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経済活動は全体のサイクルをとらえねばならない - 世界経済混迷の理由を考える [考えたこと]

人々が多く勘違いしているのは、産業が一つ一つ孤立したもののようにとらえていることだ。たとえば農業がだめなら製造業、製造業がだめなら金融で稼げばよいといった考えである。

しかし実際の産業はそれぞれが生産消費サイクルの歯車の一つであって、どれか一つが発達すれば経済が発展するなどということはあり得ない。社会が発展して第一次産業から二次、三次と、高次へ移行するというアイディアが妄想なのは、それらがすべて独立した産業ではないからだ。

産業とは一つで成立するものではなく、連合したサイクルである。人間の労働行為が価値を生み出すサイクルは一つの業種で完結するものではない。産業は最終的な消費者に届くまでのサイクルで考えなければならない。

一例を考えるならば、金融⇒人事⇒鉱業⇒製造業⇒官庁許認可⇒小売業⇒消費者⇒産廃業者が一つのサイクル。すなわち、資金を集め、労働者を確保し、原材料を確保し、製品を作り、お役所の許可を取り、小売業が販売し、それを消費者が買い、できたゴミを処分して経済活動のサイクルが終了するのだ。大事なことは、これが全体で一体であるということである。この内のいずれかが欠けると産業は成立しない。あるいはこの内の一部分が他の部分を無視して利益を拡大すると、サイクルが崩壊するのだ。

注意すべきことは、このサイクルの各部分の利益は、全体の利益を越えることはできないということである。最終的に消費者に消費された以上の利益は絶対に生まれないのである。個々の産業の利益は、消費者の消費分を全体で分配したものになるのである。

こうして見たとき気づくことは、金融は第三次産業というべきではないことだ。金融と労働産業は、すべての活動の基礎にあるのであるから、第0次産業というべきあろう。そもそもマクドナルドの店員と億万長者の投資家ウォーレン・バフェットが同じ第三次産業に従事しているという考えは馬鹿げている。

現在の金融の失敗は金融業がこのサイクル全体が生み出す価値以上の利益を確保したことある。そのため他の産業が圧迫されているのである。現在の日本では、明らかに金融と官庁の利益率が高すぎる。もちろんアメリカの金融の利益率は異常であり、略奪産業と呼ぶのがふさわしいレベルになっている。

今、経済学者に求められていることの一つは、経済活動サイクルの総利益率を計算して、それぞれの産業の利益率を分析して、どのぐらいが適正か、あるいは今どのぐらい適性値がずれているか研究することではないかと思う。

世界がなぜ金融危機になるのか。それは金融システムの持つ信用創造の力により、実体経済を遙かに上回る、その4倍近い投資資金があることである。世界は貯蓄過剰なのだ。本来、需要と供給の関係により、貨幣が増加すれば、その分だけインフレとなって貨幣価値が下がり経済が安定するはずが、貯蓄されるとインフレを起こさず、時限爆弾となって世界中にばらまかれてしまうのである。

日本ではしばしば、預貯金が死蔵されているからこれを投資に回せば経済発展できるという意見があるが、これは間違いである。投資に回しても企業の内部留保が増えるだけである。なぜなら経済サイクルの消費がボトルネックになっているからだ。企業は消費が見込めるから生産するのであり、消費がないのに生産するはずがないからである。これもまた経済活動のサイクルを見失った発言なのである。

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