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聖徳太子(岩波新書) [本(日本史]

『聖徳太子』
吉村武彦(日本古代史)
岩波新書(2002)


一万円札の聖徳太子は
法隆寺から皇室に献納されていた聖徳太子三尊像を模写し、
明治天皇の肖像に似せて描いたもの
八世紀半ばに画かれ、
モデルは聖徳太子以外に考えにくい。武田佐知子

キリストと同じく厩で生まれたのは単なる偶然
額田部王女を姦そうとした穴穂部王子
用明天皇は天然痘で死去
蘇我氏には冠位十二階とは異なる冠が王権から授与されていた
憲法十七条。官人が守るべき社会規範を説いたもの
隋の文帝は日の出前から出勤習慣を改めるように指示
推古天皇が小墾田宮に移ったのは603年

一般民衆が金や玉のアクセサリーを身につけるようになったため、
首長は地位を表す基準として衣服を採用し、
冠位十二階制が生まれた

厩戸王子には四人ないし五人の妃と少なくとも14人の子どもがいた
東の天王、敬みて西の皇帝に白す。ではないか
国王の性別をごまかす必要はなかった
裴世清に会ったのは厩戸王子
死後すぐに上宮法王と呼ばれる
高句麗の僧慧慈法師、百済の僧慧聡を師とする
蘇我馬子の飛鳥寺の方が大きかった

「上宮王撰」とは厩戸王子個人の述昨を意味するものではなく、
厩戸王子を何らかの意味の指導者とし、
実際の作業は当時の学僧である朝鮮系外国僧の協力による学問的活動の成果

厩戸王子は出家しないで在俗生活のまま
仏教の理想を実現しようとする経典に強い関心を抱いていた。

聖徳太子の墓は叡福寺北古墳
日本書紀の段階では、
厩戸王子は仏教興隆上の歴史的人物とまでは評価されていなかった
恵思禅師の後身と説かれた
廃仏毀釈で浄土真宗は影響を受けず

最高裁判所大法廷の壁面に聖徳太子伝
間人皇后御慈愛の図
聖徳太子憲法御制定の図
聖徳太子御巡国の図
聖徳太子西突厥の達頭説

☆☆☆☆☆
難易度2/5 推薦度5/5

とても面白い。一万円札はやっぱり聖徳太子だよなー。

・今日の一言(本文より、聖徳太子)
世間はむなしい仮のものでありただ仏のみが真実である。
世间虚假唯佛是真。
The world is false, only the Buddha is true.
세상은 허무한 임시적인 것이고 단지 부처만이 진실하다.

タグ:吉村武彦
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