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日本人の信仰:民族の「三つ子の魂」(中公新書) [本(仏教]

nihonjinnoshinko.jpg 『日本人の信仰:民族の「三つ子の魂」』
梶村昇(日本仏教思想史)
中公新書(1988)


日本人が無宗教ならば、あるいは程度の低い宗教を信じているならば、
キリスト教のような程度の高い宗教はまたたく間に広まるはずである。

タイの精霊ピー信仰
ビルマの精霊ナット信仰

民族固有の宗教は形を変えて共存している

本居宣長:神とは可畏き物

すべてのものが救われると説くのは宗教として当然、
と考える考え方に日本人の信仰の特色がある。
聖徳太子は多くの仏典から
すべてのものが救われると説く経典のみを選択した。

菩薩は仏になろうとしている修行者:
観音、地蔵、弥勒、普賢、文殊、勢至

釈尊は阿弥陀仏の本願を説こうとした。
他の行は相手に応じて説いた。釈尊の心底ではない。

平安末期から鎌倉時代にかけて、
日本の宗教界を揺り動かした中心人物は法然であった。
法然に至って初めてすべてのものに神性を認める日本人の神観念が
現実に具体的に救いをみずからに体現するものとして表出されてきた。

親鸞は師の法然上人が言われたから信じるのであって、
念仏が極楽に生まれるたねになるのか、否か、ぜんぜんわからないと言う。
親鸞も聖光も念仏に対する信は、よき師法然に対する信であり、
仏教という枠に限定されない、それを超えた人間的なつながりにおいて生じたもの。

疑いながらも念仏すれば往生できる。

阿弥陀仏はわれわれに自然のということのあり様を知らせようとする手だてである。

tsudo.jpg 『津戸三郎為守:法然上人をめぐる関東武者〈3〉』
梶村昇(日本仏教思想史)
東方出版(2000)


子孫は宮司

法然上人が作られたという阿弥陀如来を本尊とする

独立した郷士農民=悪党

心を開いて話し合う。
それが宗教の基本であり、生きるということ、そのものだと思う。

禅勝房に教訓を加えた熊谷直実、念仏の要文を誤写して津戸に渡す

知恵第一の法然房
慈悲第一の阿性房

為守は切腹して臓物をすべて出したのに死なず57日後に法然の迎えが来る

akunishokisetsu1.jpg 『悪人正機説(大東名著選)』
梶村昇(日本仏教思想史)
大東出版社(1994)


悪人正機説は法然が言ったことである。
『歎異抄』の悪人正機は法然が言ったことを親鸞が語ったもの。
親鸞は法然の祖述者をもって任じている。
配流のときに別れを惜しんだ弟子の一人が勢観房源智、
そのとき語ったぎりぎりの教えとは悪人正機ではないか?

『拾遺漢語燈録』が醍醐本の『法然上人伝記』
悪人正機説を含む三心料簡事は義山により削除された
悪人正機説の記録『夢中松風伝』『口伝抄』『輸円草』
『選択集』そのものがすでに悪人正機説を説く論理構造になっている
日本仏教史は法然の出生をもって、その前半と後半とに二分できる。
悪人=自分の力で何ひとつ仏教の修行のできない煩悩のふかい人間

☆☆☆☆☆
法然と親鸞の一体性がよくわかり興味深い。

・今日の一言(本文より)
善人でも往生できるのであるから、まして悪人が往生できるのは当然である。
善人尚且往生,況惡人耶?
선인도 왕생할 수 있으므로, 하물며 악인이 왕생할 수 있는 것은 당연하다.
If even the virtuous can be saved, how much more so the wicked.

タグ:梶村昇
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