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六韜(中公文庫) [本(東洋史]

『六韜/林富士馬,訳/中公文庫/2004』
訳者:詩人、文芸評論家
評価:古代の戦争がわかる・呪術的兵法あり

戦いに勝つ術とは?
敵の攻撃を察知し先手を取って攻撃を仕掛けること。
これがすべてとという。
相手が攻撃に動くときに、こちらが一歩早く動くわけ。
ガンマンの早撃ちみたいな感じだ。
あるいは、将棋の中盤のかけひきもこれに似たところがある。

呪術的兵法
五音により敵を知る五行の兵法。
敵陣から900歩に近づいて大声をあげ十二律の管で反応を聞く。
その音を宮、商、角、徴、羽の五音に分類して、
敵の状態を知るのである。
また、城の気相を見て戦いの帰趨を判断するというのもある。

人を知る判定法8つ
・質問して回答させる
・追究して臨機応変を見る
・おとりに誘惑させる
・真正面から率直に質問しその徳を見る
・財貨を扱わせ清廉か試す
・美女に対して貞節か試す
・難事に勇気があるか試す
・酒に酔わせて態度を見る

これを見て考えたのが鄧禹の人物観察法。
鄧禹とは光武帝の大臣であり、22歳にしてその地位についた。
人物を見抜く目にたけ、政権の中枢人物を次々と抜擢し、
すべて的確であった。
22歳の若さでどうして人を知ることができるのか。
鄧禹は酒の席で会話して見抜いたとされる。
おそらく六韜のような技法を使ったのだと思う。

『老子入門/楠山春樹/講談社学術文庫/2002』
著者:中国思想史
評価:主要思想を軸にテーマ別に解説する

和光同塵
知恵や才能を包んで隠し世俗に溶け込み皆と苦楽を共にする。
これは光武帝の思想にも共通する感じだ。

老子の柔弱謙下の政治は孟子の仁政とほぼ同じ。
孟子の影響らしい。
孟子の方が成立が後だと思ってたけど……

天網恢々は、本来は天が裁くので
人の裁判が不要であることをいう。
罪から逃れられないということだが、
捕まるということではなく天罰があるということ。
また死刑への反対もあるようだ。

天の道
余っているものを削り足りないものを補う。
聖人のあり方という。
世界には結果の公平もまた必要なのだ。

大器晩成
完成する器はまことの大器ではない。
永遠に完成しないからこそ大器。
永遠に成長を続ける存在こそまさに大器といえよう。

竜門の石窟は494年着工で700年頃まで造営が続いたという。
ガウディのサグラダ・ファミリアみたいだな。

『韓非子/冨谷至/中公新書/2003』
著者:中国法制史
評価:西洋哲学と比較しつつ法思想を知る

斉の桓公に鮑叔の進言
危うきを助けるより滅んでから復興させるべし。
管仲の友人であり、義士と思われる鮑叔だが、
その政略はなかなか冷酷である。

荀子の天人の分とは、自然現象と人事に関連がないということ。
これは儒教の主流ではないようだ。

韓非子
人を助けて社会が乱れるより、
人を見殺しにして社会が安定しているのがよい。
韓非子の法思想は一般予防のみ。
ただひたすら刑罰による威嚇を考えるのだ。

死刑の正当性を主張したカントの応報刑論。
カントは、たとえ市民社会がなくなっても
その前に殺人犯を死刑にしなければならぬとした。

息子の母親を殺した漢の武帝。
母親が生きていると国が乱れるからだという。
これは韓非子に従ったものなのである。
漢王朝、特に前漢が秦と同様に法家思想の国であったことがよくわかる。

後漢王朝は全く違っていた。
光武帝はあらゆる思想を吸収していたが、
法家と韓非子はあまり評価していなかったようである。
光武帝のふるまいはあまりに韓非子の記述に反しているからだ。

秦とは法家思想国家であり、
前漢とは、儒家思想を被った法家思想国家であり、
後漢とは、儒家思想を被った道家思想国家であった。

『韓非/貝塚茂樹/講談社学術文庫/2003』
著者:東洋史家
評価:ときどき文章が変。でもまとまってわかりやすい

鄭人は訴訟好き、議論好き、理論に走るという。
その代表ともいうべき韓非子。

韓非子に荀子の記述は一回のみ。
子之を賢とし孫卿を非とせりというもの。
荀子の庇護者たる楚の春申君についても記述ミスがある。
韓非は荀子の弟子ではないという。
また韓非子は荀子より管子に影響されているらしい

兵馬俑の容貌、奥目に高い鼻縮れた眉毛、アーリヤ系かも。
また尉繚子の始皇帝の容貌から西北民族の血が推定される。

老子の法家伝本は韓非が改編したものと推定。
韓非子は道教思想家あるいは法術の士と自認したらしい。
道家の派生として法家があるらしい。

李斯の焚書は韓非子の五蠧篇を法文化したもの。
始皇帝や漢武帝は韓非子を良く読んでいたようだ。

『秦の始皇帝/吉川忠夫/講談社学術文庫/2002』
著者:中国文学
評価:出土資料と史記を読む

班固は始皇帝を呂政と呼んだ。
漢の時代、始皇帝は呂不韋の子供と信じられていたらしい。

秦の半両銭は大きさにばらつきがある。
直径3.5cm~3cm以下もあり、重さ8g~5g以下も
そして出土地域は旧秦地域のみ。
これは当時の商業流通に限度があった証拠だろう。

秦の法律
他人の妻に不義を働いた夫は叩き殺しても無罪という。
意外に男性にも厳しい。
儒教のイメージの男尊女卑は、もっと後の時代に厳しくなるのである。

『五胡十六国/三崎良章/東方書店/2002』
著者:東アジア史
評価:中国史上の民族大移動の激動を知る

各国の人口
匈奴は三世紀半ば100万人以上
314年前趙は漢族220万で五胡400万
後趙の全盛期人口は600万
前燕の人口は1000万
前涼の370年代で人口100万超
前秦は2300万人
南燕は兵力37万人口200万
後秦の最盛期は人口300万
西秦の390年頃人口100万に
北魏道武帝の頃はまだ人口200万

意外と後趙の石勒とか勢力小さいな。
思ったより大きいのが前燕。
前秦の苻堅はさすが、統一まで後一歩だったわけだ。
後は正直、泡沫勢力だよなあ。

十六国以外にも独立した勢力があった。
・320年関中の巴の句渠知の大秦
・337年安定の侯子光
・352年漢中で秦王となった張琚
・374年成都で蜀王となった張育・394年に秦王となった竇沖
・405-413年に蜀で成都王となった譙縦
・鮮卑の段部など

これに東晋の桓玄とか廬循、孫恩とか考えたら、
この時代は本当に大乱世だと思う。

・今日の一言
人を良く知るには相手の話をよく聞くのがよい。
If you want to have an insight into one's mind, you must listen to one's words carefully.
사람을 잘 알기 위해서는 상대의 이야기를 잘 듣지 않으면 안된다.
如果你要理解他的为人,应该好好儿听他的话。

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