法然を読む:「選択本願念仏集」講義(角川ソフィア文庫) [本(仏教]
『法然を読む:「選択本願念仏集」講義』
阿満利麿(日本宗教思想史)
角川ソフィア文庫(2011)
オウム真理教は教祖が超人だから殺人を容認した
中世は神々が仏の一部になった
当時人気なのは法華経
無量寿経のみが滅びずに残る
煩悩の本質は自己愛にある
煩悩を除去することではなく
煩悩の存在を認めた上でいかにすれば成仏が可能か
明恵の『摧邪輪』に反論したのが親鸞の『教行信証』
阿弥陀仏の一八願を中心にすべての仏教を再編成
すべての人間の救済を約束する大乗仏教を
理解し実践できる人が限られているのはなぜか
超越的宗教としての浄土教
親鸞:
凡夫には真実心などひとかけらもなくあるとすれば阿弥陀仏から賜ったものだ
清沢満之:
有限な自己が無限の存在に自己を託そうとする営み
宗教とは主観的事実
さまざまな救済論を認めた上で自分に一番ふさわしい教えを選択した
神秘体験でなく信知=信じなければならない理由を徹底的に知ることが基本
・今日の一言(本文より)
宗教とは有限な自己が無限の存在に自己を託そうとする営みである。
종교란 유한한 자기가 무한한 존재에 자기를 맡기고자 하는 일이다.
宗教是把有限的自己托付给无限的存在的行为。
Religion is the behavior that the limited self entrusts to the infinite existence.
『法然の衝撃:日本仏教のラディカル』
阿満利麿(日本宗教思想史)
ちくま学芸文庫(2005)
宮古島には喪服という習慣がなかった
日本への仏教の伝来は
百済の聖明王が仏像を一体送ったことに始まる
海や川から現れたという伝承をもつ仏像の多さ
仏は外国から来た神
神の来訪がいつも誕生という形式をとるがゆえに、
神はいつも童形でイメージされる
特殊な神と普遍的な仏の並存、
特殊な神を通じて普遍的な仏につながろうとする意識
熊谷の研いだ刀は法然上人に献上。
法然は津戸三郎に与える。
津戸は法然と同じ年齢で自害。上人の命日か。
法華経との対立点。
法華経は経典、塔、仏像などの多様な功徳を述べる。
凡夫とは心の落ち着かぬ酔っぱらいのようなもの
われら凡夫は、悪をつくろうと思って悪いことをするのではありません。凡夫の習いで、その時々の迷いに引かれて悪をつくってしまうのです。それは、われらの力の及ばぬことなのです。
法然の力及ばすとは主体性の尊重でもある
信とは疑いを除くことであり、歓喜ではない
自分がどのような人間であるかをよく知り、阿弥陀仏の誓いを深く信じる
死が苦しいのは念仏者でも同じ
サンスクリットでは子供はバカも意味する
日蓮は『貞観政要』『孝経』を愛読していた
日蓮の浄土はこの世にあるとしたが後に霊山浄土へ変化
自分たちを迫害非難する人も過去世で父母兄弟かもしれないとあわれみの心を持つ
自然法爾は運命論ではない
法然上人行状絵図は548m
一遍は専修念仏ではなく空也や良忍の系譜
一遍の念仏は苦行と一体の聖の念仏。法華と名号は一体なり
法然は二元論で相即の論理は皆無
親鸞は法然を大乗仏教の正統に位置づけようとし信の喜びを積極的に主張した
自らが浄土へ往生して仏となり、
そののちに仏力をもって、
亡き両親をはじめ有縁無縁の人々を救う。
阿満利麿(日本宗教思想史)
角川ソフィア文庫(2011)
オウム真理教は教祖が超人だから殺人を容認した
中世は神々が仏の一部になった
当時人気なのは法華経
無量寿経のみが滅びずに残る
煩悩の本質は自己愛にある
煩悩を除去することではなく
煩悩の存在を認めた上でいかにすれば成仏が可能か
明恵の『摧邪輪』に反論したのが親鸞の『教行信証』
阿弥陀仏の一八願を中心にすべての仏教を再編成
すべての人間の救済を約束する大乗仏教を
理解し実践できる人が限られているのはなぜか
超越的宗教としての浄土教
親鸞:
凡夫には真実心などひとかけらもなくあるとすれば阿弥陀仏から賜ったものだ
清沢満之:
有限な自己が無限の存在に自己を託そうとする営み
宗教とは主観的事実
さまざまな救済論を認めた上で自分に一番ふさわしい教えを選択した
神秘体験でなく信知=信じなければならない理由を徹底的に知ることが基本
・今日の一言(本文より)
宗教とは有限な自己が無限の存在に自己を託そうとする営みである。
종교란 유한한 자기가 무한한 존재에 자기를 맡기고자 하는 일이다.
宗教是把有限的自己托付给无限的存在的行为。
Religion is the behavior that the limited self entrusts to the infinite existence.
『法然の衝撃:日本仏教のラディカル』
阿満利麿(日本宗教思想史)
ちくま学芸文庫(2005)
宮古島には喪服という習慣がなかった
日本への仏教の伝来は
百済の聖明王が仏像を一体送ったことに始まる
海や川から現れたという伝承をもつ仏像の多さ
仏は外国から来た神
神の来訪がいつも誕生という形式をとるがゆえに、
神はいつも童形でイメージされる
特殊な神と普遍的な仏の並存、
特殊な神を通じて普遍的な仏につながろうとする意識
熊谷の研いだ刀は法然上人に献上。
法然は津戸三郎に与える。
津戸は法然と同じ年齢で自害。上人の命日か。
法華経との対立点。
法華経は経典、塔、仏像などの多様な功徳を述べる。
凡夫とは心の落ち着かぬ酔っぱらいのようなもの
われら凡夫は、悪をつくろうと思って悪いことをするのではありません。凡夫の習いで、その時々の迷いに引かれて悪をつくってしまうのです。それは、われらの力の及ばぬことなのです。
法然の力及ばすとは主体性の尊重でもある
信とは疑いを除くことであり、歓喜ではない
自分がどのような人間であるかをよく知り、阿弥陀仏の誓いを深く信じる
死が苦しいのは念仏者でも同じ
サンスクリットでは子供はバカも意味する
日蓮は『貞観政要』『孝経』を愛読していた
日蓮の浄土はこの世にあるとしたが後に霊山浄土へ変化
自分たちを迫害非難する人も過去世で父母兄弟かもしれないとあわれみの心を持つ
自然法爾は運命論ではない
法然上人行状絵図は548m
一遍は専修念仏ではなく空也や良忍の系譜
一遍の念仏は苦行と一体の聖の念仏。法華と名号は一体なり
法然は二元論で相即の論理は皆無
親鸞は法然を大乗仏教の正統に位置づけようとし信の喜びを積極的に主張した
自らが浄土へ往生して仏となり、
そののちに仏力をもって、
亡き両親をはじめ有縁無縁の人々を救う。
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