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中国古代国家と郡県社会 [本(東洋史]

『中国古代国家と郡県社会』
藤田勝久(中国古代史)
汲古書院(2005)


秦漢の統治システムの構造を知る良書。

水利事業には三種類ある。
黄河治水:災害救助と交通輸送の維持のため
中央より派遣されるもの。
漕運事業:京師への輸送のため
郡県の組織と中央からの援助で行う。
郡県灌漑事業:在地の官吏と労働力で行うもの。

王莽始建国三年、西暦11年に、
黄河が魏郡で決壊、東流れが主流になった。
黄河の川筋が変わってしまったのである。
ところがこれを王莽は放置し、
治水が行われたのは78年後の明帝の時代である。
それは中国史上初の本格的黄河治水であった。
黄河と卞渠の修治と築堤し、王呉と王景が指導し、
十万人と百億銭が投入された。

物流を担当したのは都尉の系統。軍事系統である。
太守の治所は河川の中流や上流にあるが、
都尉は河川の入口や出口や結節点あるのはそのため。

光武帝の都尉の廃止は、軍政統治から文官統治へを意味した。
後漢の重要な政策として、
30年の郡県の統合、39年の戸口と田土調査、69~70年の黄河治水、
76年に土地を3ランクに分類して台帳を作成ことなどがある。

後漢の三分類
前期・光武帝明帝章帝、中期・和帝安帝、後期・順帝以降である。
地方官の横暴と豪族の自立化などは後期の問題である。

四民月令は勧農書の類だった。
四民月令の穀物売買は物価安定のためであり、
祭祀と交際の記述は、豪族より郡県の官吏の礼儀である。
四民月令は豪族の農業経営ではなく、
官僚に封する時令の大綱、官僚や官吏が遵守すべき規範を示すのだ。
それでこそ、班固の四民による分業論にも対応するし、
著者崔寔の思想ともかみ合うことになる。

『漢代の神神』
林巳奈夫(中国古代の考古学)
臨川書店(1988)


漢墓の図版の謎解き解説。

漢代の皇帝の象徴的図像は蓮の花。
いろいろなものに蓮の花が描かれたらしい。

天神の中で一番貴い神が太一であり、
最高位の帝であり天極星、こぐま座βらしい。
……って、当時の星座の位置は現代と異なるので、
こぐま座βではないだろう。
当時は北極星と呼べる明るい星はなかったはずだ。

『黄老道の成立と展開』
浅野裕一(中国哲学)
創文社(1992)


近年出土資料の経法・十六経・称・道原など。

五惑星の運行から軍事を占う五星占。
金星が東天にあれば徳と呼ぶ。
金星を左あるいは正面とすれば軍事行動の吉。
右や背すると凶。
金星が西天にあれば刑と呼ぶ。その意味はすべて徳と反対になる。
土星が自国分野の天空に滞在したのち東西に去ると、
国家は凶であり、土地に災いがあり、戦争も不可である。

天体や雲気から占う天文気象雑占。
弓形の青い雲は城を攻めて勝つしるし。
赤い雲が日月の暈に入って真っ赤に染まると大勝利し領土にできる。
彗星が出現し尾が短いと飢饉である。
長いと兵乱であり、尾のある所には利益があるとする。

軍事占いというのもなかなか興味深い。

なぜ埋められたのは方士なのに、焚書坑儒というのか。
当時は方士と区別できない儒家がたくさんいたから。
孟子の学派の神秘主義が儒家にして方士という人を
たくさん生み出したのだ。
実際、当時は学者というひとかたまりの集団があるのであって、
儒家とか道家とか厳密な境界があるわけではないのだ。
学者たちから見れば道家や法家があるわけだが、
学者でない人からはみな同じなのである。

・今日の一言
一世紀、北極星はなかった。
There was no Polaris in the first century.
일세기, 북극성이 없었다.
一世纪没有北极星。

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