仏教の真髄 [本(仏教]
『仏教の真髄』
羽渓了諦(西域仏教研究)
仏教伝道協会(1974)
ワグナー:
自分は知らず識らずのあいだに、
仏教徒になってしまっていた。
釈尊当時の印度のさまざまな思想はなお現代にも生きているもの。
現実をありのままに観る如実正観。
因縁和合生果論:
すべての結果は原因と条件により決まる因果的必然観。
ポアンカレ:
偶然とはわれわれの無知を表白した言葉に外ならない。
一切は因縁の和合により生まれる
偶然論、自然論、決定論、一因論を排撃
すべてのものを成り立たせる原理。ダルマ=法。
縁起:dependent origination
空は有にたいする無ではなく有無の未だ分かれない状態。
一切の存在は空。すべては因と縁の仮の和合による。それ自体はない。
物が心を超越して存在するのでもなく心も物を離れて存在することはできない。
唯物論も唯心論も間違い。
識:認識主観
名:意識現象
色:物質現象
識名色は時間の前後がない。
カントの主観と客観は同時同刻に成り立つと同じ。
認識の相対論。因果の絶対論。
縁起法は純粋客観性の存在ではなく自己に対してあるもの
すべての存在を自己の具体的内容とする。
三界は我が有なり、その中の衆生は皆ことごとく是れ我が子なり。
小乗では釈迦と弥勒のみ
仏=如来は真如=縁起法から来生したものの意味
法身仏:釈尊。絶対的統一者
報身仏:阿弥陀
応身仏:釈迦牟尼
菩提心=さとり:無限絶対。
絶対自由。永遠。自他一如
仏教が否定するのは経験的な自我ではない
視点としての自我は認めるが主体としての自我は認めない。
仏教はキリスト教のような超越的一神教と対立する。
全知全能の主体者も認めないから。
ブッダ⇒フト⇒ホト⇒ホトケ
覚者に不安なし。身病あるのみで心病なし。
涅槃。ニルヴァーナ。ニッバーン。吹き消されたること。消滅
・今日の一言(本文より。ポアンカレの言葉)
Chance is only the measure of our ignorance.
偶然とはわれわれの無知を表白した言葉に外ならない。
우연이란 우리들의 무지를 표백한 말과 다름없다.
偶然无非是表达我们无知的说法。
羽渓了諦(西域仏教研究)
仏教伝道協会(1974)
ワグナー:
自分は知らず識らずのあいだに、
仏教徒になってしまっていた。
釈尊当時の印度のさまざまな思想はなお現代にも生きているもの。
現実をありのままに観る如実正観。
因縁和合生果論:
すべての結果は原因と条件により決まる因果的必然観。
ポアンカレ:
偶然とはわれわれの無知を表白した言葉に外ならない。
一切は因縁の和合により生まれる
偶然論、自然論、決定論、一因論を排撃
すべてのものを成り立たせる原理。ダルマ=法。
縁起:dependent origination
空は有にたいする無ではなく有無の未だ分かれない状態。
一切の存在は空。すべては因と縁の仮の和合による。それ自体はない。
物が心を超越して存在するのでもなく心も物を離れて存在することはできない。
唯物論も唯心論も間違い。
識:認識主観
名:意識現象
色:物質現象
識名色は時間の前後がない。
カントの主観と客観は同時同刻に成り立つと同じ。
認識の相対論。因果の絶対論。
縁起法は純粋客観性の存在ではなく自己に対してあるもの
すべての存在を自己の具体的内容とする。
三界は我が有なり、その中の衆生は皆ことごとく是れ我が子なり。
小乗では釈迦と弥勒のみ
仏=如来は真如=縁起法から来生したものの意味
法身仏:釈尊。絶対的統一者
報身仏:阿弥陀
応身仏:釈迦牟尼
菩提心=さとり:無限絶対。
絶対自由。永遠。自他一如
仏教が否定するのは経験的な自我ではない
視点としての自我は認めるが主体としての自我は認めない。
仏教はキリスト教のような超越的一神教と対立する。
全知全能の主体者も認めないから。
ブッダ⇒フト⇒ホト⇒ホトケ
覚者に不安なし。身病あるのみで心病なし。
涅槃。ニルヴァーナ。ニッバーン。吹き消されたること。消滅
・今日の一言(本文より。ポアンカレの言葉)
Chance is only the measure of our ignorance.
偶然とはわれわれの無知を表白した言葉に外ならない。
우연이란 우리들의 무지를 표백한 말과 다름없다.
偶然无非是表达我们无知的说法。
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