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法然上人法語集 [本(仏教]

honenhogoshu.jpg 『法然上人法語集』
藤吉慈海(哲学、浄土宗)
山喜房仏書林(1976)


私が説いたら尊い真理だと思ってはならぬ、
誰が説いたものであろうと、それが真理だから尊いのだ。

いびき合間にも念仏した藤井実応

声に出さず念仏してもよいが、
周囲に迷惑にならないように声に出して念仏するのがよい
たくさんの念仏を勧めるのはそれにより三心が深く備わるため

茶道とは両手でものを受けること。片手でもってもいいものを両手で持つ心
羽渓了諦は著者の恩師

法然上人も仏恩報謝の念仏を申しなさいと勧めている

お念仏は宇宙の大生命を吸い込むパイプ
遊蓮房円照。念仏で三昧発得した人。出家前は結婚していた
良寛。自分の死後も自然は美しい

良寛の貞心尼への気持ちの歌
和顔愛語
平清盛は白河法皇の子
颯田本真尼。三年間臥ずにお念仏をした

お念仏は王三昧である。
王様は眠っているときも王様であり念仏者は眠っているときも念仏している

☆☆☆☆☆
三年間も横にならずに念仏とか、
いびきしながら念仏とか豪快だなあ。

・今日の二言(本文より)
柴の戸に あけくれかかる 白雲を いつ紫の 色にみなさん
私の粗末な柴の戸に、明け暮れ掛かる白雲を、何時になれば、紫色の雲に見なせるでしょう。
내 허술한 사립문에 아침 저녁 걸리는 흰 구름을 언제쯤이 되면 보라색 구름으로 간주할 수 있을까요.
在我简陋的茅屋上,每天出现白云,到什么时候,可看做紫云呢。
Above the thatch of my mountain home
The white clouds morning and evening hover.
Ah! When shall the hour of that day come
That the Ojo purple me shall cover?

いついつと 待ちにし人は 来りけり 今は相見て なにか思わん(良寛の貞心尼への気持ちの歌)
(=いつ来るかいつ来るかと待っていた人はやって来た。今は対面して何を思うことがあろう。彼女に逢えたから、もう思い残すほどのことはない)
언제 올까 기다리던 그 사람이 이제 왔다. 지금은 마주하고 생각할 것이 뭐가 있을까. 그녀를 만날 수 있었기 때문에 이제 미련은 없다.
到底什么时候来呢?一直等待的那个人终于来了。现在见到她了,还有什么可想的呢。既然见到她了,已经没有什么遗憾了。
The person I waited a long time for has come. Now that I see/met her I have no regrets.
Poetic version.
When? When will she come? The one I was waiting for has come. Now that I see her I have no regrets.

タグ:藤吉慈海
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