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罪と罰:日本民衆信仰史(教育社歴史新書) [本(仏教]

『罪と罰:日本民衆信仰史』
笠原一男(日本中世史、日本宗教史)
教育社歴史新書(1980)


罪が善で相殺されず
それぞれに仏による罰と賞がある奈良時代。
悪人切り捨て

平安時代では罪と罰は死後に実行される。
仏の力が日常の善悪を超越。
善人正機

宿善のありなしも沙汰せず、
罪の深き浅きも返りみず、
ただ名号を唱ふるものの往生するぞと信じおぼしめすべく候。法然

本願ぼこりのが救われないというのは思慮が浅いため。親鸞

一遍。教団の制戒を破るものは往生取り消し

死刑を命じた証如
願わくば仏弟子たる僧侶を
万人の悪心を治療する役人に命ぜられ……鈴木正三

江戸中期の祐天上人。1637-1718。民衆の信仰を集めた高層

因果応報が復活した近世
米一粒につもる罪を説いた徳本上人
坊主といふものは、大罪人なり。蓮如

☆☆☆☆☆
難易度3/5 推薦度3/5

浄土教系の仏教を中心にした、
罪と罰の論理の時代的変化とその原因の解説。

善知識だのみを批判した覚如と蓮如。
善知識だのみから施物だのみ物取り信心に。
そして死ねば無間地獄に墜ちる
腐敗した時代の本願寺の話が親鸞会に似ている……

・今日の一言(本文より)
そもそも因果の理とは、原因があればかならず結果があり、結果があればかならず原因があるというものだが、それが人間の善悪の行為を律する法則としてとりあげられたとき、きわめて有効な仕置きの論理となった。
대저 "인과(因果)의 이(理)"란 원인이 있으면 반드시 결과가 있고, 결과가 있으면 반드시 원인이 있다고 하는 것이지만, 그것이 인간 행위의 선악를 규제하는 법칙으로서 채용될 때, 지극히 유효한 징계의 논리가 되었다.
因果之理是,有因必有果,有果必因。可是采用它作为判断人的行为的好坏法则时,它变成了很有效的惩罚的论理。
From the start cause and effect means that wherever there is cause there is result, and wherever there is result there is cause, but when it was adopted as the law to control people's good and evil acts, it turned into a very effective logic for punishment.

タグ:笠原一男
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