の頃に書かれている。
腹黒く厚かましい日本に対抗するため、
中国人よ、より黒く、より厚くなれとはっぱをかけた本なのである。

・今日の一言
英雄豪傑はみな面の皮が厚く腹黒い。
영웅호걸은 모두 뻔뻔스럽고 속도 검다.
英雄豪杰都是厚颜无耻手狠心黑之辈。
All heroes are brazen-faced and black-hearted.

タグ:李宗吾
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

易のはなし(岩波新書) [本(東洋史]

『易のはなし/高田淳/岩波新書/1988』
著者:中国思想
評価:ニーダム、ライプニッツ、カプラ、ユングと王船山の易論の解説

六十四卦が天地の変化、万物の変相をすべて網羅するという。
乾坤両卦の自己運動として六十二卦の変が生じる。
太極即両儀、両儀即四象、四象即八卦。
筮竹を繰り卦を出すまでの作業を、宇宙生成と考えると面白い。
すなわち、宇宙がビッグバンから生まれ現在に至るまでを
象徴していると考えるのである。
するとその作業を行うことは、宇宙=時空間の外に立つことを意味する。
スピノザのいう、永遠の相の元に現象を観るということである。

人は今現在の自分のいる場所の視点からものを見て考える。
時に世界全体を考える人がいても、
それは今という時間から考えるのである。
易はさらに越えて、時空の外からものを考える。
囚われたものの見方から精神を解放する儀式と考えれば面白い。

そして出た卦の有効性は偶然の力による。
発想法として有名なKJ法のように考えればよい。
易の構造を理解して、
それを利用することこそ君子の易というものだろう。

偶然とは、私から見て未知の原因のことである。
自分の知識に限界があることを知り、
自分に対する懐疑を持つことができる人は偶然を認めることができる。

しかし自分に懐疑を持つのは意外に難しい。
そのため、人はしばしば不可思議な原因を見出そうとする。
多くのオカルト現象がそれである。
そういう人の多くは、科学ではわからないことがあるといい、
怪奇な現象を想像して原因を求めるのだ。

その人たちは、科学には限界があるといいながら、
自分の知力に限界があることに気づいていない。
人類全体の知恵の結晶たる科学を疑いながら、
自分に対しては疑いを持たない人。
オカルト好きな人とは、科学を疑い自分を疑わない人である。

科学を信じ、自分を疑う人は、オカルトに原因を求めない。
それを偶然と認め、自分の思考を反省して考察するのである。

偶然を偶然として扱う易は、なかなか面白いと思う。

『長安/佐藤武敏/講談社学術文庫/2004』
著者:東洋史学
評価:漢と唐の長安の構造を知る・資料

市では漢唐とも商品の種類ごとに店が分かれて並んでいた。
さらに唐は行というギルドを結成し価格協定を行っていたらしい。

『後漢思想の探究/田中麻紗巳/研文出版/2003』
著者:中国古代思想
評価:王充、王符らの思想を知る

周礼によると、復讐できるのは五代後の子孫まで。
爺さんの爺さんの親までは敵討ちの対象にできる。
ただし、敵討ちはその当人に限られるらしい。

後漢の科学技術者張衡。
天文観測器や地震計の製作を製作した。
張衡は現実と現象に注目する科学的精神を持っていたという。
後漢は中国史上初めて科学者が生まれた時代でもある。

張衡は科学精神を持っていたから、図讖非難の上奏をした。
しかし特にお咎めはなかったらしい。
後漢は思想は自由なのである。

光武帝は図讖を否定する相手を弾圧したと書かれることがあるが、
実際に殺された人物はいないし、
排斥された人物には大物はあまりいないのである。

王符の『潜夫論』には、殺人請負人の記述がある。
洛陽に殺し屋たちがいたわけだ。
後漢の中期の腐敗を示しているが、
これは王莽の時代の長安も同じだろう。
こういうネタを光武帝の若い頃にからませると面白いかなと思っている。

『楽浪-漢文化の残像/駒井和愛/中公新書/1972』
著者:中国考古学
評価:後半の文物の話が面白い

漢代のうちわは貴婦人の服飾具。風を起こすものではないらしい。
おしゃれのアイテムなわけね。

日本に漢字を伝えた王仁は楽浪の王氏。
韓国人ではなく中国人です。

『中国古代の祭礼と歌謡/M・グラネ/東洋文庫/1989』
著者:中国史、支那学、社会学
評価:詩経の由来を知る

詩経国風の大半は農民の田園季節祭の恋愛民謡、古代の祭礼。

春と秋に季節祭がある。
河のほとりや丘の上での春秋の祭礼をし、
低地の草深い牧場か鬱蒼たる樹木の下に集まり、
唱和歌で挑戦し合い、後に裾を上げて川を渡る。
また相互に花を贈り合うという。こうして男女が相手を見つけるわけだ。

春の祭りで婚約相手を選び、秋の祭りで成婚する。
秋とともに同棲生活に入る。

礼は庶人に下らず。庶人は祖先の廟を持てないという。
庶人の生活は違うわけで、
こうした農村の習慣は漢や唐でも残っていたのではないかと思う。

『中国の神話・伝説/伊藤清司/東方書店/1996』
著者:中国古代史、民族学
評価:志怪小説集・資料

不老の薬草に、東北の地日草、西南の春生草というのがあるらしい。

束鹿県の斜め井戸には、
喉の渇いた光武帝が
兵士にひっぱらせたため斜めになったという言い伝えがあるらしい。

『緯書-中国古典新書/安居香山/明徳出版社/1969』
著者:支那哲学
評価:怪しい予言書が面白い

図讖は予言書、緯書は経の解釈書のこと。

緯書は道家の母体でもある。
道教経典に緯書の引用されるのだ。
光武帝の即位の祀りは後の道教にも取り入れられている。

緯書には王莽の時代のものがない。
王莽の時代には図讖はあっても緯書はなかったようだ。

ある緯書には、
父母に孝行だと2000点がつく。天に記録されて褒美ありという。
親孝行まで点数化するとは、さすが現世的で記録好きの国である。

劉氏が天命を受け帝位につくと瑞気が軫宿に現れ、
五星が井宿に集まるらしい。
光武帝の即位のときはどうだったんだろう。

こうした天人相関説、
考えてみればよく似たことを今の日本のマスコミもいっている。
何か特異な殺人事件を報道し、これを時代の現れだというもの。
全く関連がないものを象徴として受け取るのだから同じである。

例えば最近の首斬り事件などは、社会とは関係なく、
神経障害(精神障害ではない)を疑うべきだろう。

『孝経-中国古典新書/林秀一/明徳出版/1979』
著者:支那哲学
評価:本文の解説より後半の研究部分の方が多く興味深い

十三経の中で最初から経と名づけられた唯一の書が『孝経』
孝を最高の道徳とし、宇宙形成、万物創造の最高原理とするのだ。
まず親を愛すこと。
それが親から疎へ及ぼしていくのが孝の原理である。

愛が身近なところから遠くへと広がるのは、
心理学的にも正しいと言えよう。

・今日の一言
科学を疑う前に自分を疑え。
Before doubting science, doubt yourself.
과학을 의심하기 전에 자신을 의심해라.
怀疑科学之前,怀疑你自己。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

中国古代軍事思想史の研究 [本(東洋史]

『中国古代軍事思想史の研究/湯浅邦弘/研文出版/1999』
著者:中国哲学
評価:漢代までの兵書の思想変遷を知る良書

中国史で始めて歩兵部隊を創設したのは晋の重耳
"三行"と呼ばれる部隊がそれである。

春秋時代の兵書『軍志』
『三略』に出る『軍讖』や『軍勢』と似たタイトルだ。
『軍讖』『軍勢』も古い本なのだろうか?

『孫子』は将軍の過剰な廉潔さと慈愛を戒める。
『三略』も同じ記載がある。将軍の適性は、臨機応変である。

兵法の系統の三分類
徳の尊重し、平時から軍事を導くのが、『孟子』『荀子』『三略』
軍法を平時に適用するのが『商鞅』『孫子』『尉繚子』
平時と戦時をはっきり峻別するのが、『司馬法』

『三略』は礼を尊び禄を重くする、爵財礼義の重視の用兵。
『孫子』や『尉繚子』は文、武、威、愛を述べるが
『三略』はその文と愛に重点があるのだ。
また『三略』は君主だけでなく家臣にも徳と威を求める。
平時の文と愛の原理を軍事に適用するが『三略』である。
その兵法は『孟子』や『荀子』の系列にあるという。

『三略』は君主を読者対象とした政治論、
漢代の中国的文武観の成立と儒教の国教化の密接に関係するという。
こうなるとやはり光武帝編著説がますます強まる。
読者が君主すなわち、漢の皇帝なのであるから。
もし臣下が漢の皇帝に自分の書を読ませたいのなら、
その内容を問答形式にするだろう。
伝説の聖王と軍師の問答にするはずだ。
今の皇帝より偉い人の言葉とすることで、
皇帝に読ませることができるのだ。
権威付けもないものを皇帝に読ませることがどうしてできよう。
臣下の分際で、『三略』のように、
ただ皇帝はこうあるべきと書いた本を、漢の皇帝に提出できるだろうか?
不遜きわまりない自殺行為ではないか。
有り得る可能性は一つ。
『三略』は、建国の皇帝が後に続く皇帝に書き残したということだ。

秦律の詳細さ
耕作地の雨量に留意し、
春2月の材木伐採の禁止や動植物の狩猟採取の解禁期がある。
牛や羊の最低出生率も明示され、工人たちは賞罰でノルマ達成を促される。
徹底的した競争社会である。
平和な日常すら戦場であるのが、秦という国なのである。

『周易参同契/魏伯陽/明徳出版/1977』
著者:後漢時代の錬丹術家
評価:1900年前の錬丹術書・妖しい想像が出来て楽しい

儒道同源、儒道一理の思想、周易先天の学。
易象をおしひろめて丹道運火の法を説く本。

『火記六百篇』は練丹の火を運らす法を述べたもので、
周易の六十四卦のことという。
ゾロアスター教の聖典説には否定的だ。

陽燧とは凹レンズのこと。火珠あるいは火方諸ともいう。
太陽から火を取る器である。凹レンズで火をつけるわけ。
方諸とは、月から水を取る鏡らしい。
これは朝露でも集めるのかな?

言葉一つ一つに隠された意味がある。
周易参同契の参は三、同は通、契は合で、
それは周易と黄老と炉火が通じて道に合するの意という。
また面白いのは、本文の委時去害……以下の部分が、
魏伯陽という著者名の三字の隠語なのである。

・今日の一言
およそ2000年前の錬丹術書も原文で読むことができる。
We can read the book of alchemy about 2000 years ago in the original.
약 2000년전 연단술서(煉丹術書)도 원문대로 읽을 수 있다.
大约两千年前的炼丹理论书也会直接看其原文。(?)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

滑稽:古代中国の異人たち [本(東洋史]

『滑稽:古代中国の異人たち』
大室幹雄(歴史人類学)
岩波現代文庫(2001)


面白いような、単に言い換えただけのような……

エリアーデ、ジンメル、バタイユなどを使って分析する。
フランス現代思想系統の中国史研究かな。

『孟子』を孟軻の自叙伝と読む。
孟子は自叙文学の創始者という。
諸子を自叙文学と見るのは面白い考え方だ。

趙の胡服騎射の15年以上前に秦では騎射を採用していた。
胡服騎射はもともと胡服に重点があるからね。

趙の武霊王の言葉に"胡地の中山"というのがある。
中山はやはり遊牧民の国のようだ。

けばけばしい異相を好む趙の武霊王。
貝細工の華美な帯と華麗な鳥の羽根を冠に挿す婆娑羅者。
武勇の豪傑はみんな異相が好きなんですね。
戦場における象徴なので目立たないとダメなんです。

『漢書』の江都王建の悪行三昧。
近親相姦、サディズム、獣姦、黒呪術と何でもありでついに謀反して死亡。
無茶苦茶過ぎて凄まじい。
人間を殺すのにまるで虫を殺すような扱いなのが強烈である。

孔子の学団はほとんど演劇一座だ。
礼の練習では芝居小屋に見物人もいたはずという。
それは歌舞劇みたいなものらしい。

宮崎市定の『史記』の読み方と比べると面白い。
宮崎氏は、『史記』に演劇の台本を読みとっている。
すなわち司馬遷は執筆に舞台演劇の台本を利用したとしているのだ。
対して大室氏は、
『史記』の舞台演劇的場面を、
そのまま舞台演劇的な世界だったとしているのだ。

あとがきの山形浩生
戦国遊説家は経営コンサルタントとのこと。
言われてみれば同じ仕事だな。
それでこの手の本を読むのも経営者なわけだ。

『漢代の文物』
林巳奈夫(中国古代の考古学)
京都大学人文科学研究所(1976)


当時の生活がビジュアルにイメージできる辞典。

踠下という厚底靴。
10cmぐらいありそうだ。女性はこういうが昔から好きみたい。
エジプトでも厚底靴は流行っていた。
でも、ハイヒールはないみたいだ。

天子の妾。生理の女性は丹で顔面に点をつけるらしい。
皇帝はそれを見て、その妾の順番を飛ばすようだ。
天子の妾は、
男女関係というより国家のための仕事だから大変だ。

六博というゲーム。
組に分かれコマを進め近接してお互いに迫る。
梟になって倍勝ち
あるいは梟は相手の梟を殺せる。
ルールがよくわからないが、
何となくそのムードは、韓国のユンノリのような感じがする。
棒状のサイコロを数本まとめて投げるところなどそっくりだし。

枇杷は西域より伝わった楽器。
馬上で演奏したらしい。
バチは使っていなかったそうだ。
旅芸人とか使ってそうだ。
琵琶法師か……でも仏教はほとんど伝来してないか。

箜篌という楽器は、古代の師延の創作。
ハープのようなものらしい。
淫靡な楽器と呼ばれていた。
確かに何かハープって色っぽい感じがするね。なんでだろう?

『歴史物語 朝鮮半島』
姜在彦(朝鮮近代史・思想史)
朝日新聞社(2006)


韓国併合までの歴史・まずまずの出来か。

少し不満なのは、秀吉の朝鮮侵攻ときには明軍の援軍が来ているのに、
その詳細がほとんどわからないこと。
これは、あくまでも朝鮮が撃退したと印象づけたいためか?

日本への元寇は元・高麗連合軍だが、
その高麗軍の内訳もあまり記載されていない。

また、朝鮮は清に大敗を喫したことが何度かあるはずだが、
全く記述されていない。

このあたり、歴史記述としての公平さに欠けると感じた。

唐太宗を撃退した安市城主は名前が伝わらないが、
梁万春あるいは楊万春とされるらしい。
名前が伝わらないのにどうしてわかるの?

孔子は魯司寇、老子は周柱史、釈迦は竺乾太子と呼ぶ。
敬称かな。

明と朝鮮の朝貢
明は三年一回を朝鮮は一年三回を主張した。
なぜなら朝鮮がもらう分の方が多いからである。
朝貢は中国を主として立てるかわり、経済的には儲かるわけ。

国王も生前の王朝記録の実録を閲覧できない。
史官とは、歴史記述を天に報告するための存在だからである。

仏教信仰した世宗の晩年、学士から批判され孤独だったらしい。
ハングル創設の名君も、晩年は苦労したようだ。

明末に北京を陥落させた李秀民。
李自成だよね? この李秀民って誰? 別名かな?

東学の崔済愚
人すなわち天、天心すなわち民心
(人乃天,天心即民心)
この思想は少し気になるな。

・今日の一言
諸子百家は経営コンサルタントである。
The Hundred Schools of Thought was a management consultant.
제자백가(諸子百家)는 경영 컨설턴트이다.
诸子百家都相当于现代的经营顾问。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

六韜(中公文庫) [本(東洋史]

『六韜/林富士馬,訳/中公文庫/2004』
訳者:詩人、文芸評論家
評価:古代の戦争がわかる・呪術的兵法あり

戦いに勝つ術とは?
敵の攻撃を察知し先手を取って攻撃を仕掛けること。
これがすべてとという。
相手が攻撃に動くときに、こちらが一歩早く動くわけ。
ガンマンの早撃ちみたいな感じだ。
あるいは、将棋の中盤のかけひきもこれに似たところがある。

呪術的兵法
五音により敵を知る五行の兵法。
敵陣から900歩に近づいて大声をあげ十二律の管で反応を聞く。
その音を宮、商、角、徴、羽の五音に分類して、
敵の状態を知るのである。
また、城の気相を見て戦いの帰趨を判断するというのもある。

人を知る判定法8つ
・質問して回答させる
・追究して臨機応変を見る
・おとりに誘惑させる
・真正面から率直に質問しその徳を見る
・財貨を扱わせ清廉か試す
・美女に対して貞節か試す
・難事に勇気があるか試す
・酒に酔わせて態度を見る

これを見て考えたのが鄧禹の人物観察法。
鄧禹とは光武帝の大臣であり、22歳にしてその地位についた。
人物を見抜く目にたけ、政権の中枢人物を次々と抜擢し、
すべて的確であった。
22歳の若さでどうして人を知ることができるのか。
鄧禹は酒の席で会話して見抜いたとされる。
おそらく六韜のような技法を使ったのだと思う。

『老子入門/楠山春樹/講談社学術文庫/2002』
著者:中国思想史
評価:主要思想を軸にテーマ別に解説する

和光同塵
知恵や才能を包んで隠し世俗に溶け込み皆と苦楽を共にする。
これは光武帝の思想にも共通する感じだ。

老子の柔弱謙下の政治は孟子の仁政とほぼ同じ。
孟子の影響らしい。
孟子の方が成立が後だと思ってたけど……

天網恢々は、本来は天が裁くので
人の裁判が不要であることをいう。
罪から逃れられないということだが、
捕まるということではなく天罰があるということ。
また死刑への反対もあるようだ。

天の道
余っているものを削り足りないものを補う。
聖人のあり方という。
世界には結果の公平もまた必要なのだ。

大器晩成
完成する器はまことの大器ではない。
永遠に完成しないからこそ大器。
永遠に成長を続ける存在こそまさに大器といえよう。

竜門の石窟は494年着工で700年頃まで造営が続いたという。
ガウディのサグラダ・ファミリアみたいだな。

『韓非子/冨谷至/中公新書/2003』
著者:中国法制史
評価:西洋哲学と比較しつつ法思想を知る

斉の桓公に鮑叔の進言
危うきを助けるより滅んでから復興させるべし。
管仲の友人であり、義士と思われる鮑叔だが、
その政略はなかなか冷酷である。

荀子の天人の分とは、自然現象と人事に関連がないということ。
これは儒教の主流ではないようだ。

韓非子
人を助けて社会が乱れるより、
人を見殺しにして社会が安定しているのがよい。
韓非子の法思想は一般予防のみ。
ただひたすら刑罰による威嚇を考えるのだ。

死刑の正当性を主張したカントの応報刑論。
カントは、たとえ市民社会がなくなっても
その前に殺人犯を死刑にしなければならぬとした。

息子の母親を殺した漢の武帝。
母親が生きていると国が乱れるからだという。
これは韓非子に従ったものなのである。
漢王朝、特に前漢が秦と同様に法家思想の国であったことがよくわかる。

後漢王朝は全く違っていた。
光武帝はあらゆる思想を吸収していたが、
法家と韓非子はあまり評価していなかったようである。
光武帝のふるまいはあまりに韓非子の記述に反しているからだ。

秦とは法家思想国家であり、
前漢とは、儒家思想を被った法家思想国家であり、
後漢とは、儒家思想を被った道家思想国家であった。

『韓非/貝塚茂樹/講談社学術文庫/2003』
著者:東洋史家
評価:ときどき文章が変。でもまとまってわかりやすい

鄭人は訴訟好き、議論好き、理論に走るという。
その代表ともいうべき韓非子。

韓非子に荀子の記述は一回のみ。
子之を賢とし孫卿を非とせりというもの。
荀子の庇護者たる楚の春申君についても記述ミスがある。
韓非は荀子の弟子ではないという。
また韓非子は荀子より管子に影響されているらしい

兵馬俑の容貌、奥目に高い鼻縮れた眉毛、アーリヤ系かも。
また尉繚子の始皇帝の容貌から西北民族の血が推定される。

老子の法家伝本は韓非が改編したものと推定。
韓非子は道教思想家あるいは法術の士と自認したらしい。
道家の派生として法家があるらしい。

李斯の焚書は韓非子の五蠧篇を法文化したもの。
始皇帝や漢武帝は韓非子を良く読んでいたようだ。

『秦の始皇帝/吉川忠夫/講談社学術文庫/2002』
著者:中国文学
評価:出土資料と史記を読む

班固は始皇帝を呂政と呼んだ。
漢の時代、始皇帝は呂不韋の子供と信じられていたらしい。

秦の半両銭は大きさにばらつきがある。
直径3.5cm~3cm以下もあり、重さ8g~5g以下も
そして出土地域は旧秦地域のみ。
これは当時の商業流通に限度があった証拠だろう。

秦の法律
他人の妻に不義を働いた夫は叩き殺しても無罪という。
意外に男性にも厳しい。
儒教のイメージの男尊女卑は、もっと後の時代に厳しくなるのである。

『五胡十六国/三崎良章/東方書店/2002』
著者:東アジア史
評価:中国史上の民族大移動の激動を知る

各国の人口
匈奴は三世紀半ば100万人以上
314年前趙は漢族220万で五胡400万
後趙の全盛期人口は600万
前燕の人口は1000万
前涼の370年代で人口100万超
前秦は2300万人
南燕は兵力37万人口200万
後秦の最盛期は人口300万
西秦の390年頃人口100万に
北魏道武帝の頃はまだ人口200万

意外と後趙の石勒とか勢力小さいな。
思ったより大きいのが前燕。
前秦の苻堅はさすが、統一まで後一歩だったわけだ。
後は正直、泡沫勢力だよなあ。

十六国以外にも独立した勢力があった。
・320年関中の巴の句渠知の大秦
・337年安定の侯子光
・352年漢中で秦王となった張琚
・374年成都で蜀王となった張育・394年に秦王となった竇沖
・405-413年に蜀で成都王となった譙縦
・鮮卑の段部など

これに東晋の桓玄とか廬循、孫恩とか考えたら、
この時代は本当に大乱世だと思う。

・今日の一言
人を良く知るには相手の話をよく聞くのがよい。
If you want to have an insight into one's mind, you must listen to one's words carefully.
사람을 잘 알기 위해서는 상대의 이야기를 잘 듣지 않으면 안된다.
如果你要理解他的为人,应该好好儿听他的话。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

楽府の歴史的研究 [本(東洋史]

『楽府の歴史的研究』
増田清秀(中国文学)
創文社(1975)


古代中国の歌謡史。

漢の時代、平楽観で
多数の聴衆を集めて音楽公演をした。
そこでは、
闘鶏、競馬、競犬、蹴鞠、角抵戯、呑刀、呑火、
魚龍、漫衍なども。
元封三年の角抵戯では、
畿内三百里から観衆が押し寄せたという。
国家主催、国民参加の大イベントのようだ。

漢代に歌われた歌や音楽の
曲名の名前がたくさん出てきて
いろいろと想像されられる。
文成顚歌、狄鞮楽、碭極楽などは西戎の音楽。
楚の激楚曲、結風曲、淮南の干遮曲など。
前漢の歌の名前。
薤露歌、蒿里曲、平陵東、陌上桑、江南曲、鶏鳴、白頭吟、東光、鶏鳴。
宋書楽志にある漢鼓吹鐃歌も前漢らしい。

相和歌とは、漢の歌で、街陌の謡謳。絲竹の合奏がある。
節をとる者が歌うらしい。
江南可采蓮、烏生八九子、白頭吟などは民間歌謡である。

後漢蔡邕の琴操に易水曲と聶政刺韓王曲。
この二つは漢代の流行した歌。
易水曲は荊軻を、聶政刺韓王曲は聶政を歌った歌である。
どちらも有名な刺客であり、漢代が勇士を好む時代なのがよくわかる。

張華の博陵王宮侠曲に描かれる電光石火の殺陣。
剣士の戦いぶりは歌に歌われることが多かったもよう。

南北朝の歌曲上人気第一位の劉孟。
東平劉生歌と安東平という歌があった。
劉孟は漢族だが南北朝ともに人気があったらしい。

西晋の時代の勇士陳安を歌う壮士歌。
笛で吹くと臆病者も勇士となるという。
北魏末にも歌われ続けたらしい。
陳安は北朝の敵の将軍だが、人気が凄かったようだ。

『囲碁の民話学』
大室幹雄(歴史人類学)
岩波現代文庫(2004)


民話を挙げてユングの元型を読み取り
古代人の思想を知る。

囲碁にまつわる民話は半分程度。
老賢者としての老子とマーリン。
ユングの元型の考えから
この二つを比較するのが面白い。

碁盤が17道から19道に変わったのは
南朝の梁武帝の頃らしい


『車の誕生』
荒川紘(科学思想史)
海鳴社(1991)


東西の車の誕生と発達の歴史。

不合理な喉腹帯式牽引法、
馬の喉を締めつけてしまうのだ。
これは最初に車を牽いたのは牛であり、
牛の方法が馬に使われたためらしい。

ポリスの市民は乗用に車を使わず。
遠方への旅行も徒歩らしい。
車はあんまり便利じゃないようだ。
揺れがひどいんだろう。

アテナイの総人口は20-30万で、1/3は奴隷。
前一世紀の全イタリアの奴隷は150万人。
中国とはかなり異なる社会構造だ。

稲作と麦作の違いといわれるがどうだろう。
稲作は手間がかかるので、奴隷農耕に適さないとされている。

『論衡の研究』
佐藤匡玄(中国思想史)
創文社(1981)


論衡の解説。

王充は儒家であるが、
儒家の尚古思想を批判する。
光武帝、明帝、
章帝を五帝三皇以上の聖王であり、
中国史における最高の時代としている。

論衡では、昆陽の戦いを
光武帝は五千人で王莽三万を破ったと記す。
普通は百万の誤記とされるが、
歴史研究として考えた場合、
こちらが事実という可能性もある。

光武帝は王莽を倒したと思われやすいが、
名目上は更始帝政権が王莽を倒した。
これを実質的に倒したのは光武帝であるとするために、
王莽の兵力を水増しした可能性があるのだ。

『古代歌謡と儀礼の研究』
土橋寛(日本文学)
岩波書店(1965)


資料

歌垣は春山入りの予祝行事。
国見の後に行われ、その後、
飲食と歌舞そして、性的解放である。

詩経研究のグラネ
春の祭礼で婚約して秋に再会を約束し
秋の祭礼が済んで同棲生活へ。
この習慣はいつまで続いたのか気になるな。
あるいは農村ではずっと続いたのだろうか。

『中国の星座の歴史』
大崎正治(天文学史、東洋史)
雄山閣(1987)


資料

曽侯乙の墓に四獣を伴った
二十八宿を記した漆器があった。
春秋時代から二十八宿はあった。

詩経に見える織女と牽牛。
しかしまだ恋愛はなし。
織女と牽牛は、
古代人の渡河相会の民俗、水神信仰より。
文選の漢代の詩に、牽牛星と河漢女のロマンスあり。
七月七日に私願の達成を祈る乞巧奠も後漢より始まった。

唐の随筆酉陽雑爼。
輔星が見えない者はもうすぐ死ぬ。
輔星=アルゴルである。
ううむ。死兆星だな。

『淮南子の思想』
金谷治(中国哲学)
講談社学術文庫(1992)


中国思想史における淮南子の位置づけを知る。

老子より荘子に近いのが淮南子。
淮南子の思想は、積力衆智。
万人の参加を求めるもの。
中央に対立する地方の思想らしい。

老荘という言葉は淮南子より。
それまでは黄老と呼ばれた。
確かに老子と荘子がそれほど似ているとは感じない。

道の意味の違い
老子では万物の根源、
荘子では雑多な存在に一貫する理法

劉邦の家臣では、曹参は老子派、張良は荘子派になる。


『呂氏春秋』
町田三郎(中国哲学)
講談社学術文庫(2005)


一部の抜粋翻訳。

呂氏春秋の思想とは時令の思想。
一年を12ヵ月に分けて、
天文気候から
人間の日常生活のあり方を規定するもの。

天下は一人の天下に非ず、万人の天下である。
(天下非一人之天下也,天下之天下也)
原文を見る限り、万人という感じはしないけど、
この訳で正しいのかな?

『広開土王の素顔』
武光誠(日本古代史)
文春文庫(2007)


広開土王とその前後の朝鮮史と日本史。

中国の正史をベースに韓国側の研究が中心。
これで正しいのかは
知識がないのでよくわからない。


『春秋戦国秦漢時代出土文字資料の研究』
江村治樹(東洋史、東洋考古学)
汲古書院(2000)


資料。

都市の変遷。
鄭の商人が各地で活躍し、
周の百工が内乱の帰趨を握る。
戦国時代、中心部では都市が発達していた。
三晋地域は大都市あるが、
東方の斉の都市は小さな農業都市ばかり。
戦国時代にとりわけ巨大都市が発達していたが、
漢代に都市が縮小する。
秦は統一後に城壁を破壊し、
銅兵器鋳造権を奪った。
都市の力を削減したのである。
そのため秦末の各地郡県の反乱は都市の反乱であり、
都市住民の行動である。
劉邦も項羽も陳勝も農民反乱などではないのだ。
都市の遊侠の反乱なのである。

・今日の一言
秦は都市のやくざに倒された。
Qin dynasty was overturned by the outlaws in the city.
진나라는 도시 깡패에게 무너뜨려졌다.
秦国被城市流氓打倒了。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

三略(中公文庫) [本(東洋史]

『三略』
真鍋呉夫(小説家、俳人)
中公文庫(2004)


漢代に書かれた政治兵法書。
小さな本・光武帝ファン必読!

『三略』は、
太公望が書いたものということになっている。
しかし三皇、五帝、王者、覇者の比較や、
句践のエピソードがあることから、
後の人の仮託であるとわかる。
あるいはまた、
張良が太公望の化身である
黄石公から受け取った兵法書ともされる。
しかしこれも韓信の死のときの言葉"高鳥死して……"が
『三略』にあることから、事実ではない。
さらに前漢の銀雀山漢墓からは『六韜』は出土したが、
『三略』は出土しなかった。
『漢書』にある藝文志には、前漢末のあらゆる書籍が記録されるが、
そこにも『三略』は存在しないのだ。

では、『三略』が最も早く記録されるのはいつか?
それは後漢の初期である。光武帝が詔で引用しているのである。
『三略』は『黄石公三略』とも言われる。
光武帝はその詔で『黄石公記』という書の文章を引用している。
そしてその文章は、現行の『三略』とほぼ一致しているのだ。

そして何より驚くべきことは、『三略』の内容のすべてが、
光武帝のエピソードで解説することができるということだ。
『三略』の内容は、光武帝の生涯に一致するのである。

光武帝は『三略』を学んで真の帝王となったのか?
あるいは『三略』の著者は、光武帝劉秀その人ではないのか?
架空の名義に韜晦して志を述べるのはよくあることだ。
若い頃、郷里で韜晦してその能力を隠していた光武帝、
劉秀ならこうしたことをしないとは言えない。
光武帝が晩年にその政治と用兵の哲学を述べれば、
『三略』のようなものになるだろう。

『三略』の言葉を見てみよう。

自分と人々の好むものを一致させれば成功するという。
光武帝は、平和を望む民衆に合わせ統一後は戦争を止めたのである。
民衆が好むものを自分の好むものとしたのである。

柔、剛、弱、強の性質を知って使い分けるという。
統一後、柔の道をもって治めようといったのは光武帝である。
柔よく剛を制すといって、匈奴の戦わなかったが、
南越には馬援を派遣して平定した。ここで剛を用いたのである。

人民の要求に対応し望むものを与えるという。
常に人の意志を尊重するのは光武帝らしい発想である。
姉の結婚相手は、大臣から選ばせたし、
家臣の領土は当人にリクエストさせた。
民間に人を派遣してその声を回収させたこともある。
光武帝は人が何を望むかに敏感であった。

多すぎるものを減らし貧しいものを豊かにし、強いものを抑えるという。
貧しい郡には循吏を、豊かな郡には酷吏を配置して
貧富差を減らしたのが光武帝である。
また最も低いものである奴婢の人権を守り、
法の下の平等を宣言したのも光武帝である。

強い敵は避け調子づくものには肩すかしする、
あるいは士気が衰えるのを待つという。
光武帝の軽騎による迅速な行動で有利な陣形を作り、
士気の変化を見て戦う用兵に一致している。

暴虐は自滅に任せるという。
これは燕王彭寵を放置し、奴に殺されたケースだろう。

結束にはくさびを打ち込むという。
隗囂戦では、名将牛邯を引き抜くことが勝負を決めた。

功績の表彰は間をおかず実行する。
良いことをした家臣はその場ですぐに表彰するのだ。
光武帝が夜中に帰り、城門の閉め出しをくらったとき、
次の日にすぐ、門番は取り立てられたのである。

将軍は兵士と同じものを食べすべてを共にする。
井戸を掘っても水が出るまで喉が渇いたと言わない、
全軍が天幕を張り終えるまで疲れたといってはならない、
すべての待遇が兵士と同じでなければならないという。
光武帝は皇帝であっても、
将軍として遠征すれば兵士と同じ待遇に甘んじていた。

人民の割に役人が多すぎると国が滅ぶという。
光武帝は役人を四分の一に減らしたのである。

主君が将軍の判断や決定に干渉すると勝利できないという。
光武帝の将軍たちは、進軍に制限がないだけでなく、
占領地の民政まで権限が与えられていた。

智者、勇者、貪者、愚者を使い分けるという。
貪者や愚者まで使うところが面白い。
貪者は馬武などが相当するだろう。

天下に泰平をもたらすには道徳が不可欠という。
光武帝は太学を復活させ、学校を全国に立て、
兵士には『孝経』を学ばせたのだ。

功臣は粛清せずに、権力を取り上げる方法。
手厚く待遇し功績を顕彰し豊かな領地を与える。
凱旋した軍隊の武装解除のときこそ真の危機という。
これはまさに光武帝のことではないか。
功臣を粛清しなかった帝王は、
光武帝劉秀、唐太宗李世民、宋太祖趙匡胤しかいない。
光武帝以前には功臣を殺さない君主はほとんどおらず、
これはまさに光武帝しか書けないことである。

君主は骨身を惜しまず人民に奉仕してこそ天下を泰平にできるという。
ただしあくまでも礼と楽に従って尽くすのだという。
『三略』は道家的兵法とされるが、道家の無為の治とは異なっている。
力を尽くして働きながら、楽に従うとはまさに光武帝以外にないものだ。
光武帝は、働き過ぎですから休んでは? と言われたとき、
私はこれを"楽"しんでいると答えたのだ。

遠きを捨てて身近なことに力を注ぐと目的を達成できるという。
外国を攻めることより国内を安定させれば
外国もまたおのずから帰服するのだという。
これは明らかに、西域など外国を放置して遠征をせず、
内政に集中した光武帝のことを直接に指している。
そして実際、南匈奴を降伏させたのだ。

賢者を招くときは相手を観察して相応しい招き方をするという。
光武帝は、馬援が来訪したとき、公孫述と正反対に簡易に応対した。
相手の意志に合わせたのである。

さらに、礼義仁徳道の解説がありわかりやすい。

・朝起きて夜寝るのは礼
・賊を討って懲らしめるのは義
・他人への思いやりは仁
・自分の望むことを他人に施すのは徳
・公平に他人を尊重するのは道

功臣を粛清しない方法、外国より内政、人の望みをかなえる、
貧富の公平化、君主自ら力を尽くして働くなどは、
光武帝にこそ相応しい発想である。
もし誰か別の人が書いたのなら、
どうして光武帝に仮託しなかったのか不思議なぐらいである。

・今日の一言
『三略』を読むと光武帝の思想を知ることができる。
If you read "three strategy", you can understand the philosophy of Emperer Guang-wu.
삼략(三略)을 읽으면 광무제의 사상을 알 수 있다.
读《三略》可以了解光武帝的思想。

タグ:三略
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

死者の棲む楽園 [本(東洋史]

『死者の棲む楽園』
伊藤清司(中国古代史、民族学)
角川書店(1998)


古代中国の死生観を知る良書。とても面白い。

魂:陽気で精神であり天に帰すもの。
魄:陰神で肉体を作り地に帰すもの。

魂魄は精神と生命の関係と言えるだろう。
脳現象が精神=魂、遺伝子現象が生命=魄と考えてはどうか?

曹丕が民間説話を集めた『列異伝』
曹丕っていろんなことをしてるよな。

前漢末から後漢初に泰山が冥界と考えられるようになった。
『風俗通義』によると、泰山の黄金の箱があり、
玉製の札に寿命が書かれているという。
そこにいる二人。生死を司る司命神の北斗と南斗。
魂を回収するのが北斗で、授けるのが南斗。

泰山を中心とした冥府のネットワーク
泰山と華山は本店と支店だという。
175年長安に泰山冥界の信仰の記録が残っているらしい。
泰山南麓の石閭山は方士の間で僊人の村と評判であった。

封禅の意味。
秦の始皇帝も漢の武帝も不老不死の獲得が隠れた目的だった。
武帝が玉策を見たのは神が舞い降りる泰山山頂だろうという。

光武帝の封禅は百官ともに行った。
二日後に梁父で后土を祀って封禅を終えるた。
統一の事業の完成を天に報告しただけである。
対して、武帝は封禅で登僊を祈った。仙人になろうとしたのである。

仙人には3パターンある
天仙:生きたまま肉体を伴って昇天
地仙:名山大岳に住む
尸解仙:肉体をこの世に遺したまま仙人になる
黄帝にはその佩剣を埋めた衣冠塚があるという。

村落共同体への仲間入りする成人戒。
山野を渡り歩き、山頂への登坂、籠もり居を続ける。
高峻な山岳には気が充ち満ちており、神的エッセンスがあるという。
始皇帝の宮女毛女が、170年以上華陰の山中に棲んでいた。
仙人伝説である。

崑崙山に住む西王母の変遷。
六朝では容姿端麗な美姫だが、
本来は豹の尾、虎の牙、蓬髪に玉製のかんざしの洞穴に住む異形の神。
天災や疫病を主管していた。
西王母は縦目の人、外来の救済の神、お守り札が不死の呪符になった。
建平四年には西王母信仰騒動があった。
原始道教というべきかもしれぬ。

このとき使われた六博も碁。これは占いの道具。
なるほど王莽末年に六博を説く女性の反乱があったが、
これも宗教反乱のようだ。

崑崙山には、不死になる霊芝草、不老になる神泉があるとされた。
崑崙山って、どこだろ。イメージ的にはK2か?

角抵戯=相撲は漢代に流行した。
漢代は武が貴ばれた時代である。

古代は亡霊が信じられていた。
唐の宮廷には、亡霊を見る見鬼人という役職があった。
漢代にも亡霊を見分ける巫がいた。

そうした人たちが使う技は多く手品である。
欒大の闘棋術というのがある。
コマが自分で闘うのだが、これは磁石によるものらしい。

方士の秘術の例
・沸騰する釜の湯の中に銭を入れ素手で取り出して火傷しない
・茅葺きの屋根の上で火を焚き鶏が煮上がっても茅は焦げない
・刀や矛に呪いすると刃先を腹に立て上から木槌で打っても、
 刃は曲がり腹に刺さらない、
・釜を真っ赤に焼きその上に長時間立っても平気
・大勢の人々を座らせたまま立ち上がれないようにする

最初のは、釜には発泡を促す薬物を入れる手品である。
最後のは明らかに催眠術だ。
腹に刀が刺さらないのもよくある大道芸である。

『漢字の知恵』
藤堂明保(中国語学)
徳間文庫(1989)


漢字の雑学。

外来語がそのまま名詞以外になったケース
漢語の形容詞化・非道い
漢語の動詞化・力む
英語の動詞化・サボる
英語が動詞になったのは少ないよね。

元の漢語の意味と全然変わってしまったもの
遠慮:遠い先の心配
迷惑:迷うこと
稽古:古い時代を静かに思い出すこと
留守:遠征軍の後の城を守ること
大丈夫:一人前の男のこと
漢字を見れば、日本語としての意味が変なのは確かだ。

油断、気配、物騒は当て字。
確かに中国人には通じない。

"油断一秒,怪我一生"という工場の標語も、
中国語で読むと、
"油が一秒でも途切れたら、一生俺を責め続けてくれ"
というとんでもない意味になる。

『漢字と文化』
藤堂明保(中国語学)
徳間文庫(1976)


非常に面白い良書。漢字と歴史文化のつながりがわかる。

金瓶梅に亀卜の話がある。
民間習俗として亀甲占いが明の時代にも残っていたらしい。

孟子の唱えた500年聖人出現説。500年ごとに聖人が現れるという。
周の文王、姫昌の殷周革命は紀元前1027年頃とされる。
その500年後は孔子(前551~前479)である。
では、その500年後は?
どうやら、ちょうど光武帝(前6~後57)になるようだ。
いや、年齢的には、王莽(前45~後23)がぴったりだけど。(笑)
さらに次の500年後は?
これは唐太宗李世民(597~649)だろう。
あるいは隋文帝楊堅(541~604)かな。
さらに次の500年後は?
宋太祖趙匡胤(927~976)かな?
弟の太宗趙匡乂(939~997)の方が聖人っぽいかな?
後周世宗柴栄(921~959)もいいかな。
いっそ王安石(1021~1086)を候補に挙げるか?
さらに次の500年後は?
うーん、わからん。1500年前後の天命を受けた聖人って誰だ?
残念ながら、清の康煕帝(1654~1722)は年齢が合わないのよね。
そして2000年前後も出現するのかねえ。

詩経で禹に9回言及するも、堯舜は出ず。
堯も舜も治水に関係なし。
堯も舜も普通名詞だ。
堯=丘のように高い人で、舜=身体の俊敏な人なのである。

また堯舜の家臣は各王朝と地方の国々の祖神である。
伯禹は夏、棄は周、契は殷、伯益は秦と趙、伯夷は斉、キは隗。
後から儒家が考えて各地方の神々を集合させたらしい。

12支は前漢の頃に既に民間に存在した習慣という。
甲乙丙は植物の成長段階を示す。

漢方の考え方は、外気、飲食、精神状態の安定したバランスがあれば、
邪気は生じないという。バランスの健康医学である。

漢方の古典、素問は生理学で、霊枢は病理学という。
素問の薬の用法は、1つのみ五穀のスープと甘酒しかない。
本草は後漢以降に生まれたものらしい。

王符の『潜夫論』に人参の記述。
いわゆる朝鮮人参の薬効はこの時代から信じられていた。

『潜夫論』に記載される呪術
土公、飛尸、咎魅、北君、銜聚、當路、直符の七神。
どんな呪術か気になる。土公ってモグラ?
飛尸って、死体が飛ぶの? キョンシーか?

史官は神に事実を報告するもの。
だから君主に脅迫されても記述を変えないのである。

顧炎武はその書で、後漢こそ士人の自覚が最も高まった時代とする。
東漢の士風の厳しさは中国史上空前絶後という。
東漢=後漢は、古代中国のピークといってよい。

『易経の謎』
今泉久雄(東京電力)
光文社カッパブックス(1988)


ニューサイエンスの易研究。まあ偶然の一致ですな。

易を宇宙のコード・ブックに見立てて先端科学の発見に重ね合わせる。
易は64卦からなる。DNAの遺伝暗号は全部で64。
遺伝暗号は3つの塩基の組み合わせ。易の八卦は3本のコウからなる。
この一致が面白い。

老子:物事はすべて相対的
(故有無相生,難易相成,長短相形,高下相傾,音聲相和,前後相隨)
本では相対性理論と対応させているが、
言語学のソシュールに対応させるのが適切かも。

君子は何も起こらないときに易の卦を玩味しことが起こって初めて占う。
易をアフォリズムの集合と捉え、自己を検討するのである。

だから、荀子は易を体得したものは占わないというわけ。
(善為易者不占)

『老荘と仏教』
森三樹三郎(中国哲学史)
講談社学術文庫(2003)


中国の思想史がとてもわかりやすい良書。

老子の思想
老子は孔子の教えへのアンチテーゼ。
老子の小国寡民は現存の村落共同体・ユートピアではない。
老子は無政府ではなく高度な政府を要求している。
老子は意志による禁欲主義ではない。意志を働かせるのは禁物。
老子は無為自然の立場から不老不死に反対。

荘子の万物斉同の境地はあまりに到達困難だ。
そこに禅宗や浄土教が解決法を提示した。
また、儒教の道徳と禍福の不対応の問題。
なぜ善行をしたものが報われないことがあるのか。
これに解決を与えるのが仏教の三世報応説。
これらが仏教が受け入れられた理由である。

無は有を否定する無ではなく有無の差別を否定
一切の相対差別を否定しつくす絶対無差別だという。

あれ? 仏教の無は、あくまでも有に対する無で、
老荘の無とは異なると聞いたが……

清末の章炳麟はいう。
中国の徳教は、自分によるもので他人によるものでないという。
自分で解決するのが中国思想の考えである。

『遊民の系譜』
杉山二郎(美術史)
青土社(1988)


軽業師の東西交流を知る。

仏寺の法会には放浪芸能者集団が現れる。
玄宗の前での道教方術士羅公遠と密教渡来僧不空三蔵の魔法比べ。
インド魔術と中国方術の対決である。

日本のジプシー傀儡子。その音は朝鮮の広大と同源という。
クグツシとクゥァンデ、似ているかな。

傀儡子は漢代以前より葬送儀礼に関係していた。
木偶が副葬され、木偶で歌舞唱和した。
傀儡子は禿頭だったらしい。

仏像建築など大規模募金運動に放浪芸人と組んだ日本の僧侶。
芸人を使って人を集めて募金を募るのはいつの時代も有効である。

ジプシーはエジプシー。
十字軍のときエジプトから来たと称したという。
言語がインド系であり、民族もインド系らしい。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

古代中国思想ノート [本(東洋史]

『古代中国思想ノート』
長尾龍一(法哲学者)
信山社(1999)


面白い。
西洋法哲学と対照させて新しい視点が得られる。

孔子の弟子に、
顔姓の弟子がたくさんいるのに孔姓はいない。
孔子は母方の共同体に
所属していたのではないか。

詩の夭桃の長尾訳
川辺の小鳥がチュンチュンないて、
私ゃ彼氏とおデートさ
これまたキュートな訳である。

これを歌う孔子の言葉は"思い邪なし"だが、
それを長尾氏は"無邪気でいいよ"と訳す。

荀子:聖人は自分で考えるから騙されない、
(聖人何以不可欺?曰:聖人者,以己度者也)
これは光武帝の予言書研究にあてはまると思う。

光武帝は予言書を信じたのではない。
運命を信じ、それが予言書として現れることを信じたのである。
"予言書"を信じたのではなく、"予言書の存在"を信じたのである。
これは全く違うことである。
従って、予言書があっても、
それが天命を示すものか検討されることになる。
だから、迷信深いように見えても、
光武帝はそれに惑わされて失敗することはなかった。

荀子の利己本性とホッブスの自然状態が似ているという指摘は面白い。

18世紀英国の宗教家、Beilby Porteusの言葉
一人を殺せば悪党、百万人を殺せば英雄。
歴史上の英雄はみな大量殺戮者である。

老子は老先生という意味で固有名詞ではない。
そういわれればそうですね。

魯迅が墨子をテーマに書いた小説は『非攻』
これは酒見賢一の『墨攻』と何か関係があるのか?

左伝には陳、周、衛での工人の反乱が記録される。
墨家の母胎である。
こうして見ると儒と墨の対決は、階層闘争とも言えそう。

墨家はどのように滅んだか。
旧派墨家は、最後の趙王が代王となるに従い、ともに滅んだ。
新派墨家は、呂不韋の失脚ともに滅んだらしい。
墨子にある臣下を殺した主君への憤りは呂不韋を示すのかもしれぬ。

韓非子:法は有徳者のためでなく凡人のためのもの。
法は常に凡人を基準に考えられなければならないのだ。

韓非子の実証主義。言辞に検証を求めた。
堯舜などは参験なしとしてその言論を無意味とする。
ポパーの反証主義を彷彿とさせて面白い。

ドイツ史と日本史の平行性
・ユダヤ的宗教伝統⇔インド的宗教伝統
・ギリシャローマ文明⇔中国文明
・ゲルマンへの回帰⇔原始日本への回帰、
ドイツ思想史は日本思想史と類似構造を持つわけ。

これは、日本語と英語の類似構造と比較しても面白い。
・北海道のアイヌ語の地名⇔イギリスのケルト系の地名
・やまと言葉⇔単音節の古英語
・漢語⇔フランス語系
・カタカナの外来語⇔ラテン・ギリシャ語由来

『戦国策』
近藤光男(中国文学)
講談社学術文庫(2005)


486章から100章を選択して翻訳解説。

秦の范雎の遠交近攻。この言葉は戦国に始まる。

将軍という職業は戦国時代に誕生した。
それまでは政治家が兵士を率いたのである。

白起は料敵合變,出奇無窮の知将である。
たくさん殺したけど別に勇将ではない。

『論衡のはなし』
若松信爾(中国学)
明治書院(2001)


読みやすい。

儒家でありながら孔子を批判する。
孔子の言論に一定性ないとし、
遍歴しても用いられないのは当然としたのだ。

人の死は火が消えるようなもの。
現象である。継続する霊魂などないのだ。

人間が狂うのは妖怪のためという。
そして妖怪も人間同様に死ぬ。
一貫して論理を述べる王充が、この話だけ非論理的に感じるが、
妖怪というものを細菌やウイルスと考えると面白いかもしれない。
細菌に感染して人が狂うことはあるし、
細菌にも寿命があるのだ。

『論語』
貝塚茂樹(東洋史)
講談社現代新書(1964)


コンパクトにまとまっており読みやすい。

學而不思則罔,思而不學則殆
知るだけで考えないのは盲目だし考えるだけで知らないのは危うい。
西洋の似た言葉がカントにある
知識は経験とともに始まるが思惟がなければ盲目だ。

知之為知之,不知為不知,是知也
知っていることを知っているとし、
知らないことを知らないとする、これが知るということだ。
これも可知と不可知を区別したデカルトと似ている

唯仁者能好人,能惡人
仁あるもののみが人に優しくすることができ人を憎むことができる。
この憎むということは、悪を正すということだろう。
それには仁の心、人に対する思いやりが必要なのである。
悪を正すのは相手のための行為だからだ。

君子懷德,小人懷土;君子懷刑,小人懷惠
萩生徂徠の訳は、
君子が徳を慕えば民衆も故郷を慕うし、
君子が刑罰を考えれば民衆は利益を考える

で、貝塚氏は間違いと断言するのだが、

この文は、卷一為政第二の
道之以政,齊之以刑,民免而無恥;道之以德,齊之以禮,有恥且格
に対応しているので、
萩生徂徠の方が正しいんではないかという気がする。

『中国の古代哲学』
小島祐馬(中国哲学史家)
宇野哲人(中国哲学者)
講談社学術文庫(2003)


孟子、老子、荘子、韓非子。

『孝経』の孝は、宇宙の原理から演繹された道理。
(夫孝.天之經也.地之義也.民之行也.天地之經而民是則之)
『論語』の経験性と正反対の論理構造を持っている。
『孝経』は『孟子』の系統にあると考えられる。

孝とは親につかえ君につかえ世に出て名を残すこと。
(夫孝.始於事親.中於事君.終於立身)。
孟子の孝による世界共同体は孝経により哲学化され、
国家の基本原理になった。
すなわちこれが光武帝の頃のこと。
故に光武帝が中国を完成させたというべきことがわかる。

漢の時代は孟子という著書はそれほど読まれていない。
それなのになぜ光武帝に孟子の影響が見られるのか。
どうも孝経が孟子派の著書だからという気がする。

為政者は庶民のために存在するに過ぎない。
民衆のための政治家というのが、なかなかいない。

官は本来は奴隷の意味。
そういえば、民も奴隷の意味だったっけ。

老子の子李宗は魏の将軍、段干に封ぜられたという。
意外に存在がはっきりしているよう。

『論語を読む』
加地伸行(中国哲学史)
講談社現代新書(1984)


宗教としての儒教から論語を読む。

中国を知る三冊を選ぶと、論語、唐詩選、十八史略らしい。
唐詩選は読んだことがないなあ。

中国史を皇帝権力と地方共同体の対立を捉え、
皇帝が共同体潰しの武器が科挙であるという。

鳥の言葉がわかる公冶長。彼は原儒出身かも。

未能事人,焉能事鬼と未知生,焉知死。
生きている人にお仕えできなくて霊魂にお仕えできようかという、
宗教的な言葉であるという。

・今日の一言
一人を殺せば悪党、百万人を殺せば英雄だ。
One murder makes a villain, millions a hero.
한 사람을 죽이면 악한이 되지만, 백만을 죽이면 영웅이 된다.
杀死一个人的是坏人,杀死一百万人的是英雄。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

独裁君主の登場 宋の太祖と太宗(清水新書) [本(東洋史]

『独裁君主の登場 宋の太祖と太宗』
竺沙雅章(東洋史、宋代)
清水新書(1984)


五代の始まりから宋の完成までを概観できる良書。

朱全忠の善政。朱全忠は民衆を大切にした。
悪の権化のような朱全忠だが、
民衆から見ると、後唐の方がひどいようだ。

後唐の明帝は、名君である。
自分では天下は統一できぬと、
早く聖人が生まれるように願った。
そして、その願いにより生まれたのが、
趙匡胤というわけ。
色黒く猪に似た聖人かよ!

趙匡胤は豪放だけど、神経質。
なんと口癖は「心配で眠れない」
たひたびお忍びの外出をしたけど、
それも心配で家臣に相談に行ったり民情視察したもの。

劉秀がお忍びで遊びに出かけて、真夜中に帰ってきて叱られるのと、
だいぶ違うなあ。趙匡胤は根が真面目だね。

宋太祖趙匡胤の十兄弟って誰よ? 誰か教えて。
『飛竜全伝』読んだら載ってるかな?

※追記:検索したらわかった。
楊光義、石守信、李繼勛、王審琦、劉慶義、
劉守忠、劉廷讓、韓重贇、王政忠、趙匡胤
らしい。

宋太宗が一年で読み終えたから本の名前が『太平御覧』
知らなかった。雑学だなあ。

宋太宗は酒を飲まない。
酒を飲まない名君を、後漢光武帝、唐太宗、宋太宗の三人確認。

宋太宗は些細な案件でも自分で処理。
小さな仕事はしないは嘘という。
やっぱり名君はみんなそうだ。ああでも、王莽も始皇帝もそうだけど。

宋太宗の辛口評論
・太祖郭威は詐欺師だ
・後唐荘宗は遊びすぎ
・唐末の皇帝たちは深宮に籠もったのが駄目
・唐太宗李世民は宣伝してから善政して記録する虚名を好む皇帝

厳しい。唐太宗に辛いのは、兄殺しの同族憎悪だったりして。

『中国の歴史と故事』
藤堂明保(古代中国語)
徳間文庫(1989)


歴史記述はあまり正確ではない。

孟子のいう、天の時、地の利、人の和。
これって光武帝の場合、
昆陽の戦いで天の時を得て、
河北に地の利を得て、
二十八将という人の和を得て、
皇帝に即位したと言えるよな。

秦は洛陽から12万戸を咸陽にに移住させた。
百万都市の出現かも。

藤堂氏の単語家族の方法は凄いと思う。

『僕僕先生』
仁木英之(作家、個別指導塾の経営)
新潮社(2006)


仙人相手の奇妙な恋物語。
面白いのかなあ……退屈だったけど。

第18回日本ファンタジーノベル大賞大賞。
日本であまり知られていない
歴史の名場面や英雄豪傑を
物語にのせて紹介したいとのこと。


『中国説話文学とその背景』
志村五郎(数学者)
ちくま学芸文庫(2006)


太平広記や夷堅志の紹介。

妙齢の女子が
超自然的武術を心得るという考えがある。
越女など。
太平広記の豪侠に少なからぬ女侠が登場する。
武侠小説にも女侠は欠かせませんね。

房玄齢の激しい妻。
嫉妬しないで生きるぐらいなら嫉妬して死ぬと、
毒を平然と飲んだ。
怖いなー。
房玄齢って病弱で弱々しいイメージなので、
結構、お似合いなのかな?

『文字の発見が歴史をゆるがす』
福田哲之(中国文字学、書法史)
二玄社(2003)


出土の背景と文字について。


『「生き方」の中国史-中華の民の生存原理』
竹内康浩(東洋史学)
岩波書店(2005)


家と家族を中心とした生き方が基本。

子孫を残すことへの強い願望。
気とは遺伝子だという。


・今日の一言
武侠小説には美貌の女侠が欠かせない。
무협소설에는 예쁜 여자 무협이 없어서는 안된다.
武侠小说少不了美丽的女侠。
The Chinese martial arts novel requires a beautiful swordswoman.

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

老荘を読む(講談社現代新書) [本(東洋史]

『老荘を読む』
蜂屋邦夫(中国思想史)
講談社現代新書(1987)


老子と荘子の解説。まとまっている。

鯤という巨大な鳥は、台風の具象化。

老子の出身地は、楚苦縣厲曲仁里
困窮している県の病にかかって仁をねじ曲げている村という意味。
架空の村である。

唐の挙兵に現れた老子の使者、白衣の老人。
唐は李家であり、老子を信奉していた。

ところで、光武帝も河北で白衣の老人の指示を受けたのだが、
これも老子の一派かなあ。

老子はさまざまな解釈が可能な本
天地自然に関心をよせた哲学的解釈
生命の維持に留意した身体論的解釈
即物的性的解釈も可能だ。

荘子も意外に普通の人。
妻子があり、弟子もして、先生もいて、遊説もしていた。

トルストイは老子を理想化して"イワンのばか"を書いた。

老子は韓非学派のテキストかも。

心に真宰=主体なし。
これは禅でも言われることの多い、東洋的認識論の精髄である。

生死は気の運動
(人之生,氣之聚也。聚則為生,散則為死)
荘子の認識論哲学はなかなかと思う。

哲学では、
存在論⇒認識論⇒言語論⇒自然主義という流れがあるとされる。
老子は存在論で、荘子は認識論なわけだ。
朱子や王陽明は言語論なのかな?

天地を棺とし日月を副葬し星を宝石とし万物を葬礼の品とする。
竹林の七賢の劉伶もそっくりなことを言ってたな。

真人はかかとで息をし凡人は喉で息をする
(真人之息以踵,衆人之息以喉)
これ剣法の理論に使えないかな。
人間は、空中では支えがないから力が出ないもの。
大地から力を得るという意味で足を意識するのは、武術っぽいと思う。
臍下丹田よりさらに低い位置なのが興味深い。

タグ:蜂屋邦夫
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。