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中世京都と祇園祭:疫神と都市の生活(中公新書) [本(日本史]

『中世京都と祇園祭:疫神と都市の生活』
脇田晴子(日本中世史、日本女性史)
中公新書(1999)


疫病退散の祭り
山鉾巡業は14世紀から
御輿渡御と山鉾巡業の二つの部分からなる
怨霊が疫病の原因と考えられた
神を慰撫して遠くの地に行ってもらうため

現在では神輿は七月十七日に
山鉾巡業が終わってから四時ごろに八坂の社殿を出発、
練りまわして八時ごろに御旅所に入る

祇園会を契機にはじまった永長の大田楽

疫神牛頭天王が疫病をうつす神から
疫病から守ってくれる神へと変化

黒谷の法然上人が祇園林で説教したことを
牛頭天王が喜んで二首の歌を読む

疫病の流行という現象は、
政治的な失脚者のこの世に対する怨みを、
天が代わって行っているのだと考えられた

☆☆☆☆☆
難易度3/5 推薦度3/5

・今日の一言(本文より)
そもそも祇園会をはじめとする御霊会は、疫神を追いやる祭礼であるから、疫神を乗せる神輿をつくって、それに神が乗っていると考えた。そしてその神輿の前で、神をよろこばせるいろいろの芸能をして歓待し、供え物をして、神が満足したと見るや、どこかの水辺に流したのである。
원래 기온회(祇園会)를 비롯한 영혼회(御霊会)는 역신을 쫓아버리는 제례이기 때문에, 전염병의 신을 태우는 신의 가마를 만들고, 거기에 신이 타고 있다고 생각했다. 그리고 그 신의 가마 앞에서 신을 기쁘게 하는 여러 가지의 예능을 해서 대접하고, 제물을 바치고, 신이 만족한 듯 보이면 어딘가의 물가에 흘려보낸 것이다.
本来衹园会等御灵会是赶走疫神的祭礼,制作疫神乘坐的神轿,人们认为疫神会坐在那里。然后在神轿之前,表演艺术并款待让疫神高兴,见疫神满足了,就把它放在某个水边。
From the beginning because Goryoe, including the Gione, is the festival to dispel gods of epidemics they made portable shrines to carry the epidemic gods and believed the gods would ride in these. People performed various acts in front of the portable shrines to please the gods, and gave them offerings. Then once they thought the gods are satisfied they threw the portable shrine into a river.

『祇園祭:都市人類学ことはじめ』
米山俊直(文化人類学)
中公新書(1974)


直径2mの車輪
高さ21mの長刀鉾
祇園。八坂神社の主祭神はスサノオノミコト
琴の名人伯牙の伯牙山

巡行の先頭は長刀鉾
7月1日からまる一ヶ月が祇園祭りの期間
女人禁制とはなにか

ちまきにダンゴは入っていない。
室町時代は山鉾が58基

☆☆☆☆☆
難易度3/5 推薦度2/5

学生たちとのプロジェクトより
祇園祭りの運営の話が多い
町単位で鉾があるらしい

タグ:脇田晴子
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