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痴呆の哲学(シリーズ生きる思想6) [本(医療問題]

『痴呆の哲学/大井玄/弘文堂/2004』
著者:終末期医療、国際保険、地域医療
評価:痴呆とは何か、自己とは何かを探究する。仏教哲学的でもある

痴呆は悪いものではない。
純粋痴呆は環境に適応して満足した状態という。
痴呆老人の精神症状の発現は人間関係の悪さに由来しているという。
人間関係が恵まれていると、痴呆があっても気づかないことがあるのだ。
都会では老人性の鬱がぼけと誤解されているケースが多いらしい。

痴呆には癌による精神的身体的苦痛がない。
癌の痛みを訴えないのだ。
さらに痴呆には死の恐怖、消滅への恐怖が存在しない。

優良施設の原則とは、お年寄りを不安にさせることはしないこと。
周囲の痴呆への理解と共感があれば、
被害妄想、せん妄、攻撃、徘徊のない純粋な痴呆状態が作りうるという。
そして純粋痴呆は幸福ではないかと示唆している。

精神的苦痛とは、
自分の"できること"と"したいこと"の乖離から生まれる。
若い頃の苦痛は、自分の"したいこと"ができない苦痛である。
痴呆では、"できること"に応じて"したいこと"も減少していく。
だから、適応的なのである。

生活満足度と健康や所得は相関が弱い。
癌患者であるかどうかすら相関しない。
自己の自由度、行動における選択肢が多いことが満足と幸福を生むのだ。
だからお金持ちでも自由がなければ不幸だし、
貧乏でも自由に選ぶことができれば幸福なのである。

痴呆と多重人格の比較も面白い。
人格交代という点に共通性がある。
多重人格は一つの人格が単純で葛藤がない。
これは環境に対する適応であり、痴呆による人格変化、
若いときの自己への回帰から無言語状態への変化も
適応と言えるのだ。

痴呆老人の味方になるには絶対に反論してはならない。
また、痴呆では敵か味方かの感性が数倍敏感になるという。
あの、ブッシュ大統領の
"味方でなければ敵だ"
You're either with us or against us.
は、痴呆的という。

アメリカではインフォームドコンセントの制度が定着してからも、
医師の被訴訟率は上昇するばかりらしい。
患者が求めるものは、説明ではないのだ。

自己とは何かという考察も面白い。

瞑想とは、意識から言葉を消す方法。
座禅では、呼吸を意識し、空気と身体のつながりを感じ、
自他の分離を消去すると、自己も消える。

著者は、"私はいのちを持つ"や"私は生きている"は間違っているとする。
いのちが人格を選択するのだ。
"いのちが私をする"あるいは"いのちがあなたとして現れている"
が適切という。
生命が環境に適応するために生まれたのが精神なのである。

・今日の二言
痴呆老人は癌による苦痛を感じない。
Dementia old persons don't feel cancer pain.
치매노인은 암에 의한 고통을 느끼지 않는다.
痴呆老人没有癌症的痛苦。

味方でなければ敵だ。(ブッシュ大統領)
You're either with us or against us.(President Bush)
우리편이 아니면 적이다.(부시 대통령)
你要么支持我们,要么反对我们。(布什总统)

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