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一遍上人語録:原文対照現代語訳 [本(仏教]

『一遍上人語録:原文対照現代語訳』
高野修(時宗)
岩田書院(2010)


一遍聖は一人の弟子も持たず
十二の道具をそれぞれ仏の徳にたとえる
死後の往生を否定せず。
功利の念になるので念仏を往生と心得る
信心も問題ではない
どんな破廉恥なことをしても念仏さえすれば救われるのは間違った考え

はねハはね踊らはをとれ春駒の のりの道をはしる人そしる
跳ねたければ跳ねるがよい、踊りたければ踊るのがよい。
春の野に遊ぶ馬のように、まことの仏法の道は心ある人にはわかるものだ。

一遍は即身成仏の立場
一遍聖は浄土門であるから悟りということはない
信があればそれは自力我終

荘厳華麗な西方浄土の背後に空無我の真実浄土がありそこが涅槃

悟るといえば悟られるものがなくてはならないから悟りという言葉を用いない

法華と名号は両者一体
神々はすべての人々に念仏を勧めるためにこの国に出現した
熊野の神の根本は阿弥陀如来

☆☆☆☆☆
盆踊りの起源の人ですね。
禅と念仏と神道が合流すると一遍となる。

・今日の一言(本文より)
となふれば仏もわれもなかりけり 裏のお池で鴨がぢゃぶぢゃぶ。
염불을 외면 부처도 나도 없는 것이도다 뒤쪽 연못에 청둥오리가 첨벙첨벙.
念佛的时候没有佛也没有自己,后院池子里鸭子哗啦哗啦。
When I say Buddhist invocations there is no Buddha or I, ducks are splashing around in the pond out back.


『一遍上人全集〈全一巻〉新装版』
橘俊道(時宗住職)
春秋社(2012)


心こそ大切、外見はどうでもよい。心などない

はながいろ 月がひかりと ながむれば こころはものを おもはざりけり
花には花の色があり、月には月の光がある。ただそれだけのことと執着なく眺めていれば、心は格別のもの思いもない。無心でいられるものだ。

おもひとけば すぎにしかたも ゆくすゑも ひとむすびなる 夢のよの中
静かに思いめぐらせば、過ぎ去った過去も行末も、ひと続きのはかない夢のような世の中なのであることよ。

もし本願にかなう心を求めたら一切本願にかなうはずがない
時宗は念仏と禅を並習

☆☆☆☆☆
こちらもまあだいたい同じような本です。

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