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仏教と精神分析 [本(仏教]

『仏教と精神分析』
三枝充悳(仏教学者)
岸田秀(精神科医)
レグルス文庫(1997)


精神科医が仏教学者に質問する。
仏教思想がわかりやすい。

精神分析と禅の公案には親近性があるようだ。
禅の公案は、
ダブルバインド状態にも似ているように思う。
ダブルバインド状態を作ることで、
無我への道を開くのだろう。

仏像の指と指の間には水掻きがあるらしい。
特異な人物には特異な身体的特徴があるということ。
中国史の建国の英雄に身体的特徴があるとされるのに似ている。

ヨーロッパ文化の体験談。
一行で済むことを数ページも使って解説する。
これは翻訳書を読むとそう思う。
欧米の本は日本と違って、資料集のようなものが多い。
反論に備えて書かれているのだ。

色即是空とは
認識から離れたモノ自体は存在しないということ。
哲学の認識論的な深い意味があるわけだ。

苦とは
自己矛盾のこと、
得られないものを求めて苦しむ
自己を持って世界と矛盾すること

人が成長することで、世界から分離した自己を知ったとき苦しみが始まる。
そして世界の中に溶け込んだ存在としての自己を知ったとき
苦から解放されるのだろう。
自我を自分を動かす存在とする。
すると自我とは、過去の経験から構成されることになる。
過去はもちろん現在にはない。すなわち自我はない。
現在ではなく過去に動かされる人間が我に囚われた人間である。
過去を生きて現在が見えない人が我に囚われた人間である。

武士が禅を好む理由がわかる。
人を殺す職業たる武士は、過去を振り捨て、
まさに今現在に生きねばならないからだ。

無我とは欲望をなくせということ。
過去からのつながりを断てということ。
禅の公案はすべて、
過去ではなく現在に生きることを求めるものである。
過去ではなく現在の存在として問いに応じることができたとき、
師はその弟子を認めることになるのだ。

仏教の諦めるとは、明らかにするということ。
諦観とは真理を見るということ。
真理を知ることで、
正しく判断行動できるようになるのが諦観ということだろう。

因縁
因とは原因、縁とは因が結果にいたる条件のこと。

三枝氏の示す相待主義。
積極的に相手を受け入れる関係主義のこと。

いかにして今現在を生きるか。
実存主義哲学とも共通する仏教哲学の面白さである。

創価学会を擁護する発言があるのが面白い。
だってレグルス文庫だもん。

・今日の一言
私たちは過去ではなく現在を生きている。
We live in the present, not the past.
우리는 과거가 아니고 현재에 살고 있다.
我们不是在过去活着而是在现在活着。

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