劉邦 [本(人物伝記]
『劉邦』
佐竹靖彦(中国史)
中央公論社(2005)
面白いが推測が多過ぎ。
創作とそうでない部分が区別できない。
劉邦を冷遇した兄の子の信は、
そのエピソードに合わせて、
羮頡(あつものがりがり)侯に封じられた。
劉秀が、彭寵を殺して降伏した相手を不義侯に封じたのと、
同じセンスだな。
日本人は人を軽々しく罵倒するが、中国人には理解し難い危険なこと。
中国人は面子のために命を捨てるからね。
しかし、韓国人の罵倒は日本人程度ではないんだな、これが。
ところが劉邦は部下をよく罵る。その場面は12回。
しかしその後に待遇を善くしたりする。
まるで劉邦の罵りは犬の調教ようだという。
実際そうなのだろう。劉邦の罵りは意図的で計算されたものと感じる。
劉邦の将来を予言した武負はその後、
高名な占い師にの許負になったらしい。
撃剣:フェンシングのように一定の判定基準で試合をするもの。
やはり典論での曹丕の行動は剣がないだけで撃剣そのものなのだろう。
呂公は呂不偉の息子かも。その理由は3つ。
1.呂不偉の領土に呂公の単父県が含まれる
2.父にならって先物買いした
3.呂氏春秋と呂后の政治方針の類似
正直言って、かなり根拠は弱い。
が、劉邦の死後の呂氏の台頭はあまりにも不自然だし、
そもそも、劉邦と呂氏で天下を取ったというわりには、
呂氏の功績の記述が少ない。
呂氏についてたくさんの記録が抹消された可能性はあるようだ。
蚩尤は中原では蔑視されたが、楚では民衆で信仰されていた。
儒教で考えれている思想体系はあくまでも中央のみなのかもしれない。
鴻門の会は交渉の席ではなく降伏の儀式。
そして、その直後に讒言したとして殺された左司馬の曹無傷は、
挙兵時に郡守壮の首を取った豪傑だった。
曹無傷は項羽に報告に行ったがそれを事実無根とし、
責任を押しつけて殺したのだという。
劉邦のやり口は曹操に似ている。
☆☆☆☆☆
全体にこの本は司馬遼太郎の影響を受けすぎと思う。
司馬遼太郎の劉邦のイメージは"器の人"である。
最初、私も劉邦は"器の人"というイメージだったが、
史記を詳しく読むようになって、策士のイメージに変わった。
そもそも劉邦には謀略のエピソードが多く、
度量を示すエピソードは多くない。
曹操から学識をなくすと劉邦になる。
知識がない分だけ曹操より能力が低く、粗野で失敗も多い。
ファンは納得しないだろうが、
楚漢の戦いは中国史上、最も低レベルの天下争いだったと思う。
この二人はどう見ても天下人の器ではない。
他の時代の乱世なら、10年ももたず領土を失い敗死するだろう。
その時代の生活レベルや学問レベルが、
その時代にどれだけ優れた人物を生み出すかを決める。
楚漢の戦いが、それほど高度ではないのは当然である。
始皇帝の愚民政策の結果、
人材が枯渇していたためこの二人の争いになったのだ。
劉邦の魅力として、
どんなに罵っても離れなかった側近がしばしば強調されるが、
それはどの時代の英雄にもいるのであって、
特筆するようなものではない。
国家の中核になった人物の言動を見れば、
劉邦の魅力とは、"反項羽"なのが理解できるだろう。
陳平の比較が実に的を射ている。
項羽は礼儀正しいので、義を知る者が集まるが、
物を惜しむので野心家が集まらない。
劉邦は礼儀がないので、義を知る者は集まらないが、
物を惜しまないので、利益を好む者が集まる。
魅力という点でも一長一短で互角としているのだ。
そして、謀略による切り崩しで項羽陣営を崩壊させていく。
では、魅力において互角の劉邦が、項羽を倒した要因は何か?
知略の差である。劉邦は第一級の策士であるのだ。
これが誤解されたのは、失敗が多いので知略の人と思いにくいためだ。
劉邦は農民出身であり、知識や情報が多くない。
そのため知略があっても自身では発案することが難しい。
部下の進言という形を取るため劉邦の知略は見えにくいのだ。
だがそもそもその進言の正しさを理解するだけの知略がなければ、
どんな謀略といえども採用することができないのである。
劉邦の魅力とは謀略によって項羽を利用して作られている。
劉邦集団とは、反項羽集団であって、
劉邦が謀略でそれを維持していたのである。
劉邦への求心力は項羽が生み出していた。
だから、項羽が死ぬとバラバラに解体していく。
劉邦自身には求心力がなかったから、
自分の直轄地を全土の三分の一しかもてず、
残りを反項羽の同盟軍にばらまかなければならなかった。
さらに統一後は、次々と仲間割れを起こし、
張良ですら隠居してしまう。
首脳として残った人たちも、
後に呂氏が劉邦の子孫を次々と殺しても抵抗しなかった。
劉邦に魅力がなかった証拠である。
劉邦とはまさに"反項羽"、項羽の影なのである。
陳平の比較は後漢光武帝・劉秀にも適用できる。
劉秀は項羽と同じ分類になる。
劉秀は礼儀正しいので、義を知る者が集まるが、
物を惜しむので野心家が集まらない。
だが、それで天下を取った。知略があったからである。
彭寵、劉揚のような野心家はすべて切り捨て、
項羽のように、逆らうものすべて自ら戦って潰したのが劉秀である。
項羽は垓下で敗れ、二十八騎ととも散ったが、
劉秀は二十八将とともに天下を統一したのだ。
劉邦の偉大さは、後に続く、文帝、景帝、武帝という英主により、
錯覚を生みやすい。
漢の皇帝の権力が、秦の始皇帝に匹敵するまで拡大するのは、
百年近く後の武帝の時代である。
始皇帝の領土を100とすれば、
高祖劉邦40、文帝50、景帝80、武帝120ぐらいなのだ。
そもそも自身に能力がない人には、人材は集まらない。
"器の人"というのは、日本人だけが持つ幻想である。
中国史の名君はことごとく自身が強力な能力を持っていた。
後漢光武帝劉秀、唐太宗李世民、五代後周柴栄、清康煕帝など、
自身がまず能力が高いのだ。
そして、集まる家臣も自分に似たタイプである。
部下のある能力が優秀かを理解するには、
その能力について知識と経験が必要だからだ。
部下がある作戦を進言したとしても、
それが正しいか判断できなければ使いようがない。
プロ野球の監督でプロ野球選手でなかった人はいない。
無理なのだ。
劉邦は策士であったから、部下も策士や弁舌の士が多く、
項羽は勇士であったから、部下も勇士が多い。
正史の三国志に描かれる劉備も器の人でなく、武勇の人である。
劉秀や李世民はほぼ全能型だったので、どのタイプの人材も多い。
能力がなく器だけの人はただの凡人であり、何もできはしない。
能力があっても器がなければ人の上には立てず失敗する。
能力が前提にあって、その上に器が要求されるのである。
・今日の一言
能力がない人に人材は集まらない。
능력이 없는 사람에게 인재는 모이지 않는다.
没本事的人不会搜集天下的优秀人才。
An incompetent person does not attract talented people.
佐竹靖彦(中国史)
中央公論社(2005)
面白いが推測が多過ぎ。
創作とそうでない部分が区別できない。
劉邦を冷遇した兄の子の信は、
そのエピソードに合わせて、
羮頡(あつものがりがり)侯に封じられた。
劉秀が、彭寵を殺して降伏した相手を不義侯に封じたのと、
同じセンスだな。
日本人は人を軽々しく罵倒するが、中国人には理解し難い危険なこと。
中国人は面子のために命を捨てるからね。
しかし、韓国人の罵倒は日本人程度ではないんだな、これが。
ところが劉邦は部下をよく罵る。その場面は12回。
しかしその後に待遇を善くしたりする。
まるで劉邦の罵りは犬の調教ようだという。
実際そうなのだろう。劉邦の罵りは意図的で計算されたものと感じる。
劉邦の将来を予言した武負はその後、
高名な占い師にの許負になったらしい。
撃剣:フェンシングのように一定の判定基準で試合をするもの。
やはり典論での曹丕の行動は剣がないだけで撃剣そのものなのだろう。
呂公は呂不偉の息子かも。その理由は3つ。
1.呂不偉の領土に呂公の単父県が含まれる
2.父にならって先物買いした
3.呂氏春秋と呂后の政治方針の類似
正直言って、かなり根拠は弱い。
が、劉邦の死後の呂氏の台頭はあまりにも不自然だし、
そもそも、劉邦と呂氏で天下を取ったというわりには、
呂氏の功績の記述が少ない。
呂氏についてたくさんの記録が抹消された可能性はあるようだ。
蚩尤は中原では蔑視されたが、楚では民衆で信仰されていた。
儒教で考えれている思想体系はあくまでも中央のみなのかもしれない。
鴻門の会は交渉の席ではなく降伏の儀式。
そして、その直後に讒言したとして殺された左司馬の曹無傷は、
挙兵時に郡守壮の首を取った豪傑だった。
曹無傷は項羽に報告に行ったがそれを事実無根とし、
責任を押しつけて殺したのだという。
劉邦のやり口は曹操に似ている。
☆☆☆☆☆
全体にこの本は司馬遼太郎の影響を受けすぎと思う。
司馬遼太郎の劉邦のイメージは"器の人"である。
最初、私も劉邦は"器の人"というイメージだったが、
史記を詳しく読むようになって、策士のイメージに変わった。
そもそも劉邦には謀略のエピソードが多く、
度量を示すエピソードは多くない。
曹操から学識をなくすと劉邦になる。
知識がない分だけ曹操より能力が低く、粗野で失敗も多い。
ファンは納得しないだろうが、
楚漢の戦いは中国史上、最も低レベルの天下争いだったと思う。
この二人はどう見ても天下人の器ではない。
他の時代の乱世なら、10年ももたず領土を失い敗死するだろう。
その時代の生活レベルや学問レベルが、
その時代にどれだけ優れた人物を生み出すかを決める。
楚漢の戦いが、それほど高度ではないのは当然である。
始皇帝の愚民政策の結果、
人材が枯渇していたためこの二人の争いになったのだ。
劉邦の魅力として、
どんなに罵っても離れなかった側近がしばしば強調されるが、
それはどの時代の英雄にもいるのであって、
特筆するようなものではない。
国家の中核になった人物の言動を見れば、
劉邦の魅力とは、"反項羽"なのが理解できるだろう。
陳平の比較が実に的を射ている。
項羽は礼儀正しいので、義を知る者が集まるが、
物を惜しむので野心家が集まらない。
劉邦は礼儀がないので、義を知る者は集まらないが、
物を惜しまないので、利益を好む者が集まる。
魅力という点でも一長一短で互角としているのだ。
そして、謀略による切り崩しで項羽陣営を崩壊させていく。
では、魅力において互角の劉邦が、項羽を倒した要因は何か?
知略の差である。劉邦は第一級の策士であるのだ。
これが誤解されたのは、失敗が多いので知略の人と思いにくいためだ。
劉邦は農民出身であり、知識や情報が多くない。
そのため知略があっても自身では発案することが難しい。
部下の進言という形を取るため劉邦の知略は見えにくいのだ。
だがそもそもその進言の正しさを理解するだけの知略がなければ、
どんな謀略といえども採用することができないのである。
劉邦の魅力とは謀略によって項羽を利用して作られている。
劉邦集団とは、反項羽集団であって、
劉邦が謀略でそれを維持していたのである。
劉邦への求心力は項羽が生み出していた。
だから、項羽が死ぬとバラバラに解体していく。
劉邦自身には求心力がなかったから、
自分の直轄地を全土の三分の一しかもてず、
残りを反項羽の同盟軍にばらまかなければならなかった。
さらに統一後は、次々と仲間割れを起こし、
張良ですら隠居してしまう。
首脳として残った人たちも、
後に呂氏が劉邦の子孫を次々と殺しても抵抗しなかった。
劉邦に魅力がなかった証拠である。
劉邦とはまさに"反項羽"、項羽の影なのである。
陳平の比較は後漢光武帝・劉秀にも適用できる。
劉秀は項羽と同じ分類になる。
劉秀は礼儀正しいので、義を知る者が集まるが、
物を惜しむので野心家が集まらない。
だが、それで天下を取った。知略があったからである。
彭寵、劉揚のような野心家はすべて切り捨て、
項羽のように、逆らうものすべて自ら戦って潰したのが劉秀である。
項羽は垓下で敗れ、二十八騎ととも散ったが、
劉秀は二十八将とともに天下を統一したのだ。
劉邦の偉大さは、後に続く、文帝、景帝、武帝という英主により、
錯覚を生みやすい。
漢の皇帝の権力が、秦の始皇帝に匹敵するまで拡大するのは、
百年近く後の武帝の時代である。
始皇帝の領土を100とすれば、
高祖劉邦40、文帝50、景帝80、武帝120ぐらいなのだ。
そもそも自身に能力がない人には、人材は集まらない。
"器の人"というのは、日本人だけが持つ幻想である。
中国史の名君はことごとく自身が強力な能力を持っていた。
後漢光武帝劉秀、唐太宗李世民、五代後周柴栄、清康煕帝など、
自身がまず能力が高いのだ。
そして、集まる家臣も自分に似たタイプである。
部下のある能力が優秀かを理解するには、
その能力について知識と経験が必要だからだ。
部下がある作戦を進言したとしても、
それが正しいか判断できなければ使いようがない。
プロ野球の監督でプロ野球選手でなかった人はいない。
無理なのだ。
劉邦は策士であったから、部下も策士や弁舌の士が多く、
項羽は勇士であったから、部下も勇士が多い。
正史の三国志に描かれる劉備も器の人でなく、武勇の人である。
劉秀や李世民はほぼ全能型だったので、どのタイプの人材も多い。
能力がなく器だけの人はただの凡人であり、何もできはしない。
能力があっても器がなければ人の上には立てず失敗する。
能力が前提にあって、その上に器が要求されるのである。
・今日の一言
能力がない人に人材は集まらない。
능력이 없는 사람에게 인재는 모이지 않는다.
没本事的人不会搜集天下的优秀人才。
An incompetent person does not attract talented people.
タグ:佐竹靖彦
>能力がなく器だけの人はただの凡人であり、何もできはしない。
能力があっても器がなければ人の上には立てず失敗する。
能力が前提にあって、その上に器が要求されるのである。
第一が劉禅かな?第2が項羽。
策略の技能がある程度ないと、策略の良否はわからない。まあ眼高手低というから、能力のすべてが桁違いに高い必要もないだろうが、やはり重要なのですね。
やはり類は共を呼ぶですね。
再見!
by 武侯仁従 (2007-03-19 09:36)
こんにちは。
なるほど、演義の諸葛亮みたいな赤壁後の曹操追撃策は、
自動車のペーパードライバーが行く先々の信号をすべて青になると予言するようなもので、
能力について知識と経験が欠けている書生の若造は見当違いの方角に伏兵を置いてしまう危険性が高いのですか。
by 巫俊(ふしゅん) (2007-03-20 18:04)