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親鸞:その宗教的実存 [本(仏教]

shinran_sako.jpg 『親鸞:その宗教的実存』
佐古純一郎(文芸評論家、プロテスタント牧師)
教文館(1967)


著者は一灯園の西田天香や
生長の家の道場に通ったこともある。
宗教の本質は出離生死。死に向かい合うこと。

親鸞の唯信の世界とパウロの福音信仰の間には、
おかしいほどの類似性が見出される

カール・バルトは法然や親鸞の浄土信仰の立場を
「日本的プロテスタンティスム」と驚きの声を発した

西本願寺派の末寺で育った
歎異抄を読んで涙した中学生時代
これが親鸞との出会い

親鸞ひとりがため
客観的知識ではなく主観的了解であることを示す
キェルケゴールは宗教的真理は徹底的に主体的真理とする。

聖徳太子を観世音菩薩の垂迹とする信仰
法然は勢至菩薩の垂迹

死を恐れるということが保守的ということの正しい意味
仏像は拝みにゆくもの。美術品ではないのだ。

☆☆☆☆☆
法然のもとに百日の聞法求道した親鸞。
浄土真宗で聞法を重んじるのはそのためかもしれない。

キリスト教の信徒は、説教を聞き、祈るが、
浄土真宗の信徒は、法話を聞き、念仏する。

完全に同じ構造を持っていることがわかる。

・今日の一言(本文より、ローマ人への手紙、七章、パウロ)
わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。
For I know that in me, that is, in my flesh, dwelleth no good thing.
내 속 곧 내 육신에 선한 것이 거하지 아니하는 줄을 아나니
我也知道在我里头,就是我肉体之中,没有良善

タグ:佐古純一郎
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