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祝!宮城谷光武帝連載始まる!「草原の風」 2 [本(小説]

 私は今まで光武帝のプラス面ばかり書いているので、マイナス面について考えようと思う。

 光武帝は非常に大きく誤解されている皇帝である。
 一番ひどい誤解は、豪族に推戴された皇帝で権力が弱かったというもの。
 事実は完璧に正反対である。光武帝政権は、民衆の支持をベースにした軍事独裁政権で、皇帝の権力は中国史上最大であった。光武帝は自ら将軍として、中国全土の敵対するものすべて叩きつぶした武人皇帝である。統一後もその軍事力を完全掌握し続けた光武帝の権力は絶大であった。とにかく後漢王朝では、皇帝以外に一切権力がないのだ。そのため皇帝が若くして亡くなって幼帝が続くと、外戚と宦官が権力を握って争うようになった。皇帝の親戚と、皇帝の使用人が、皇帝の権力を借りることで権力をふるうようになったのである。
 後漢王朝の晩期になると、やっと豪族も経済力を基礎にしてわずかに力を持つようになる。そして政権を左右しようと挑んだ結果が、党錮の禁である。豪族たちはなすすべもなく権力争いに敗れて散ってしまったのであった。

 光武帝は勝者として美化されているのか。
 光武帝の凄さを挙げれるとすれば、武勇、平等、ユーモアの3つである。ところがこれらは儒教においては全く評価されないものである。そのため史書では武勇は目立たないように隠されて書かれているし、平等を示す人権政策もただ記録があるだけだし、ユーモアのエピソードも笑いよりも知恵のエピソードになっている。
 その結果、光武帝の凄さは知られずに埋もれたままになってしまう。美化どころか平凡で陳腐にすら見えるように描かれているのだ。光武帝はあまりにも儒教の理想からかけ離れていた。

 光武帝が怪しげな予言書を信じたとされること。
 これは間違いなく欠点のように思えるが、ここにも誤解がある。他の時代において予言書を信じた者は、そのために誤った行動をして失敗するが、光武帝にはそれがない。というのも、光武帝は予言書を信じたのではなく、現実が予言されていると信じていたのである。そのため現実に合わない予言は無視されたのだ。光武帝は運命論者ではあったが、迷信深いと考えるのは誤りである。

 光武帝で本当に非難するべきことは、その統一戦争である。
 光武帝は中国全土を戦場にして戦いによる天下統一をしたため、凄まじい死傷者が出ていた。新の崩壊から後漢の統一にかけて、人口は半減し、二千万人以上の人命が失われたと考えられている。これを光武帝の責任と考えるのは明らかに酷であるが、光武帝が高祖劉邦のような謀略家であれば、このような結果にはならなかっただろう。もちろんその場合、前漢初期のような貧弱な政権しか樹立できないが、失われた人命はより少なく済んだはずである。
 私が敢えてこれを指摘するのは、明らかに光武帝自身がそう考えていたからである。光武帝は統一後、戦いという言葉を嫌い、戦争を徹底して回避するようになる。やむを得ない混乱で死傷者が出るとそのたびに死人が出たことを後悔していた。
 光武帝は徹底して民衆の立場に立ち、豪族などが権力をふるうのを嫌っていた。その政治は「以元元為首(民衆を最優先にする)」と呼ばれるようになる。
 光武帝の最期の言葉、死に際しての詔の言葉は、光武帝が最期の瞬間まで民衆のことを考えていたことを示す、衝撃的な言葉で始まっている。

「朕無益百姓(私は民衆に何もしてやれなかった)……」

詳しく知りたい人はこちらへGo!
光武帝と建武二十八宿伝

・今日の一言
以元元為首。
民衆を最優先にする。
민중을 최우선으로 한다.
The people are top priority.

タグ:劉秀 光武帝
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