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阿弥陀仏の理解と表現(浄土シリーズ4) [本(仏教]

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http://bit.ly/1kEVlwJ
『阿弥陀仏の理解と表現』
藤吉慈海(哲学、浄土宗)
知恩院浄土宗学研究所(1968)


仏心とは大慈悲なり。
仏は大慈悲そのもの包摂力
宇宙意志の自覚の神話的象徴が阿弥陀仏

一向に念仏申すは
阿弥陀仏の心とわが心と一つになる也。
法然

法そのものが願を起こす
真言宗の阿弥陀仏は無始無終、浄土宗は有始無終

酬因感果の理りを、大慈大悲の御心のなかに思惟して、
年序そらに積もりて、星霜五劫に及べり。法然

地球の引力も至る所に存在する電気力も阿弥陀仏の力
永遠の現在仏
弁栄の光明会、超在一神教的汎神教
弁匡の共生会
仏とは人間のあるべき理想像

キリスト教の創造摂理のドグマ的な神は吾々は認め得ないが、
神は愛であるという場合の神ならば吾々も認め得る

教主釈迦牟尼仏、救主阿弥陀仏、証誠主六方諸仏

現実を住みよくすることが南無阿弥陀仏ではないか。岡部伊都子

法華経の久遠本仏、
涅槃経の化身常住、
天地全象の大法界を化身とする華厳経

浄土の存在は天文的存在ではない。信仰的存在である。
浄土の存在は宗教的存在であり、決して、月や星の如き客観的存在ではない
浄土への距離は信までの距離

衆生生ずる者は皆これ阿惟越致なり。その中の多くは一生補処あり。
その数甚だ多し、これ算数の能く知る所に非ず。

西方とは未来のことである。志野隆則
ナムアミダ仏=お蔭様、有難う

他力本願に乗ずるに二あり、乗ぜざるに二あり。
ヤケをおこしやる気のなくなった時と、慢心の念仏は不乗。
罪悪深重の自覚と、ただ本願の称名を相続する時は乗ずる。法然

鎌倉の大仏は釈迦でなく阿弥陀如来
ベルクソン流:
三字名号。阿弥陀。法。宇宙原理
四字名号。阿弥陀仏。人。人格原理
六字名号。南無阿弥陀仏。救済原理

☆☆☆☆☆
阿弥陀仏や浄土を
現代の浄土宗僧侶がどう消化しているか興味深い。

・今日の一言(本文より、無量寿経)
これを説かんに昼夜一劫すと雖も説くことあたはず。
이것을 설명하느라 한 겁(劫)의 밤낮이 지나가도 다 설명할 수 없다.
佛言。我说无量寿佛光明威神巍巍殊妙。昼夜一劫尚不能尽。
The Buddha said, “Even if I were to expound the magnificence, splendor, and wondrousness of the light of the Buddha of Immeasurable Life day and night for a kalpa, still I could never describe it completely.

タグ:藤吉慈海
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