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三星堆・中国古代文明の謎-史実としての『山海経』(あじあブックス) [本(東洋史]

『三星堆・中国古代文明の謎/徐朝龍/大修館書店/1998』
著者:中国考古学、南アジア考古学、古代史、比較文化
評価:西王母は蜀の女王である・山海経と三星堆の関係を知る

三星堆遺跡の城壁は、東西2100m、南北2000m。
古代の大都市である。

三星堆の青銅製遺物により表現された精神世界は、
山海経の記述に非常に近い。
蒙文通は、荊楚地方の人が蜀で採取した神話伝説を
まとめたものが山海経だという。

穆天子伝は周王と蜀王の面会を示すという。
西王母の邦とは、三星堆蜀国であり、
崑崙とは岷山山脈のことらしい。

『魏晋南北朝壁画墓の世界/蘇哲/白帝社/2007』
著者:中国魏晋南北朝考古学
評価:図版多く騎馬民族の風俗がわかりやすい

沮渠蒙遜ら河西廬水胡は西王母を信仰していた。
道教徒になるんでしょうか。

平壌南の安岳三号墓は高句麗古墳ではない。
韓国側は当然、高句麗だと主張しているんでしょうね。

西晋には、千里の馬の他、八百里の牛という言葉があった。
牛の速さも自慢らしい。

北魏には若い男性が2本のおさげを結ぶ習慣があった。
日本のみずらにも似ている気がする。

重装騎兵は安息=パルティア起源で、後漢末伝来かもという。
鎧馬の産地であるのは幽州と冀州で、
袁紹は300、曹操は10しか馬鎧がなかったらしい。
これが当時の戦争の最強部隊である。

私が思うに、後漢建国期の突騎=鉄騎と思う。
突騎とは、敵陣地に突入する騎兵のこと。
軽装の騎兵には不可能だから。
また、後漢建国期の馬武や賈復の戦い方は、
前漢の李広らと全く違う。
前漢の豪傑はみな弓の名手で、
騎兵は、その機動力で突如現れて弓矢を浴びせて、
さっと去っていく存在である。
対して、後漢建国期の猛将はみな、
陣地を突破して名を馳せているからだ。
後に鎧馬の産地が幽州と冀州になるのにも一致している。

・今日の一言
西王母は蜀の女王である。
Xi Wang Mu was a queen of Shu kingdom.
서왕모는 초나라의 여왕이다.
西王母是蜀国女王。

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