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仏陀の観たもの(講談社学術文庫) [本(仏教]

『仏陀の観たもの』
鎌田茂雄(中国・朝鮮仏教史、天道流合気道六段)
講談社学術文庫(1977)


わかりやすい。
仏教思想の真髄がコンパクトにまとめられた良書

有無と存在の違い。
不生不滅、死と生は別ではない。
死と生はすべてつながった一つである。

死後はどうなるかなど、形而上学の質問に仏陀は答えない。
形而上学に無駄に議論するのは、
負傷者が毒矢の種類や射た人がわかるまで毒矢を抜かないようなもの。
より大事なことを忘れているのだ。

真理は一つであり、第二の真理はない。
真理を知った人は争うことがない。
なぜなら真理を知った者は言葉でなく行動するからだ。
仏教は行為主義であり、行為こそが価値基準である。

ちょっと雑学。
いろは歌は『涅槃経』を訳したものらしい。

生とは何か?
生命は一瞬一刻の呼吸の中にある。
人生は一回ぽっきりであり、
一回ぽっきりになりきることができたとき、
自我は真の無我となる。

仏教は禁欲主義ではない。
涅槃は欲望の否定ではなく欲望の転回。
愛欲を断ずるとは愛欲を転ずるということ。
これはフロイトの昇華に近い考え方だ。

縁起とは何か?
何かが生起する原因や過程を考えるのは誤り。
縁起は決して物理学ではない。
縁起とは相依相関の関係性、持ちつ持たれつの原理である。

ソシュールは、言語とは対立であり、
ある言葉の意味は他の言葉との関連で決まるとしている。
ある存在は他の存在があって成立するのである。

仏と武道の関連。
心を執着しないこと。
心をどこにも置かず、心がいずこにも行きわたっている状態こそ最強である。
観の目つよく見の目よはくとは宮本武蔵の言葉。
目より心で見るのである。
これは別に超能力のようなことを言っているのではなく、
注意を一点に固定しないということである。
全体へ注意を融解させるのである。

仏とは特別な超人ではない。
人が真の人となることが仏になることである。
真の自己になりきることを正状、三昧という。

人はいかにして真の人となるのか?
それは道を求めるということ。
道は自分が平生なしている行動や仕事の中にある。
身の回りの小さな事柄の中にこそ道は隠れているのだ。
禅の修行が日常の生活に向けられているのもそのためである。

自己と世界の関係。
天地は自己と不二なるもの。すべて一つである。
天地の心を我が心とする。
天地の運行や自然の生成流転そのものの中にひそむ生命、
これこそ我が心に外ならない

それでは個人とはどのように存在するのか。
個人や自我とはただ幻なのか?

世界から切り離された独立した個とは幻である。
だが個そのものは幻ではない。
個とは世界における視点のことなのである。
それは時空間における位置のことなのである。

すべてが相互支持により存在しているにもかかわらず
個が一つ一つ違うのは、
世界における位置が違うということである。

・今日の一言
縁起とは持ちつ持たれつの原理である。
연기(緣起)의 의미는 세상의 모든 일이 서로 도움의 원리에 의해서 존재하고 있는 것이다.
所谓缘起是,这世界上所有的东西都是由互相依存的。
"Pratiitya-samutpada" is that everything is presented by the principle of interdependence.

タグ:鎌田茂雄
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