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三国志-正史と小説の狭間 [本(東洋史]

『三国志-正史と小説の狭間/満田剛/白帝社/2006』
著者:三国時代の史学史
評価:正史三国志の研究書・三国志ファンなら面白いでしょう

陳寿三国志では、魏>蜀>呉の位置づけ。
劉備の妻は皇后と記載される。
また楊戯の伝があるのは季漢輔臣賛を載せるため。

魏や呉から蜀漢の銭が出土する。
蜀はなかなか経済政策に優れていたようだ。

曹操の青州兵や劉焉の東州兵が兵戸制の基礎になった。
これってさらに光武帝の黎陽営にさかのぼれそうだ。 

袁紹、袁術、曹操、劉備、劉虞は光武帝を意識していた。
後漢の群雄たちは光武帝の陰に操られていたという。
これをいうならさらに、
孔明が隠棲した場所が、
光武帝の出身地に近いことも指摘しておきたい。
たぶん漢の復興を考えて、
光武帝の事績を調べる目的を兼ねていたのではないかと思う。
あんなすぐに戦争になりそうな場所に隠棲するのは不自然だもの。

魏武帝曹操生涯最大の失敗。
それは曹操の徐州侵攻の虐殺。
この一件のため曹操は天下を取れなかったのだ。
徐州出身者は呉と蜀へと逃げてしまい、反曹操連合になったのだ。

荀彧の妻は宦官の娘。
曹操と共感するものがありそうだ。

劉備の孔明への国を取れの遺言。
これは孫策と張昭の間にもあった。
君臣の関係の深さを示すエピソードだ。

孔明の北伐の戦略とは?
持久戦で魏の兵糧切れを持ち西方を押さえて長安を狙うこと。
孔明北伐時は魏も兵糧に苦しんでいたことが記録されるのだ。
大国の魏といえど、万全の体制ではなかったのである。

・今日の一言
後漢の群雄たちは光武帝の陰に操られていた。
The rival leaders in Houhan were manipulated by the shadow of Guang Wu Di.
동한의 군웅들은 광무제의 그림자로 놀려져 있었다.
后汉群雄受光武帝的幻影操纵。

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