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啓蒙思想としての仏教 [本(仏教]

『啓蒙思想としての仏教』
黒崎宏(哲学)
春秋社(2012)


後期ウィトゲンシュタインの意味論を貫くと、
必然的に「無我」の思想に至る!

ライル:
デカルトの心身二元論は心もまた機械と見ている。

痛みの感覚は、言語ゲームには属していない
感覚は「或るもの」ではない。
しかしまた感覚は「無いもの」でもない

ウィトゲンシュタイン:
論理が意味関係であり、無時間の中にあるからである。
「本来、語とは何か」という問いは、「本来、チェスの駒とは何か」という問いと、
類似しているのである。
命題というものは、それを主語と述語に分解してしまうと、
その主語は理解不能になってしまう

「意味する」という事は、時間の中にある出来事ではない
推論の根拠は表に出すことなく行為すべき

もともと、一つの文がある。
それが、言語ゲームにおける生きた最小単位なのである。

主語から切り離された「死んだ述語」の対応物が、プラトンの「イデア」
般若心経に不常、不断が説かれていない
般若心経では諸行無常は説かれていない
一切は無限に続く記述へと解体されねばならない
一重の原理に生きる
事柄は二重には起きないという一重の原理

ウィトゲンシュタイン、和辻哲郎、ハイデガーは同い年

無明を滅する八正道。縁起を軸に解釈する。
縁起によって見て、思い、語り、行い……

☆☆☆☆☆
仏陀の本当の思想を知る……というよりも新しい解釈として非常に面白い。
ウィトゲンシュタインとの類似、そして何より本当に真理に近いと納得できる。
現代の言語哲学として非常に優れていると思う。

・今日の一言(本文より、ブッダ)
われは考えて、有る、という迷わせる不当な思惟の根本をすべて制止せよ。
나는 생각한다 고로 나는 존재한다라는 사람을 헤매게 하는 그릇된 생각의 근본을 다 제지하라.
我思故我在,应该全部停止这种迷惑人的不妥当的思维根源。
Completely stop accepting "I think, therefore I am", which the root of wrong confusing thoughts.

タグ:黒崎宏
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