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死を子どもに教える(中公新書ラクレ) [本(教育]

子どもに死を教える(スゴ本)
を読んでいて思った。
こういうことをテーマにしている本があったような気がすると。
それで見つけたのがコレ。

『死を子どもに教える』
宇都宮直子(ノンフィクションライター、エッセイスト)
中公新書ラクレ(2005)


死生学教育の現場報告。

死を教える前に性教育する。
死を知るには、まず生/性を知ることが不可欠というわけ。

日本人の知らない思いやり、死を直視すること。
ガンの告知などのこと。

"自己肯定は自分が何かの役に立ち、
誰かに必要されているという自覚から生まれる"
至言であると思う。

この本で解説されていたのが以下の本。

『死とどう向き合うか』
アルフォンス・デーケン(死の哲学、死生学)
NHKライブラリー(2004)


死生学概論。

身近な人が亡くなり悲嘆にくれる人には、
黙って自分の話を聴いてくれることが一番有り難い。
一言も語らずただじっとそばに座っていることが大切。

死への準備教育。
葬儀方法や財産の処分を決めておくことも大切。

見過ごされやすい悲嘆。
妊娠中絶後の女性。

自殺の報道で為すべきこと。
自殺の失敗で、
脳障害や全身麻痺など後遺症が残ることも多いこと。

安楽死、尊厳死の運動を進めた太田典礼の墓。
"本来霊魂なし墓は歴史の証"
と書かれているらしい。

アメリカのガン告知。
1961年は90%が告知しなかったが、
1977年には97%が告知するようになった。

患者がガンと知っている率。
フィンランド89.3%
米国87.3%
デンマーク87.2%
日本29.5%
フィリピン60.2%
中国41.3%
日本が一番少ない。

アメリカではガンより心臓病が恐れられる。
死に対して準備できないからだ。
対して、日本ではポックリ死にたがる。
家族に迷惑をかけたくないかららしい。
しかし、迷惑をかけたくないからポックリ死にたいというのは、
何だが悲しい話である。
実際、日本の高齢者女性の自殺率の高さは、
世界的にも異例らしい。

癌でも真実を告げるべき4つの理由。
・人間の尊厳と価値として患者の知る権利
・患者と医師の信頼関係の維持に必要
・患者が病状に疑惑を持って過ごすのは心理的に好ましくない
・残り人生を充実させるには死期を知ることが不可欠
全く同感。自分がいつ死ぬかぐらいは知りたいと思う。

『生と死の教育』
アルフォンス・デーケン(哲学、死生学)
岩波書店(2001)


上記と重複が多い。

自殺反対の倫理的論拠
:生物本能に反する
・人命尊重に反する
・自己愛に反する
・社会を侵害する
・逃避に過ぎない
・神の権利を侵害する
最後の理由は日本向きじゃない感じだ。

ホスピス医師の言葉。
患者が積極的安楽死を希望したら、
それはホスピス関係者の敗北ということ。
ケアが行き届かないから死を望むということだから。

ドイツの笑いの定義。
ユーモアとはにもかかわらず笑うことである。
ユーモアとは、敢えて笑うものなのだ。

子どもの質問に嘘を教えてはいけない。
真実がわかると信頼を失う。
疎外感で傷つくのだ。
真実をうまく伝えるのはなかなか難しい。

死んだらいいと思った相手が本当に病気で亡くなり、
子どもは罪意識で抑鬱になるケース。
馬鹿馬鹿しいと思ってもこれは確かに怖い。

避けられない死と避けられたかもしれない死を分けて考える。
避けられる死は考える機会を与えることで避けられる。

私が思うに、
精神のサイクルと生命のサイクルを区別して教えることが大事。
精神のサイクルは自己の内部で完結するが、
生命のサイクルは子孫へと受け継がれていくもの。

また過去は常に現在に存在するということ。
未来は常に過去により構成されていくということ。
死ねばすべてが無くなるというのは科学的にも大嘘である。
すべての現在は過去により構成されており、
過去は現在に存在しているのだ。

我々は直接感じるものを現在と呼び、
間接的に知るものを過去と呼ぶ。

ある物体の表面が現在であり、
見えない内部が過去であると言っても良い。
見えないからといって存在しないわけではない。
一つの石があり、内部が見えないからといって、
その石は表面だけだということはできない。

バタフライ効果とは、
ブラジルの蝶々が遠くにハリケーンを起こすという複雑系の話。
この世界ではごく小さな過去の出来事が
大きなことを生むことも有り得る。
小さな蝶々の羽ばたきですら未来へと受け継がれていくのだ。

あなたが死んでもあなたが生きたという物語は、
必ず何らかの形で未来へと受け継がれている。

インターネットをよく使う人なら実感しやすいのではないか?
ネット上の発言は消したくても消せないことが多い。
ずべてが蓄積されていくのである。

死後の世界を考えるより、
過去-現在-未来という時間の意味を考えるというのはどうだろうか?

『日本人の死のかたち』
波平恵美子(文化人類学者)
朝日選書(2002)


日本人が死というものをどのようにとらえていたかを知る良書。

戊辰戦争の会津藩、賊軍として死亡者の埋葬が許されなかった。
日本人も結構残酷である。

死期の告知に批判的なのは死なないことより大事なことがないから。
私は死期は絶対に告知して欲しいけどな。
死ぬまでに何ができるか逆算していつも行動することにしているから。

出征に備えて爪と毛髪をとっておくように命令された兵士。
遺骨を戻すのが難しいため。それほど激しい戦いということ。
白木の箱に戦死した場所の小石を入れて帰還することもあったという。

・今日の一言
本来霊魂なし墓は歴史の証。(太田典礼)
From the beginning, there is no spirit or soul. Graves are proof of history.(Ota Tenrei)
원래 영혼 없음. 무덤은 역사의 증거.(오타 텐레이)
本来没有灵魂,坟墓是历史的证据。(太田典礼)

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コメント 2

自らの死が、翻って社会貢献、世界貢献になるのであれば、より豊かな心で永遠の眠りにつくことができそうです。
by (2008-01-11 15:18) 

Kay-akira_Hirota

どんな小さなことでもいいから、良いものを残したいですね。
by Kay-akira_Hirota (2008-01-12 16:17) 

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