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遵法意識の両極性 [本(中国事情]

『中国人民に告ぐ!』
金文学(作家、比較文学者)
祥伝社(2000)


中国の悪い面をワイドショーのように描く。

中国人中庸思考と中国の群体主義。
流行の画一性や他人に合わせる傾向を述べる。
中国人は、自己の防衛のためには激しく個を出し一歩も譲らないが、
集団の意志決定のときは他人に合わせるのである。
みなが正しく、みなの思考で問題を考え、
みなを絶対基準とするのだ。
なぜなら、こうした場面で個を出すのは危険だからである。

中国の無法社会ぶりを例を挙げて解説。
96年に窃盗集団が逮捕された。
彼らは1077回も窃盗したがその内、被害届は1回しか出ていない。
法律が全く信用されていないのだ。
林語堂はいう。中国人は面子を捨てないと民主国家になれない。
同感だが、面子を捨てられる社会にならないと難しい。
無法社会に面子は不可欠なので、
いかにして法の信頼を作り出すかが問題だ。

ある人口1億の国があるとしよう。
その国では法律が全く信頼されず、誰も守らない。
すると、その国は無法国家となり発展途上国のままとなる。
ある国では法律が信頼され、皆が法律を守る。
この国は犯罪も起こらず経済も順調で先進国となる。
さて、人口1億の内、1人だけが法律を守る国ではどうか?
もちろん、その1人がただ損をするだけで、
その国は無法国家のままであり、発展途上国である。
逆に、人口1億の内、1人だけが法律を無視する国はどうか?
その1人はただちに刑務所に投獄され、
その国は犯罪の少ない先進国となる。

すなわち、法律を守る人間の比率が問題なのである。
みんなが法律を守れば、
多くの人も法律を守らなければならないと感じるし、
みんなが法律を守らなければ、
多くの人も馬鹿馬鹿しくて法律を守ろうとしない。
遵法意識のスパイラル状態に落ち込み、
法律は信頼されなくなる。

そのため、ある一定比率以上法律を守る人がいれば
その国は法の重んじられる先進国となるが、
一定の比率以下だと、
無法な発展途上国になってしまうのである。
国民の遵法意識というのは、両極に振れるものなのだ。
その中間に長期間とどまることができない。
そのために、
国というのは先進国か発展途上国かどちらかなのであって、
その間はない。
今の先進国は100年前も先進国だったし、
発展途上国はずっと発展途上国だ。
"発展途上"の国という言葉は、全くの欺瞞である。

今ちょうど、韓国と台湾がこのボーダーラインの突破を目指し
一進一退をしているところである。
中国はこれからこのボーダーライン越えに挑戦することになる。

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