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楽府の歴史的研究 [本(東洋史]

『楽府の歴史的研究』
増田清秀(中国文学)
創文社(1975)


古代中国の歌謡史。

漢の時代、平楽観で
多数の聴衆を集めて音楽公演をした。
そこでは、
闘鶏、競馬、競犬、蹴鞠、角抵戯、呑刀、呑火、
魚龍、漫衍なども。
元封三年の角抵戯では、
畿内三百里から観衆が押し寄せたという。
国家主催、国民参加の大イベントのようだ。

漢代に歌われた歌や音楽の
曲名の名前がたくさん出てきて
いろいろと想像されられる。
文成顚歌、狄鞮楽、碭極楽などは西戎の音楽。
楚の激楚曲、結風曲、淮南の干遮曲など。
前漢の歌の名前。
薤露歌、蒿里曲、平陵東、陌上桑、江南曲、鶏鳴、白頭吟、東光、鶏鳴。
宋書楽志にある漢鼓吹鐃歌も前漢らしい。

相和歌とは、漢の歌で、街陌の謡謳。絲竹の合奏がある。
節をとる者が歌うらしい。
江南可采蓮、烏生八九子、白頭吟などは民間歌謡である。

後漢蔡邕の琴操に易水曲と聶政刺韓王曲。
この二つは漢代の流行した歌。
易水曲は荊軻を、聶政刺韓王曲は聶政を歌った歌である。
どちらも有名な刺客であり、漢代が勇士を好む時代なのがよくわかる。

張華の博陵王宮侠曲に描かれる電光石火の殺陣。
剣士の戦いぶりは歌に歌われることが多かったもよう。

南北朝の歌曲上人気第一位の劉孟。
東平劉生歌と安東平という歌があった。
劉孟は漢族だが南北朝ともに人気があったらしい。

西晋の時代の勇士陳安を歌う壮士歌。
笛で吹くと臆病者も勇士となるという。
北魏末にも歌われ続けたらしい。
陳安は北朝の敵の将軍だが、人気が凄かったようだ。

『囲碁の民話学』
大室幹雄(歴史人類学)
岩波現代文庫(2004)


民話を挙げてユングの元型を読み取り
古代人の思想を知る。

囲碁にまつわる民話は半分程度。
老賢者としての老子とマーリン。
ユングの元型の考えから
この二つを比較するのが面白い。

碁盤が17道から19道に変わったのは
南朝の梁武帝の頃らしい


『車の誕生』
荒川紘(科学思想史)
海鳴社(1991)


東西の車の誕生と発達の歴史。

不合理な喉腹帯式牽引法、
馬の喉を締めつけてしまうのだ。
これは最初に車を牽いたのは牛であり、
牛の方法が馬に使われたためらしい。

ポリスの市民は乗用に車を使わず。
遠方への旅行も徒歩らしい。
車はあんまり便利じゃないようだ。
揺れがひどいんだろう。

アテナイの総人口は20-30万で、1/3は奴隷。
前一世紀の全イタリアの奴隷は150万人。
中国とはかなり異なる社会構造だ。

稲作と麦作の違いといわれるがどうだろう。
稲作は手間がかかるので、奴隷農耕に適さないとされている。

『論衡の研究』
佐藤匡玄(中国思想史)
創文社(1981)


論衡の解説。

王充は儒家であるが、
儒家の尚古思想を批判する。
光武帝、明帝、
章帝を五帝三皇以上の聖王であり、
中国史における最高の時代としている。

論衡では、昆陽の戦いを
光武帝は五千人で王莽三万を破ったと記す。
普通は百万の誤記とされるが、
歴史研究として考えた場合、
こちらが事実という可能性もある。

光武帝は王莽を倒したと思われやすいが、
名目上は更始帝政権が王莽を倒した。
これを実質的に倒したのは光武帝であるとするために、
王莽の兵力を水増しした可能性があるのだ。

『古代歌謡と儀礼の研究』
土橋寛(日本文学)
岩波書店(1965)


資料

歌垣は春山入りの予祝行事。
国見の後に行われ、その後、
飲食と歌舞そして、性的解放である。

詩経研究のグラネ
春の祭礼で婚約して秋に再会を約束し
秋の祭礼が済んで同棲生活へ。
この習慣はいつまで続いたのか気になるな。
あるいは農村ではずっと続いたのだろうか。

『中国の星座の歴史』
大崎正治(天文学史、東洋史)
雄山閣(1987)


資料

曽侯乙の墓に四獣を伴った
二十八宿を記した漆器があった。
春秋時代から二十八宿はあった。

詩経に見える織女と牽牛。
しかしまだ恋愛はなし。
織女と牽牛は、
古代人の渡河相会の民俗、水神信仰より。
文選の漢代の詩に、牽牛星と河漢女のロマンスあり。
七月七日に私願の達成を祈る乞巧奠も後漢より始まった。

唐の随筆酉陽雑爼。
輔星が見えない者はもうすぐ死ぬ。
輔星=アルゴルである。
ううむ。死兆星だな。

『淮南子の思想』
金谷治(中国哲学)
講談社学術文庫(1992)


中国思想史における淮南子の位置づけを知る。

老子より荘子に近いのが淮南子。
淮南子の思想は、積力衆智。
万人の参加を求めるもの。
中央に対立する地方の思想らしい。

老荘という言葉は淮南子より。
それまでは黄老と呼ばれた。
確かに老子と荘子がそれほど似ているとは感じない。

道の意味の違い
老子では万物の根源、
荘子では雑多な存在に一貫する理法

劉邦の家臣では、曹参は老子派、張良は荘子派になる。


『呂氏春秋』
町田三郎(中国哲学)
講談社学術文庫(2005)


一部の抜粋翻訳。

呂氏春秋の思想とは時令の思想。
一年を12ヵ月に分けて、
天文気候から
人間の日常生活のあり方を規定するもの。

天下は一人の天下に非ず、万人の天下である。
(天下非一人之天下也,天下之天下也)
原文を見る限り、万人という感じはしないけど、
この訳で正しいのかな?

『広開土王の素顔』
武光誠(日本古代史)
文春文庫(2007)


広開土王とその前後の朝鮮史と日本史。

中国の正史をベースに韓国側の研究が中心。
これで正しいのかは
知識がないのでよくわからない。


『春秋戦国秦漢時代出土文字資料の研究』
江村治樹(東洋史、東洋考古学)
汲古書院(2000)


資料。

都市の変遷。
鄭の商人が各地で活躍し、
周の百工が内乱の帰趨を握る。
戦国時代、中心部では都市が発達していた。
三晋地域は大都市あるが、
東方の斉の都市は小さな農業都市ばかり。
戦国時代にとりわけ巨大都市が発達していたが、
漢代に都市が縮小する。
秦は統一後に城壁を破壊し、
銅兵器鋳造権を奪った。
都市の力を削減したのである。
そのため秦末の各地郡県の反乱は都市の反乱であり、
都市住民の行動である。
劉邦も項羽も陳勝も農民反乱などではないのだ。
都市の遊侠の反乱なのである。

・今日の一言
秦は都市のやくざに倒された。
Qin dynasty was overturned by the outlaws in the city.
진나라는 도시 깡패에게 무너뜨려졌다.
秦国被城市流氓打倒了。

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