SSブログ

数学の想像力:正しさの深層に何があるのか(筑摩選書) [本(数学]

『数学の想像力』
加藤文元(数学)
筑摩選書(2013)


死とはモーツアルトが聴けなくなることだ。
アインシュタイン

見ることが最終的な証明
証明とは直観=見ると論理=流れを
階層的に組み合わせてまとめあげられた一つの物語

πを求めた人々。アルキメデス、劉徽、祖沖之
劉徽はπを小数点以下五桁まで正確に算出した

村松茂清は内接32768角形の周長を丹念に計算することで、
小数点以下七桁目まで正しい結果を得ていた。

√2が有理数でないことは見るだけではわからない
証明とはもともと宗教祭儀であった
数とは一からできている多である。
背理法を用いた取り尽くし法。極限との違い

取り尽くし法の基本原理。いかなる量もその半分以上を取り除くという作業を何回か繰り返せば、与えられたいかなる量よりも小にできる。ユークリッド原論 第十巻命題1
Two unequal magnitudes being set out, if from the greater there is subtracted a magnitude greater than its half, and from that which is left a magnitude greater than its half, and if this process is repeated continually, then there will be left some magnitude less than the lesser magnitude set out.

中国最古の数学文献、算数書、紀元前180年頃
『九章算術』は15世紀まで中国数学の模範となった
微分積分学=無限小算術
バークリーの微分積分学批判

コーシーの極限概念、イプシロン・デルタ論法は
取り尽くし論法と同じことを言っているに過ぎない

☆☆☆☆☆
難易度3/5 推薦度5/5

音楽と数学の共通点は、時間が凝縮されていることだろう。
楽譜や公式には時間的展開が描かれているのだから。

数学の極限の概念には時間が含まれている。
空間を時空間で表現したものが極限。

万物の本性は数である。
万物を存在させるのが数ではないか?

"ゼノンの逆理。時間や線分といった連続的なものは、一瞬とか点といった離散的なものからは構成されない。"
これは正しい。実数の数直線モデルがそもそもおかしい。集まるのではなく運動すること、時間を加味することで構成される。

"離散的な点から構成されないなら、何からの大きさを持った単位から成ることになり、無限に分割することは不可能になる。"
ならない。長さのない点は長さ0なのだから、0が無限に集まっても長さは0であって線分を構成することなどできない

・今日の一言(本文より)
ピタゴラス派の人々にとって数学の論証的な証明とは、神と直接触れ合うための方法であり、感覚的な手段では見出すことのできない真理を感受するための儀式であった。
피타고라스파의 사람들에게는 수학의 논리적인 증명은 하느님과 직접 통하기 위한 방법이고 감각적인 수단으로 찾아낼 수 없는 진리를 느끼기 위한 의식이였다.
对毕达哥拉斯派的人们来说,数学的论证性证明是和神直接接触的方法,也是感受不能通过感觉器官来发现真理的仪式。
For the Pythagoreans's people mathematical demonstrative proof was the method for directly contacting with God, and was the ceremony for being receptive to the truth which cannot be found out through the senses.

タグ:加藤文元
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。