日本語の哲学へ(ちくま新書) [本(東洋思想]
『日本語の哲学へ』
長谷川三千子(哲学)
ちくま新書(2010)
和辻哲郎とハイデッガーを中心に。
純粋有はかえって実質的に無に等しい
西洋語自身のうちに存在者を
その存在においてとらえるための言葉と文法が欠けている
和辻:もの=存在者・こと=存在
コト:時間的に推移し進行していく出来事や行為
モノ:時間的経過に伴う変化がない・不変
ものという言葉につきまとう無のかげ
ことには目立つという意味が含まれている
言の特性はあらわにする
事の特性としてあったもの
ものもことも時間的
ことは出現にものは消え去るに注目
☆☆☆☆☆
廣松のものこと論は言語論ではなく認識論であり
そもそも著者が考えるようなことを論じたものではない。
故に廣松批判は的外れ。
時間の本質は変化。
変化しないとは時間が流れないということと思う。
・今日の一言(本文より)
日常の日本語の持つ底力で哲学をする。
일상의 일본어가 가진 저력으로 철학을 한다.
用日常的日语持所有的潜力来思考哲学。
Bring out the real strength of everyday Japanese language and do philosophy.
長谷川三千子(哲学)
ちくま新書(2010)
和辻哲郎とハイデッガーを中心に。
純粋有はかえって実質的に無に等しい
西洋語自身のうちに存在者を
その存在においてとらえるための言葉と文法が欠けている
和辻:もの=存在者・こと=存在
コト:時間的に推移し進行していく出来事や行為
モノ:時間的経過に伴う変化がない・不変
ものという言葉につきまとう無のかげ
ことには目立つという意味が含まれている
言の特性はあらわにする
事の特性としてあったもの
ものもことも時間的
ことは出現にものは消え去るに注目
☆☆☆☆☆
廣松のものこと論は言語論ではなく認識論であり
そもそも著者が考えるようなことを論じたものではない。
故に廣松批判は的外れ。
時間の本質は変化。
変化しないとは時間が流れないということと思う。
・今日の一言(本文より)
日常の日本語の持つ底力で哲学をする。
일상의 일본어가 가진 저력으로 철학을 한다.
用日常的日语持所有的潜力来思考哲学。
Bring out the real strength of everyday Japanese language and do philosophy.
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