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フィーリング・ブッダ:仏教への序章(世界からの仏教―イギリス篇) [本(仏教]

『フィーリング・ブッダ』
デイビッド・ブレイジャー(阿弥陀宗)
四季社(2004)


原題:The Feeling Buddha: A Buddhist psychology of character, adversity and passion 1997
(感情をそなえたブッダ:品性・苦難・情熱に関する仏教心理学)

逃避ではなく
気高い人生を生きることを説いた

后マハーマーヤーは産後数日して亡くなりました。
摩耶夫人。あるいは帝王切開か

中道とは川の中心部のイメージ
スムーズに流れるから

苦duhkhaには精神的なもの身体的なものも含まれる

家族の死を悲しんではいけないのか
人を愛してはいけないのか

目覚めた人においては、
目覚めのあとも依然としてさとりが刻々に展開し続けているのです。

諸行無常:すべてのものは変わること
諸法無我:何ものも確固とした実体としては存在していない
一切皆苦:あらゆるものが悲嘆の原因になり得る

涅槃、nirvana は本来は風のない状態without-windを意味する

釈尊はさとりを開くことで因果の影響を受けなくなったのではなく、
因果に油断することがなくなったのです。

生きることには苦が伴う
⇒苦は感情を引き起こす
⇒感情のエネルギーは有用な形で利用できる
⇒エネルギーをコントロールすれば道が開ける

苦は道を歩むために必要な原動力になっている

釈尊の母は釈尊が生まれて七日目に死んだ

理想のブッダが阿弥陀仏、
理想の菩薩が観世音菩薩

観世音とは叫びを聴く者。すべての存在を慈悲の目で見る

釈尊は軍事的比喩をよく使う。武士階級出身だから

さとりを開いた仏教者の耶律楚材

中に砂粒がなければ真珠はできない。
No pearl without grit.

科学はどのようにすればよいかを教えてくれますが、何をすべきかについては教えてくれません。
Science will tell us how to do something, but not what to do.

釈尊は息子、妻、叔母、何人かの従兄弟たちを伴って旅をしたのです。
He was accompanied by his son, his wife, his aunt, and several of his cousins.

「それが可能だからする」というのは仏教ではない。不可能だけれども、わたしたちの本性がそれを欲しているからやらなければならないのだ。鈴木俊隆
"Because it is possible we will do it," is not Buddhism. Even though it is impossible, we have to do it because our true nature wants us to.

苦聖諦:不完全であることを少しも恥じることはない
there is no shame in being imperfect.

If you want no more problems, just go insame. There are no problems in a meaningless life.
難題を一切持ちたくないのなら、狂気に落ち込んでごらんなさい。意味のない人生には、何の問題もありません。
난제를 일체 가지고 싶지 않으면 미쳐 보렴. 의미없는 인생에는 아무런 문제도 없습니다.

アングリマーラよ、わたしはもうすでに止まっている。こんどはおまえが止まる番だ。
Angulimala, I have stopped. Now it is your turn to stop.

イエス・キリストの小さな物語。彼は大工の子供であり、妻を得ることも仕事に就くこともできずに、ささいな罪を犯したかどで処刑された。
He was a carpenter's son who never managed to get himself either a wife or a proper job and finished up being executed for a rather trivial offense.

自分たちがもっとも自由であると感じたのは、もっとも抑圧されているときだった。サルトル
It was when we were most oppressed that we were most free.

歴史的に見れば、共産主義を実践してきたのは、実はたいてい宗教的な集団だったのです。
Historically, it is religious groups, on the whole, that have practiced communism and the communalistic ethos is strong in Buddhism.

Namo Amida Buddha
Om Mani Padme Hum
蓮の中の宝珠に幸あれ

・今日の一言(本文より)
Feelings are natural, inevitable and not something to be ashamed of.
わたしたちが持つさまざまな感情は自然なものであり、避けることのできないものであり、それについて恥を感じるべきものではない。
我们持有的各种情感都是自然的,都是不能避免的,对这些情感我们不应该感到羞耻。
우리가 가지고 있는 여러 감정은 자연스러운 것이고 피할 수 없는 것이고 그에 대해 창피하다고 느껴야 하는 것이 아니다.

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