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源平合戦の虚像を剥ぐ:治承・寿永内乱史研究(講談社学術文庫) [本(日本史]

『源平合戦の虚像を剥ぐ』
川合康(日本中世史)
講談社学術文庫(2010)


戦場の実像がわかり面白い。お勧めの一冊。

馳弓の技術に優れていたのは源氏でなく平氏。
義経は鵯越の坂落しは虚報。
富士沼の水鳥の羽音に驚いて総崩れになったのは歴史的事実

馬当て=馬ごとぶつかって人馬もろとも当て倒す。
武士は芸能者の一種。
武士は都の貴族社会において発展した。
大鎧は22-26kg、重さは馬にかかるしくみ、馬上用。

源充と平良文の弓の一騎打ち。
馬を馳せながら弓を引く馳組み。
敵を左側しないと弓は使いにくい、位置を有利にしようと馳せ合う
左側=弓手、右側=妻手
弓の効果的な射程距離は13-14m

日本の在来馬はポニーも去勢しておらず暴れ馬。
馬の体高は平均130cm、体重280kg
名馬で140cm

梶原景時は兵站指揮官

軍の略奪から資材を守るため穴を掘って埋める

寺社のアジールとしての機能の限界、軍隊には通用せず

戦場における氏文読み:戦う前に先祖を語る
家門の象徴としての武具

奥州合戦に南九州の武士まで動員
奥州合戦は頼義故実に基づいて前九年合戦の再現として演出された
公称28.4万騎の大軍の集結

・今日の一言
武士は戦場で相手の右側の位置を占めようと争った。敵を左側にしないと弓を使いにくいためである。
무사는 전쟁터에서 상대의 오른쪽 위치를 차지하려고 다퉜다. 적을 왼쪽으로 하지 않으면 활을 쏘기 어렵기 때문이다.
武士们在战场争先占据敌人的右侧,是因为敌人不在左侧难以射箭。
On the battlefield samurai kept their horses on their enemy's right side, because it is hard to use archery if the enemy is not on your left side.

タグ:川合康
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