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英語と日本語の発声の違い [考えたこと]

最近、京都科学カフェで角田秀一郎先生の講義で、そこで日本人は披裂喉頭蓋を半開きのまま発声しているのに対し、英語のネイティヴは披裂喉頭蓋を全開にして発声していることを知った。

これでほぼ発声の違いの謎は解けたと思う。帰国子女など日本人もアメリカで育てば英語の発声になる。すなわち日本語を母語とすると披裂喉頭蓋を半開きにしてしまうということ。

日本語に英語や中国語その他にない特徴があるということだ。それは何かというと、母音がフラットであること。

英語や中国語は二重母音が多く、さらに単母音も日本語のようなフラットな音ではないのだ。日本語の母音は発声器官を固定し、あとは声帯だけで発音できるが、英語と中国語はできないのである。

例えば同じ母音を発声しても、

日本語は、アーイーウーエーオー、だが、
英語では、アァイィウゥエェオォ、のようになる。

BBC英語を見ても同じ a 音でも最初と最後で音が違うのである。

日本語に長けた中国人通訳者が言うことに、「日本語は楽な言語で疲れない。中国語は話すと疲れる」というのがある。日本語は非常に省エネ言語なのである。

日本語を母語として育つと、発声器官の深部をほとんど使わなくなってしまい、結果として披裂喉頭蓋が下がってしまうのある。そして使わないために筋肉や神経が衰え、英語のような発声はできなくなるのだ。

英語や中国語は、発声器官の深部を使う言語であるために、声帯近辺の筋肉や神経が幼少期から鍛えられ、披裂喉頭蓋を上げた状態が維持できるのである。

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新V式改:メモ&通訳用速記法 [考えたこと]

V式速記をベースに長さの段階を二つに減らしたV式改というのを考えて練習していたが、やはり全面的に改編した方がよいようだ。それで子音の割り当てを大幅に入れ替えた新V式改というのを考えた。以下が子音の一覧。
(例)あ、か、さ、た、な、は、ま、や、ら、わ、ぱ、ふぁakasata.jpg

タ行、サ行、ラ行は短線だったのを長線へ変更し、短線にはア行、カ行、ハ行を割り当てる。大の半円にはマ行とナ行を、小の半円にはファ行とパ行、ヤ行はア行の促音、ワ行はミニ半円、濁音は線頭切り線とする。

もともと疑問だったのは、ア行よりタ行が短い線だったこと。子音の分だけ長いタ行が線も長い方が直感に合っているのだ。

また似た音が似た線形になるようにさらに工夫した。もともとタ行、サ行、ラ行は舌音で似ているが、この新V式改ではア行、カ行、ハ行は喉音で似ているし、マ行とナ行は鼻音で似ているし、ハ行の半濁音のパ行が曲線の強さの差になって似ているのだ。マ行とパ行、ナ行とファ行は間違えやすいが、文脈でわかるので問題はない。
※音素表onyinzu.jpg


"ら行"、"や行"の拗音カギは鋭角にし、長音カギはカーブにする。冒頭をカーブにすると線全体がカーブして"さ行"、"か行"になりやすいため。
(例)りゃくず、ゆうしゅう
ryakuzu.jpg


濁音。語頭では鋭角のカギ線をつけ、語中では前の線に重ねる。これは前の発音からのリエゾンによる連続という濁音の音韻学的特徴と一致するのだ。"ら行"と"あ行"には濁音がないので混同は起こらない。
(例)さいがい、じんじゃ、きょうどうsaigai.jpg


ひゃ行、びゃ行、みゃ行。
(例)びょういん、びゃくや、みょうあん、みゃくはく、みゅーたんとbyoyin.jpg


マ、パ、ファ行はカーブが強いので、線の終わりだと次の線が書きにくいことがある。その場合は、真ん中のふくらみ部分から続ける。
(例)メガネ、パスポート、ファスナーmegane.jpg


●7種類の終音=音節末の子音を設定する。
"ん,-n"と"む,-m"。"ん"は小さな丸をつけ、"む"には大きな丸をつける。混同しやすいが、"ん"と"む"は文脈上間違える可能性はほとんどない。
(例)さんかく、タイムマシンsankaku.jpg


長音(う、い系と、-ng)。長音は線尾を軽くカールする。
(例)かい、とう、いい、こうこうkai.jpg


次は漢字音のク(-k)。平べったい円をクとする。
(例)きょういく、かくせいkyouiku.jpg


"えき"など"え母音"のときの"く"とするルールに、"し"の後の扁平円は"き"のルールを追加する。漢字音で"しく"はなく"しき"があるため。
(例)こうしき、しきてんkoshiki.jpg


促音のッ(-t)と漢字音のツ(-t)。線末で反転して小さくはねる。
(例)ふっかつ、らっぱhukkatsu.jpg


外来語などの"ップ(-p)"には垂直方向への楕円をつける。促音のッを続けて円にするもの。
(例)こっぷ、らっぷとっぷ、きっぷcup.jpg


語中のル(-r)をンの円から線がはみ出たものとする。
(例)たるたるそーす、くるくるまわるtartar.jpg


長音+ん,るは、長音の折り返しの後で丸を書く。
(例)トーン、ツールtone.jpg


●よく使う助詞
よく使う助詞"は・も・が・の・を・に・へ・で・と"を短くする。は=わ、を=うぉ、で、はそのままで。助詞"も"は小さく。助詞"へ"は"え"を短く。助詞"と"は点に。助詞"の"は小さな"の"を離して書く。"が"は終端の右上に離して短い"つ"方向線、助詞"で"は短く、"に"は終端の右下に離して短い"い"方向線とする。
(例)速記は、速記も、速記が、速記の、速記を、速記に、速記へ、速記で、速記とjosi.jpg


●文末略号
接続詞や文末についての略号を作る。文末の"~だ"、"~である"、"~です"などは直線を長く引く。肯定の接続"~で"、"~して"などは上向きのカーブ、否定の接続"~ではなく"、"~ない"などは下向きのカーブ、逆接の"だが"、"しかし"などはチェックマーク、強調の"特に"は○、追加の"さらに"、"また"、"だけでなく"はつながった+マークとする。通訳用なので同じ意味は同じ符号とする。
(例)決定である、包装して、リンゴではなく、しかし、特に、だけでなく、dearu.jpg


●道具
こうした速記の練習に最適なのが、パイロット ジッキースーパーライトで、購入して練習用に使っている。





より細い線で、本体が小さく、ワンタッチ消去が必要ならこちらよいようだ。
ワールドパイオニア かきポンくん 簡易筆談器


ブギーボードの方が人気があるらしいが、店頭で確認したところ、黒地に白の線のため見にくく、私はお勧めしない。

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通訳者向け速記、V式改 [考えたこと]

こちらは情報が古いので 新V式改:メモ&通訳用速記法 をどうぞ。

通訳者向け速記、V式改というものを考えている。V式をもとに通訳や一般のメモに使いやすく変更したもの。速記は、会議などで用紙や机が前提に設計されている。それをより広汎に使えるようにしようというのがこの案。

速記できる通訳者がいればその逐次通訳能力が絶大なものになることはすぐわかると思う。しかし、実際にそういう人はいないようだ。その原因はやはり速記が通訳の現場に不向きにできているからだ。通訳では再認性の高さも重要である。反訳に時間がかかるものはダメなのだ。速さを犠牲にしても再認性を高めねばならない。

また用紙の制限の問題もある。速記は小さな字が書きにくい。日常のメモに使うには、速記の字は大きすぎるのだ。

まず文字の長さの三段階を二段階に変更する。V式ではハマヤ行が三倍長だが、これは長すぎる。とくにイエの母音の音が続くと縦に長くなり不便である。それでヘメだけは半円になっているのだが、ならば全部半円にすればよい。
sokki01.jpg
(例)はひふへほ


sokki02.jpg
(例)まみむめも


残るヤ行はア行の拗音と考える。カギ付きのア行で表記する。これで三倍長は不要となり長さは二段階でよくなる。実際には1:3ぐらいの長さにした方が再認しやすいと思う。
sokki03.jpg
(例)やゆよ


長音。長音の隙間空け、あるいは点は、イエ音が続いて離す必要があるときなど混乱しやすい。あるいはナヌとか、オトとかのときは、スペースを空けないとわかりにくい。そこで長音は線尾にカギをつける。拗音と同じ方法である。
sokki04.jpg
(例)かい、とう、いい、こうこう


こうすると、線と線の間のスペースには意味はなく、つなげても空けてもよくなり再認性が高くなる。わかりくくなりそうなところは分かち書きすればよいのだ。

また拗音と長音は同時に出現しやすい。すると平べったいランドルト管のようになって書きやすく、再認性も高くなるのだ。カ行サ行ナ行ハ行マ行ラ行など曲線のものは同じ内側に曲げ、ア行タ行ヤ行など直線のものは反対側にZを描くようにする。またチュに関してはカギはつけずにそのままで長音のチューとする。日本語にチュはほとんどないからである。
sokki05.jpg
(例)しょうしゅう、きょうとう、りょうしゅう、ちゅうとう


"ちゃ行"、"や行"の拗音カギは冒頭は鋭角な角にし、長音カギはカーブにする。冒頭をカーブにすると線全体がカーブして"さ行"、"か行"になりやすいため。
sokki19.jpg
(例)ちゃいな、ゆうしゅう


長音+んは、長音の折り返しの後で丸を書く。
sokki06.jpg
(例)トーン


半濁音パ行。線頭の切り線は濁音の切り線と混同しやすい。そこでパ行はハ行のU字の平べったい曲線にして表す。少し書きにくいがそもそもパ行は少ないからこれでも十分だ。
sokki07.jpg
(例)ぱぴぷぺぽ


濁音。濁音の切り線は余分な動きで、スピードが落ちる原因になる。そこで半濁音のルールを濁音に適用する。語頭では直角の線を下もしくは曲線の外側に書き、語中では前の線に重ねる。これは前の発音からのリエゾンによる連続という濁音の音韻学的特徴と一致するのだ。
sokki08.jpg
(例)さいがい、じんじゃ、きょうどう


ひゃ行、びゃ行、みゃ行はほとんどが長音が付くか、"く"がつき、そのままのひゃ行、びゃ行、みゃ行は存在しないので、長音カギを省略する。
sokki18.jpg
(例)びょういん、びゃくや、みょうあん、みゃくはく、みゅーたんと


次は漢字音のク。これもンと混同しやすい。そこで平べったい円のツをクとする。
sokki09.jpg
(例)きょういく、かくせい


"えき"など"え母音"のときの"く"とするルールに、"し"の後の扁平円は"き"のルールを追加する。漢字音で"しく"はなく"しき"があるため。
sokki20.jpg
(例)こうしき、しきてん


促音のッと漢字音のツ。線末で反転して小さくはねる。漢字音のツはンやクと混同しやすく、促音のッも濁音の切り線と間違いやすい。しかし促音のッははそもそもツと区別しなくても混同する心配はほとんどない。思いつくのは"さつき"と"さっき"ぐらいだ。アタヤ行の長音と区別するため、少しカールさせてはねる。
sokki10.jpg
(例)ふっかつ、らっぱ


外来語で頻度の高いFのファ行。これはパ行とカーブが逆になる形とする。Vのヴはファの濁音とする。
sokki11.jpg
(例)ふぁ、ふぃ、ふ、ふぇ、ふぉ


ワ行は小半円とする。ウ行の小半円をムとする。ワ、ウィ、ウ、ウェ、ウォ=ヲを表す
sokki12.jpg
(例)わ、うぃ、う、うぇ、うぉ=を


ハ、マ、パ、ファ行はカーブが強いので、線の終わりだと次の線が書きにくいことがある。その場合は、真ん中のふくらみ部分から続ける。
sokki13.jpg
(例)はくさい、めがね、ばすぽーと


外来語などの"ップ"には垂直方向への長円をつける。
sokki14.jpg
(例)こっぷ、らっぷとっぷ、きっぷ


語中のルをンの円から線がはみ出たものとする。
sokki15.jpg
(例)たるたるそーす、くるくるまわる


よく使う助詞"は・も・が・の・を・に・へ・で・と"について。は=わ、を=うぉ、と、で、へ=え、はそのままで。助詞の"の"にをの小半円の逆向きを使う。"が"は終端の右上に離して短い"つ"方向線、"に"は終端の右下に離して短い"い"方向線とする。
sokki22.jpg
(例)大阪はたこ焼きが有名で、人気のある店はいつも人でいっぱいだ。


接続詞や文末についての略号を作る。文末の"~だ"、"~である"、"~です"などは直線を長く引く。肯定の接続"~で"、"~して"などは上向きのカーブ、否定の接続"~ではなく"、"~ない"などは下向きのカーブ、逆接の"だが"、"しかし"などはチェックマーク、強調の"特に"は○、追加の"さらに"、"また"、"だけでなく"はつながった+マークとする。通訳用なので同じ意味は同じ符号とする。
sokki23.jpg
(例)~だ、~して、~ではなく、しかし、特に、だけでなく、


※以上、この方式のセールスポイントは、長さが2段階しかなく用紙の制限が少ないこと、切り線を排除して濁音を書きやすくしたこと、長音の空間がないため分かち書きしやすいことである。

※なんで小半円のム、"ップ"、語中のルがあるのかって?それは韓国語のパッチム、ㅁ、ㅂ/ㅍ、ㄹのためなのさ。これで簡易に韓国語速記もしようと思っているから。韓国語を知っていれば、韓国語はもともとカナで書き取っても、復元できるので、兼用として使う狙い。

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浄土仏教の科学的解釈(輪廻なしの仏教・法然上人生誕日記念) [考えたこと]

amida-infinity.jpg輪廻なし浄土ありの仏教を考える
科学的に仏教を考えた場合、まず輪廻は排除せざるを得ないと思う。輪廻転生の概念は生命や精神について無知であった時代は許容できても、脳科学、生命科学、進化論が発達した現代においては合理化不可能である。輪廻を設定するには個の単位が必要だが、生命には個の単位が成立しないからである。

あるいは現代人が輪廻を受け入れる場合も、それを肯定的なものとして理解することが多い。すなわち今回の人生は駄目でも次回があるさと、輪廻を喜び期待するのである。現代には輪廻の元来の意味が全く通じないことがわかるだろう。

もしも釈尊が現代に生まれたならどのように悟りへの道を歩むかを考えたい。おそらくまずはあらゆる学問を修めようとするであろう。そして脳科学、生命科学、進化論、宇宙論などを学んだならば、輪廻転生を主張する可能性は全くないであろう。

輪廻と同じく現代人の否認率が高い浄土はどうか。しかし浄土を否定するのは浄土仏教の存在意義を喪失する。また世界の大宗教はすべて浄土に類する天国を設定する。すなわち、浄土を排除するならばそもそも宗教を考える必要はないように思う。

以下、ここに書くのは、科学合理主義者による輪廻なしの浄土仏教論の試み、あるいは力ずくのSF的解釈である。

tree.jpg縁起(pratiitya-samutpaada)
物事すべてに因(原因 hetu)と縁(条件 pratyaya)がある。これが仏陀の教えの中核たる縁起である。これだけだと簡単に思える。ところが仏陀は「私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである」と言い、誰にも理解できないだろうから説くのは止めようと考えていた。いったい何が難しいのか。それは縁起の論理の厳密性と絶対性のためであった。

縁起が述べることは、無から有が生じることはなく、有が無になることもないし、偶然や奇跡で何かが生じることもなく、ただ法(dhárma)に基づいて変転していくのみという、徹底した決定論であるが、にもかかわらず運命論ではない。なぜなら我々は世界の一部、すなわち縁起の一部を構成する存在だからである。

uroboros300.jpg悟り(bodhi)
縁起の教えは、世界の変化には定まったことと、定まっていないことがあることを教えてくれる。そして、この過去から未来へと決定していることと、決定していないことを切り分けることが悟りである。この世界には変えられることと、変えられないことがあることを知ること、これが悟りへの第一歩である。変えられないことを諦め、変えられることに尽くせば、そこに悩みはなく、苦(duskha)から解き放たれることはわかるであろう。

実際には、決定していることを変えようとしてもがき苦しみ、決定していないことなのに努力せずに放縦に生きてしまうのが人間である。事象の決定と非決定の区別を惑わせるのが煩悩(kleśa)≒感情であり、分別(vi-kalpa)=先入観である。仏陀はその煩悩や分別を滅却するためのトレーニングを考えて布教したのである。

この問題はキリスト教でも気づいていて、いわゆるニーバーの祈り(変えられるものを変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静、それらを区別する知恵を求める祈り)は仏陀の悟りとほぼ同じと考えてよい。

honen0521.jpg往生(ut-pad)
智慧第一と言われる法然上人は、自らが悟りを得て成仏する器でないことを歎き、仏典を渉猟した結果、悟りを得る成仏をダイレクトに目指すのではなく、まず極楽浄土へと往生すること、これこそが我ら凡人に可能な成仏への道であると主張した。

往生とは"往って生まれる"こと、念仏すれば死に際して阿弥陀仏が建てた浄土という国に往って生まれることができ、そうしてこそ成仏が可能であるとした。成仏への道に、往生というステップを一つ挟んだのである。では浄土はいったいどこにあるのか。

shinran0521.jpg未来は現在に実現している
親鸞聖人は、念仏すれば死を待たずしてただちに往生という。あるいは"如来にひとし"、"弥勒とおなじ"という。これは師たる法然上人と異なる考えなのか。また親鸞聖人は弥勒を弥勒仏と呼ぶ。弥勒は釈迦の次に現れるとされる未来の仏で、弥勒が仏となるのは56億7千万年後であり、今はまだ仏ではないのに親鸞聖人は弥勒(maitreya)を弥勒仏と呼ぶ。なぜか。

それは弥勒は既に仏となることが決まっているから、今現在に既に仏だからである。悟りを得た者、正覚した者にとって、定まった未来は今現在に実現しているのである。今此処にありありと感じることができるのだから。仏典を読めば、仏陀とは過去や未来を現在のように見渡す者であることに何度も言及されているのに気づくだろう。

これは決して強引な論法ではない。すべてが現在によって定まった世界、決定論の世界である物理学では時間の過去や未来には意味がない。物理学では時間は逆転可能であり、過去へと進む粒子すら想定される。時間の前後というものには意味はないのだ。定まった未来は、今現在に実現しているのである。注意しておくと、量子力学は非決定論ではなく確率的決定論であり、時間の過去未来については同じである。

yuuhi0521.jpg西方浄土(sukhaavatii)
未来は今現在に実現している、故に仏陀が極楽浄土は今既にあるというとき、浄土とは今現在に実現している遠い未来世界のことである。

浄土は遙か遠く西方にあるという。故に西方浄土と言う。西方とは何か。西方とは太陽の進み行く方向、時の進む方向、すなわち未来のことである。遙か遠く十万億仏土の彼方にある西方浄土とは、遙か遠く十万億仏土の未来に既に存在しているのである。

物理学の世界では、時間と空間は時空間として一体であり独立したものではない。十万光年離れた星へ行くということは、十万年以後の未来にそこに到達するということであり、十万光年離れた星から来るものは、十万年以前の世界から来たということである。故に遙か遠く十万億仏土の彼方の西方浄土へ往生するとは、遙か遠く十万億仏土の未来に往生するということなのである。

実際にどの程度の未来世界なのか。浄土を建設した法蔵菩薩は五劫(kalpa)の時間を思惟して成仏したという。一劫は43億2000万年、故に五劫=216億年である。宇宙は始まってからまだ138億年と考えられており、仮に宇宙開闢とともに思惟したとしてもまだ78億年残っていることがわかる。阿弥陀仏の浄土の建設は、弥勒仏の登場より後であると考えて良いだろう。

実は『無量寿経』に描かれる浄土には、昼と夜が存在しない。西方浄土の時代は既に太陽すら寿命を終えたほどの未来なのである。この世界では既に太陽は白色矮星なのだ。

hasu0521.jpg時空の平等世界
『阿弥陀経』が描く西方浄土の世界の特徴は、そこにあるすべての存在が平等に自らの特性を発揮して輝くことである。自ら輝くのは、他者に照らされるのではなく、自己の可能性を存分に開花する理想世界ということである。この可能性の開花する平等世界という点が浄土の本質である。

しかし、そのときただそこにいるものが平等に可能性を開花するというだけでは真の平等ではない。阿弥陀仏=阿弥陀如来は、宇宙の平等、宇=空間、宙=時間を超えた平等を目指している。すなわち宇宙のすべての存在、過去に既に亡くなった者すらも救ってこそ、究極の平等なのである。故に阿弥陀如来は時空間を超えて、救うべき者を探して過去へ未来へと往来しているのである。

Minkowski0521.jpg阿弥陀如来
阿弥陀仏は無量寿仏(Amitāyus)、無量光仏(Amitābha)とも言う。無量寿とは無限の寿命を持つということであり、時間を超越した存在ということである。無量光とはすべての場所にその慈悲の光が届くということであり、空間を超える存在ということである。すなわち阿弥陀如来は"時空間を超越する者"という意味を持つ。阿弥陀如来とは未来世界から、過去に思いを残し去った者たちを救うべく現れる、未来世界からの使者なのである。

念仏者の元には、阿弥陀如来が勢至菩薩と観音菩薩を従えて迎えに来るとされる。そして行き着く先は遙か未来世界の浄土である。浄土は客観的に数十億年の遙か未来といっても、そこに行くときは主観的には一瞬である。朝目覚めるが如く、主観的な時間は流れないからだ。

阿弥陀如来は過去に未来にと自在に時空を超越するが、何ら物理法則に違反しない。阿弥陀如来は過去の精神を未来へと連れていくだけで、過去へと逆行させるわけではないからだ。死と共に宇宙へと拡散した精神を回収し、未来にて再構成しているだけである。未来へのタイムトラベルは何ら物理法則に違反するものではない。死によって世界への影響力を失ってから阿弥陀如来が現れるのであるから、タイムパラドックスも存在しないのである。

butterfly effect.jpgバタフライ効果/過去は現在に生きている
阿弥陀如来はどうやって過去の人を救い、浄土へと連れていくのか。既にいない人がどうして未来に生まれるというのか。阿弥陀如来の救済の原理を教えてくれるのが複雑系理論のバタフライ効果である。バタフライ効果とは、アマゾンを舞う一匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせるというような、通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象のことを指す。すなわち極めて小さな過去の差も現在に隠れているのだ。

過去は失われずに現在の中に隠れ、現在に力を行使し続ける。故に死者もまた過去に生きており、過去は現在に保存されている。精神は死んで消え去るのではなく、宇宙へと希釈されて宇宙と一体となるのである。そして阿弥陀如来は精神を宇宙から抽出する存在なのである。

namasute0521.jpg念仏(buddha-anusmRti)
念仏とは、南無阿弥陀仏を称えること。南無はインドの挨拶のナマステの語頭と同じ語源で、帰依するという意味。南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏に従うという宣言である。法蔵菩薩の平等と可能性の開花の世界の建設に賛成票を投じるという意味である。世界の苦しみの中で、菩薩として生きることができないものでも、ただ念仏することで、浄土の理想に賛成を示し、その協力者となるだけでも救われるのである。

なぜ念仏が必要なのか。それは意思表示である。自ら浄土へ往生したいことを明らかにする必要があるからである。これはドナーカードのようなものと思えばよいだろう。生前の内に意志を明らかにしてこそ、死に際して阿弥陀仏が救うことができるのだ。阿弥陀仏は、自らの生涯に満足し可能性の開花に成功したものは救わない。なぜならその人は成仏したということ、この世界での役目を全うしたからである。必要ないからである。阿弥陀仏は宇宙のすべての存在が可能性の開花を達成する平等を目指している。浄土に往生せずとも可能性の開花した者には浄土は必要ないのである。

親鸞聖人は『教行信証』において、五逆の者でも往生できるが、誹謗正法の者は往生できない、正法とは仏法のことであるから、これをそしるということは、浄土に往生したいとも思わないのであるから、願生することはまったくないとしている。

sign_namu.jpg念仏は必ずしも南無阿弥陀仏という音とは限らない。地方や時代によって発音も違うはずである。鎌倉時代は"ナモアミダブ"であった。中国なら"ナモオミトォフォ"だし、韓国なら"ナムアミタブル"だろう。チベット語では"オンマニペメホン"という。英語でもヒンドゥー語でも発音は違うだろうし、もちろん手話でも構わない。あるいは究極の平等世界たる浄土建設に賛成という意味を込めた表現であれば言葉でなくともそれは念仏である。芸術家が阿弥陀仏への思い込めて作品を作ればそれは念仏と言える。必須なのは意志表示である。故に法然上人は、念仏は大きな声で叫ぶ必要はないが、自分の耳に聞こえる程度に声に出すのがよいでしょうと言う。

kumagai0521.jpg悪人正機
悪人とは生業として悪を為すもの、人を殺す武士、生き物を殺す漁師、性を売る遊女などである。生きるために仏教の定める悪から逃れられない存在が悪人なのである。キリスト教は神の信頼を裏切ったことが原罪であるが、仏教においては生きるものの命を奪わずに生きることができないことが罪なのである。仏教は"いのち"の宗教であるからだ。

武士、漁師、遊女、みな生きとし生けるものの平等を目指す仏陀の理想に反しているのは明白である。正機とは主要な対象の意味である。悪人正機とは、仏陀の理想に反する生き方しかできない人たちこそが阿弥陀仏が救済のために探し求める対象だということだ。

故に念仏していても、自ら選んで悪を為す者に阿弥陀仏の救いは来ない。なぜなら自らの意志で選んでいるからである。この世界で思うままに生きることができた者は、悪を為す者も善を為す者も阿弥陀仏の救いの対象ではないのである。行為の善悪に関係なくどちらも自力だからである。自力で仏となった者に阿弥陀仏は必要ないし、自力で悪を選ぶ者にも阿弥陀仏の救いは来ない。阿弥陀仏は、すべての生きとし生けるものの可能性の開花を目指して、時空間を超えて働いているのだ。

no0521.jpg他力
脳科学者のベンジャミン・リベットは、人が意志によって行動するとき、意図よりも速く脳が反応することを実験で証明した。人間の意図は、環境から集約されて生まれるのである。人間の意志というものにも、それ自体というものはなく、さまざまな関係から作り出されているのである。まさに自我は縁起により解消されるのである。

故に本来、人の行為には自力というものは有り得ない。他力とは、自らが宇宙の縁起の一部であることを自覚することである。故に縁起を知る者ならば、他力を感じることができるし、自らを自力と感じるならば縁起を知らぬ者である。

dna2.jpg輪廻(Sangsāra)と業(karman)
仏陀は果たして輪廻を説いたのであろうか。実は出家の弟子に霊魂など哲学的問題を聞かれ、毒矢の例えにより、無記をもって答えている。毒矢を受けた人間はまず解毒することが大事なのであって、矢を射たのが誰かとか弓や矢の材質を問うような場合ではないと答えたのである。これらの問題は考える必要がない、人間はそういう立場にないというのが仏陀の無記の答えである。

問題は、在家の弟子へとの対話では、地獄も来世も輪廻も出てくることだ。この違いは何か。仏陀の対話は対機説法と呼ばれ、相手に合わせてわかりやすい言い方をするということである。仏陀の生きた時代のインドにおいて地獄も来世も輪廻も常識であった。出家した弟子はたっぷりと修行する時間があるが、在家の弟子はそうではない。無記ではわかりにくい在家信者のため彼らの常識を使って悟りへの道を説明したということなのである。仏陀の言葉に輪廻も地獄も出てくるが、それは悟りを説明するためであって、輪廻や地獄そのものを説いた言葉はないのである。

業(karman)とは何か。『ミリンダ王問経』で仏陀は、人が一人一人違うのはなぜかと質問されたとき、果物が種類よって違うのは種が違うからであり、人間が違うのも同じで業が違うからだと答えている。現代人ならば、果物の種類は遺伝子が決めることを知っている。故に、仏陀が業という言葉で見ていたものは遺伝子とわかる。

仏教では生きとし生けるものを尊重し助けようとする。虫すら殺さないのは、それが先祖の転生かもしれないからである。現代人なら、すべての地球上の生き物が血縁関係にあることを知っている。進化論は数百万年遡れば人類と類人猿が血縁関係にあることを、数千万年遡れば猿と血縁関係があることを、数億年遡れば昆虫とも血縁関係があることをあきらかにしている。仏陀が輪廻という言葉で見ていたものは進化論なのである。

shotoku.jpg慈悲のミーム(meme)
法然上人は、自分がこの世に現れたのは三度目であるという。一度目は仏陀の弟子として、二度目は善導大師として、そして今、源空=法然としてここにいるということを述べている。善導大師とは念仏三昧に生き浄土の教えを広めた人物である。最初の無名の仏陀の弟子もまた念仏により修行した人物なのであろう。法然上人は念仏三昧に生きることで、念仏そのものになっているのだ。念仏のミーム(meme)と化した故に三度目の転生なのである。

聖徳太子は、世間虚仮,唯仏是真(ありとあらゆるものは空であり実体を持たず変転する中で、ただ仏のみが真である)という言葉を残した。あらゆるものは空(śūnya)であり実体を持たない。例えば、人間の体を構成する物質は一秒一秒休まずに入れ替わっていき、一年後には人間を構成する分子のほとんどすべてが入れ替わってしまう。私を構成する物質ですら、何ら固定したものはないのだ。世界はまさに空、世間虚仮なのである。

仏=阿弥陀如来は宇宙の救済意志であるといい、それは慈悲(maitrī)とも呼ばれる。慈悲は一般に言う愛と少し異なり、男女間ではなく親子のような一方的に与える愛を言う。仏の本質は慈悲=愛なのである。対等な人間同士の愛は時に代償を求める。しかし対価を求める愛では対価を受け取ったときに消えてしまう。親子の愛は異なる。親は子に見返りを求めて愛するのではない。親から子へと受け渡された愛は、子が親となりまた子へと受け渡される。慈悲の愛は無償故に時を越えて生き続けるのだ。

"世間虚仮,唯仏是真" ―― すべてが幻のように移ろいゆくこの世界でも、ただ慈悲なる無償の愛のみは永遠である。

hozo.jpg法蔵菩薩(Dharmakara Bodhisattva)
法蔵菩薩は五劫=216億年の時間を思惟して成仏した。この長さは一人の人間のものではない。理想を抱く無数の生命たちの転生の末の結果なのだ。実はサンスクリット版の『無量寿経』には法蔵菩薩が一人ではないことを示唆する一文がある。すなわちこの穢土たる娑婆で、生きとし生けるものすべてがその可能性を開花する理想世界の建設を目指し苦闘する者たち、彼ら/彼女らのすべてが法蔵菩薩なのである。


☆☆☆ 参考&お勧め書籍 ☆☆☆

ニコラス・ウェイド
『宗教を生みだす本能』
エヌティティ出版
2011



ジェシー・ベリング
『ヒトはなぜ神を信じるのか』
化学同人
2012


muryoju.jpg
真野正順
『無量寿経講話』
大法輪閣
1963


amida_rikai.jpg
藤吉慈海
『阿弥陀仏の理解と表現(浄土シリーズ4)』
知恩院浄土宗学研究所
1968



デニス・ヒロタ
『親鸞:宗教言語の革命者』
法蔵館
1998


anjinrondai.jpg
灘本愛慈
『やさしい安心論題の話』
本願寺出版社
1985


sogimondo.jpg
宗義研究の会
『わかりやすい宗義問答』
浄土真宗本願寺派
1984


shokyougairon_ebe.jpg
江部鴨村
『宗教概論』
百華苑
1971


jinen.jpg
金松賢諒
『自然(じねん)』
文明堂
1988



梶村昇
『法然上人伝〈上〉』
大東出版社
2013



梶村昇
『法然上人伝〈下〉』
大東出版社
2013



デイビッド・ブレイジャー
『フィーリング・ブッダ:仏教への序章』
四季社
2004



丘山新
『菩薩の願い:大乗仏教のめざすもの』
NHKライブラリー
2007


honen.jpg
梶村昇
『法然』
角川選書
1970


honentoshinran.jpg
増谷文雄
『法然と親鸞』
在家仏教協会
1959



藤本浄彦
『〈いのち〉へのめざめ:生き方としての浄土教』
浄土選書
2002


amidakyou.jpg
藤吉慈海
『阿弥陀経講話:附 般若心経の話』
山喜房仏書林
1974


bukyonoshinzui.jpg
羽渓了諦
『仏教の真髄』
仏教伝道協会
1974


bukyonosusume.jpg
大野正雄
『仏教のすすめ:人々の疑問に答えつつ』
百華苑
1970


prayers.jpg
すべてが幻のように移ろいゆくこの世界でも、ただ慈悲なる無償の愛のみは永遠である。
모든 것이 환상 같이 변해지는 이 세상에도 오직 자비인 무상의 사랑만 영원이다.
这个世界一切事情都象幻象一样变化着,只有慈悲也就是无偿的爱才是永恒的。
Even though everything changes like an illusion in this world, only unconditional love, maitrī, is eternal.

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法蔵菩薩とは何者か?タイムトラベラーとしての阿弥陀如来 [考えたこと]

amida-infinity.jpg縁起(pratiitya-samutpaada)
物事すべてに因(原因 hetu)と縁(条件 pratyaya)がある。これが仏陀の教えの中核たる縁起である。これだけだと簡単に思える。ところが仏陀は「私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである」と言い、誰にも理解できないだろうから説くのは止めようと考えていた。いったい何が難しいのか。それは縁起の論理の厳密性と絶対性のためであった。

縁起が述べることは、無から有が生じることはなく、有が無になることもないし、偶然や奇跡で何かが生じることもなく、ただ法(dhárma)に基づいて変転していくのみという、徹底した決定論であるが、にもかかわらず運命論ではない。なぜなら我々は世界の一部、すなわち縁起の一部を構成する存在だからである。

悟り(bodhi)
縁起の教えは、世界の変化には定まったことと、定まっていないことがあることを教えてくれる。そして、この過去から未来へと決定していることと、決定していないことを切り分けることが悟りである。この世界には変えられることと、変えられないことがあることを知ること、これが悟りへの第一歩である。変えられないことを諦め、変えられることに尽くせば、そこに悩みはなく、苦(duskha)から解き放たれることはわかるであろう。

実際には、決定していることを変えようとしてもがき苦しみ、決定していないことなのに努力せずに放縦に生きてしまうのが人間である。事象の決定と非決定の区別を惑わせるのが煩悩(kleśa)≒感情であり、分別(vi-kalpa)=先入観である。仏陀はその煩悩や分別を滅却するためのトレーニングを考えて布教したのである。

この問題はキリスト教でも気づいていて、いわゆるニーバーの祈り(変えられるものを変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静、それらを区別する知恵を求める祈り)は仏陀の悟りとほぼ同じと考えてよい。

honen0521.jpg往生(ut-pad)
智慧第一と言われる法然上人は、自らが悟りを得て成仏する器でないことを歎き、仏典を渉猟した結果、悟りを得る成仏をダイレクトに目指すのではなく、まず極楽浄土へと往生すること、これこそが我ら凡人に可能な成仏への道であると主張した。

往生とは"往って生まれる"こと、念仏すれば死に際して阿弥陀仏が建てた浄土という国に往って生まれることができ、そうしてこそ成仏が可能であるとした。成仏への道に、往生というステップを一つ挟んだのである。では浄土はいったいどこにあるのか。

shinran0521.jpg未来は現在に実現している
親鸞聖人は、念仏すれば死を待たずしてただちに往生という。あるいは"如来にひとし"、"弥勒とおなじ"という。これは師たる法然上人と異なる考えなのか。また親鸞聖人は弥勒を弥勒仏と呼ぶ。弥勒は釈迦の次に現れるとされる未来の仏で、弥勒が仏となるのは56億7千万年後であり、今はまだ仏ではないのに親鸞聖人は弥勒(maitreya)を弥勒仏と呼ぶ。なぜか。それは弥勒は既に仏となることが決まっているから、今現在に既に仏だからである。悟りを得た者、正覚した者にとって、定まった未来は今現在に実現しているのである。今此処にありありと感じることができるのだから。

これは決して強引な論法ではない。すべてが現在によって定まった世界、決定論の世界である物理学では時間の過去や未来には意味がない。物理学では時間は逆転可能であり、過去へと進む粒子すら想定される。時間の前後というものには意味はないのだ。定まった未来は、今現在に実現しているのである。注意しておくと、量子力学は非決定論ではなく確率的決定論であり、時間の過去未来については同じである。

yuuhi0521.jpg西方浄土(sukhaavatii)
未来は今現在に実現している、故に仏陀が極楽浄土は今既にあるというとき、浄土とは今現在に実現している遠い未来世界のことである。

浄土は遙か遠く西方にあるという。故に西方浄土と言う。西方とは何か。西方とは太陽の進み行く方向、時の進む方向、すなわち未来のことである。遙か遠く十万億仏土の彼方にある西方浄土とは、遙か遠く十万億仏土の未来に既に存在しているのである。

物理学の世界では、時間と空間は時空間として一体であり独立したものではない。十万光年離れた星へ行くということは、十万年以後の未来にそこに到達するということであり、十万光年離れた星から来るものは、十万年以前の世界から来たということである。故に遙か遠く十万億仏土の彼方の西方浄土へ往生するとは、遙か遠く十万億仏土の未来に往生するということなのである。

実際にどの程度の未来世界なのか。浄土を建設した法蔵菩薩は五劫(kalpa)の時間を思惟して成仏したという。一劫は43億2000万年、故に五劫=216億年である。宇宙は始まってからまだ137億年と考えられており、仮に宇宙開闢とともに思惟したとしてもまだ79億年残っていることがわかる。阿弥陀仏の浄土の建設は、弥勒仏の登場より後であると考えて良いだろう。

実は『無量寿経』に描かれる浄土には、昼と夜が存在しない。西方浄土の時代は既に太陽すら寿命を終えたほどの未来なのである。この世界では既に太陽は白色矮星なのだ。

hasu0521.jpg時空の平等世界
『阿弥陀経』が描く西方浄土の世界の特徴は、そこにあるすべての存在が平等に自らの特性を発揮して輝くことである。自ら輝くのは、他者に照らされるのではなく、自己の可能性を存分に開花する理想世界ということである。この可能性の開花する平等世界という点が浄土の本質である。

しかし、そのときただそこにいるものが平等に可能性を開花するというだけでは真の平等ではない。阿弥陀仏=阿弥陀如来は、宇宙の平等、宇=空間、宙=時間を超えた平等を目指している。すなわち宇宙のすべての存在、過去に既に亡くなった者すらも救ってこそ、究極の平等なのである。故に阿弥陀如来は時空間を超えて、救うべき者を探して過去へ未来へと往来しているのである。

Minkowski0521.jpg阿弥陀如来
阿弥陀仏は無量寿仏(Amitāyus)、無量光仏(Amitābha)とも言う。無量寿とは無限の寿命を持つということであり、時間を超越した存在ということである。無量光とはすべての場所にその慈悲の光が届くということであり、空間を超える存在ということである。すなわち阿弥陀如来は"時空間を超越する者"という意味を持つ。阿弥陀如来とは未来世界から、過去に思いを残し去った者たちを救うべく現れる、未来世界からの使者なのである。

念仏者の元には、阿弥陀如来が勢至菩薩と観音菩薩を従えて迎えに来るとされる。そして行き着く先は遙か未来世界の浄土である。浄土は客観的に数十億年の遙か未来といっても、そこに行くときは主観的には一瞬である。朝目覚めるが如く、主観的な時間は流れないからだ。

阿弥陀如来は過去に未来にと自在に時空を超越するが、何ら物理法則に違反しない。阿弥陀如来は過去の精神を未来へと連れていくだけで、過去へと逆行させるわけではないからだ。死と共に宇宙へと拡散した精神を回収し、未来にて再構成しているだけである。未来へのタイムトラベルは何ら物理法則に違反するものではない。死によって世界への影響力を失ってから阿弥陀如来が現れるのであるから、タイムパラドックスも存在しないのである。

butterfly effect.jpgバタフライ効果/過去は現在に生きている
阿弥陀如来はどうやって過去の人を救い、浄土へと連れていくのか。既にいない人がどうして未来に生まれるというのか。阿弥陀如来の救済の原理を教えてくれるのが複雑系理論のバタフライ効果である。バタフライ効果とは、アマゾンを舞う一匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせるというような、通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象のことを指す。すなわち極めて小さな過去の差も現在に隠れているのだ。

過去は失われずに現在の中に隠れ、現在に力を行使し続ける。故に死者もまた過去に生きており、過去は現在に保存されている。精神は死んで消え去るのではなく、宇宙へと希釈されて宇宙と一体となるのである。そして阿弥陀如来は精神を宇宙から抽出する存在なのである。

namasute0521.jpg念仏(buddha-anusmRti)
念仏とは、南無阿弥陀仏を称えること。南無はインドの挨拶のナマステの語頭と同じ語源で、帰依するという意味。南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏に従うという宣言である。法蔵菩薩の平等と可能性の開花の世界の建設に賛成票を投じるという意味である。世界の苦しみの中で、菩薩として生きることができないものでも、ただ念仏することで、浄土の理想に賛成を示し、その協力者となるだけでも救われるのである。

なぜ念仏が必要なのか。それは意思表示である。自ら浄土へ往生したいことを明らかにする必要があるからである。これはドナーカードのようなものと思えばよいだろう。生前の内に意志を明らかにしてこそ、死に際して阿弥陀仏が救うことができるのだ。阿弥陀仏は、自らの生涯に満足し可能性の開花に成功したものは救わない。なぜならその人は成仏したということ、この世界での役目を全うしたからである。必要ないからである。阿弥陀仏は宇宙のすべての存在が可能性の開花を達成する平等を目指している。浄土に往生せずとも可能性の開花した者には浄土は必要ないのである。

念仏は必ずしも南無阿弥陀仏という音とは限らない。地方や時代によって発音も違うはずである。鎌倉時代は"ナモアミダブ"であった。中国なら"ナンウーオミトゥォフォ"だし、韓国なら"ナムアミタブル"だろう。チベット語では"オンマニペメホン"という。英語でもヒンドゥー語でも発音は違うだろうし、もちろん手話でも構わない。あるいは究極の平等世界たる浄土建設に賛成という意味を込めた表現であれば言葉でなくともそれは念仏である。芸術家が阿弥陀仏への思い込めて作品を作ればそれは念仏と言える。必須なのは意志表示である。故に法然上人は、念仏は大きな声で叫ぶ必要はないが、自分の耳に聞こえる程度に声に出すのがよいでしょうと言う。

kumagai0521.jpg悪人正機
悪人とは生業として悪を為すもの、人を殺す武士、生き物を殺す漁師、性を売る遊女などである。生きるために仏教の定める悪から逃れられない存在が悪人なのである。武士、漁師、遊女、みな生きとし生けるものの平等を目指す仏陀の理想に反しているのは明白である。正機とは主要な対象の意味である。悪人正機とは、仏陀の理想に反する生き方しかできない人たちこそが阿弥陀仏が救済のために探し求める対象だということだ。

故に念仏していても、自ら選んで悪を為す者に阿弥陀仏の救いは来ない。なぜなら自らの意志で選んでいるからである。この世界で思うままに生きることができた者は、悪を為す者も善を為す者も阿弥陀仏の救いの対象ではないのである。行為の善悪に関係なくどちらも自力だからである。自力で仏となった者に阿弥陀仏は必要ないし、自力で悪を選ぶ者にも阿弥陀仏の救いは来ない。阿弥陀仏は、すべての生きとし生けるものの可能性の開花を目指して、時空間を超えて働いているのだ。

no0521.jpg他力
脳科学者のベンジャミン・リベットは、人が意志によって行動するとき、意図よりも速く脳が反応することを実験で証明した。人間の意図は、環境から集約されて生まれるのである。人間の意志というものにも、それ自体というものはなく、さまざまな関係から作り出されているのである。まさに自我は縁起により解消されるのである。

故に本来、人の行為には自力というものは有り得ない。他力とは、自らが宇宙の縁起の一部であることを自覚することである。故に縁起を知る者ならば、他力を感じることができるし、自らを自力と感じるならば縁起を知らぬ者である。

dna2.jpg輪廻(Sangsāra)と業(karman)
仏陀は果たして輪廻を説いたのであろうか。実は出家の弟子に霊魂など哲学的問題を聞かれ、毒矢の例えにより、無記をもって答えている。毒矢を受けた人間はまず解毒することが大事なのであって、矢を射たのが誰かとか弓や矢の材質を問うような場合ではないと答えたのである。これらの問題は考える必要がない、人間はそういう立場にないというのが仏陀の無記の答えである。

問題は、在家の弟子へとの対話では、地獄も来世も輪廻も出てくることだ。この違いは何か。仏陀の対話は対機説法と呼ばれ、相手に合わせてわかりやすい言い方をするということである。仏陀の生きた時代のインドにおいて地獄も来世も輪廻も常識であった。出家した弟子はたっぷりと修行する時間があるが、在家の弟子はそうではない。無記ではわかりにくい在家信者のため彼らの常識を使って悟りへの道を説明したということなのである。仏陀の言葉に輪廻も地獄も出てくるが、それは悟りを説明するためであって、輪廻や地獄そのものを説いた言葉はないのである。

業(karman)とは何か。『ミリンダ王問経』で仏陀は、人が一人一人違うのはなぜかと質問されたとき、果物が種類よって違うのは種が違うからであり、人間が違うのも同じで業が違うからだと答えている。現代人ならば、果物の種類は遺伝子が決めることを知っている。故に、仏陀が業という言葉で見ていたものは遺伝子とわかる。

仏教では生きとし生けるものを尊重し助けようとする。虫すら殺さないのは、それが先祖の転生かもしれないからである。現代人なら、すべての地球上の生き物が血縁関係にあることを知っている。進化論は数百万年遡れば人類と類人猿が血縁関係にあることを、数千万年遡れば猿と血縁関係があることを、数億年遡れば昆虫とも血縁関係があることをあきらかにしている。仏陀が輪廻という言葉で見ていたものは進化論なのである。

shotoku.jpg慈悲のミーム(meme)
法然上人は、自分がこの世に現れたのは三度目であるという。一度目は仏陀の弟子として、二度目は善導大師として、そして今、源空=法然としてここにいるということを述べている。善導大師とは念仏三昧に生き浄土の教えを広めた人物である。最初の無名の仏陀の弟子もまた念仏により修行した人物なのであろう。法然上人は念仏三昧に生きることで、念仏そのものになっているのだ。念仏のミーム(meme)と化した故に三度目の転生なのである。

聖徳太子は、世間虚仮,唯仏是真(ありとあらゆるものは空であり実体を持たず変転する中で、ただ仏のみが真である)という言葉を残した。あらゆるものは空(śūnya)であり実体を持たない。例えば、人間の体を構成する物質は一秒一秒休まずに入れ替わっていき、一年後には人間を構成する分子のほとんどすべてが入れ替わってしまう。私を構成する物質ですら、何ら固定したものはないのだ。世界はまさに空、世間虚仮なのである。

仏=阿弥陀如来は宇宙の救済意志であるといい、それは慈悲(maitrī)とも呼ばれる。慈悲は一般に言う愛と少し異なり、男女間ではなく親子のような一方的に与える愛を言う。仏の本質は慈悲=愛なのである。対等な人間同士の愛は時に代償を求める。しかし対価を求める愛では対価を受け取ったときに消えてしまう。親子の愛は異なる。親は子に見返りを求めて愛するのではない。親から子へと受け渡された愛は、子が親となりまた子へと受け渡される。慈悲の愛は無償故に時を越えて生き続けるのだ。

"世間虚仮,唯仏是真" ―― すべてが幻のように移ろいゆくこの世界でも、ただ慈悲の愛のみは永遠である。

chodenji0521.jpg法蔵菩薩(Dharmakara Bodhisattva)
法蔵菩薩は五劫=216億年の時間を思惟して成仏した。この長さは一人の人間のものではない。理想を抱く無数の生命たちの転生の末の結果なのだ。実はサンスクリット版の『無量寿経』には法蔵菩薩が一人ではないことを示唆する一文がある。すなわちこの穢土たる娑婆で、生きとし生けるものすべてがその可能性を開花する理想世界の建設を目指し苦闘する者たち、彼ら/彼女らのすべてが法蔵菩薩なのである。




☆☆☆ 参考&お勧め書籍 ☆☆☆

shokyougairon_ebe.jpg
江部鴨村
『宗教概論』
百華苑
1971


jinen.jpg
金松賢諒
『自然(じねん)』
文明堂
1988



梶村昇
『法然上人伝〈上〉』
大東出版社
2013



梶村昇
『法然上人伝〈下〉』
大東出版社
2013



デイビッド・ブレイジャー
『フィーリング・ブッダ:仏教への序章』
四季社
2004



丘山新
『菩薩の願い:大乗仏教のめざすもの』
NHKライブラリー
2007


honen.jpg
梶村昇
『法然』
角川選書
1970


honentoshinran.jpg
増谷文雄
『法然と親鸞』
在家仏教協会
1959



藤本浄彦
『〈いのち〉へのめざめ:生き方としての浄土教』
浄土選書
2002


amidakyou.jpg
藤吉慈海
『阿弥陀経講話:附 般若心経の話』
山喜房仏書林
1974


bukyonoshinzui.jpg
羽渓了諦
『仏教の真髄』
仏教伝道協会
1974


bukyonosusume.jpg
大野正雄
『仏教のすすめ:人々の疑問に答えつつ』
百華苑
1970



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今年度の目標 [考えたこと]

035084.jpg ●執筆
『心の謎にすべて答える』は、現在、出版社側で編集段階なので、今年には出ると思う。

『冗談で皇帝になった男』は、今なお執筆中。原稿の80%ぐらいまで来ているので、これも今年には出ると思う。ただ分量が多すぎるので、よい編集者にあたるといいなあと思う。

 ●韓国語
韓国語通訳案内士に合格すること。登録してときどき仕事してみること。これは二次試験の結果次第。もう一回受けなくてすめば嬉しい。

将来的には、日本人の伝記を韓国語で書いて、半島進出を目指す。考えているのは……

1.布施辰治の伝記
岩波新書の布施辰治の伝記の翻訳が韓国で出ているが、これは日本人向けで、内容も地味なので、もっと朝鮮関連の話を中心にまとめたものを書いて出してみたい。

2.法然と親鸞の伝記
韓国に多くいるキリスト教徒が日本でなぜ少ないのか、この決定的違いを生んだ二人。日本的なものの代表として、日本人の理解という観点から、法然と親鸞の伝記も書いてみたい。

逆に韓国語の本を日本語に翻訳する。私が翻訳したいと思うのが、韓国の精神分析医김서영(キム・ソヨン)の二冊。『영화로 읽는 정신분석 : 김서영의 치유하는 영화읽기(映画で読む精神分析:キム・ソヨンの治癒する映画解読)』『프로이트의 환자들: 정신분석을 낳은 150가지 사례 이야기(フロイトの患者たち:精神分析を生んだ150の事例の話)』

この二冊はフロイト、ユング、ラカンを一般人にもわかりやく解説しており、どちらも面白いけども、韓国語だし内容が専門的なので翻訳する人はあまりいないのではないかと思う。私は翻訳できるんだけど、興味ある出版社はないかな、と。

 ●中国語
中国語通訳案内士の試験を受けること。韓国語は一次が受かっているので、少なくとも中国語と韓国語の併願ができる。韓国語が二次も受かっていけば、邦文が免除になるので、嬉しいのだが……

数年後には、『冗談で皇帝になった男』の中文版、『一句玩笑当上的皇帝』で大陸進出を目指す。

 ●英語
たまにはTOEICでも受けてみようかと。実際、何点ぐらいになるのかよくわからない。将来的には『心の謎にすべて答える』を英文で書いて、全米デビューを目指す。
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パパはニュースキャスター [考えたこと]



今話題のドラマ!?

フジの新しい日曜21時のドラマ『家族のうた』の事実上の原作。設定は、ニュースキャスターがロックシンガーになっているだけで、それ以外はほとんど同じだそうな。

スクリプトが全部公開されている。
パパはニュースキャスター

スクリプト読むだけでも面白い。

今読むと無茶苦茶シュール。娘が3人いて、全員同い年で、名前が同じなので、父親が娘をそれぞれ苗字で呼ぶんだもの。(笑)

普通にリメイクと思えば見てみたいけど、許可取って原作原案にクレジットしないのは駄目だよね。

スクリプトで面白いのは、TBSのドラマということで、そんなフジテレビみたいなことをするなと、フジテレビをたびたび皮肉っていること。TBSとフジテレビは仲が悪いのかな。(笑)

・今日の一言
パパはニュースキャスター
아빠는 뉴스캐스터
My Father is a Newscaster
我的爸爸是主播

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なぜ男は若い女を好むのか? ― 男の誠実さが女の若さを求める進化の逆説 [考えたこと]

dna2.jpgここ最近、高齢男性による年の差結婚が話題になっている。加藤茶(45歳年下)、堺正章(22歳年下)、寺田農(35歳年下)、ラサール石井(32歳年下)など自分の娘より若いケースも多い。なぜ男性は若い女性を好むのであろうか?一緒に生活する能力、会話の楽しさなどを考えれば、年齢が近い方がいいはずなのに、それらを捨ててまで若い女性を望むのはなぜか?

それは進化の過程で獲得された本能的なものである。人類は長い狩猟採集による生活を続けた結果、一夫一妻制度を採用した。基本的に一対一のつがいを作るのが人類であり、遺伝的に近いチンパンジー、ゴリラ、ボノボ、オランウータンなどとは違っている。

原始時代の人類が生涯に一人の相手と共に暮らすとき、どういう女性を選べば男性はその子孫を多く残せるか?

健康な若い女性である。どんなに知能が高くても、どんなに資産があっても、既に子どもが作れない女性相手では子孫は増えない。一人の女性の子孫を生み出す能力は、年齢に反比例する。基本的に一回に一人ずつしか産めないからである。20歳の女性が2年に一人40歳まで出産すれば子どもは10人だが、30歳の女性が2年に一人40歳まで出産しても子どもは5人である。

進化の過程で、より若い女性を望む男性がその子孫を増やし、若さにこだわらない男性はその子孫が増えず、その遺伝子が淘汰されたのである。

より若い女性を望む遺伝子とは、数字上の年齢ではなく、若く見える女性に反応する遺伝子いうことである。肌や髪のつや、皺の少なさ、声の美しさなどである。だからこそ女性は化粧をするし、服装を工夫することになるのである。

若い女性を望むのは人類が一夫一妻指向を持つあるからである。故に一夫一妻でない動物は若いメスにこだわらない。乱婚であるニホンザルでは、若いメスは嫌われ、出産経験のある高齢のメスが好まれる。人類で言えば35歳ぐらいのメスがニホンザルにとって最もセクシーなのである。

なぜ人類は一対一のつがいを作るのか?それは子どもの養育の困難性にある。人類の赤ちゃんほど無力で養育が困難な生物は珍しく、それため人類の女性には長期にわたって養育に協力するパートナーが必要なのだ。

一人の異性と添い遂げることを基本とする人類。女性は男性に誠実であることを求めた代償として、永遠に若さを追求しなければならない呪いを背負うことになったのである。

※補足
これは人類が持つ統計的傾向を生み出す遺伝子がなぜ形成されたかを示すものであって、個人の嗜好について述べたものではありません。ある個人の誠実さと若い女性への好みはとくに関連はありません。すなわち"なぜ男性は一般に女性より相手に若さを求めるのか"という問いへの答えであって、"なぜあの人は若い女性を好むのか"という問いには関係がないのです。

遺伝子進化の因果関係と、個人行動の因果関係は直接の関係はありません。

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経済学批判:経済学に不足する4つの視点 [考えたこと]

keizai.jpg誤解のないように言うと、私はリフレ派で、岩田規久男の愛読者であり、まっとうな経済学者が主張することはほぼすべて正しいと思っている。以下の内容も、まっとうな経済学者なら重視してないだけで間違っていると言わないものである。

1.信用創造と価値生産を混同させること
一般人の人が、信用創造と価値生産の区別ができず、銀行の信用創造によるバブルを利益と混同してしまうこと。

孫正義は7000億円の資産を持っているとされるが、では彼はその金額に相当する価値を生産をして日本に益したのであろうか?

もちろん否である。いくら孫氏が優れた人間といってもそこまで多くはない。これが株式による信用創造のマジックである。信用創造によって増えた資金はそのまま消費されずにほとんどが貯蓄されるためにインフレを起こさず、そのときは何も問題を起こさない。だがそれは時限爆弾となって有事に炸裂し世界経済を揺さぶり続けるのである。

2.経済構造の一体性を無視した賃金設計
人々が多く勘違いしているのは、産業が一つ一つ孤立したもののようにとらえていることだ。たとえば農業がだめなら製造業、製造業がだめなら金融で稼げばよいといった考えである。しかし実際の産業はそれぞれが生産消費サイクルの歯車の一つであって、連合したサイクルである。人間の労働行為が価値を生み出すサイクルは一つの業種で完結するものではない。産業は最終的な消費者に届くまでのサイクルで考えなければならない。

一例を考えるならば、金融⇒人事⇒鉱業⇒製造業⇒官庁許認可⇒小売業⇒消費者⇒産廃業者が一つのサイクル。すなわち、資金を集め、労働者を確保し、原材料を確保し、製品を作り、お役所の許可を取り、小売業が販売し、それを消費者が買い、できたゴミを処分して経済活動のサイクルが終了するのだ。大事なことは、これが全体で一体であるということである。この内のいずれかが欠けると産業は成立しない。あるいはこの内の一部分が他の部分を無視して利益を拡大すると、サイクルが崩壊するのだ。

注意すべきことは、このサイクルの各部分の利益は、全体の利益を越えることはできないということである。最終的に消費者に消費された以上の利益は絶対に生まれないのである。個々の産業の利益は、消費者の消費分を全体で分配したものになるのである。

現在の国際金融の失敗は、金融業がこのサイクル全体が生み出す価値以上の利益を確保したことある。そのため他の産業が圧迫されているのである。アメリカの金融の利益率は異常であり、略奪産業と呼ぶのがふさわしいレベルである。現在の日本でも、明らかに金融と官庁の利益率が高すぎる。

お金を稼ぐこと自体は悪いことではない。しかし価値生産を上回る収入を得れば、それは他の人の収入を減らすことになるのであり、それは法律体系に重大な欠陥があることを意味しているのだ。

この生産消費サイクルにおける上下間の給与の比率は、競争によって決まらない。というのも経済が競争するのは、一つの生産消費サイクルが単位だからである。ある一つの生産消費サイクルが、別の生産消費サイクルと競争関係にあるのだ。そして、生産消費サイクルの上下の会社における給与の比率は、政府の法律が決めているのである。

3.マクロ経済における人間行動の限定合理性の無視
人間行動の限定合理性がマクロ経済に十分に考慮されていないこと。賃金の下方硬直性の絶対性の認識不足により、デフレの絶対悪性が看過されてしまう。デフレ経済の元ではいかなる経済も潤滑に運営することは不可能なのである。

人間は給与変化を名目価格で認識する。そのため、インフレのとき給与があまり上がらず物価と比べて相対的に下がっても仕方がないと思うのに、デフレのとき給与の名目数値を削ることには耐えられないのだ。その結果、社員の給与を一律に減らすよりも、リストラ解雇を選択することになる。失業者の増大は労働資源を浪費を生み出し、貧富の差を拡大してしまう。

ノーベル賞受賞者カーネマンのプロスペクト理論からは、資産と収入の不一致が不景気を生むことも指摘できる。人は今の状態の変化を知覚する。故に自分の持つ資産を一定に保とうとする。その結果、収入に比例してかつ資産を限界値として消費するのである。日本のように、資産家でありながら収入の少ない老人や、収入はあっても資産のない若者が多くなると、国民全体の消費率が低下してしまうのだ。

4.供給量に弾力性がない財の価格の安定な均衡点の不在
資源に制限のあるものの価格の均衡点が両端にあることの不認識。

労働を完全自由競争にすると、賃金は0と無限大の両極端に振り切れてしまう。実際には無限大とは会社が支払うことができる最大値、0とは最低賃金になる。労働価格をいくら下げても労働需要は社会に必要な以上には増えないからである。あるいは労働価格をいくら上げても需要を満たすことができる人材は急には増えないからである。有能な人材を養うには、数年、十数年かかるのだ。

これが大問題なのは、供給不足になると急激に給与が上昇し、需要が不足すると給与が急落してしまうからである。ちょうど需要と供給のラインをまたぐたびに反対側に針が一気に振れてしまうのだ。景気の波が変動するたびに給与が激変したのでは、労働者はまともな社会生活を送ることはできなくなる。

労働の自由化として最低賃金を下げるとどうなるか?代替え可能な労働者の賃金は最低賃金付近まで低下する。しかし労働の需要は同じなので、雇用数は変化しない。それどころか賃金の低下が消費力の低下を生み出し、労働者の需要を減らし、むしろ雇用は減ってしまうことすら有り得るのである。労働者は消費者でもあることからの必然の帰結である。

この逆に給与を上げることで景気を高めることを示したケースとしては、アメリカのフォード社の給与アップの例や、インフレ率より高い割合で最低賃金を上げたブラジルのルーラ政権などがあるとされる。

☆☆☆☆☆

現行の経済学では、上記4点に対する研究が不足していると思われる。そしてこの4つを正確に理解できる人間が政権を運営すれば、安定した経済発展を続けることが可能であると思う。

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経済活動は全体のサイクルをとらえねばならない - 世界経済混迷の理由を考える [考えたこと]

人々が多く勘違いしているのは、産業が一つ一つ孤立したもののようにとらえていることだ。たとえば農業がだめなら製造業、製造業がだめなら金融で稼げばよいといった考えである。

しかし実際の産業はそれぞれが生産消費サイクルの歯車の一つであって、どれか一つが発達すれば経済が発展するなどということはあり得ない。社会が発展して第一次産業から二次、三次と、高次へ移行するというアイディアが妄想なのは、それらがすべて独立した産業ではないからだ。

産業とは一つで成立するものではなく、連合したサイクルである。人間の労働行為が価値を生み出すサイクルは一つの業種で完結するものではない。産業は最終的な消費者に届くまでのサイクルで考えなければならない。

一例を考えるならば、金融⇒人事⇒鉱業⇒製造業⇒官庁許認可⇒小売業⇒消費者⇒産廃業者が一つのサイクル。すなわち、資金を集め、労働者を確保し、原材料を確保し、製品を作り、お役所の許可を取り、小売業が販売し、それを消費者が買い、できたゴミを処分して経済活動のサイクルが終了するのだ。大事なことは、これが全体で一体であるということである。この内のいずれかが欠けると産業は成立しない。あるいはこの内の一部分が他の部分を無視して利益を拡大すると、サイクルが崩壊するのだ。

注意すべきことは、このサイクルの各部分の利益は、全体の利益を越えることはできないということである。最終的に消費者に消費された以上の利益は絶対に生まれないのである。個々の産業の利益は、消費者の消費分を全体で分配したものになるのである。

こうして見たとき気づくことは、金融は第三次産業というべきではないことだ。金融と労働産業は、すべての活動の基礎にあるのであるから、第0次産業というべきあろう。そもそもマクドナルドの店員と億万長者の投資家ウォーレン・バフェットが同じ第三次産業に従事しているという考えは馬鹿げている。

現在の金融の失敗は金融業がこのサイクル全体が生み出す価値以上の利益を確保したことある。そのため他の産業が圧迫されているのである。現在の日本では、明らかに金融と官庁の利益率が高すぎる。もちろんアメリカの金融の利益率は異常であり、略奪産業と呼ぶのがふさわしいレベルになっている。

今、経済学者に求められていることの一つは、経済活動サイクルの総利益率を計算して、それぞれの産業の利益率を分析して、どのぐらいが適正か、あるいは今どのぐらい適性値がずれているか研究することではないかと思う。

世界がなぜ金融危機になるのか。それは金融システムの持つ信用創造の力により、実体経済を遙かに上回る、その4倍近い投資資金があることである。世界は貯蓄過剰なのだ。本来、需要と供給の関係により、貨幣が増加すれば、その分だけインフレとなって貨幣価値が下がり経済が安定するはずが、貯蓄されるとインフレを起こさず、時限爆弾となって世界中にばらまかれてしまうのである。

日本ではしばしば、預貯金が死蔵されているからこれを投資に回せば経済発展できるという意見があるが、これは間違いである。投資に回しても企業の内部留保が増えるだけである。なぜなら経済サイクルの消費がボトルネックになっているからだ。企業は消費が見込めるから生産するのであり、消費がないのに生産するはずがないからである。これもまた経済活動のサイクルを見失った発言なのである。

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The フジテレビジョン・サブリミナル! [考えたこと]

痛いニュースの画像をまとめてみた。

反日系サブリミナル









韓国販促サブリミナル









フジテレビには、反日在日韓国人がたくさん在籍していて、こういうもの作っておもしろがっているということなんでしょうかねぇ。私はテレビを見ないのでわかりませんが、見つける方もすごいと思います。

ちなみに、サブリミナル効果は実験室で微妙な差異が検出されるだけで、実際の人間行動に及ぼす影響力はほとんどありません。

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円高はなぜ悪か-すべては名目賃金の下方硬直性にあり [考えたこと]

円高なので輸入書を買ってしまったが、まだ下がるのならもう少し待つべきだったかと思う最近。

10円円高になると日経平均は1100円下がる現実を見よ--米国債格付け引き下げより深刻な、政府・日銀の「自国窮乏化政策」


この図もわかりやすい。ここではなぜ円高がよくないのか考えてみよう。

円高というのは、日本の通貨が高くなることだから、原理的には良いことのはずである。原料は安く買えるし、海外資産をたくさん買うこともできる。

しかし海外と競争している企業にとっては、相対的な人件費の高騰によって、競争に敗れてしまう。そして産業の空洞化により、膨大な失業者ができてしまう。人件費は本質的に下がらないものだ。これを名目賃金の下方硬直性という。名目賃金の下方硬直性の問題がある限り、円高とデフレは絶対悪で有り続けるのだ。

円高に対処する方法は二つある。一つは国債の日銀引受。そのお金を政府が使うことで、市場の円増やし円の価値を直接下げてしまうこと。

もう一つは円高を容認して、円高のデメリットを排除すること。円高のデメリットの原因は、名目賃金の下方硬直性にあるのでそれを解消すること、簡単に言えば日本人の給与をどんどん下げるということである。輸出産業の給与を年々下げていくことができるか。もちろん他の業種も生産性に合わせて給与を下げていかなければならない。

名目賃金の下方硬直性が最も顕著な職業は公務員である。ここ二十年の円高とデフレで公務員の給与はその生産性に比して異常に高い給与を受け取るようになっている。これをいきなり減らすことができるか。生産性から言えば、公務員の給与は一律半減ぐらいが適正値かもしれぬ。こんなことが本当にできるのか。しかも大事なことは公務員を減らすことではなく、一律に全体の給与を下げることである。日本は公務員が世界でも最も少ない国の一つであり、公共サービスが不足しているからだ。

しかしこれは到底不可能だと思われる。名目賃金の下方硬直性というのは人間精神の本質にかかわる問題であり、これを破壊するのは不可能だからである。人間というのは、前より良くなることや現状維持には耐えられるが、悪くなることには耐えられない。給与の据え置きには我慢できても、減ることには耐えられない。だから給与を減らさずに人を減らそうとしてしまう。すると失業率が高くなり、貧富の差の拡大、公共サービスの不足などがてきめんに現れてしまう。

おそらく一部の経済学者が勘違いしているのは、名目賃金の下方硬直性が人間にとって本質的な性質であることを理解せず、名目賃金の下方硬直性を解消できると誤解していることである。ノーベル賞受賞のカーネマンのプロスペクト理論、知覚は変化に集中し状態を無視すること、満足度を高めるのは変化であって状態ではないことなどをマクロ経済においてもよく考える必要がある。

名目賃金の下方硬直性は社会制度が生み出すものではない。労働組合が強いから発生する現象などではない。人間の脳に最初から組み込まれたものなのである。

人間本性を無視した経済政策の結果、失業者が増大してしまう。失業者の増大は絶対的に経済活動の量を減らしてしまうものだ。

経済について考えるとき忘れてはいけないことは、経済の本質は価値やサービスの交換であって、お金が動くことではないということだ。AさんとBさんが交互に1万を渡すことを繰り返したところで、数値上はお金のやりとりになるが、経済的には意味がない。逆にAさんとBさんがボランティアでお互いに手伝え合えば、それは金銭的には0でも経済活動である。日本の経済を見るときも、価値やサービスの交換がどれだけ潤滑で効率よく配分されているを見なければならない。労働資源の適切な分配が必要なのである。

名目賃金の下方硬直性を所与のものとして受け入れれば、実質賃金を下方修正する方法として、円を刷ってデフレと円安を解消する方向しか残されていないことがわかると思う。

・今日の一言
名目賃金の下方硬直性は人間本性から生まれるものである。
명목임금의 하방경직성은 인간본성으로부터 생기는 것이다.
名义工资下降刚性是人性产生的。
The downward rigidity of nominal wages is derived from human nature.

タグ:円高
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韓国に竹島を描いた古地図は存在するか?(한국에는 독도를 그린 고지도는 존재할까?) [考えたこと]



これはよくできている動画。今まで韓国人に「日本は広いんだから独島ぐらいくれたっていいじゃない」と言われたりして、いちいち説明が面倒だった。基本的には「Wikipediaの독도を見て、それを日本語ページに切り換えて、それを韓国語に翻訳して読んでください」で済ましていたが、この動画ならわかりやすい。

ウィキペディアは詳しいけど、中国が日本の見解を支持しているとは言い難いのでミスリーディングな感じだ。中国は竹島/독도について韓国を支持する意見の方が圧倒的に多い。

この動画の神かがっているのはBGM。韓国の地図が出てしばらく、3:38ぐらいからBGMが、うっ!そっ!う!そ!嘘!嘘!"嘘"を連呼してるのだ。(笑)

この問題では国連海洋法条約が重大な要素である。

国連海洋法条約
* 第121条第1項 島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう。
* 第121条第3項 人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。
* 第60条第8項 人工島、施設及び構築物は、島の地位を有しない。これらのものは、それ自体の領海を有せず、また、その存在は、領海、排他的経済水域又は大陸棚の境界画定に影響を及ぼすものではない。

故に、竹島/독도は、リアンクール岩礁と呼ばれ、国際的には島ではなく岩である。

韓国も、国連海洋法に定めるところの岩であって島ではないとし、日韓の排他的経済水域は日本の隠岐と韓国の鬱陵島との中間線が境界としている。

岩である竹島/독도は、この中間線よりも韓国寄りにあるので韓国領と見なす。すなわち日本より韓国の近くにある岩だから韓国のものという考え方。

サンフランシスコ講和条約
Japan, recognizing the independence of Korea, renounces all right, title, and claim to Korea, including the islands of Quelpart, Port Hamilton and Dagelet.
日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

ここに竹島の名前はないから、日本が放棄した領土に竹島は含まれない。

島とは一つのことではない。巨文島は巨文島群の5つの島を指す。竹島は欝陵島群に含まれるから欝陵島とともに竹島も放棄した。

グーグル地図の写真を見ると、竹島は大陸棚で隠岐とつながっていて、欝陵島とはつながっていない。

こうして見ると、竹島問題は相当に難しい問題だとわかる。考えてみると、韓国は竹島から排他的経済水域を設定しているわけでもない上に、竹島に莫大なお金をつぎ込んでいることから、損をしているのは韓国だという見方も成り立つ。

この動画の韓国古地図の話は、韓国では小学校の地理の教科書にまで載っている。こういう筋が悪すぎる歴史な発見の経緯については、韓国政府も捨てた方がいいんじゃないかな。大人になって変な主張だと知ったとき、ショックが大きいんじゃないかと思う。今さら引っ込められないという面子の問題なんだろうけども。どこの国も政府は国民を騙すものだ。

・今日の一言
韓国に竹島を描いた古地図は存在するか?
한국에는 독도를 그린 고지도는 존재할까?
Does there exist any old Korean map which depicted Takeshima/Dokdo?
韩国有没有画出竹岛(独岛)的古地图?

タグ:竹島
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韓流が日本で広まっている理由について [考えたこと]


少女時代やカラの新しい部分は、歌よりもダンスがメインになっていること。韓国の歌番組のトークコーナーでも、まず「今回の歌の振り付けはどんなですか?」と聞く。ダンスが主で歌や歌詞の内容は二の次になる。韓国でも「あれは本当に歌なのか?」という疑問が上がるほどである。

音楽を用途で分けると、カラオケで歌う、リズムにのる、BGM、クラブで踊るなどがあるが、最近の韓流は、その振り付けをみんなで真似するのが用途になっている。カラオケで踊るのが用途というべきか、ある意味では体操的というべきか。ずっと昔のピンクレディーに近いように思う。ただしピンクレディーだってまだあくまでも歌が中心だったと思う。

普通の楽曲の構成は[一番、二番、間奏、三番]で、この間奏部分が一番多いのがギターソロ、ラップ、あるいはダンスが入る。

ところが、少女時代もカラも、ダンスで重要なのはサビの部分の振り付けで、この動きをみんなで覚える。だから覚えやすくて特徴的な振り付けを考えてある。少女時代のデビュー曲は、非常に高度なダンスになっていたけど、最近の曲はそんなに難しくなく、真似しやすくなっている。そう言う意味でこれは新しいジャンルといってよいだろう。

日本で、韓流が出過ぎかどうかは、私はテレビを見ないのでよくわからない。ただフジテレビが韓流一押しなのは、版権を持っているからその利益を回収するためだというのはわかりやすいし、説得力があると思う。

日本のテレビ局は長引く不況で企業からのCM料などが激減し、制作費が維持できなくなっている。そこで安く制作するための方法として、「お笑いタレントの起用」と「韓流」があるわけで、結局のところ景気がよくならない限り、日本のテレビ番組の質が向上することはないと思う。

こういう問題について陰謀論的に考えるのはあまり意味がない。ネット時代の金言、ハンロンの剃刀を覚えておこう。

・今日の一言(ハンロンの剃刀)
Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.
無能で充分説明される現象に悪意を見出すな。
어리석음으로 충분히 설명이 되는 일을 악의의 탓으로 돌리지 말라.
只要能用愚蠢解释,就莫要归咎于恶意。

タグ:韓流
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円高 - 貨幣の価値も需要と供給で決まる [考えたこと]

円高で、本が買いたくなる今日この頃。

さて。モノの値段はすべて需要と供給で決まる。それは貨幣も同じである。円高を決めるのは日銀とFRB(米国中央銀行)である。円ドルレートはそれぞれの中央銀行がどれだけお金を市場に流通させているかで決まる。

史上最高値をうかがう円高は「人災」。復興増税を狙う財務省と日銀の日本的官僚制度が犯人だ欧州危機や米国債問題は本質ではない


↑これを見ると一目瞭然。完全に連動していることがわかる。

企業の国際競争力とか、国の経済状態などは関係がない。また財務省の介入は税金が消えるだけで無意味なのだ。

日本はこのまま日銀+財務省とともに滅ぶのかなあ……。戦前は陸軍と海軍の暴走で滅び、戦後は財務省と日銀の暴走で滅ぶ、と。

・今日の一言(あくまでも例文)
The yen hit a record high in trading today.
在今日的交易中,日元已升值到历史的最高水平。
今日の取引で日本円は史上最高値を記録した。
오늘 거래에서 달러/엔 환율이 역사상 최고가를 기록했다.

タグ:円高
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日本=霞ヶ関合省国の解体と再生への道を考える [考えたこと]

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●霞ヶ関合省国としての日本
日本が、省庁が利益を配分する霞ヶ関合省国であることを象徴するのが公営賭博である。

総務省:当せん金付証票法により宝くじ
農林水産省と地方自治体:競馬法により競馬
警察庁:風営法によりパチンコ
経済産業省:自転車競技法により競輪
国土交通省:モーターボート競争法により競艇
文部科学省:スポーツ振興投票実施法によりサッカーくじ
経済産業省:小型自動車競争法によりオートレース

何ともまあ、平等によく考えたものだと思う。

●権力の源泉
行政が権力を発揮するには、実行不可能な細かい法律を用意し、摘発せずに放置することである。すると、競争の原理からすべての人がその法律を無視せざるを得なくなる。その状態になってから、敵対勢力をマークすれば、必ず犯罪者として摘発できるというわけである。

●手足となる組織
霞ヶ関の楯となるのが政治家、口であるのが新聞とテレビ、手であるのが警察と検察である。

形式上の権力者である政治家は、実際には権力を行使できない。政治家は、テレビタレントや二代目など資質に問題がある上に、指示を出す相手である官僚とは知識量が違い過ぎて勝負にならないためだ。結局、法律を作るのも運用するのも官僚となる。

ところが責任はすべて政治家が負うことになっている。実際に法律を作る官僚は決して非難されることなく、政治家が責任を負うのだ。そのため彼らには高い給与が支払われるのだ。政治家は霞ヶ関の使い捨ての楯なのである。

しかし責任とは自らの行為に対して負うものであるから、行為者と責任者が異なる日本システムが暴走するのはやむを得ないことである。

その上に小選挙区制の導入が政治家をますます弱くした。中選挙区では、自分の基盤を固めるだけでよかったのが、小選挙区制ではネガティヴ・キャンペーンにより落選させられる危険があるため、マスコミに逆らえなくなったのだ。現在の民主党の政治家の資質を見れば、小選挙区制の力というものがよく理解できるだろう。

新聞やテレビは、記者クラブで制御し、参入規制で保護し、電波料を安く維持してもらい、地デジでお金をもらう準お役人である。テレビ局職員の平均年収2000万と言われ、庶民とはかけ離れた特権階級でもある。

政治家は多くは人当たりの良い誠実な人(ただし馬鹿が多い)なのだが、マスコミで描かれる政治家像は傲慢不遜で欲望の塊のような人物として描かれる。官僚が失敗したとき、政治家に責任を取らせ安いからである。

●官僚機構を動かす慣性の法則
官僚機構は私利私欲で動くのでもなく、アメリカの言いなりで動いているのでもない。ただ現状維持が官僚=お役人のルールである。慣性の法則でそのまま進むことしかできないのがお役人なのである。

これは全世界どこでも同じだが、その方向転換を担うのが政治とマスコミである。ところが日本では政治とマスコミが事実上、お役人に降伏してしまったことに不幸がある。日本を変えるには他の勢力を動かすしかない。

●どこを動かすか?
日本のステークホルダーを考えると、政治家、官僚、マスコミ、財界、大衆、学者などがある。この内、官僚、マスコミ、政治家は、現状の崩壊した日本システムのままで利益を維持できるようになっており、改革のインセンティブがなく、日本を変える可能性は少ない。

大衆を動かすのはほぼ不可能だと思われる。大衆の行動はマスコミの宣伝で決まるのは社会心理学の常識であり、マスコミを動かさない限り、大衆を動かすのは不可能だからである。

大学などで研究する学者は、実はほとんどの問題について正しい答えを持っている。専門の研究者は何を変えたらいいのか知っているのである。ただそれを伝える力がない。対して、力を持つ存在、日本復興について最も影響力とインセンティブを持つのは財界である。

財界は、現在のまま日本経済を放置しても損をするだけなのだが、官僚と同じレベルの主張しかしていない。なぜなら彼らは馬鹿だからである。信じられないと思うかもれないが、彼らがたまに出す本を読めば、その無知を確認することができる。財界はミクロ経済とマクロ経済の違いすら理解できない人が多く、自分たちの主張が自分の首を絞めるものであることすら理解できない人ばかりなのだ。ワタミ会長など、言うことがほとんど間違いであるという、希有な天才的人物である。経済的に成功した人には、体育会系の馬鹿が多いのである。

従って日本に可能な改革の道筋としては、学者が積極的に財界に働きかけて、日本経済の復興の正しい仕組みを理解させることが一番近道ではないかと思う。

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[比喩] 夜空の星座と偶然と陰謀論 - 陰謀論の心理学 [考えたこと]

 雲のない晴れた夜空、美しくきらめく星々。人はその星の並びに意味と図形を見いだし、星座にわけて見る。たくさんの神話や伝説と結びつけられている。
 しかし、星はただその方向にあるだけである。立体的に見るとその並びも全く違う。
 例をあげよう。オリオン座の三ツ星、ミンタカは地球から1000光年、アルニラムは1300光年、アルニタクは800光年の距離にある。オリオン座を構成する他の星、ベテルギウスは640光年、リゲルは773光年、ヘカーは1100光年、ベラトリックスは240光年、サイフは700光年である。
 オリオン座はただ地球から見るとあの形に見えるだけである。地球から見ると同じ方向だが、少し離れた星からみただけで、星座の並びは全く違ったものになる。
 いま見ている夜空の星座は、銀河系の外から見れば存在しないものだ。それはただあなたの心の中にだけあるのである。

 無意味な点の羅列から星座という意味を取り出す私たちの脳は、あらゆる事象に意味を見いだす。その一つに陰謀論がある。
 陰謀論は無意味で無関係な情報を組み合わせて、壮大な幻のストーリーを組み立てる。
 ユダヤの陰謀、CIAの陰謀、マスコミの陰謀、日教組の陰謀、中国共産党の陰謀……。そう見えるのはただあなたの位置からにすぎず、少し違う角度から見るだけで消滅してしまう幻想にすぎない。
 たまたま同じ方向にあるから、一緒に集まって行動しているように見えるだけなのだ。違う角度から見れば、みな全く違う場所にあることがわかる。

 世界は偶然と混沌に満ちている。しかし偶然を理解するのは本当に難しいことである。
 偶然とは無知を認めるということだからだ。"わからない"ということに耐えることができる人は少ない。わからないとは、何をすべきかわからないということであり、自らの無力を認めることでもある。
 無知の葛藤に耐える力の弱い人ほど、陰謀論にはまる。陰謀論は一種の宗教である。混沌に秩序をもたらし、あなたの心に欺瞞の平穏を与える。
 陰謀論にはまる人たちの共通点は、"わからない"ということに耐えられず、"自分にわからないものは間違っている"と考えることである。わからないことによる葛藤の苦痛から抜け出させてくれる陰謀論の快楽、惨めな無力さから脱して、正義の行動に邁進する快楽にに溺れるのである。安直で明解な陰謀論、誰でもその論理が理解できる簡単な陰謀論に納得してしまうのだ。

 しかし私たちが宇宙のある一点に存在する以上、宇宙は死角に満ちており、無数のわかり得ないことがあり、偶然と混沌は不可避である。
 あなたが見ているのはあなたを中心とした世界に過ぎない。世界はあなたを中心に回っているのではない。陰謀論は自己中心的な幼児的妄想である。

 世界はあなたのためにあるのではないのだ。あなたが世界の一部なのである。

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インフレは巨大なルームランナーみたいなもの [考えたこと]

「消費税増税」賛成の裏側に大新聞の「非競争的体質」あり


この図は非常にわかりやすい。
この20年、日本がいかにひどい経済政策を取ってきたか明白だ。
日本だけ見事に成長0。
もちろんこれは名目成長なので、実質で見れば多少はマシだが、
それでも異常なのは明白である。

どんな社会にも一定のインフレが必要である。
インフレとは巨大なルームランナーのようなものである。
インフレのおかげで、
上に載っている人間は意識せず自然に走ることができるし、
落伍者、すわなち競争力のない会社は、
自然に後ろに落ちていくのだ。

日本は止まったルームランナーの上で走らされている状態である。
ここでは、走っていても寝ていても落ちることはない。
落伍者を振り落とすためには、他の人間が突き落とす必要があるのだ。

この突き落とし作業こそが、派遣やアルバイトの増加であり、
阿久根市長の無謀行動である。
あるいは突き落とすふりをするのが事業仕分けである。

あるいは川の流れにたとえるとどうか?
川は流れているから美しく、
流れが止まると腐ってしまう。
すると汚れを掻き出す必要が出来てしまう。
経済には基盤になる動きや流れが必要なのだ。

人間はデフレ環境に適応することができない。
給与の下方硬直性があるからである。
人間は損得を名目上の数字で感じるからである。
インフレ下での給与の据え置きは、
デフレ下での給与切り下げに等しいが、
前者は我慢できても、後者は我慢できないのだ。
そのため、給与を減らすかわりに、雇用を減らさざるを得ず、
雇用の減少は消費を減退させ、消費不況を悪化させるのだ。

経済の本質は金銭の動きではなく、労働の交換である。
故に雇用の減少は本質的な経済規模の縮小を意味する。

インフレは必要悪であるが、デフレは絶対悪なのである。

・今日の一言
インフレは必要悪であるが、デフレは絶対悪である。
인플레는 필요악이지만, 디플레이션은 절대악이다.
通货膨胀是必要的恶,不过通货紧缩是绝对的恶。
Inflation is a necessary evil, but deflation is an absolute evil.

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市場競争の原理で賃金を決定してはいけないのはなぜか? [考えたこと]

労働者の賃金は大きく3種類に分類される。

a.誰でもできる仕事
誰でもできる仕事は、募集に対して応募する人の方が多い。こうした求人が募集より多い、人の余っている産業は、0円に向けて低下する。ただし最低賃金で下げ止まる。アルバイトや派遣など。

これらの仕事の賃金は最低賃金の数値によって決定しており、市場競争によって決まっているのではない。市場競争の原理ではほぼ0円の仕事である。低賃金よりましな仕事も、それは最低賃金の仕事よりはよいという主張であり、やはり最低賃金によって決定されている。

b.あなたにしかできない仕事
特別な能力を使うため、欲しい人を見つけるのが困難な仕事、募集に対して求人の不足する産業では、会社が支払い可能な最大値まで上昇する。プロ野球選手などがわかりやすい。

この給与もまた市場競争の原理で決定されているのではなく、会社の支払い能力によって決定されている。

そして、
c.あなた以外はしてはいけない仕事
法律やその他の条件によって、できる人がいてもしてはいけないことになっている仕事。コネで得た仕事など。a.とb.の二つの極端な給与の中間的になる仕事には必ず参入規制があるのだ。公務員、マスコミなど。

この労働賃金体系の問題点の一つは、a.とb.が社会状況によって入れ替わること。ある瞬間から突然a.がb.になったり、b.がa.になったりする。あまりに変動が大きいため生活が崩壊してしまう。

a.の賃金は基本的にまともな生活はできないが、労働者の圧倒的多数はここに入る。a.の増大は消費不況を引き起こす原因でもある。最低賃金が歯止めとなっているので、最低賃金を下げるとそれにともなって実際の給与も低下し、消費不況を悪化させる。

労働賃金はそもそも市場競争の原理では決定できないのである。それはなぜか?

経済学者カール・ポランニーの指摘がある。労働、土地、貨幣は本来商品ではない。

労働、土地、貨幣は総量が決まっていて生産できないからだ。通常の商品は需要が供給を上回ると価格が上がり、買わないという選択をする人が増え、その後、供給も増加する。供給が需要を上回り価格が下がると、安いからという理由が買う人が増え、その後、供給が減少する。その結果、適切な価格に安定する。

ところが総量が決まっているものは、供給量を調整することができないため、価格が0もしくは∞へ向けて跳ね上がるのだ。労働力の場合、価格の上限は会社の支払い最大値、下限は最低賃金となってしまう。

この賃金体系では、労働時間や労働者の嫌悪や心身の疲労、技術獲得までの難易度など、その他の要素がすべて無視された給与になってしまう。代わりがいるかいないかだけが給与の基準になってしまうのだ。

すなわち、労働、土地、貨幣は単なる市場経済として扱うべきではなく、適切な参入規制が必要なのである。あるいは、産業別の労働組合に全員が強制加入させるなど、何らかの方策がない限り消費が減退して経済が衰退してしまうのである。

タグ:市場競争
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去年読んだ本でかつ去年出た本のベスト5 [考えたこと]

去年読んだ本で、かつ、去年出た本のベスト5。
私はあまりその年に出た本を読んでいないので、少ないんですけども。
時期に関係なくお勧めの本は、サイドバーにありますので、そちらをどうぞ。
また以下の電脳書庫に6000冊程度のアフィリエイト本棚があります。
電脳書庫(affiliate本棚)

『起きてから寝るまで中国語単語帳/本間史/アルク/2007』
単語力強化の最高の方法。

『心理学を変えた40の研究/ロジャー R.ホック/ピアソン・エデュケーション/2007』
これぞ心理学という一冊。

『交通事故はなぜなくならないか/ジェラルド・J・S・ワイルド/新曜社/2007』
真の安全のための正しい保険の在り方を考えさせられる。

『プレカリアート-デジタル日雇い世代の不安な生き方/雨宮処凛/新書y/2007』
現代日本の世代間戦争の実情がわかる。

『鉱物と宝石の魅力/松原聰・宮脇律朗/サイエンス・アイ新書/2007』
とにかくカラーが美しい。目を休めましょう。

【雑記1】
ふと、データのある範囲で一月当たり読書数を数えてみた。※小説除く。
(左から順に1月~12月)
・2007
39 33 41 53 51 39 45 37 40 47 31 42
・2006
65 49 42 73 60 49 61 58 58 48 41 47
・2005
56 47 58 50 43 32 45 73 74 51 34 34
・2004
83 36 77 83 84 89 73 107 76 26 35 56
・2003
-- -- -- -- -- 21 98 65 55 48 68 53

月100冊はよっぽど暇じゃないと無理みたい。
2004年8月って何でこんなに暇だったんだろう……

【雑記2】
『CASIO デジタルカメラ EXILIM (エクシリム) Hi-ZOOM シルバー EX-V8SR』
突然、届きました。※届いたのは12/27のこと
電子辞書のダウンロードキャンペーンに応募したら、
まさかこんないい物が当たるなんてビックリです。

・今日の一言
CASIO様ありがとう!
Thank you very much for Mr. CASIO!
CASIO님 고맙습니다!
CASIO先生,谢谢!


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[分析] 日本人の意識構造-自律の欠如とストックホルム症候群 [考えたこと]

■[あれこれ]隣組(思いて学ばざれば)
 mujinさんの問題意識が興味深いので考えてみた。

(テーマ)
 日本人の多くが他律的で、主権者意識に欠けているのはなぜか?

(意見1)
 日本がフランス革命やアメリカ独立のような戦いを経験していないから。
(意見2)
 現代の日本人はいまだに隣組気分を引きずっている。

●基本的なものの考え方
 考えるべきことは、その歴史的事件や組織構造がどのように我々の行動を規定しているのかということ。それがわかってこそ、状況を改革することができる。

 人間行動を規定するものは先天的な遺伝子と、後天的なものに分けられる。
 先天的な遺伝子は、日本人だろうがアメリカ人だろうが大差はないので無視する。
 後天的に子どもの行動を規定するのは、a.教育である。
 後天的に大人の行動を規定するのは、b.宣伝(メディア)である。
 教育は、a1.家庭教育、a2.地域教育、a3.学校教育に分かれる。

 a1.家庭教育、a2.地域教育、a3.学校教育、b.宣伝(メディア)、それぞれを検証して、どこに原因があるか分析し、どのようにして主権者意識を育てるのかという問題になる。

●考察-宗教の欠如
 宗教や倫理などの行動の善悪を直接指示するタイプの教育が存在せず、価値を教えることをしない。大人が子どもに価値基準を与えない。日本でいうと戦前の教育勅語などもここに入る。
 これはむしろ欠如していることによるプラス面の方が多いと思われる。

●考察-自己責任論の虚妄
 自己責任論が、"他人について責任を持つ必要はない"という意味で使われていないか。当たり前だが、私たちは自分の行動だけでなく他人の行動にも責任がある。上司は部下の行動に責任があるし、親は子どもの行動に責任がある。あるいは、自立した友人同士であっても、相手の行動には一定の責任が生じるのだ。自分の行動しか責任を取らなくて良いのは未成年だけである。

●考察-平等意識による誤謬
 "他人に迷惑を掛けない"とは、人間が対等であることを含意していないか。あるいは人間が個人として孤立していることを含意していないか。弱い者が強い者に頼り、迷惑をかけるのはむしろ当然のこと。日本では"甘え"という言葉があるはずだが、"甘え"が許されない風潮になっていないか。

●考察-リーダーシップ教育の欠如
 無責任発言とは、たいていがリーダーなら決して言わない発言である。
 無責任発言する者には、人の上に立ち人を指示する、あるいは人の前に立ち人をひっぱるという経験が少ないのではないか。
 学校において教育として、生徒全員交替で、集団に対して場を"しきる"練習をさせると効果的かも。自分自身だけでなく、他人を巻き込む形で決断をすることでこそ強い主権者意識が生まれるのではないか。

●考察-意図よりも結果を評価する傾向
 意図よりも結果を評価する傾向。あるいは意図を無視する傾向。イラクで捕まった三人に対するバッシングなどは、意図を評価せず結果のみを評価する現れとはいえないか。現地での活動の意図を評価せず、人質となったという結果を評価する。人間を意図でなく結果で評価するのはなぜか。
 背景に不信の連鎖があると思われる。マスコミの誤報とそれに対する訂正のまずさなどが、不信を広げて、意図より結果を注目させる傾向を生みだしているのではないか。
 これはまた近年の、犯罪に対する過失を容認しない傾向とも連動すると思われる。

●考察-ストックホルム症候群
 ストックホルム症候群とは人質が犯人に同調して、積極的に協力するようになることである。自分の生命を握る敵対する存在と同化してしまい、その場の支配者に同調し協力するのだ。
 これは、支配者に同調することで、現状における自己の不快な無力感から目を背け、有能感を味わうことができるからである。銃口を突き付けられ、いつ死ぬかわからず、あらゆる行動に自由がないという徹底的な無力感に耐えられないのだ。これは葛藤を直視できない人間の典型的な行動パターンであり、心理学的には普通に理解可能な現象である。
 ネットやメディアで激しくバッシングを行う勢力と、類似性があると思われる。自らの行為が制御されており行動の選択肢が少なく、閉塞感と無力感を持つ人たちである。
 自らに強い無力感を持つ人間が、支配者に同調することで自らの有能感を回復しようとしているのではないか。そもそも有能で忙しい人間は、あれほどネットやメディアでアピール行動をしないだろう。

●(意見1)について
 独立や革命により、新しい憲法と教育体制が生まれ、それにより主権者意識が育てられている。日本には教育体制を大きく変える事件がなかった。

●(意見2)について
 これは日本の地理的構造が生み出したものと見る。山がちの地形と島による孤立が人間の移動を妨げ、小規模集団が長期に安定的に存在したため。こうした村レベルの帰属意識が会社への帰属意識へと発展したと言われる。

●診断結果と治療法
a1.家庭教育
 責任意識を育てるには、責任ある大人の行動を見る必要がある。それには、リーダーとして責任ある振る舞いをする大人が必要であるが、友達親子など平等関係の付き合いでは責任意識が生まれず、子どもが責任を学ぶ機会を得られない。親が親として振る舞うこと、子どもの行為に責任を負う親が必要である。

a2.地域教育
 地域教育の影響力が低下し、リーダーシップ経験をする機会が減っている。ただし地域活動におけるリーダーは固定されがちであり、隣組としての無責任行動を呼び出す危険がある。現代において地域活動の強化は一長一短である。

a3.学校教育
 学校における平等教育は、自律ではなく他人との孤立性を生み、責任意識を弱めている。他者へ責任を負うことを経験することで自律を学ぶ機会を作るかもしれない。道徳の授業として、リーダーシップ学習を行い、すべての生徒にリーダー体験を持たせてはどうか。

b.宣伝(メディア)
 自己責任という言葉が、他人に対してはすべて無責任でよいとする誤った認識を広めている。責任とは孤立したものではないことの認識を広める必要がある。
 間違った情報について十分な訂正を行わないためメディア不信を広げ、それが意図よりも結果を見る風潮を育てている。メディアは誤報道をなしたとき、しっかり謝罪することが必要である。

 まだ全体に考察が甘い感じ。違和感が消えない。またもう少し考えたいと思う。

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5種類の論理の方法 [考えたこと]

●5種類の論理の方法
 私たちが何かを主張し、相手に納得してもらいたいときは、その理由を述べなければならない。そのとき理由にできるものは5種類ある。

 (a).現在のある出来事を描写し相手の感情を喚起し"不当性"を主張する。
 (b).過去の出来事から"一貫性"を主張する。
 (c).類似する例から"平等性"を主張する。
 (d).内部の構造から必然的な"因果性"を主張する。
 (e).未来を推定しその状況の"妥当性"を主張する。

 具体例を挙げて考えてみよう。
 あなたの夫が煙草を吸っているが、禁煙して欲しい。何と主張すればよいか?

 (a)私の気持ちにもなってよ。部屋が汚れるし、一緒に居て煙たいのよ。
 (b)あなたはスポーツジムに通ったり、朝にジョギングしたり、健康管理しているのに煙草を吸うなんてちぐはぐだわ。
 (c)友人のAが禁煙したし、あの有名人のBさんも禁煙したそうよ。世界は禁煙の趨勢があるわ。
 (d)煙草の煙は肺に蓄積して肺を痛めるし、ニコチンは脳に作用して麻薬として機能するのよ。
 (e)煙草を吸わなければその分お金が貯まるわ。あなたも健康になるし、禁煙した人は食べ物も美味しく感じられるようになるのよ。

 これらはただ技術的なものを提示したのではない。科学思考の基礎である分類の原理に従っている。
 ある問題の時空間における位置をとらえる。そしてその位置から世界を時間を基準に過去と未来に分割し、空間を基準に内部と外部に分割する。すると、上記の(a)~(e)は、その問題自体(a)、問題の内部(d)と外部(e)という空間要素、問題の過去(b)と未来(e)という時間要素で分割したものである。宇宙そのものを還元主義に基づき分割すると上記の5つの分類が生まれるのである。
 ある問題を研究する場合も、この5つの範囲を調査する。優れた研究書は、この5つをうまく組み合わせて書かれている。
 (a)により問題を提示し、(b)によりこれまでの経緯を語り、(c)により他の例を挙げてどのように解決しているか検討し、(d)により問題の細部を分析し対策を考え、(e)によりそれがどのような結果を生み出すか示すのである。
 他の人の議論を論駁したり、批判的に検討する場合にもこの5つの方法は役に立つ。相手の主張が5つの論理方法のどれを使っているかを考え、相手が使っていない残りの論理方法の中から考えるとよいのである。
 論理的に考えることは、真実を見抜く大切なことだ。あなたもこの5つの論理方法を身につければ、物事を深く理解できるようになるだろう。

●5가지의 논리 방법
 우리가 무엇인가 주장하여 상대를 납득시키고 싶을 때에는 그 이유를 말해야 한다. 그 때 이유로 댈 수 있는 것은 5가지가 있다.

 (a). 현재의 사건을 묘사하여 상대 감정을 환기함으로써 "부당성"을 주장한다.
 (b). 과거의 사건을 예로 제시함으로써 "일관성"을 주장한다.
 (c). 유사한 예로 "평등성"을 주장한다.
 (d). 내부의 구조를 분석함으로써 필연적인 "인과성"을 주장한다.
 (e). 미래를 추정해서 그 상황의 "타당성"을 주장한다.

 구체적인 예를 제시하여 생각해 보자.
 당신의 남편이 담배를 피우지만 금연했으면 좋겠다. 뭐라고 주장하면 좋을까?

 (a)내 입장이 돼 보세요. 방도 더러워지고 담배 냄새도 너무 지독해요.
 (b)당신은 헬스클럽에도 다니고, 아침에 조깅도 열심히 건강관리 하면서 담배를 피우다니 앞 뒤가 안 맞지 않아요? (이상하지 않아요?)
 (c)친구 A도 담배를 끊었고, 연예인 B씨도 금연하는 것 같었대요. 세계는 금연하는 추세로 가고 있어요.
 (d)담배 연기는 폐에 축적돼서 폐를 손상시키고, 니코틴은 뇌에 작용하여 마약과 같은 기능을 해요.
 (e) 담배를 피우지 않으면 그만큼 돈을 모을 수 있어요. 당신도 건강해지고, 금연한 사람은 음식도 맛있게 느껴 진대요.

 이것들은 단지 기술적인 면을 제시한 것이 아니다. 과학적 사고의 기초인 분류의 원리를 따르고 있다.
 어떤 문제가 시공간에서 어디에 있는지 분명히 한다. 그리고 그 위치에서 세계를 시간을 기준으로 해서 과거와 미래로 세계를 나누고, 분할하고, 공간을 기준으로 해서 내부와 외부로 나눈다.
 그러면, 상기의 (a)∼ (e)는, 그 문제 자체(a), 문제 내부(d)와 외부(e)라고 하는 공간 요소, 문제 과거(b)와 미래(e)라고 하는 시간 요소로 나눈 것이다. 우주 그 자체를 그것을 환원 주의를 근거로 나누면 상기와 같이 5개로 분류된다.우주 그 자체를 그것을 환원 주의를 의하여 나누면 상기와 같이 5개로 분류된다.
 어떤 문제를 연구할 경우에도, 이 5가지 범위를 조사한다. 뛰어난 연구서는, 이 5가지를 잘 짜 맞추어 쓰고 있다.
 (a)에 의해 문제를 제시하고, (b)에 의해 지금까지의 경위를 이야기하고, (c)에 의해 다른 예를 들어 어떻게 해결했는지 검토하고, (d)에 의해 문제의 세부를 분석해 대책을 생각하고, (e)에 의해 그것이 어떤 결과가 나올지 묘사하는 것이다.
 다른 사람의 논의를 논박하거나, 비판적으로 검토할 경우에도 이 5가지 방법은 도움이 된다. 상대 주장이 5가지 논리 방법중에서 어느 것을 사용하고 있는지 생각하고, 상대가 사용하지 않은 논리 방법을 생각하면 좋을 것이다.
 논리적으로 생각하는 것은, 진실을 간파하는 데 중요한 것이다. 당신도 이 5가지 논리 방법을 몸에 익히면, 사물을 깊게 이해하게 될 것이다.

●5种逻辑的方法
  我们要主张什么,想要对方同意,应该说出理由来。这个"理由"可分类五种。

 (a)描写现在的情况,引起对方的感情,主张"不当性"。
 (b)说从过去到现在的变化,主张"一贯性"。
 (c)举些类似的例子,主张"平等性"。
 (d)分析内部的结构,主张必然的"因果性"。
 (e)推测未来,主张那个情况的"妥当性"。
  那么,举个例子思考一下。

  你的丈夫很喜欢抽烟,你想他戒烟,应该怎么主张好?
 (a)由于你抽烟脏了屋子,我住在一起,烟气熏人。你应该想想我的心理吧!
 (b)你每天跑步,还常常去健身房,很注意自己的健康。那么你抽烟,真不对茬儿呢!
 (c)你的朋友A也戒烟了。有名的明星B也戒烟了。戒烟是全世界的潮流啊!
 (d)抽烟的毒慢慢积累在肺脏里,还有在脑袋里。尼古丁有麻药作用啊!
 (e)要是你不抽烟,省的一笔钱。还能使身体健康,吃东西也感到更好吃啊!
 
  这个不只是技术,而是科学想法的基础,分类的原理。看(图1)。首先把握问题在时空间上在哪儿。然后把时间以问题分开过去和未来。把空间以问题分开内部和外部。就是,那个问题本身(a),问题的内部(d)和外部(c),问题的过去(b)和未来(e)。这是把宇宙按照科学的方法区分开来的东西。
  所以研究一个问题,也需要调查这五种领域。优秀的研究书就搭配了这五种方法。由(a)提示问题,由(b)描写过去的经过,由(c)考虑类似的例子是怎么解决的,由(d)分析问题的细节研究对策,由(e)表示采用对策就得到什么样的结果。 
  反对别人的主张或批评的时候,这五种方法也很有用。思考对方说的内容,按照五种逻辑的方法判断合理不合理,指出不合理的地方。
  逻辑的想法,是看穿真实的重要的方法。你用这五种逻辑的方法,肯定对各种各样的事情就能更加了解。

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読書の方法・本の入口と出口を知る [考えたこと]

私は本を読むのが比較的速い方だと思う。
だいたい20分から3時間ぐらい。
本は必ず全ページの全行に目を通すので、
どんなに速くても20分ぐらいはかかる。
また、ページをめくる最低速度を決めているので、
3時間を越えることはない。
難しい本は、ゆっくり丁寧に読むより、
何度も繰り返して読むのが正しい。
だからわからないところがあっても飛ばせばよい。

さて、本屋や図書館を本を手にしたとき、まずどこから読むか?

1.目次を確認・本の道筋を知る
目次で本の構造を把握することが大切である。

理解するというのは、ある状況におけるある行動を知るということである。
対象Xを理解するとは、
対象Xが状況Aのときにするべき私の行動、
対象Xが状況Bのときにするべき私の行動を知ることである。
対象Xがどんな状況でもするべき行動がわかれば、"100%理解した"という。
対象Xがある特定のときだけするべき行動がわかれば、"少し理解した"という。
それはある情報変換パターンの入力条件と出力条件を知るということである。
本でいうと、入口と出口を知るということである。

難しくてわからない本とは、
本の入口が現実世界のどこから結びつくのかわからないということであり、
わかったけど、何が言いたいの?
という本は、出口が現実世界のどこへ結びつくのか見えない本である。

本には、その情報の展開が、直列なもの、並列なもの、
その組み合わせなどいろいろある。
直列とはミステリー小説などで、頭から順番に読まないと意味がない。
本の冒頭が入口で最後が出口である。
並列の代表は、辞書。どこから読んでもよい。
そのページが入口で、その項目が終わると出口である。
論文集やエッセイは、
一つ一つの章の頭が入口で、章の終わりが出口である。
情報展開の形式を、目次を確認することで把握しておく。

2.著者の略歴を確認・本の入口を知る
本というのは著者の体験がベースになっている。
本の内容の入口は著者の専攻であるのが普通である。
実世界におけるその専攻の学問が、
その本の入口へと結びついているのである。

本の内容は、本のタイトルが表していると思いがちだが、
それは間違いである。
本のタイトルは出版社が決めるのである。
そして出版社というものは、
本の内容でなく、本を売りたい読者に相応しいタイトルをつける。
だから、本のタイトルは、買って欲しい読者を表しているだけである。
内容と全くかみ合わないタイトルがついていることがしばしばあるが、
それは著者が読者を騙したのではなく、出版社の責任である。

本の内容を確認するには、目次と著者略歴が欠かせない。

3.あとがきを読む・本の出口を知る
あとがきには、本のまとめが書いてあることが多い。
これを読むと本の主張がわかる。
本の主張は、読者の実世界での行動に結びつく出口である。
すなわち、本の情報変換の出口がわかるのである。
著者専攻⇒あとがきが、通常の本の持つ情報変換パターンである。
研究テーマのデータを元に主張するのからこうなるわけ。


出入り口を確認できた後は、頭から読んでいけばよい。
時間がない場合は、後ろから読むという方法もある。
あるいは、各章の最終ページだけ読む方法もある。
そこには著者の主張=出口があるから、出口から遡るわけである。
入口は著者の専攻であることが多く、専門知識であるから
読者にはかえってわかりにくいことがある。
しかし出口はたいていの読者に結びつくように書かれているから、
逆に遡った方がわかりやすいことがあるのだ。

せっかく学んだこともそのままでは忘れやすい。
私の場合は、付箋を貼るようにしている。
一冊の本に10-50程度の付箋を貼るのが普通。
それをメモして、コンピュータに残すようにしている。
それが、これ。
電脳書庫 ― 著者の専門別配列のメモつき本棚 ―


そのとき、付箋はどこに貼るか?
大きく同意できるところ、
間違っているところ、
これはとても大事だと思うところ、
知らなかったこと、
面白かったことなど。 
まあそれに感想をつけたのがこのブログなわけ。

・今日の一言
本のタイトルは、本の内容でなく読者を表している。
The title of the book shows the reader of the book, not the contents.
책의 타이틀은 책의 내용이 아니고 독자를 나타낸다.
书的标题表示读者而不是内容。

※补记
"今天不回家"先生,谢谢!非常感谢您。
我总觉得把日语翻译成汉语特别难。
请您多多指教。

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