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暗記より瞬訳 [語学学習記録]

最近、語学のブログをよく読むようになった。そこで気になったのが、暗記 ― 何も見ずに全文をそらで言えるまで練習すること ― についての問題である。多くのブログで、暗記を強く推奨しているのが非常に気になる。中にはなぜ中学英語の時点から徹底して暗記させないのかという意見も読んだことがある。

私はこれはとても危険な兆候であると思う。まず暗記が有効かどうかは人によるということだ。同じ教科書1ページを暗記するのに、30分で終わってしまう人から、5時間近くかかる人もいる。あるいは、何ヶ月後も覚えている人もいれば、一週間後にはすっかり忘れてしまう人もいるのである。人の記憶力というのはあまりにも差があるのだ。

私は典型的な後者なので、暗記至上主義者には少々憤りを覚えるものである。私は中国語の学習で教室の方針のためかなりの量の暗記をしたが、時間がかかる上に、今は全然記憶に残っておらず、暗記は全くの時間の無駄だったと断言できる。私が語学学習で効果を感じたのは和文英訳/中訳/韓訳の添削、ディクテーション、テキストビューワによる朗読、類語分類による語彙の整理の4つで、暗記は無意味だと痛感した。

ブログ上で語学学習する人たちの多く前者の記憶力が高い人である。この記憶力という要素は語学の才能に直結するので、自然に記憶力の悪い人は語学を避けるようになる。結果、成功した人は大量暗記した人の比率が高くなってしまうという、統計錯覚もある。私の知人の英語教師も、学生時代の大量暗記が全く無意味だったと憤っている。そういう人はふつう語学の道に挫折するので表に出ないが、潜在的に多くいるのだということを知って欲しい。

これがわかっていれば、中学や高校で暗記させないのは当然のことと理解できるはずだ。数倍も効率も違う学習法を強要すれば、低記憶力タイプの生徒がどんなひどい目に遭うかはすぐわかるはずだ。学校の先生もそれをわかっているからしないのである。高記憶力タイプでない人間は、暗記をあまり採用すべきではないのである。

また暗記が効率的と言えないのは、そこに記憶の本質である"組み合わせ"が少ないからである。暗記は前の言葉に対して後ろの言葉を組み合わせる、前後関係の記憶だからである。しかし言葉の流れや組み合わせは無限にあり、決まった流れを覚えるなど不自然きわまりないことである。

私が暗記したときの経験でも、外国語の学習というより、舞台の台詞を覚える練習になってしまう。次の文章は何かを記憶するという順番を覚える時間がほとんどで、外国語を覚える練習にならないのだ。これでは外国語の勉強をする時間がなくなってしまうと思った。

それを理解すれば、最も有効なのは暗記ではなく、和文英訳/中訳/韓訳の記憶、瞬訳記憶であるということがわかるだろう。日本語を見て外国語を答えられるように記憶するのは価値が高い。暗記が駄目で瞬訳記憶がよいのは、日本語と外国語という組み合わせを作るからである。

逆に言うと、暗記がある程度効果があるのは、和訳や内容を完全把握していて前後の流れなども絶対忘れないものの場合だけである。だから、上級者が基礎のテキストを暗記するのは無意味ではないということである。暗記というのは、実は通訳者など上級者の学習法なのである。学習者の多くは上級者になって暗記の効果が出るようになってから暗記の効果を再発見するため、最初から暗記がよかったなどという錯覚が生まれるのである。

・今日の一言
記憶とは二つの事柄をくっつけることである。
기억란 둘 사항을 붙이는 것이다.
所谓记忆是把两个事情连在一起的活动。
The act of committing to memory is to join two matters.

タグ:暗記 瞬訳
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