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はじめての親鸞さま [本(仏教]

『はじめての親鸞さま』
森田真円(真宗)
本願寺出版社(2012)


前半の三分の一ぐらいが親鸞の伝記で、
後半は真宗の教義の解説。

阿弥陀仏は限りなく一神教に近い。
ひかりといのちが限りない、
空間的時間的に無限な仏陀が阿弥陀仏。

阿弥陀仏とは、宇宙そのものが慈悲を表す手段なのだけど、
なぜ人の形や人間の物語の形を取っているのかについて

金塊でピカチュウ人形を作って二、三歳児にあげるようなもの

という説明があり、秀逸と思う。
金塊は貴重なもので、大人はその価値を理解するけど、
幼児はただの石ぐらいで、価値を理解しない。
しかし金塊でピカチュウ人形にすれば喜ぶ。
阿弥陀仏の価値を人間が理解するには、
阿弥陀仏は人間の姿と人間の物語をもっていないといけないのだ。

真宗では聴聞を重んじる。
聞きにいくのが聴く
聞こえてくるのが聞く
法話を聴くことで阿弥陀仏の声を聞くのである。

浄土往生は、
頭の善し悪しでもなく、人間の行為の論功行賞でもない。
往生は努力や才能によって成すものではない。

心を澄ましてよく聴くこと、そして待つことだと思う。
そしての結果として、念仏を称えることになる。

仏になることが確実な状態、正定聚に住するのは、
親鸞はこの娑婆で可能とした。
それは『大経』の異訳を根拠とし、
龍樹の『十住毘婆沙論』にも同様の記事があるらしい。

・今日の一言(本文より)
設我得佛 國中人天 不悉眞金色者 不取正覺。
わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々がすべて金色に輝く身になることがないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
만약 제가 부처가 될 적에 그 나라 사람들의 몸에서 찬란한 금색광명이 빛나지 않는다면 저는 차라리 부처가 되지 않겠다.
If, when I become a Buddha, the beings born in my Buddha-land are not all the color of genuine gold, may I not attain perfect enlightenment.

タグ:森田真円
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