日本人の叡知(実日新書カルチュア) [本(仏教]
『日本人の叡知』
唐沢富太郎(教育学)
実業之日本社(1966)
道元の修証一等
悟りを開くために修行するのは間違い。修行即悟り
修行と悟りは一体である
薪が燃えて灰になるのではない。薪や灰にはそれぞれの前後がある
道途が一切であり、終極は皆無である。新カント派のパウル・ナトルプ
親鸞の罪悪感、道元の時間的無常感
道元は布施、愛語、利行、同事を強調
世阿弥の芸術人生の七段階論
四十なら五十なり、人生の途中まで来てしまってから、
いまさら迷って道を変えてもどうすることもできません。
泉は、それが湧き出づる限りにおいてのみ泉として考えられる。ゲーテ
月日は百代の過客にしてゆきかふ年もまた旅人なり。芭蕉
愛は具体的である。
はなを風にまかせ、鳥をときにまかするも、布施の功業なるべし。
永遠に女性的なるもの、我らを導いて彼方に行かしむ。ゲーテ
Eternal Feminine forever drawing us up.
自分は何も知らない。しかし、もし自分が他の人よりも知っていることがあるとするならば、それは何も知らないということを知っているということである。ソクラテス
絶対慈悲者の前にはみんな平等。
親鸞は弟子一人ももたず。弟子でなく同行者
子供に愛された三人。
良寛1758-1831。一茶1768-1827。一休1394-1481
書家の書、料理人の料理、詩人の詩を嫌った良寛
愛の教師。親鸞、伊藤仁斎、中江藤樹、三浦梅園、新島襄
理性の教師。道元、荻生徂徠、本居宣長、西田幾太郎
意志の教師。日蓮、吉田松陰、内村鑑三
☆☆☆☆☆
一法に通ずることは万法に通ず。
これは恐ろしく危険な思想と思う。
一法に通ずるものは一法にしか通じないのに、
周囲の人が万法に通じると信じてもてはやす結果、
間違いが広まってしまうケースがあまりに多い。
・今日の一言(本文より、論語)
知之者不如好之者、好之者不如樂之者。
これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
아는 사람은 좋아하는 사람만 못하고, 좋아하는 사람은 즐기는 사람만 못하다.
Knowing it is not as good as loving it, loving it is not as good as delighting in it.
唐沢富太郎(教育学)
実業之日本社(1966)
道元の修証一等
悟りを開くために修行するのは間違い。修行即悟り
修行と悟りは一体である
薪が燃えて灰になるのではない。薪や灰にはそれぞれの前後がある
道途が一切であり、終極は皆無である。新カント派のパウル・ナトルプ
親鸞の罪悪感、道元の時間的無常感
道元は布施、愛語、利行、同事を強調
世阿弥の芸術人生の七段階論
四十なら五十なり、人生の途中まで来てしまってから、
いまさら迷って道を変えてもどうすることもできません。
泉は、それが湧き出づる限りにおいてのみ泉として考えられる。ゲーテ
月日は百代の過客にしてゆきかふ年もまた旅人なり。芭蕉
愛は具体的である。
はなを風にまかせ、鳥をときにまかするも、布施の功業なるべし。
永遠に女性的なるもの、我らを導いて彼方に行かしむ。ゲーテ
Eternal Feminine forever drawing us up.
自分は何も知らない。しかし、もし自分が他の人よりも知っていることがあるとするならば、それは何も知らないということを知っているということである。ソクラテス
絶対慈悲者の前にはみんな平等。
親鸞は弟子一人ももたず。弟子でなく同行者
子供に愛された三人。
良寛1758-1831。一茶1768-1827。一休1394-1481
書家の書、料理人の料理、詩人の詩を嫌った良寛
愛の教師。親鸞、伊藤仁斎、中江藤樹、三浦梅園、新島襄
理性の教師。道元、荻生徂徠、本居宣長、西田幾太郎
意志の教師。日蓮、吉田松陰、内村鑑三
☆☆☆☆☆
一法に通ずることは万法に通ず。
これは恐ろしく危険な思想と思う。
一法に通ずるものは一法にしか通じないのに、
周囲の人が万法に通じると信じてもてはやす結果、
間違いが広まってしまうケースがあまりに多い。
・今日の一言(本文より、論語)
知之者不如好之者、好之者不如樂之者。
これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
아는 사람은 좋아하는 사람만 못하고, 좋아하는 사람은 즐기는 사람만 못하다.
Knowing it is not as good as loving it, loving it is not as good as delighting in it.
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