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やさしい安心論題の話 [本(仏教]

anjinrondai.jpg 『やさしい安心論題の話』
灘本愛慈(浄土真宗)
本願寺出版社(1985)


真宗のご安心は聞く一つである
一念というは、
信心をうるときのきわまりをあらわすことばなり
信心には必ず歓喜をともなう
私の力は役に立たないと知ること

阿弥陀仏は、信じた者は救うが、
信じない者は救わないというように、
信心を救いの条件としているのではない。
阿弥陀仏はすべての人に救いの手をさしのべている。

法然上人の信疑決判の釈と親鸞聖人の信心正因は同じ意味
法然上人の示された法義を受けて、
更にそれをいっそう明確にしたのが親鸞聖人

信一念の瞬間についてあれこれの戯論。
信を得た瞬間は自覚できるか

蓮如上人の「たのむ」は「たのみにする、信頼する」
仏凡一体は信を得たとき

法然上人の念仏為本は諸行に対して言ったもので
親鸞聖人の信心正因と同じ
往生は平生に定まる平生業成は法然上人から受け継いだもの

第十一願は正定聚は浄土でなることを示す
親鸞は正定聚は現世でなると述べる

☆☆☆☆☆
難易度2/5 推薦度4/5

やはり親鸞聖人と法然上人の言うことは同じだと思う。

・今日の一言(本文より)
信心を得てもこの世が浄土になったり仏になったりするわけではない。
신앙심을 얻어도 이 세상이 정토가 되거나 자기가 부처가 되거나 그런 것은 아니다.
得到信仰这个世界也不能变成净土,你也不能成佛。
Even if you have real faith in Amida Buddha it doesn't mean this world will become the pure land, or that you will become a buddha.

sogimondo.jpg
『わかりやすい宗義問答』
宗義研究の会
浄土真宗本願寺派(1984)


信心を得ると救われたという喜びの自覚がある
疑い晴れた喜びの心相がある
他力の信心を得た者にはかならず喜びの心がある
歎異抄の喜ばずは、
さほどありがたいと喜べないというのみ
他力の信心はみな同じだが喜びの様子は人により異なる

機の信心は自分の力では足りないと自覚すること
罪悪感の深さ浅さは関係ない
信心とともに往生いかがの不安はとれる

法然上人以降阿弥陀仏は立像が増える
一如宝海より形を現して法蔵菩薩となる
阿弥陀仏に救われると十種の徳を得る
苦悩が軽くなるのではなく、苦悩の受け止め方が変わる

☆☆☆☆☆
難易度1/5 推薦度4/5

この二冊は浄土真宗の論理がよくわかり面白い。

タグ:灘本愛慈
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