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〈個〉からはじめる生命論(NHKブックス) [本(哲学思想]

『〈個〉からはじめる生命論/加藤秀一/NHKブックス/2007』
著者:社会学、性現象論
評価:生きることの意味を考える・深さと浅さが共存する本

ロングフル・ライフ(wrongful life)訴訟とは?
障害者が自分が生まれたことについて医師に賠償請求した。
医師が障害を伝えていれば自分は中絶されていたはずだ。
医師は自分が生まれない権利を侵害した!

刑法の堕胎罪。
中絶した女性と医師は罪を問われる。
ただし経済条項により中絶が許可される。
日本の中絶は年間30万件もある。
しかし中絶は基本的に犯罪であり、
例外として母体保護法で許されているのみなのである。

遺族の気持ちに過剰に重みを置く危険性。
被害者に遺族がいなければ加害者が許されてしまう。
これは死刑を考えるときにも重要であるし、
修復的司法を考えるにも重要な問題である。
法の平等性が失われる危険があるのだ。

死ぬと生まれてこないは似ても似つかない。
誰かが存在することを、
その人にとって利益や不利益とみなすこと自体が無効。
故にロングフルライフ訴訟は正しくないという。

アメリカでの優生思想。
1924年の連邦最高裁の判決文中の言葉、
"白痴が三代続けば十分だ"

生きる意味の不安は2種。
・意味の不在への不安
自分がいてもいなくても世界は変わらないという無力感。
・意味の過剰への不安
自分が他者の操り人間であるという虚無感。

自分は何のために生まれてきたのか?
自分が誰かの道具であったら、
悩みが解決されたと喜ぶことができるか?

例としてドナー・ベイビーを挙げる。
白血病などの病気の子どもがいる親が、
着床前診断を利用して移植ドナーに適した子どもを新たに産む。
あなたはまさに兄/姉を助けるために生まれたのだ。
おそらく納得できないだろう。
すなわち、この問いは問い自体が間違っているのだ。

ハンナ・アーレント
ギリシア人は労働を蔑んだのは生命そのものを蔑んだから。
しかし近代には、その蔑まれた生命が最高善の地位を獲得した。

ピーター・シンガーの人間の概念の二つの意味の区別。
ホモ・サピエンスという種の成員であること、そして人格を持つこと。

生きているといはどういうことか?
呼びかけることが無意味ではない対象を生きていると呼ぶという。
著者はシンガーの考えに近いもの、
生命の論理から誰かの倫理へを提唱している。

この辺り、どうも議論が原始的だなと思ったら、
生命と精神を区別するというのは常識ではないらしい。
自然科学者にとって生命と精神の違いは自明のことのように思う。
人文科学、社会科学の人にとってはそうではないかのも。

例えば著者は、
遺伝子こそが生命の本質であると信じている現代の分子生物学者が、
―仮にそのような楽天家がいまなお残っているとすればの話だが―
ゲノム配列を調べ上げれば、
あなたという存在の本質を突き止めたことになると考えるかもしれない
という。

しかし生命と精神の違いを認識しているから、
遺伝子が生命の本質と考えるのであり、
そういう人もあなたの本質がゲノム配列などと考えたりしないと思う。
楽天家などではなく、深刻に深く考えるから、
遺伝子に生命の本質を見出すのである。
そしてそれは個=精神とは全く別ものだ。

著者の言う、
"生命の論理"と"誰か/人格/精神"を分けて後者を優先するというのは、
自然科学者にとっては常識ではないだろうか?

・今日の一言
自分は何のために生まれてきたのか?
Why was I born?
뭘 위해서 제가 태어났을까?
为什么我出生在这世界?

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コメント 2

自分は何のために生まれてきたのか?その答えが分かったときに人は強く生きられます。混迷する世界はホモ・サピエンスの次の世代を待っているのかもしれません。
by (2008-01-17 14:32) 

Kay-akira_Hirota

"何のために生まれてきたのか"ではなく、
"何のために生きているのか"が大事だと思っています。
上記の本では、それが重要な違いなので……
by Kay-akira_Hirota (2008-01-18 22:23) 

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