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経済学批判:経済学に不足する4つの視点 [考えたこと]

keizai.jpg誤解のないように言うと、私はリフレ派で、岩田規久男の愛読者であり、まっとうな経済学者が主張することはほぼすべて正しいと思っている。以下の内容も、まっとうな経済学者なら重視してないだけで間違っていると言わないものである。

1.信用創造と価値生産を混同させること
一般人の人が、信用創造と価値生産の区別ができず、銀行の信用創造によるバブルを利益と混同してしまうこと。

孫正義は7000億円の資産を持っているとされるが、では彼はその金額に相当する価値を生産をして日本に益したのであろうか?

もちろん否である。いくら孫氏が優れた人間といってもそこまで多くはない。これが株式による信用創造のマジックである。信用創造によって増えた資金はそのまま消費されずにほとんどが貯蓄されるためにインフレを起こさず、そのときは何も問題を起こさない。だがそれは時限爆弾となって有事に炸裂し世界経済を揺さぶり続けるのである。

2.経済構造の一体性を無視した賃金設計
人々が多く勘違いしているのは、産業が一つ一つ孤立したもののようにとらえていることだ。たとえば農業がだめなら製造業、製造業がだめなら金融で稼げばよいといった考えである。しかし実際の産業はそれぞれが生産消費サイクルの歯車の一つであって、連合したサイクルである。人間の労働行為が価値を生み出すサイクルは一つの業種で完結するものではない。産業は最終的な消費者に届くまでのサイクルで考えなければならない。

一例を考えるならば、金融⇒人事⇒鉱業⇒製造業⇒官庁許認可⇒小売業⇒消費者⇒産廃業者が一つのサイクル。すなわち、資金を集め、労働者を確保し、原材料を確保し、製品を作り、お役所の許可を取り、小売業が販売し、それを消費者が買い、できたゴミを処分して経済活動のサイクルが終了するのだ。大事なことは、これが全体で一体であるということである。この内のいずれかが欠けると産業は成立しない。あるいはこの内の一部分が他の部分を無視して利益を拡大すると、サイクルが崩壊するのだ。

注意すべきことは、このサイクルの各部分の利益は、全体の利益を越えることはできないということである。最終的に消費者に消費された以上の利益は絶対に生まれないのである。個々の産業の利益は、消費者の消費分を全体で分配したものになるのである。

現在の国際金融の失敗は、金融業がこのサイクル全体が生み出す価値以上の利益を確保したことある。そのため他の産業が圧迫されているのである。アメリカの金融の利益率は異常であり、略奪産業と呼ぶのがふさわしいレベルである。現在の日本でも、明らかに金融と官庁の利益率が高すぎる。

お金を稼ぐこと自体は悪いことではない。しかし価値生産を上回る収入を得れば、それは他の人の収入を減らすことになるのであり、それは法律体系に重大な欠陥があることを意味しているのだ。

この生産消費サイクルにおける上下間の給与の比率は、競争によって決まらない。というのも経済が競争するのは、一つの生産消費サイクルが単位だからである。ある一つの生産消費サイクルが、別の生産消費サイクルと競争関係にあるのだ。そして、生産消費サイクルの上下の会社における給与の比率は、政府の法律が決めているのである。

3.マクロ経済における人間行動の限定合理性の無視
人間行動の限定合理性がマクロ経済に十分に考慮されていないこと。賃金の下方硬直性の絶対性の認識不足により、デフレの絶対悪性が看過されてしまう。デフレ経済の元ではいかなる経済も潤滑に運営することは不可能なのである。

人間は給与変化を名目価格で認識する。そのため、インフレのとき給与があまり上がらず物価と比べて相対的に下がっても仕方がないと思うのに、デフレのとき給与の名目数値を削ることには耐えられないのだ。その結果、社員の給与を一律に減らすよりも、リストラ解雇を選択することになる。失業者の増大は労働資源を浪費を生み出し、貧富の差を拡大してしまう。

ノーベル賞受賞者カーネマンのプロスペクト理論からは、資産と収入の不一致が不景気を生むことも指摘できる。人は今の状態の変化を知覚する。故に自分の持つ資産を一定に保とうとする。その結果、収入に比例してかつ資産を限界値として消費するのである。日本のように、資産家でありながら収入の少ない老人や、収入はあっても資産のない若者が多くなると、国民全体の消費率が低下してしまうのだ。

4.供給量に弾力性がない財の価格の安定な均衡点の不在
資源に制限のあるものの価格の均衡点が両端にあることの不認識。

労働を完全自由競争にすると、賃金は0と無限大の両極端に振り切れてしまう。実際には無限大とは会社が支払うことができる最大値、0とは最低賃金になる。労働価格をいくら下げても労働需要は社会に必要な以上には増えないからである。あるいは労働価格をいくら上げても需要を満たすことができる人材は急には増えないからである。有能な人材を養うには、数年、十数年かかるのだ。

これが大問題なのは、供給不足になると急激に給与が上昇し、需要が不足すると給与が急落してしまうからである。ちょうど需要と供給のラインをまたぐたびに反対側に針が一気に振れてしまうのだ。景気の波が変動するたびに給与が激変したのでは、労働者はまともな社会生活を送ることはできなくなる。

労働の自由化として最低賃金を下げるとどうなるか?代替え可能な労働者の賃金は最低賃金付近まで低下する。しかし労働の需要は同じなので、雇用数は変化しない。それどころか賃金の低下が消費力の低下を生み出し、労働者の需要を減らし、むしろ雇用は減ってしまうことすら有り得るのである。労働者は消費者でもあることからの必然の帰結である。

この逆に給与を上げることで景気を高めることを示したケースとしては、アメリカのフォード社の給与アップの例や、インフレ率より高い割合で最低賃金を上げたブラジルのルーラ政権などがあるとされる。

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現行の経済学では、上記4点に対する研究が不足していると思われる。そしてこの4つを正確に理解できる人間が政権を運営すれば、安定した経済発展を続けることが可能であると思う。

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