日本人の仏教(角川選書) [本(仏教]
『日本人の仏教』
増谷文雄(宗教学、仏教学)
角川選書(1981)
根本仏教もまた、ひとつの民族の、
ひとつの時代の産物として、
それじしんのなかに、歴史的制限をふくみ、
地理的制約をにない、民族的偏向を蔵していた。
仏陀の教団に投じたのは
若く頭脳優れた貴族の子に限られていた
苦役に身を労しやっと生活できる人々は
仏陀のおしえに縁がなかった
中国伝来700年にして中国仏教は確固たる地位をしめた
格義。仏教思想を理解するのに老荘を利用する
五十音図は円仁の弟子安然の系統
いろは歌は10-11世紀
法然の根拠は善導の観経の疏の一文のみ
法然。往生要集の講義をして智慧第一の誉をえる
おしえを選ぶにはあらず。機をはからうなり。
日蓮の法然評。智は日月にひとしく、徳は先師をこえたり
明恵も法然を尊敬し念仏の邪説は在家がなしたと信じていた
二種信心。機の深信と法の深信
はじめに、わが身の程を信じて、のちには、ほとけのちかいを信じるなり
人師の立場にたった法然と最後まで拒否した親鸞
たとひ信ずといふとも、唱へずば信ぜざるがごとし。法然
法然の立場は念仏為本ではなく念仏為先
道元の仏性の確信、法然親鸞の凡夫の自覚
☆☆☆☆☆
仏陀であってもその場所の地域性の中での発言であること、
時代の制約を持っていることを忘れてはいけないと思う。
・今日の一言(本文より)
余人はわたしではない。待つべき時などというものはない。
다른 사람은 내가 아니다. 기다려야 하는 시간이란 없다.
别人不是我。没有应该等待的时间。
The others are not me. There is nothing better done later.
増谷文雄(宗教学、仏教学)
角川選書(1981)
根本仏教もまた、ひとつの民族の、
ひとつの時代の産物として、
それじしんのなかに、歴史的制限をふくみ、
地理的制約をにない、民族的偏向を蔵していた。
仏陀の教団に投じたのは
若く頭脳優れた貴族の子に限られていた
苦役に身を労しやっと生活できる人々は
仏陀のおしえに縁がなかった
中国伝来700年にして中国仏教は確固たる地位をしめた
格義。仏教思想を理解するのに老荘を利用する
五十音図は円仁の弟子安然の系統
いろは歌は10-11世紀
法然の根拠は善導の観経の疏の一文のみ
法然。往生要集の講義をして智慧第一の誉をえる
おしえを選ぶにはあらず。機をはからうなり。
日蓮の法然評。智は日月にひとしく、徳は先師をこえたり
明恵も法然を尊敬し念仏の邪説は在家がなしたと信じていた
二種信心。機の深信と法の深信
はじめに、わが身の程を信じて、のちには、ほとけのちかいを信じるなり
人師の立場にたった法然と最後まで拒否した親鸞
たとひ信ずといふとも、唱へずば信ぜざるがごとし。法然
法然の立場は念仏為本ではなく念仏為先
道元の仏性の確信、法然親鸞の凡夫の自覚
☆☆☆☆☆
仏陀であってもその場所の地域性の中での発言であること、
時代の制約を持っていることを忘れてはいけないと思う。
・今日の一言(本文より)
余人はわたしではない。待つべき時などというものはない。
다른 사람은 내가 아니다. 기다려야 하는 시간이란 없다.
别人不是我。没有应该等待的时间。
The others are not me. There is nothing better done later.
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