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日本はナチスと同罪か [本(歴史]

『日本はナチスと同罪か/西尾幹二/WAC BUNKO/2005』
著者:ドイツ文学者
評価:ドイツの戦後賠償の意味を知る・ただ根本に勘違いが……

ドイツは日本のような講和条約を結んでおらず、
近隣諸国と法的には交戦状態。
戦勝国に賠償も謝罪もしていないのだが、それはドイツ人も知らない。
ただし、これはドイツが手抜きしたということではなく、
東西に分裂していたためである。
旧アメリカ兵の日本企業への訴訟は、
サンフランシスコ講和条約で解決済みなので無効となった。
法律というものはこういうものなのだ。倫理とは異なる。
暴支膺懲・不拡大方針・八紘一宇・東亜新秩序の建設など、
戦局に応じてスローガンが後付けされた。
その場の流れで動いた日本政府。
戦前の日本政府は、大局的戦略があったわけではなく、
その場しのぎで動いていたのである。
朝鮮半島との問題は、イギリスとインド、フランスとインドシナ、
オランダとインドネシアと比較すべきという。
植民地問題であるから当然である。
日韓は戦争した事実はなく、
ドイツと比較するのは勘違いも甚だしいわけだ。
戦後の裁判では3つの罪が問われた。
平和に対する罪、人道に対する罪、通常の戦争犯罪である。
日本は人道に対する罪は問われていない。
人道に対する罪とは、ナチスのユダヤ人虐殺のようなものをいう。

ドイツのヴァイツゼッカー大統領はいう。
一民族全体に罪があるもしくは無実であるということはない、
罪も無実も集団的ではなく個人的なものだと。
人間は自分がしていないことに道徳的な責任はとれない
政治的な責任を負うのみだ。
西尾幹二はこれとらえ、ドイツ人は卑怯だという。
ドイツ人は、自分の罪を言葉巧みに回避していると。

勘違いも甚だしい。このドイツ人の感覚こそ正しいのだ。
西尾幹二は、罪と責任の意味がまるでわかってない。
ヴァイツゼッカーの言葉のほうが、
人間の感覚を正しくとらえているのだ。

人は、自分の選択肢で回避できないことに罪を感じることはできないし、
責任も負うことはできない。
戦後に生まれた日本人やドイツ人は、
戦争や植民地について罪を感じないし、
責任を持たないのも当然である。
もちろん、現在の知識が正しくないことで相手を傷つけ、
罪を感じ、責任をとることはできる。
ただしそれは、日本人が韓国人・中国人に対して持つだけでなく、
韓国人・中国人が日本人に持つこともあり得ることだ。

民族や国民の罪などという空虚な美しい言葉で、
責任者の罪を軽くすることは許されない。
一国の指導者と一般民衆の責任は、比較できないほどに違う。
政治指導者、企業家、マスコミなどの権力者の責任が重く、
一般人の罪はほとんどないに等しいのは当然である。

小さな力の者は小さな責任を負い、
大きな力の者は大きな責任を負う。
この当たり前のことを認識していない人がいる。
人は責任を平等に背負うものではないのだ。
大きな力の者は小さな力の者と同じことをしても、
与える影響が全く違うのだから。

『近代中国は日本がつくった/黄文雄/WAC BUNKO/2005』
著者:評論家
評価:反共台湾人の反共工作書・根拠と結論に関連なし

中華民国は日本への留学生が建設した。
漢字使ってて勉強しやすいからね。
すると、今の日本留学組に大物がいないことの方が問題だ。
関于、由于、認為、視為は日本語を翻訳して生まれたという。
明治初期に英語翻訳調の日本語ができたようなものか。
中国外来語1270の459が日本語由来。
中国語の建設に日本人も加わったわけだ。

これだけ中国で活躍した日本人を挙げて、
共産党の八路軍で活躍した日本人を挙げないのはなぜか。
本質的に反共台湾人の反共工作の一環ということ。
個々のデータは面白い。が、
本タイトル、章タイトル、文末の結論に論理的に結びついていない。

『日韓歴史論争/桜井よしこ・金両基/中央公論社/1997』
著者:ジャーナリストと比較民俗学者
評価:基本的に「と」本・論理的で無知vs.博識で非論理

論理的で無知な女史と、博識で結論が先にある老人の対話。
金氏の結論を決めつけて次の話題に変えてしまう話法がはなはだ不快。
その上、想像で論じるなといいながら自分は想像で決めつける。
結局、二人はジャーナリストと比較民俗学者。
二人とも歴史論争するだけの力がないことは明白。

95年ドイツ世論調査によると、
終戦の日は80%がナチスから解放された日だという。
敗戦でなく解放なのである。
朝鮮半島に赤線や遊廓がなく、身売りという感覚はなかったという。
売春婦はどうしてたのか?
19世紀の半ばの朝鮮国民、
その30%が奴婢≒奴隷だったという事実はどう考えるのか?
キリスト教は征服を反省しているのに日本は反省しないという。
国家と宗教団体を比較するのは変だろう。
日本の仏教団体は戦争を反省していると思うが?
日本は朝鮮へ資金を大量に投資し、
植民地支配で損をしたという考えがある。
ここで注意が必要なのは、日本からの朝鮮への40万の移民だ。
この移民にともなう動きと見れば何の不思議もない。
アメリカの貿易赤字がアメリカへの移民と連動しているのと同じだ。
戦前の朝鮮人台湾人は選挙権も被選挙権もあった、
戦後に廃止されたので在日にそれを復活させる根拠があるという。
バカをいうな。
韓国や北朝鮮に選挙権や被選挙権があるのにおかしいだろう。

根本的な間違い。
そもそも日本とか韓国に意志や意図はない。
日本とか韓国などという"もの"は存在しない。
あるのは日本政府や韓国政府だが、それとて複数の人間の集団である。
構成する人間が意志を持つのであって、
集団が意志や意図を持つように考えるのは妄想以外の何物でもない。
歴史を考えるときは、日本は、韓国は、などと考えてはならない。
伊藤博文はこういう意図があった、
福沢諭吉の意志はこうだったと論じることができるのみである。
個々の人間を見ない妄想的歴史論は、何の真実を取り出せないだろう。

意図、意志、罪、責任 ― これらはすべて個人が持つものである。
歴史論争は、根本が間違っているものが多い。

『日本の植民地支配/水野直樹・藤永壮・駒込武,編/岩波ブックレット/2001』
著者:
評価:データを検証しているが結論へ飛躍

結論が先にあり、関連するデータを並べたもの。
自慰史観の書籍のデータのおかしさを確認できる。
虚偽はなく、資料が参考になるが非論理的。


『戦争責任・戦後責任-日本とドイツはどう違うか/望田幸男,他/朝日選書/1994』
著者:
評価:細かいデータがよくわかる

中国との戦争は事変、すなわち戦争ではないので、
中国人は捕虜として扱わないことになっていたという。
これが中国戦線の残虐さにつながったようだ。
日本アジア解放論は、ヒトラー共産主義手先論と同じレベルだという。
ヒトラーの敗戦は共産主義を西欧に呼び寄せたから。
ちょっと強引な気がするが、
確かに結果を目的にこじつけるのは不適切だ。

タグ:西尾幹二
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