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秦漢儒教の研究 [本(東洋史]

『秦漢儒教の研究』
斎木哲郎(中国哲学)
汲古書院(2004)


儒教の実態を知る良書。

胡適によると、儒は殷の遺民であり、
殷の宗教思想と儒は関係が深いらしい。
老子もまた殷に関係するらしい。

始皇帝と儒の深い関係
尚書の堯典は秦儒により改修されているという。
始皇帝の儒者への期待の例。
・博士官を立てて儒者を採用
・儀式で斉魯の儒に諮問
・儒の聖人に比肩し自らを儒家的な聖人君主を目指した
・各地の碑文でも儒家的聖人君主として記録される

焚書坑儒で殺されたのは方士であるが、
そもそも方士と儒に特別な区別はなかった。
儒と秦が対立していたという事実はないのである。
さらに言うと、法家というのも儒の一種である。
儒家や道家や法家という分類が成立するのは前漢末なのだ。

漢代の"孝"思想。
漢は孝を以て天下を治む。
漢の皇帝は、高祖と光武帝を除きすべて孝をつけるのはその表れ。

孝廉察挙では孝経の読誦するらしい。
当時の教育の基本は、論語と孝経の暗記だ。

後漢の皇位の継承には、儒教の教養が条件にあった。
第四子の明帝が皇帝になれたのは春秋と尚書に詳しいからで、
第五子の章帝が皇帝になれたのはは詩や春秋に詳しいかららしい。
明帝と章帝はともに史上有数の名君なので、
この方針は正しかったといえるのかもしれない。

経典を作った楊雄
易に太玄、論語に法言、史篇に訓纂、箴に州箴。
聖人になることを学問の課題としたという。
気宇壮大な学者である。
太玄経は天地人の3つの組み合わせから81首を得るという。
読んでみたいと思う。

『中国古代の田制と邑制』
佐竹靖彦(中国前近代史)
岩波書店(2006)


古代中国の農業発展を知る。

周秦の地には城郭都市はなかったらしい。
殷の地域とは文化的にも違うようだ。

商鞅田制は鉄製農具の普及の結果。
代田法は鉄犂牛耕に対応したもので前漢中期。

牛耕は、前漢から後漢への変化への重大な契機である。

亭は異域との結界と捉えられた。
亭長は結界における守護者という。
だから、亭長は家が貧しいかアウトロー出身。
亭長になるのは県に給仕することで、
求盗や亭長は厳しい管理下にあった。
劉邦が夏侯嬰を傷つけたとき、
両者とも否定したが、嬰は一年も投獄され数百むち打たれたのである。

亭長は役人といっても、半分奴隷のような存在であり、
とても進んでやるような仕事ではないのである。

『儒教と道教』
マックス・ウェーバー(理解社会学)
創文社(1971)


東西の社会史の比較。

インドや中国では都市は村落より自治が少ない。
西洋と逆であるという。西洋では都市こそ自治するものなのだ。

歴史の5大革命
・12世紀から13世紀のイタリア革命
・16世紀のオランダ革命
・17世紀のイギリス革命
・18世紀のアメリカとフランスの革命
イタリアの革命ってルネサンスかな。
ちょっと早い気もするけど。

劉邦は村落の農場監視人だった。
また、村落には輪番制の見張り義務の有給の番人がいるという。

亭長ってのは、田畑の番人なのだ。
警察とかいうから、偉いように錯覚してしまうのだ。
田畑の番人をみなが嫌がるのは当然だ。
城外にあるのも納得である。

・今日の一言
漢王朝は孝を以て天下を治めた。
한(漢)왕조는 효(孝)로 천하를 다스렸다.
汉朝以孝治理了天下。
The Han dynasty ruled over the whole country by the thought of filial piety.

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