「わたし」を探険する(双書 哲学塾) [本(哲学思想]
『「わたし」を探険する』
村田純一(哲学)
岩波書店(2007)
哲学とは徹底した問い。
わたしの客観としての用法と主観としての用法。
世界を見ているとき周囲を隠しているのは自分自身である。
知覚経験の主体は身体である。
ヴァイツゼッカー:
知覚とは自我と環境とのそのつど一回きりの出会いである
わたしとは世界と他者との相互行為のなかで成立する。
記憶によって結ばれた意識の同一性。
精神分析にかかる患者の多くが精神分析の理論を熟知しており
しばしば医者の予期に答えるような症状を呈する
色の逆転の困難さ。
色にある様々な要素を入れ替えを困難にする。
認知の細かさという概念が必要なのだと思う。
・今日の一言(本文より)
記憶を失うことは自己を失うことにほかならない。
기억을 잃는 것은 자기를 잃는 것과 다름없다.
失去记忆无非就是失去自己。
Losing one's memory is no different than losing one's self.
村田純一(哲学)
岩波書店(2007)
哲学とは徹底した問い。
わたしの客観としての用法と主観としての用法。
世界を見ているとき周囲を隠しているのは自分自身である。
知覚経験の主体は身体である。
ヴァイツゼッカー:
知覚とは自我と環境とのそのつど一回きりの出会いである
わたしとは世界と他者との相互行為のなかで成立する。
記憶によって結ばれた意識の同一性。
精神分析にかかる患者の多くが精神分析の理論を熟知しており
しばしば医者の予期に答えるような症状を呈する
色の逆転の困難さ。
色にある様々な要素を入れ替えを困難にする。
認知の細かさという概念が必要なのだと思う。
・今日の一言(本文より)
記憶を失うことは自己を失うことにほかならない。
기억을 잃는 것은 자기를 잃는 것과 다름없다.
失去记忆无非就是失去自己。
Losing one's memory is no different than losing one's self.
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