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教育には何ができないか [本(教育]

『教育には何ができないか/広田照幸/春秋社/2003』
著者:教育社会学
評価:内容は面白いがまとまり悪い寄せ集め本

教育側の意図の成功は確率論的にしか起こらない。
学校教育は心理学の問題ではなく社会学の問題である。
教育については統計的に考えなくてはならない。

段ボールに幼児を放置して母親が逮捕された。
かつて農村ではエジコという藁の籠に放置されていたが、
昔の農村は伝統の知恵で現代は虐待というのは不自然ではないか?

現代は母性喪失の時代ではなく、
母性を含めた親の課題が複雑化した時代。
親のしつけがダメになったのではなく負担が以前より重くなったのだ。
"子どもは放っておいても育つ"から"家庭がしつけろ"に変化したのだ。

こういうことを言う人がいる。
かつての不良少年は限度をわきまえていたが、
今の子どもは限度がないと。

ところがこれも事実ではない。
今の非行少年は昔よりずっと限度をわきまえているのだ。
粗暴犯の比率はずっと低いのである。

『オレ様化する子どもたち/諏訪哲二/中公新書ラクレ/2005』
著者:高校教諭
評価:実地的な話は面白いが理論的な話は怪しい

社会構造の変化により子どもたちが変わってきている。
個が自立し自由になったから個が不安定で不確定になった。

生徒の私語を注意するとぶち切れる生徒がいるという。
だから、
"○○君、しゃべっているように見える。一度注意します"
と注意しなくてはならないという。

等価交換に固執する市民社会的子ども。
自分に合った教師と一対一の関係を求めるようになったのである。

なぜこうなったのか解説しよう。
簡単にいうと、生徒は先生と対等だと思っているということだ。
教育を受けるということも一つの対等な契約関係だと感じているのだ。
子どもが大人に上下関係を感じていないのである。
だから、対等でない人間関係が許せないのだ。
私語を注意するというような、
教師が上位者として振る舞うことが許せないのだ。

なぜこのような生徒が増えたのか?
これは親が子どもに対して上下関係を結んでいないからである。
子どもは大人よりも能力が低く、発達途上にある。
だから、親は子どもに対して群れのリーダーとして指導し責任を持つ。
ところが今は子どもに対して平等に接する。
責任を感じずにすみ気楽だからだろうか。

だが、社会には常に上下関係が存在する。
上下関係=指示する者とされる者がいなくては社会は動かない。
上下関係を学ぶ教育というものが必要なのではないだろうか。

『欲ばり過ぎるニッポンの教育/苅谷剛彦+増田ユリヤ/講談社現代新書/2006』
著者:教育社会学者
評価:話を無理な方向にひっぱろうとしているのに違和感あり

フィンランドの高校進学率は普通校60%弱、職業訓練校30%。
日本では、高校進学率60%は1960年以前のことだという。
しかし、このように職業訓練校の部分を無視するのは、
これはミスリーディングではないだろうか。

・今日の一言
生徒は自分が教師と対等であると考えている。
Students think teachers are equal with themselves.
학생은 자신들이 교사와 대등하다고 생각하고 있다.
学生们认为师生处于平等关系。

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コメント 1

武侯仁従

生徒と先生は一面対等{同じ生き物}ですが、能力・経験、という意味ではまったく上下関係ができます。となると、教わるほうは敬虔・謙虚に指導を受けねばならないし、教えるほうは責任と能力を備えなければならない。

正論でしょうが、それだけでもないような・・・。

上下関係を教えるとは、それを教える者自身の信頼と能力に関係してくるのかな~。
by 武侯仁従 (2007-02-12 13:49) 

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