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曽我量深対話集 [本(仏教]

『曽我量深対話集』
曽我量深(浄土真宗僧侶)
彌生書房(2000)


仏教の法とキリスト教神学のゴッド・ヘッド
華厳経。十信が満足するとき成仏する

菅円吉。キリスト教は寛容の精神ではない。
不寛容の精神、寛容しない精神に立っている

蓮如:人に負けて信をとれ
禅宗は言い過ぎ、真宗は言い足りぬ
親鸞はあると等しいというが、一応はであるという

キリスト教は象徴。仏教は象徴とは言わない
ある人はティリッヒは仏教の人という
キリスト教は日蓮に近い

明治初期の教えは蓮如上人と民間信仰で親鸞聖人のおことばは誰も知らない
花を見るときは花そのものになりきってしまう
鈴木大拙の英文は外国人も感心するような名文であった
有名な妙好人は反逆者みたいなもので本当の妙好人ではない
キリスト教の人は真宗を非常に似ているがまだキリスト教になっていないと受け取る
善導大師は景教の影響を受けている

聖道門の人すべて一心金剛の戒師として法然上人の教えを受けている。
法然上人が光明を放っておられる姿をみな拝んだ

鈴木大拙。横隔膜に紐がさがってそこへ腸が入ってしめられた。老衰ではない

理の仏教から事の仏教へ
我如来を信ずるが故に如来在ます也
浄土に報土と化土がある

弟子を一人を持たず。パウロ、キルケゴール、ソクラテスも
親鸞聖人:大信心は長生不死の神方

理想を誓願といった
親鸞は理屈っぽい。何ゆえにとよく問う
親鸞聖人は哲学者と同じように対話篇的に話している

他力。
親鸞と曇鸞はよく使うが善導と法然はあまり使わない

日蓮の自力本願
清沢の絶対他力
キリスト教。世界の平和は正義を貫くことにしかない
宗教というのはいつも自分と対話する仏がいなさる
往生は現生にある、往生は心にある、成仏は身にある

中村元:慈悲の悲には全く悲しみの意味はない

親鸞聖人が聞いたのは法然上人の第三期の思想
仏教はまだ二千五百年しか経っておらん
懺悔はさんげと読むのが正しい

☆☆☆☆☆
未来でなく現在で往生でないと積極的でなく
現代で受け入れられないと考えているらしい。

・今日の一言(本文より)
罪業もとよりかたちなし、妄想顛倒のなせるなり。親鸞
죄업도 원래 형태가 없고 그건 망상 당황이 만드는 것이다.
罪孽本没有形状,都是妄想颠倒所驱使的。
Sinful acts are without form, they are caused by (the) delusion or confusion of the mind.

タグ:曽我量深
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