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学力を問い直す-学びのカリキュラムへ(岩波ブックレット) [本(教育]

『学力を問い直す』
佐藤学(教育法法学)
岩波ブックレット(2001)


学力を高めるにはわかるレベルまで戻っては駄目!

ゆとり教育による子どもの学力低下は本当か?
多少落ちたとはいえ小中学生の学力は今でも世界トップクラスである。
子どもの学力低下は明白ではないのだ。
ただし、学力低下がはっきりしている人たちもいる。
大人の科学リテラシーは先進国最低なのだ。
また大学生の学力低下も明白である。
これは入試科目の影響で大学生の学力が低下したのである。
大人の学力低下は、子ども学力低下どころではない。
脳みそが劣化しているのは子どもではなく、大人なのである。

実際、子どもの学力は危機にないので、
バブル崩壊後には、私立中学の受験者数は3割も減少した。
私立で学ばせようと人は減ったのである。

子ども学力でしばしば語られる基礎学力の重視。
しかし、1980年代アメリカで基礎学力の重視の運動が大失敗に終わった。
基礎を重視して学力が上がるというものではないのだ。

我々はしばしば子どもが学習につまづくと、
レベルを下げすぎてしまう誤謬をおかす。
しかし学力は下から上へと積み上げるものではない。
上から引き上げられて形成されるのだ。
自分のわかるレベルに下げてはいけないのだ。
基礎学力は反復ドリルでなく経験を通して習得される。
関連する読書や、仲間との交流、
仲間や教師が見せる、わからないレベルの解決を模倣することで、
染み込むように理解されていくのだ。
低学力の克服には、周囲の仲間が発揮する指導力こそが重要である。

思うにこれは、和田秀樹氏の主張する
「数学は暗記だ!」
ということとぴったり符号している。

和田氏が、数学は暗記だというのは、
きっちり基礎から完全に理解するよりも、
わからなくとも解法パターンを覚えて適用せよということだ。

わかるレベルまで戻して積み上げ直すより、
そのまま暗記して模倣することで、
だんだんと染み込むようにわかるようになるのだ。

「学ぶ」の語源は「真似ぶ」である。

・今日の二言
学力低下が顕著なのは子どもでなく大人である。
지력이 떨어진 것은 아이가 아니라 어른이다.
学习成绩下降利害的是大人,不是孩子。
The decline in academic ability is the adults' problem, not the children's.

落ちこぼれを防ぐには、わかる問題まで戻ってやり直すよりも、わからない問題について他人の解き方を模倣するのが効果的だ。
학교 수업에 못따라가는 아동들을 만들지 않게 하면, 아는 문제까지 되돌아와서 다시 하는 것 보다 모르는 문제에 대해서 남의 푸는방법을 모방하는 것이 효과적이다.
消灭差生最好的方法不是让他们从已经会的问题开始学习,而是要针对不懂的问题模仿别人的做法。
To make them practice the other's solution is more effective as measure against dropping out from school than to solve a problem which they can understand.

「学び」から逃走する子どもたち(岩波ブックレット) [本(教育]

『「学び」から逃走する子どもたち』
佐藤学(教育方法学)
岩波ブックレット(2000)


学校教育における最大の問題は学習意欲の低下である。

日本の小中学校は荒れて崩壊しているのか?
小学生の93%、中学生の92%が学校は楽しいと回答している。

不登校は多いのか?
日本の不登校の基準は年30日以上の欠席だが、
アメリカでは30日休んでも皆勤賞が得られる。
不登校率1%の日本は、今も世界でトップレベルの就学率である。

学級崩壊はどんな学校に起こるのか?
学級崩壊の学校の特徴は、
校長が責任を取らず担任が取る教師の孤立した学校。
生徒より先に教師が崩壊しているのである。
そしてまた、学級崩壊は私立校でこそ深刻だということも重要だ。
私立に行かせればという判断は正しいとは言えない。

学校における最大の問題は、
いじめ、不登校、学級崩壊、少年非行ではない。
「学びからの逃走」こそが問題なのである。
子どもの家庭での学習量は世界最低であり、
科目を嫌う度合いも世界最高レベルであるのだ。

世界の学習法を学ぶべきである。
今や黒板に一斉に向かって学習するのは時代遅れ。
20人程度のクラスで、
テーブルを小グループで囲む協同学習が基本になっているのだ。

学習はわかる問題まで遡ってはいけない。
わからなくても何度も模倣させるべきだ。
底辺高校の生徒の学力診断があった。
小中とずっとオール1の生徒の学力はどのぐらいだったか?
多くの教師は小学校4年レベルと推定していたが、
実際は小学校6年レベルだった。
小学校低学年の内容は、
上級に上がったときに繰り返されて理解されたのだ。
学習は単なる積み上げではないである。

分数のできない大学生の原因とは?
これは単に大学入試の科目数削減と高校の選択中心教育課程の弊害。
学力は試験に合わせて作られるのだ。

学力格差はどこから生まれるか?
過去30年間、学習内容を削減し続けたのに、
大学入試や高校入試の水準は変化していない。
結果、学校外で学ぶ重要性が高まり格差の増大につながるのだ。

・今日の一言
真の問題は子どもの学習意欲の低下である。
진정한 문제는 아이들의 학습 의욕의 저하이다.
真正的问题是孩子们的学习热情下降了。
The true problem is a decline in the children's desire for learning.

タグ:佐藤学

受験勉強は役に立つ(朝日新書) [本(教育]

『受験勉強は役に立つ』
和田秀樹(精神科医)
朝日新書(2007)


受験勉強の方法論は役に立つ。

正直ちょっと無理がある。
受験勉強をコンテンツ学力とノウハウ学力に分け、
そのノウハウ学力の有益性を述べるのだが、
全員がノウハウ学力を持つわけではないからだ。

入試は日本を変える。
受験生は入試に出るものを勉強する。
世の中のニーズに合わせて問題を出せば、
必要な学力を持つようになる。
右翼がもし本気で自分の意見を広めたいのなら、
入試に朝日新聞を出すなというべきだという。

教育熱心で有名な国フィンランド。
1686年に義務教育を導入した。

著者の体験。
統計処理をしていないから論文ではなく論説と拒絶。
日本は証明論文が高く評価され、
新機軸を提示するような論文は評価されないのだ。

著者は教育の危機を訴えている。
先進国の条件はエリートを自国で教育できることという。
世界の国のほとんどは、実は自国でエリートを教育できない。
欧米に海外に留学させるのだ。
日本は欧米以外で唯一自国でエリートが教育できる国である。
この教育システムを崩壊させてはならないだろう。

『障害児教育を考える』
茂木俊彦(教育心理学、障害児心理学)
岩波新書(2007)


障害児教育の現況報告。

視覚障害児の特有の行動。
ロッキングと指眼現象。
体を揺らすロッキングはわかるんだけど、
何で目を押さえるのかな。違和感があるんだろうか。

日本の学習障害児。
2003年小中学校に、LDとADHDと高機能自閉症は合わせて68万人。
彼らに対する特別な対策が必要だ。

学習障害の日米の違い。
アメリカの学習障害はディスレキシアが多数を占める。
英単語は、文字通りに発音しないものが多いからだ。

・今日の一言
エリートを自国で教育できてこそ先進国ということができる。
Only the country that can train elites in their own country can be called an advanced country.
엘리트를 국내에서 교육할 수 있는거야말로 선진국이라고 할 수 있다.
只有能在国内培养杰出人物的国家才可以说是发达国家。

子どもの力は学び合ってこそ育つ-金森学級38年の教え(角川oneテーマ21) [本(教育]

『子どもの力は学び合ってこそ育つ』
金森俊朗(小学校教師、デスエデュケーション)
角川oneテーマ21(2007)


教育現場からの声を知る。

子どもの学力低下、モラル低下、教師の指導力低下は、
意図的に作られたものだ。
事実ではないという。
教師の専門的力量は年々向上しているのだ。
昔の先生がそんなにレベルが高かったか、
よーく思い出してみよう。

問題は個々の教師ではなく、その環境だ。
都道府県の財政危機のため多数の非正規職員を採用している。
本物の先生が少なくなっているのだ。

さらに家庭の教育力低下も、実は環境の問題である。
単身赴任、母子家庭、長時間労働による親の疲れなど、
家庭が教育力が発揮できなくなっているのだ。
家庭は、家族同士のつながりにより家族の力を発揮する。
地域や職場を整えずして教育力を回復することはできない。

小学校での競争は学力強化に結びつかない。
世界の学力比較テスト、PISA2000と2003の調査結果。
習熟度別指導をしている国こそが、成績が低いのである。
競争は学力低下と学力格差の拡大につながるのだ。

子どもの成績が教師の成績になり学校の成績になる。
こうした圧力が小学校を弱めているのである。

私は思うに、
日本の小学校の教育はもともと世界的にも高い評価があったのに、
なぜ変更しようとしたのか不可解だった。
変える必要があったのは大学だったと思うんだけどねえ。

教育の本質。
教育は難しくない。
一人一人すべての子の名前を呼ぶことを大切にするだけでいい。
子どもを見守ることこそ、教育の真髄である。

・今日の一言
教育で大事なことはまず一人一人すべての子の名前をしっかりと呼ぶことだ。
교육에서 중요한 것은 우선 한사람 한사람 모든 아이의 이름을 분명히 부르는 것이다.
教育上最重要的事是把每个孩子的名字叫得清清楚楚。
The important thing in education is clearly to call out the name of every child first.

タグ:金森俊朗

死を子どもに教える(中公新書ラクレ) [本(教育]

子どもに死を教える(スゴ本)
を読んでいて思った。
こういうことをテーマにしている本があったような気がすると。
それで見つけたのがコレ。

『死を子どもに教える』
宇都宮直子(ノンフィクションライター、エッセイスト)
中公新書ラクレ(2005)


死生学教育の現場報告。

死を教える前に性教育する。
死を知るには、まず生/性を知ることが不可欠というわけ。

日本人の知らない思いやり、死を直視すること。
ガンの告知などのこと。

"自己肯定は自分が何かの役に立ち、
誰かに必要されているという自覚から生まれる"
至言であると思う。

この本で解説されていたのが以下の本。

『死とどう向き合うか』
アルフォンス・デーケン(死の哲学、死生学)
NHKライブラリー(2004)


死生学概論。

身近な人が亡くなり悲嘆にくれる人には、
黙って自分の話を聴いてくれることが一番有り難い。
一言も語らずただじっとそばに座っていることが大切。

死への準備教育。
葬儀方法や財産の処分を決めておくことも大切。

見過ごされやすい悲嘆。
妊娠中絶後の女性。

自殺の報道で為すべきこと。
自殺の失敗で、
脳障害や全身麻痺など後遺症が残ることも多いこと。

安楽死、尊厳死の運動を進めた太田典礼の墓。
"本来霊魂なし墓は歴史の証"
と書かれているらしい。

アメリカのガン告知。
1961年は90%が告知しなかったが、
1977年には97%が告知するようになった。

患者がガンと知っている率。
フィンランド89.3%
米国87.3%
デンマーク87.2%
日本29.5%
フィリピン60.2%
中国41.3%
日本が一番少ない。

アメリカではガンより心臓病が恐れられる。
死に対して準備できないからだ。
対して、日本ではポックリ死にたがる。
家族に迷惑をかけたくないかららしい。
しかし、迷惑をかけたくないからポックリ死にたいというのは、
何だが悲しい話である。
実際、日本の高齢者女性の自殺率の高さは、
世界的にも異例らしい。

癌でも真実を告げるべき4つの理由。
・人間の尊厳と価値として患者の知る権利
・患者と医師の信頼関係の維持に必要
・患者が病状に疑惑を持って過ごすのは心理的に好ましくない
・残り人生を充実させるには死期を知ることが不可欠
全く同感。自分がいつ死ぬかぐらいは知りたいと思う。

『生と死の教育』
アルフォンス・デーケン(哲学、死生学)
岩波書店(2001)


上記と重複が多い。

自殺反対の倫理的論拠
:生物本能に反する
・人命尊重に反する
・自己愛に反する
・社会を侵害する
・逃避に過ぎない
・神の権利を侵害する
最後の理由は日本向きじゃない感じだ。

ホスピス医師の言葉。
患者が積極的安楽死を希望したら、
それはホスピス関係者の敗北ということ。
ケアが行き届かないから死を望むということだから。

ドイツの笑いの定義。
ユーモアとはにもかかわらず笑うことである。
ユーモアとは、敢えて笑うものなのだ。

子どもの質問に嘘を教えてはいけない。
真実がわかると信頼を失う。
疎外感で傷つくのだ。
真実をうまく伝えるのはなかなか難しい。

死んだらいいと思った相手が本当に病気で亡くなり、
子どもは罪意識で抑鬱になるケース。
馬鹿馬鹿しいと思ってもこれは確かに怖い。

避けられない死と避けられたかもしれない死を分けて考える。
避けられる死は考える機会を与えることで避けられる。

私が思うに、
精神のサイクルと生命のサイクルを区別して教えることが大事。
精神のサイクルは自己の内部で完結するが、
生命のサイクルは子孫へと受け継がれていくもの。

また過去は常に現在に存在するということ。
未来は常に過去により構成されていくということ。
死ねばすべてが無くなるというのは科学的にも大嘘である。
すべての現在は過去により構成されており、
過去は現在に存在しているのだ。

我々は直接感じるものを現在と呼び、
間接的に知るものを過去と呼ぶ。

ある物体の表面が現在であり、
見えない内部が過去であると言っても良い。
見えないからといって存在しないわけではない。
一つの石があり、内部が見えないからといって、
その石は表面だけだということはできない。

バタフライ効果とは、
ブラジルの蝶々が遠くにハリケーンを起こすという複雑系の話。
この世界ではごく小さな過去の出来事が
大きなことを生むことも有り得る。
小さな蝶々の羽ばたきですら未来へと受け継がれていくのだ。

あなたが死んでもあなたが生きたという物語は、
必ず何らかの形で未来へと受け継がれている。

インターネットをよく使う人なら実感しやすいのではないか?
ネット上の発言は消したくても消せないことが多い。
ずべてが蓄積されていくのである。

死後の世界を考えるより、
過去-現在-未来という時間の意味を考えるというのはどうだろうか?

『日本人の死のかたち』
波平恵美子(文化人類学者)
朝日選書(2002)


日本人が死というものをどのようにとらえていたかを知る良書。

戊辰戦争の会津藩、賊軍として死亡者の埋葬が許されなかった。
日本人も結構残酷である。

死期の告知に批判的なのは死なないことより大事なことがないから。
私は死期は絶対に告知して欲しいけどな。
死ぬまでに何ができるか逆算していつも行動することにしているから。

出征に備えて爪と毛髪をとっておくように命令された兵士。
遺骨を戻すのが難しいため。それほど激しい戦いということ。
白木の箱に戦死した場所の小石を入れて帰還することもあったという。

・今日の一言
本来霊魂なし墓は歴史の証。(太田典礼)
From the beginning, there is no spirit or soul. Graves are proof of history.(Ota Tenrei)
원래 영혼 없음. 무덤은 역사의 증거.(오타 텐레이)
本来没有灵魂,坟墓是历史的证据。(太田典礼)

コーチング-言葉と信念の魔術 [本(教育]

『コーチング』
落合博満(野球評論家、元プロ野球選手)
ダイヤモンド社(2001)


落合って本当に頭いいし、
観察力が高いのに感心。

コーチは見ているだけでいい。
経験を積んでも芽のでない選手には教える。
この見守るというのが難しいよね。

"1+1だけが2ではない"
目的に対して手段はたくさんあるのだ。
落合はいつもいろいろな方向から考えるらしい。
やっぱり頭のいい人なんだな。

どんなに無理でも監督は優勝を狙うと言うべき。
けれど、選手は謙虚さが必要だそうな。
そういえば選手の発言で日本シリーズ逆転とかありましたね。
逆に監督が気弱だと選手もめげるよなあ。

選手は気に入らないプレーをするときに故障する。
嫌々する仕事は注意力が低下して危ないのだ。

選手の欠点を意識させないこと。
欠点は必ずどこかで意識しているもので、
それを指摘すると反発するものだから。

落合が50本塁打したときの方法。
ファウルをスタンドに運べばよい。
レフトにスライスボール、ライトにフックボールを打つようにした。
けれどそれは夫人の助言ほどの効果はなかったらしい。
夫人の助言はホームランバッターはみんな太ってる。
太りなさいとのこと。
体の中心が重い方がよく飛ぶってことかなあ。

いつもシーズンが終わると3~4日寝込んでしまうそうだ。
野球選手も大変だよね。

『コーチングスキル』
鈴木義幸(コーチング・トレーニング、セラピスト)
ディスカヴァー(2005)


臨床心理学的なコーチング技術。

ひたすらその不満相手についての質問をする。
相手に30分間話させる。
話が尽きると客観的になれるという。

相手が自分に対して
どういう影響を受けたか言葉にする。
すると、相手はとても喜ぶわけだ。

つい先延ばししてしまうことは、
行動の過程でなく結果の良いことをイメージするという。
良いことだけイメージして、先延ばししてしまうような……

どんなときでも叱らないで褒め続けるという。
褒めると他者依存的になるとという問題とどう折衷するかが難しい。

・今日の一言(落合博満)
1+1だけが2ではない。
One and one is not the only two.
1 더하기 1만 2는 아니다.
1加1不是唯一的2。

※実は私は中日ファンだったりする。

タグ:落合博満

授業の出前、いらんかね。(文春新書) [本(教育]

『授業の出前、いらんかね。』
山本純士(養護学校教諭、病院訪問教育担当教員)
文春新書(2006)


病気の子どもたちに授業をする。感動の物語。

ときには死に行く子どもに授業をする。涙なしには読めない話である。
子どもの生きる力に驚きを覚える。

病訪は島流しと呼ばれ、不始末をすると担当させられるらしい。

2006年3月、養護学校から特別支援学校に名称変更。

著者の感慨。
教師は子どもたちに寄り添い、
彼らが自分たちの力で歩み出すのを持つだけだ。

待つこと、見守ること、これこそ大人の仕事である。
焦らずに子どもを待つことが大切なのだ。

かつて、北海道の積丹半島の岩内は美人が多かったそうな。
今もそうなのかな?

・今日の一言
教育とは待つことだ。
Education is waiting.
교육은 기다리기.
教育就是等待。

タグ:山本純士

いじめの構造(新潮新書) [本(教育]

『いじめの構造/森口朗/新潮新書/2007』
著者:教育評論家
評価:いじめを客観的に分析し、対処法を取り出す・良書

いじめのデータを客観的に分析し、
内容で分類して、それぞれに対策を提示する良書である。

日本人の研究者、専門家軽視の傾向。
教育再生会議に見る極端な研究者軽視。教育学者が一人もいないのだ。
財政諮問会議とかも、財政学者やマクロ経済学者がいない。
日本人の専門家軽視はひどいものがあると思う。
アメリカ人と共通する欠点である。
『バカの壁』という本が売れたのも、
そうした日本人の愚かさの象徴と思われる。
専門家に対する敬意と尊重というのはどうすれば生まれるのだろうか?

出席停止の権限は学校になく教育委員会にある。
先生には決められないらしい。

スマスマでのアンケート。
"いじめられる方にも問題がある"と答えたのは、134人中、102人。
"いじめられても仕方のない子がいる"に"いいえ"と答えた中学生は4割以下。
これが現実である。
というか、いじめられる子なんて、見たり話したりすればすぐわかる。
けれども、それをいうと問題になるのは、
原因論と責任論の区別ができない人たちが多いため。
被害者には何の問題もないという前提があるのだ。
「原因はあっても責任はない」というのが理解できないらしい。

リアルな暴力団を描いたビデオ「許されざる者」。
ヤクザ映画でヤクザに憧れる子どもを防ぐためのもの。
ところが"組員の子どもに対するいじめを生む"と上映中止になった。
あきれた話である。

畠山鈴香の高校卒業文集の暴言
・いじめられて強くなったから感謝しろ
・秋田から永久追放
・秋田の土を二度と踏むな
・会ったら殺す
……先生は何をしていたんだ?

著者は大胆なことを言う。
学校にいじめは必要だ。
社会にいじめがあるのに学校だけないのは有益ではないという。
社会訓練になるとするのだ。

問題はいじめでなく、いじめという名で放置されている犯罪だという。
死人が出ないといじめとして不問にされているのだ。
いじめと犯罪を峻別しなければならない。
いじめには四種ある。
軋轢型、コミュニケーション型、犯罪型、暴力恐喝型。
恐喝、暴行、名誉棄損などはいじめではない。犯罪である。

著者の脱線。外国人による日本人いじめの例。
国際スポーツでの日本封じ込めのルール変更。
・バサロ泳法の距離制限
・バレーボールのオーバーネットの許可
・スキージャンプの板の長さを身長比に変更
あまり関係ないけど言いたかったみたい。

いじめ予防には価値観の押しつけが必要。
放っておくと、
"チクリは卑怯"のような独自の価値観を作ってしまうという。
そういう意味で『国家の品格』でいう武士道を評価しているらしい。
いじめ予防策としての人権フィクションや武士道フィクションなど、
適切な価値観を提示することは大事だというのだ。

このあたりは何とも言えない。
価値観の押しつけは、
その価値観を共有しない者へのいじめを生むかもしれない。
実証的研究を確認してみる必要がありそうだ。

『学生による教育再生会議/東京学生教育フォーラム/平凡社新書/2007』
著者:教育学部の大学生集団
評価:大学生のレポート

総合学習の時間を生かすためジュニアノーベル賞を設立する。
これは面白いかもしれない。

教員は一日平均11時間、月平均80時間の時間外労働がある。
明らかに仕事が多すぎる。

2006年3月の教員職員の三万人減を撤回せよという。
これは同意。教員は明らかに不足しているのに減らすなんて変な話だ。

"学生による"というから小中高の学生が入っているのかと思ったら、
教育学の大学生集団。
教師予備軍の意見では、平凡な内容なのも当たり前か。
次回があるなら、小学生、中学生、高校生など、
教育を受ける当事者を入れる方が価値があると思われる。

・今日の一言
いじめと犯罪を峻別する。
Make a sharp distinction between bullying and crime.
왕따와 범죄를 엄밀히 구별한다.
严加区别欺侮和犯罪。

タグ:森口朗

世界史の教室から [本(教育]

『世界史の教室から』
小田中直樹(フランス社会経済史)
山川出版社(2007)


世界史教師の実践の場から
歴史教育の目的と方法を探る

実際に世界史の教師にアンケートし、
歴史教育を客観的に探り、
さらに歴史学の思想を組み合わせて
考察するところが面白い。
科学的客観的な手法と、
思索的な手法のカップリングが珍しい。

教師の意見
歴史教育の方法として、
人権の歴史というテーマを設けるべきというものや、
歴史は現在地を知る手段というのが印象的。
実際の教育の場ではやはり、
歴史の大きな流れを捉えたいと考える人が多いようだ。

歴史学における二つの流れ。
自然主義的アプローチは、因果法則を導出して応用を目指す。
歴史主義的アプローチは、個々の史実を独自なまま叙述する。
因果法則は導出できないとして自然主義に反対する。

著者は、歴史の思考法として、
"つなぐ力"と"くらべる力"を提示し、この二つを育成するべきとする。
時間的に前後する事件の因果関係を"つなぐ力"と、
空間的に別の場所での事件を"くらべる力"である。
自然主義的アプローチは、"つなぐ力"と、
歴史主義的アプローチは、"くらべる力"と関連が深いようだ。

シーダ・スコチポルは
理論と史実を付き合わせて相互に修正する
仮説検証型というのを提示している。
これは、板倉聖宣の仮説実験授業の考え方に近い感じだ。

シャンタル・ムフの逆説的民主主義論
民主主義は個人の利害を調整して妥協し合意する制度ではない。
妥協と合意は異議申し立てを失わせる。
利害や意見の対立を永続させる民主主義、
多元主義的民主主義こそが必要なのだという。

思うに、民主主義は、不断に運動と変化を続けるような、
動的なものであるべきなのだと思う。

歴史を学ぶ重要な効用。
他者を敵対する存在でなく理解すべき存在とみなすこと。
アイデンティティ確立には他者の承認が必要であるため、
相手を理解することで自己のアイデンティティを確立できるという。

私の知っている英語の先生は、授業中に日本史の話をたくさんする。
他者を知って初めて自分を知ることができるし、
自己を知って初めて他者を良く理解できるのだと思う。

小田中直樹[本業以外]ネタ帳より

タグ:小田中直樹

日中韓子ども童話交流 [本(教育]

日中韓子ども童話交流から帰ってきました。

日中韓合わせて、100人の子どもが集まり10人ずつの班となり、
大学生のリーダーに、通訳二人加えて一つの班は13人となり、
東京と長野で6泊7日する。
小学校4~6年の子どもにとって大冒険である。
遠足に出掛けたり、絵本作りをした。
私はもちろん通訳としての参加。
メインは中国語の通訳として動き、たまに中⇔韓の通訳もした。

中国人は、子どもの頃から中国人と痛感した。
ある中国人の言葉に、

中国人は、一人では竜、三人だと豚
日本人は、一人では豚、三人では竜

というのがある。
小学生の時点で既にその通りだった。
中国の子どもは、一人一人と一対一で話すと物わかりも良いし、
一人で行動するとテキパキしているのに、
三人集まるとほとんど暴徒状態だった……

中国の子どもの自己管理の感覚は徹底していて、
荷物から手を離したり、目を離すのを非常に嫌がった。
何事も安心せず徹底して確認するのが印象的。
ただし、自己管理意識であって、実際に自己管理できるかとは別問題で、
しばしば行動が遅れることは、日韓中全く同じ。

中国の子どもの日本のイメージは、科学技術と自然の緑らしい。
"中国にこんなに緑はない!"
が、ほとんど合い言葉のように出てきた。
それと"PSP"と"NDS"も連呼。ゲーム機が買いたかったらしい。
しょっちゅう、"P-S-P!"、"N-D-S!"と合唱していた。(笑)
ちなみに、我が班でも韓国と中国の子どもがPSPを持ち込んでいたので、
期間中は、リーダー預かりになった。

韓国の子どもと日本の子どもはほとんど差がなかった。
唯一の違いは、韓国の子どもは、
大人に対して絶対にタメ口を使わないこと。
これがたぶん韓流ファンにおばさんが多い理由と思う。
日本のおばさんは日常に尊敬される人物として扱われることが少ない。
韓国人は、年上というだけで無条件に敬愛をもって応対するので
韓国の俳優のファンになるのである。
ただし韓国人は、友人同士では日本人よりも口汚くなるので、
これを見て、幻滅する人もいるようだけども。

韓国の子どもの日本の印象はやはり"似ている"の一言に尽きるらしい。
"これじゃ、外国じゃない"
という感じのようである。
せいぜい雨が多いぐらいか。

3つの言語の特性も興味深い。
中国語の特性もあり、中国の子どもは、
小さな子でも、声が大きくて良く響き渡る。
騒々しさでは日韓は全く太刀打ちできず。
大声が聞こえれば、そこには必ず中国の子どもがいた。

中国の子どもは、韓国語と日本語が全く区別できなかった。
日本の子どもは、韓国語を話そうとしたものの、
パッチム=音節末尾の子音が全くできずに苦戦。
これは、カタカナだと子音と母音の区別がないためで、
アルファベットで、子音と母音を学ばないとわからないようだ。
韓国の子どもは、両方の言語に一番早く順応した。
とはいえ、みんなが教え合う言葉は、"うんち"とか"おなら"である。(笑)

とにかく子どもの可愛さ、面白さが凄かったです。
ちょっとしたことでも本当に嬉しそうにします。
無くした靴を見つけてあげたり、
手に刺さった棘を抜いてあげたり、
ファスナーを壊して開かなくなった袋を開けてあげたり、
中国語の絵本を韓国語に訳して読んであげたりしたときの
あの子どもたちの喜びの笑顔はほとんど魔法のよう。

これほどまでに子どもが可愛くて面白いなんて考えたことがなかったです。
また、子どもたちは、どんな時、どんな場所でも遊びにしてしまい、
抱腹絶倒で笑い死にしそうでした。

笑いも涙も激しかったです。
別れるときの絶叫、みんないつまでも手を振り続け、
あるいは、地面に突っ伏して起きあがれないほど泣く子どももいて
ウルルン紀行みたいになるというのがよくわかりました。

・今日の一言
子どもたちはどんなことでも楽しい遊びに変えてしまう。
Children change every kind of things into funny games.
어린이들은 어떤 일이라도 다 즐거운 놀이로 바꾸어버린다.
小孩子们变一切的事情为欢乐的游戏。


教育力(岩波新書) [本(教育]

『教育力』
斉藤孝(教育学、身体論)
岩波新書(2007)


教育者が身につけるべき能力を知る良書。

先生が生徒とともに変化すると場が盛り上がる。
生徒を変化させるだけでなく、自分も変化するのである。
教師が学ぶことをやめると教育力が落ちる。
教師が新しい知識を求めようとする意欲を持つと、
子どもにそれが伝わる。すると、子どももよく学ぶわけ。

天才とは自分自身が自分の先生になれる人。
よい先生がいなくても学べるのが天才。
普通の人に必要なのがよい先生。

ストップウォッチを持たずに授業するのは犯罪だ。
他人の時間を大切にせよという。
こうした時間感覚というのは大切だと思う。
人生は意外に短い。日本人でもだいたい三万日程度だ。
一日一日を大切にしたいものだ。

テストは子どもの力量差でなく教師の力量を見るものだ。
テストを否定する教師は、
実は自分の無能さが暴露されるのを恐れているという。
学校や地域の学力差をまるで差別の元のようにいう人がいるが、
実際は、先生が自分たちにかかる圧力を回避しているだけなのだ。

小栗監督の映画に客が入らなくなった。
映画の観客の質の低下という。
これは間違い。単に時代が変化しただけである。
時代ごとに求められるものが違うだけだ。
映画は特に近年人気がある。
基礎的な見る人が増えたのにレベルが下がるはずもない。

道徳は時代により変化するもの。
昔は良かったとは、昔と今の道徳が違うために生じる感覚である。
新しい道徳が生まれた分だけ古い道徳が消え去る。
新しい道徳を受け入れられない人間には、
古い道徳が失われた分だけ、今の人間には道徳がないと感じるのである。

教師は言葉の力を信じること。すなわち体罰しないこと。
言葉を磨くことは教師の最も重要なことと思う。

教育者の資質。相手の変化を待てること。
つい、すぐにも相手の変化を促そうとするが、
消化する時間を待つことも必要なのである。

何でも口を挟む子どもがいる。これは先生に甘えたいということ。
甘えとは、相手との距離を測る行動であり、
交流が初期の段階で起こる。
だから甘えたい段階の子どもを見分け、
その子には以前との比較を見てあげるようにするがよいようだ。

授業の作業をゲーム化し、楽しく学ぶ。
これは目標を細かくするということでもある。
小さく点数をつけることで、小さな目に見える目標を消化する。
すると、生徒は自分の学習成果を感じ取ることができ、
よく学べるわけである。

先生は息を長く吐けなければならない。
言葉のための呼吸を調整できるべきという。
また相手と言葉が重なってしまう人は、呼吸センスが悪いらしい。
このあたりの身体論は斉藤氏の得意分野で興味深い。
斉藤氏は3秒吸って2秒止めて15秒吐くという訓練をしているという。
これは是非、私も練習してみようと思う。

・今日の一言
テストは先生の能力を見るためにある。
Exams are conducted to check the skills of the teacher.
시험은 선생님의 능력을 보기 위해서 한다.
为了调查老师的能力,进行考试。

タグ:斉藤孝

いじめと現代社会 [本(教育]

『いじめと現代社会』
内藤朝雄(社会学者)
双風舎(2007)


教育制度と社会構造とその変革の方法を考える。

学校暴力への法の介入と
学級制度の廃止を提唱する。
いじめ対策として有効であるが、
失われるものがあるようにも思える。
たとえば教育の自立性が失われ
国家管理が強まる可能性など。
これら得失の比較が難しい。

親が教育に熱心になると親でなくなるという。
これは親が教師になれば、家庭までが学校となってしまい、
安全地帯としての家庭が失われてしまうということだろう。
家庭を競争の場にしないということだ。
教育に熱心も、その内容が問題であると思う。

マスコミが主観的不安社会をつくっている。
これは事実である。日本は犯罪は増えておらず、
今も世界で一番安全な国である。

内藤先生とは呼ばないでといい、内藤さんと呼ばれているらしい。
私はあまりいいと思わない。無責任さの現れいう気がする。

人間というのは平等な能力を持ってはいない。
能力があるものが、能力のないものを助けなければ社会は成立しない。
先生とは、ある能力において優れていることを示す言葉であり、
先生と呼ぶのは、その能力を評価しての発言である。
先生と呼ばれることを敢えて拒否するのは、
自分が人に頼られてその期待に応えられなかったときに、
責任を負うのを避ける行為である。

親が子どもに自分の名前を呼ばせる友達親子というのも同じ心理である。
これも親としての責任を回避するための手抜きであり、
身勝手な心理による行為に過ぎない。

専門家はその専門において先生と呼ばれることを避けてはならない。
親は親として子どもの上に立つことを恐れてはならない。
人より何かを先に進むことができた人が先生である。
そして、先に進んだ者が、後の人を導くのは義務であると思う。

憲法に日本の文化と伝統を入れてはならないという。
まあ確かに必要はないと思うが、
入れてはならない理由はよくわからなかった。

右派でも左派でもないリベラリストの独立勢力が必要である。
メディアでオランダやデンマークなど
ヨーロッパスタイルの宣伝をすべしという。
広井良典らが宣言する、脱「ア」入欧である。

全く同感なのであるが、
メディアは大企業の販売促進システムに過ぎないため、
メディアを動かすには、大企業のトップたちに
正しいマクロ経済学を理解してもらわねばならない。
これがなかなか時間がかかりそうだ。

人を殺してはいけない理由はある方が怖い。
あるとその理由のない人は殺してよいことになるという。
しかしこれは、
社会とは殺してよい理由がある怖いものであるということを
否定したことにはならない。
それに、動物を殺してよいかといった問題を考えると、
この考え方で多くの人を納得させるのは無理だろう。

自分のために人を殺す人の方が歴史的には普通で自然に近い。
過去の貴族が身分の低い人を殺したために失脚したときの怒りなど、
これは歴史的にありきたりであった。
人の殺さない今の人たちの感覚の方が特別なものである。
普遍的な人間の尊厳は純粋な自然感情ではなく、
近年になって生まれたものなのだとする。

ただ、そういう人たちがそんなに多いのかは気になる。
法律制度の完備により、単に殺人が割に合わなくなっただけではないか。
戦争で人を殺した人にはPTSDを抱える人がいる。
しかし、PTSDにならない人もたくさんいるのだ。

とはいえ過去よりはそうした人が増えたのは間違いないだろう。
それは教育やメディアにより、他者視点を推測する人が増えたためと思う。
現代人、現代の若者は、大人たちより遙かに道徳的である。

社会秩序のタイプ
・有限項準拠連鎖タイプ
・超越性準拠タイプ
 ・隆起一貫型
 ・瀰漫浸潤型

日本語のセンスがひどすぎる。
個別連鎖型、理想志向型、空気型とかではダメなのかな?

やる気のない人もそこそこ生きていける社会をを作らねばならない。
不完全な社会がダメなのではなく、
不完全さに耐えられない社会がダメとする。

全く同感である。
社会は変化し続ける柔軟なシステムでなければならないと思う。

『「家族」を作る』
村田和木()
中公新書ラフリーライタークレ(2005)


養育里親とは何かを知る。

子どもを預かる社会的な親が里親。
養子縁組すると過剰な期待を押しつけてしまうと、
法的に親子にはしないことも多いようだ。
3日や1週間だけの里親もいるらしく、
急増の背景に失業率も関連しているようだ。
政府の経済失策の罪は重い。

『人間の心と法』
河合隼雄(臨床心理学者)
加藤雅信(法社会学者)
有斐閣(2003)


最後の韓国のデータが面白かった。

河合隼雄
心の状況や取り巻く環境を
相互作用の中で最も納得して悟るとき
神話という形を取る
神話を調べることで
人々の心の在り方を推測できるという。

詩人ゲーリー・スナイダー
アメリカ大陸先住民が全く遺跡を残さないのはあっぱれだという。
高い文化が自然を破壊しないということだからだ。
……といいたいが、
アメリカ先住民がどれだけ自然を破壊したか知らないようだ。
彼らの南北アメリカ大陸到達で、動物種のほとんどは絶滅したのである。
高貴なる自然人という幻想はなかなかなくならない。

韓国では警察へのネガティヴイメージが強い。
法に対する信頼が極めて低いのだ。
世界的に見ると、日本も法に対する信頼が相当に低いのだが、
韓国はそれを圧倒しているという。
道理で、犯罪者が捕まらない映画が多いはずだ。
警察と裁判が信頼されていないのである。

・今日の一言
日本の新しい指針は脱ア入欧である。
A Japanese new guideline is 'Escape from the U.S. and Enter Europe'.
일본의 새로운 지침은 "탈미입구(脫美入歐)"이다.
日本的新政治指南是"脱美入欧"。

いじめの社会理論 [本(教育]

『いじめの社会理論』
内藤朝雄(社会学者)
柏書房(2001)


正しい現状認識。ずれた構造分析。

英国や北欧の激しいいじめ。
英国では毎年6-7人いじめで自殺するという。

いじめ加害者に逐一反撃すると、さらにいじめを誘発する悪循環になる。
いじめられたら反撃しろというのは、正しくないのだ。

これは戦争に似ている。
侵攻されてから反撃しても戦争がなくなることはない。
報復合戦が繰り返され、戦争が激化するだけである。

正しくは、
いじめたら反撃されると"思わせろ"、
侵攻したら反撃されると"思わせろ"、
が、正解である。いじめは根から断たねばならないのだ。

ヤクザが見た目にも怖そうな服装をしているのもそのためである。
彼らはケンカや刃傷沙汰を起こしたくないから、
怖そうな服装をしているのだ。

いじめを無くすには、
いじめの多発する環境と発生しない環境を比べるのがよい。
いじめの多い環境とは、刑務所、捕虜収容所、強制労働キャンプなど。
戦時中の日本にも凄まじいいじめがあった、隣組制度のためである。

共通点は、法が通用しない孤立した世界ということである。
だから暴力系いじめに対しては、
学校内治外法権を廃して、
法システムにゆだねるべきとする著者の提言は極めて正しい。

学校ではさらに、ものわかりのいい教師がいる。
暴力をふるい、いじめのボス生徒と友好的であったりする。
このあたりの記述は、
著者の体験も含まれているのではないかと思わせるリアルさがある。

こうした異常さを排除するには、
子どもの法と人権を学校に正しく浸透させる必要があるだろう。

世の中には多様な人間がいる。
他者コントロールによる全能追求、
機会をめざとく捉え計算づくで悪のりするタイプがいる。
他人をさんざん利用して使い捨てたり、
人のいじめては自分の利益だけを確保する。
彼らは、他人への共感性が欠如している。

もちろん、こうした人たちといえども、
他人の気持ちが全く理解できないのではない。
他人が何を考え感じているのか考えることの優先順位が低いのである。
自分のことで一杯で他人について考える順番が回ってこないのである。

だからじっくり考えさせ反省させると理解はできるのだが、
その圧力から解放されるとまた自分のことばかり考えるようになる。

こうした人を矯正できると考えるのはあまり現実的ではない。
むしろその悪い面が表面化しないように
社会を設計することが大事なのである。

潜在的な悪人とも共存できる社会こそがよい社会である。

・今日の一言
潜在的な悪人とも共存できる社会こそがよい社会である。
The society which coexists with potential bad people is a good society.
잠재적 범죄자와도 공존할 수 있는 사회가 좋은 사회이다.
和潜在的坏人能共存的社会就是理想的社会。

タグ:内藤朝雄

教育には何ができないか [本(教育]

『教育には何ができないか/広田照幸/春秋社/2003』
著者:教育社会学
評価:内容は面白いがまとまり悪い寄せ集め本

教育側の意図の成功は確率論的にしか起こらない。
学校教育は心理学の問題ではなく社会学の問題である。
教育については統計的に考えなくてはならない。

段ボールに幼児を放置して母親が逮捕された。
かつて農村ではエジコという藁の籠に放置されていたが、
昔の農村は伝統の知恵で現代は虐待というのは不自然ではないか?

現代は母性喪失の時代ではなく、
母性を含めた親の課題が複雑化した時代。
親のしつけがダメになったのではなく負担が以前より重くなったのだ。
"子どもは放っておいても育つ"から"家庭がしつけろ"に変化したのだ。

こういうことを言う人がいる。
かつての不良少年は限度をわきまえていたが、
今の子どもは限度がないと。

ところがこれも事実ではない。
今の非行少年は昔よりずっと限度をわきまえているのだ。
粗暴犯の比率はずっと低いのである。

『オレ様化する子どもたち/諏訪哲二/中公新書ラクレ/2005』
著者:高校教諭
評価:実地的な話は面白いが理論的な話は怪しい

社会構造の変化により子どもたちが変わってきている。
個が自立し自由になったから個が不安定で不確定になった。

生徒の私語を注意するとぶち切れる生徒がいるという。
だから、
"○○君、しゃべっているように見える。一度注意します"
と注意しなくてはならないという。

等価交換に固執する市民社会的子ども。
自分に合った教師と一対一の関係を求めるようになったのである。

なぜこうなったのか解説しよう。
簡単にいうと、生徒は先生と対等だと思っているということだ。
教育を受けるということも一つの対等な契約関係だと感じているのだ。
子どもが大人に上下関係を感じていないのである。
だから、対等でない人間関係が許せないのだ。
私語を注意するというような、
教師が上位者として振る舞うことが許せないのだ。

なぜこのような生徒が増えたのか?
これは親が子どもに対して上下関係を結んでいないからである。
子どもは大人よりも能力が低く、発達途上にある。
だから、親は子どもに対して群れのリーダーとして指導し責任を持つ。
ところが今は子どもに対して平等に接する。
責任を感じずにすみ気楽だからだろうか。

だが、社会には常に上下関係が存在する。
上下関係=指示する者とされる者がいなくては社会は動かない。
上下関係を学ぶ教育というものが必要なのではないだろうか。

『欲ばり過ぎるニッポンの教育/苅谷剛彦+増田ユリヤ/講談社現代新書/2006』
著者:教育社会学者
評価:話を無理な方向にひっぱろうとしているのに違和感あり

フィンランドの高校進学率は普通校60%弱、職業訓練校30%。
日本では、高校進学率60%は1960年以前のことだという。
しかし、このように職業訓練校の部分を無視するのは、
これはミスリーディングではないだろうか。

・今日の一言
生徒は自分が教師と対等であると考えている。
Students think teachers are equal with themselves.
학생은 자신들이 교사와 대등하다고 생각하고 있다.
学生们认为师生处于平等关系。

いじめの根を絶ち子どもを守るガイド [本(教育]

『いじめの根を絶ち子どもを守るガイド/バーバラ・コロローソ/東京書籍/2006』
著者:教育家
評価:いじめの実態と対策・良書

思いやりなくして罪悪感なし。
罪とは愛の上に構成されるものだからだ。

子どもは見聞きした暴力を真似る。
暴力に晒される度合いと攻撃性ははっきり相関する。
これは当然のこと。
子どもは大人ではない。これを忘れてはならない。

大事な観点。
いじめを大人に話すことは別の被害者を防ぐことになる。
先生や親が常にこのことを子どもに言い聞かせておくべきだ。

断固たる言葉がいじめを止める。
いじめっ子は反撃力のある人間のみを尊敬する。
いじめというのは、
集団動物における劣位個体への順位付け行動である。
だから、低順位個体ではないことを示せばよいのである。

・今日の一言
いじめを大人に話すと新しい被害者を生み出すことを防ぐことになる。
You can prevent to make the new victim when you report the bullyings to adults.
집단 괴롭힘을 당하고 있다는 것을 어른에게 상담하면 새로운 피해자가 생기는 것을 막을 수 있다.
如果你对大人说被人家欺负,你就预防产生新的受害者。

競争やめたら学力世界一(朝日選書) [本(教育]

『競争やめたら学力世界一/福田誠治/朝日選書/2006』
著者:教育学、比較文化
評価:学力世界一のフィンランド教育の秘密・教育者必読の名著

フィンランドは学力世界一。その秘密は何か?

・授業方針
フィンランドは、1985年にレベル別クラスを止めにした。
というのも、低学力クラスは、
社会経済の低い階層の男子生徒ばかりになったためである。
すなわち、学力の低さは社会条件の問題だということであり、
レベル別クラスの意味がなかったのである。
実際、レベル別クラスの教育制度を持つ国はすべて成績が低い。

かわりに成績不振者には補習を組み、
高度に個人別指導を取り入れて対応する。特別学級は編成しない。

一斉授業はほとんどなくたいていグループ授業。
テストもあまりなく授業時間数も世界最低という。

・教師の質
教師の質の確保に配慮。教師に修士号獲得を義務づけている。

・教師の権限
教師の権限が大きい。
教材、カリキュラム編成、授業内容を決められる。
国際比較でも、
学校の学習管理について裁量が大きい国が成績がよいという。
また、学校は教師の出来不出来を公表しない

・教師の負担の少なさ
1クラス24人まで。教師一人45分授業を週に15~23時間。
日本の勤務時間年2500に対し、フィンランドは約半分の1300。

私の見るところやはり、
最高でも24人という少人数学級の影響が大きいと思う。

"ゆとり教育"と称した教育の切り捨ては論外。
日本はもっと教育に予算を投じるべきである。

「ニート」って言うな!(光文社新書) [本(教育]

『「ニート」って言うな!』
本田由紀(教育社会学)
光文社新書(2006)


著者の水準がバラバラ。
支離滅裂な内藤氏を無視すれば良い本。

ニートと呼ばれる人の内、
就職を全く希望しない人は約42万人で、
この10年人数が変化していない。
真の問題はフリーターである。
フリーターは意識も能力も普通の人であり
環境がフリーターを生んでいる。それは雇用側の変化である。
新規学卒者の採用の抑制が問題なのである。
その要因の一つにバブル期に団塊ジュニア世代の過剰採用したこと、
そして女性が仕事を辞めなくなったという変化がある。
若年就労問題の最大の要因は労働需要側にあるのだ。
さらに過酷な労働で体調を崩して休んでいる人が急増している。

本田由紀の提示する考え。
学校経由の就職をなくしていき、就職支援は別の機関にする。
フリーターから正社員への道をつくる。
学校の内容を
ドイツのデュアルシステムを参考にしたものにすることなど。

ここから内藤朝雄の展開。
延々と続く青少年へのネガティヴ・キャンペーンの指摘。
全く正しい。

マスコミは青少年のためのものでなく、
大人の心理的なストレス解消道具になっているからだ。
テレビ・ニュースも新聞も読者は大人だから当然である。

ところが、それを主張するために妄想的なことばかりを語る。

大地に足をつけない車に乗る人の方が歪んでおらず善良だという。
というか関係がないということであって、
なぜ関係が逆になるのだ? ひっくり返してどうする?

有識者は30年前には貧乏で兄弟が多いから犯罪だといい、
今は少子化で人間関係が減ったから犯罪だ。
何とでたらめだろうかという。
社会変化を無視してどうするのだ。
経済も物の豊富さも全く違う。
これも著者の言いたいことを補強する論ではない。

ナチスのアイヒマンは平凡なパーソナリティだった。
人を殺すのに性格異常は関係ないという。
ナチスの組織犯罪と比較するのは根本的に間違い。
人が死んだからみんな同じというわけではないぞ。

仏陀は労働を嫌う乞食ニート。
イエスは露天商に暴力をふるい屋台を破壊するキレたニート。
天皇も愛される存在としてのニートだという。
強引過ぎてわけわからん。

大人が茶髪を嫌うのは相手に屈辱を与える復讐だといい、
精神分析をひき解説する。
そんないい加減な理論を出さないでくれ。
茶髪を嫌うのにそんな複雑な理屈は必要ない。
茶髪は目立つからだ。
日本では目立つことをしないというのが暗黙のルールである。
そうした自分たちが守ってきたルールを守らない人間がいれば、
不公平を感じ、腹立たしさを覚えるのである。
自分がルールを守っているのに
あいつが守らないのは許せないと感じるのだ。それだけである。

この本の全体の主張。
ニート問題は若年層の構造的失業と雇用問題である。
正社員以外の労働者が健康保険など社会的処遇を受けられない問題だ。
本人の心理状態や親の甘やかしに問題を矮小化してはならない。

これらは全く正しい。
ほんとに正しいだけに、変な著者が混じっているのが惜しまれる。

教育:思考のフロンティア [本(教育]

『教育:思考のフロンティア』
広田照幸(教育社会学、教育史)
岩波書店(2004)


教育の問題と基本構造を知る良書。

生涯教育と生涯学習の機会充実は、
機会配分の公平さの点で逆進性を持っている。
生涯学習は余裕のある人しか参加できないからだ。

高学歴志向が弱まっているのは高校卒層と一般労働者層。
高学歴な人たちはその志向は減っていないのだ。
学歴による階層が固定されつつあるのだ。

アメリカのチャータースクール。
白人中産階級の親が
資金不足の公立学校から逃げ出す支援になってしまった。
ドロップアウトする人たちでなく、
一部のエリートを助ける結果になったのだ。

矢野真和は、
高校までのカリキュラムは非常によくできているが
社会で正しく評価されていないと嘆いている。

これは教育を他の国との比較で見るという視点が、
マスコミに欠けているからだと思う。
諸外国と比べれば、
日本の初中等教育がいかに優れているのかわかるのだが……

『公立小学校の挑戦』
志水宏吉(学校臨床学、教育社会学、教育学)
岩波ブックレット(2003)


松原市立布忍小学校の話。資料。

布小の成績の高さの秘密。
いろいろとあるが、結局、低学年で毎日1時間、
高学年で一時間半の家庭学習を実行していること。
俺、小学校の頃、家で勉強した覚え全くないけど。
今の子どもって勉強熱心だな……

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