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京都〈千年の都〉の歴史(岩波新書) [本(日本史]

『京都〈千年の都〉の歴史』
高橋昌明(日本中世史)
岩波新書(2014)


現在の京都市街地に、
平安時代に造られた建造物は
何一つ残っていない。

平安京の人口、九世紀に12万人
平安遷都は794年10月22日

京都アスニーの平安京創生館に
平安京復元模型。7.8m×6.6m
平安京は未完の都

ロンドンでもパリでも、19世紀半ば過ぎまで、
都市は人畜の糞尿まみれ、汚水まみれだった
道路は、世界史的にみてもゴミ捨て場

古来の京都の祭りの代表は賀茂祭り、
葵祭、葵鬘をまとうから

藤原道長は阿弥陀堂内で、
九体の阿弥陀仏の手を通した五色の糸をしっかりにぎり、
極楽浄土のある西の方角に向かって北枕で臥し、
念仏の声のなかで最後を迎えたという。

法勝寺の九重塔は高さ81m。1083年
後白河、熊野に34回も参詣
往生極楽院の阿弥陀三尊、
正座からいままさに立とうとする前のめり姿勢
室町は足利氏の将軍御所の地名から
冗談好きだった義満
主力輸出品の京扇
酒屋、土倉は公家や寺社に所属し、課税が困難
山鉾。山は祭の飾り物、鉾は大型柱状の山車
政治の上京、商業の下京
17世紀日本の都市の清潔さ。
都市の糞尿が近郊農村に用いられるように

かくの如く広大にして交通盛に、
又街路及び家屋の清潔なる町々は
世界のいずれの国に於いても見ることなきこと確実なり。
ドン・ロドリゴ

京都が空襲の対象から外れたのは原爆投下に最適なため。
原爆の威力を知るため通常の爆撃をしなかった

☆☆☆☆☆
難易度2/5 推薦度4/5

原爆の話は都市伝説だったのか……

・今日の一言(本文より)
沈む夕日を背にした阿弥陀堂を、池の東岸から拝することで、阿弥陀仏のいます浄土の浄福なさまを想起しようという趣向である。
저물어가는 석양을 등지고 있는 아미타당(阿弥陀堂)을 연못에 동안에서 바라보는 것으로 아미타불이 계시는 정토의 맑고 평안한 정경을 명상하고자 하는 생각이다.
其考量是通过从东岸远眺倚夕阳为映衬的阿弥陀堂来想像阿弥陀佛净土的一片纯洁而又平安的情景。
The idea is to imagine the beatitude of the Pure Land where Amida buddha lives by watching the sun set behind the amitabha hall from the east shore of the pond.

タグ:高橋昌明
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