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大学(講談社学術文庫) [本(東洋史]

『大学/宇野哲人/講談社学術文庫/1983』
著者:中国哲学
評価:まず自分を正しくしてから他人を動かすべし・良書

銅像で有名な二宮金次郎が持つ本が『大学』である。

8歳になったら王侯から平民まで小学に入学する
そして成績の優秀な者は、15歳で大学に入る。
これが古代の学校制度である。
後漢王朝では、ほとんどの子どもが学校に通っていたと言われている。

『尚書』の秦誓に理想の大臣像が描かれる
誠実で真面目だが、特に技能はないけども、
寛容で度量大きく、他人の長所を心から喜び、
口で称えるだけでなく起用する人。
これは……鄧禹ではないか。
後漢王朝建国のNo1.功臣の鄧禹は、特別な才能は何もなかった。
武勇も策略も無かったが、人を見抜く目に長け、
たくさんの人物を推挙して、朝廷に送り込んだ人物である。
まさに他人の長所を心から喜び、起用する人である。
また『尚書』は、光武帝が学生時代に学んだテキストである。

格物致知の解釈三種
・朱子の格物致知
知識が足りないから知恵を得ることができない。
知識を広く得て知恵を獲得できる。自然科学的な朱子らしい考えだ。
・王陽明の格物致知
自らの真心を正すことで知恵を得る。
・著者の格物致知、
物=六芸に通じることで知恵を得る。
経典を学ぶことで知恵が得られるわけ。

其本亂而末治者否矣
自分の身を修めずに天下を治めようというのはできないこと。

修身在正其心
身を修めるには心を正すこと。
喜怒哀楽が認識を誤らせるからである。

なぜ自分を治められない人間、
自立して自らを律することができない人は、
家庭も社会も国家も治められないのか?

認識に歪みがあるからである。

世の中にはさまざまなハンディキャップを背負った人たちがいるが、
それでも自立して自分を生きることができる人がたくさんいる。
自立できるかどうかは能力とは関係がないのだ。
認識の問題である。
それは、自分の認識と世界が正しくかみ合っているからである。
能力にハンディキャップがあっても認識が正しければ、
自立して生きることができる。
自分を治めるとは、能力の大小ではなく、認識の正誤の問題である。

自立できない人たちは、自分の認識に異常があり、
自分にできることとできないことの区別ができず、
自分の知っていることと知らないことの区別ができないのだ。
ただ自分の知らないことを知っているかのように語り
妄想を語るのみである。

こうした認識と思考に歪みを持った人間が家庭や社会や国家を見ても、
現実を捉えることはできず、妄想を垂れ流すだけである。
ネットの世界では、
ブログや掲示板で妄想を垂れ流す人がたくさんいるが、
そうした人たちの中には、
まともな日常生活を送れていない人が多く混じっている。

社会や世界に危惧を抱くよりまず自分を知るべきである。
そして、自分を満足に律することができたとき、
現実も正しく読みとることができる。

『中庸/宇野哲人/講談社学術文庫/1983』
著者:中国哲学
評価:中庸の本当の意味を知る

喜怒哀樂之未發謂之中
喜怒哀楽の情は外物の刺激に応じて起こる。
まだ起こらない精神状態は一方へ偏りがないので中と呼ぶ。
未発の中は万人にあるが凡愚の人は過ぎたり及ばなかったりする
これを中節の和を失っているという。

『中庸』の著者は子思ではないらしい。
『孟子』より新しいテキストなのだ。

感情というのは、外からの力により起動するものだ。
感情をうまく制御できないというのは、
周囲や他人に動かされているということである。
それは自己の力でも何でもない。
感情に振り回される人間とは、自分というものがない人間である。

【追記】
もちろんこれは老荘の無、仏教の空とは異なる。
老荘の無、仏教の空は、自他ともに無/空であるが、
感情に囚われた人間とは、自がなく他のみの存在だからである。

『易/本田済/朝日選書/1997』
著者:中国哲学
評価:優れた資料本だが現代語訳が読みにくくて少し不便

情報量の多い、リファレンス・ブック。
通じて読める簡単な本を読んで、対照して見ると面白そうな本である。


『中国小史/鳥山喜一/角川文庫/1972』
著者:東洋史
評価:コンパクトや中国通史

王安石のあだなは拗相公と呼ばれたらしい。
あれだけの優れた施策がうまく実施しきれなかったのは、
王安石の性格に原因があるのだろうか。


『百姓から見た戦国大名/黒田基樹/ちくま新書/2006』
著者:日本中世史
評価:国という概念は戦国大名より

中世後期は、江戸時代後半の大飢饉の状態が日常であった。
戦国大名の戦争は慢性的飢饉のため。
戦国時代は本当に苛酷な時代だったのである。

村とは他の集団との戦いのための組織。
この本では、村と村の戦争が紹介されている。
日本の村は武力組織、武装集団なのだ。

だから領主の所領支配は自力で行う。
将軍から承認されても実力で支配する必要があった。
受け取るのに軍勢を動かして平定しなければならないのだ。

秀吉の天下統一とは、戦争の主体が秀吉のみになるということ。
村の武力が失われ、武装集団でなくなったのである。

検地は課税額決定と村領域の保障の意味を持つ。
また楽市とは大名が楽=平和を実現し保障することでもあった。
武装集団としての村が変化する代償である。

こうして大名が村から兵士を動員するようになり、
人々は国家を認識するようになった。
村が初めて国家に組み込まれたのである。

・今日の一言
自分の身を修めずに世界を正しく把握することはできない。
Without leading a virtuous life, you cannot to understand the world.
수신 제가하지 않고 세계를 정확하게 파악할 수는 없다.
不修身,就不能齐家,更谈不到治国。

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