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ゲームと犯罪と子どもたち-ハーバード大学医学部の大規模調査より [本(法律と犯罪]

『ゲームと犯罪と子どもたち/ローレンス・カトナー、シェリル・K・オルソン/インプレスジャパン/2009』
著者:児童心理学
評価:子どもへの大規模アンケート報告。分析は支離滅裂。


この本では政治的背景はないことがやたらと連呼されている。
私の知る限り、わざわざ政治的でないと断る本が、
実際に政治的でない例はない。
著者の1人はビデオプロデューサー兼作家でメディア側の人であるし、
フランク・ウルフ下院議員が司法省と橋渡しし、
アメリカ司法省の資金援助を受けている。
これを政治的でないというのは無理があるというものだ。

著者の指摘。
このテーマの問題は、研究結果からどんな結論でも引き出せること。
これは実はこの著書も同じ。
この本からも暴力を強化することも引き出せるのだ。

アンケートでは子どもの社会性促進やストレス解消などを評価しながら、
子ども自身がゲームを悪いと認識し、
もっと年下の子にさせたくないと言っていることは評価しない。
ダブルスタンダードである。

子どもの意見を重んじて、ゲームの効果を言うなら、
同じように子どもの意見を重んじて
ゲームはやはり悪いということもできるのだ。

それにしてもこれまでの研究を相関で因果でないと攻撃しながら、
自分たちの研究はアンケートというのが脱力ものだ。
アンケートでは因果を取り出せるはずもなく、
バイアスが強くあまり信用されない。

たとえば、ゲームは怒りと恐怖心を取り除くと答える子どもがいるが、
これは事実と認識は異なる典型例。
いわゆるカタルシス効果は学問的に完全否定されており、
これは論議にも登らないテーマである。

グロスマンへの反論。
事実誤認とその考えの問題点を提示しているが、
どうやら著者はグロスマンの著書をまともに読んだように思われない。

グロスマンの指摘は、人は人を殺せないという点にある。
銃を持っていても特別な練習をしない限りを人を射殺できないのだ。
南北戦争や第一次大戦の統計から、
向かい合った相手を射殺することが、
心理的にいかに難しいかを説明したものである。

ゲームが技術面を発達させるのではなく、
条件反射的な能力を鍛えることで、
心理面を無視させるとしているのだ。

だから射撃犯人が実際に撃って練習したからといって
うまくなるものではなし、
カーニールがうまく撃ったことを指摘したのではなく、
そもそも射殺できてしまったことが問題なのだ。

この著書では、ゲームの影響を受ける危険性の高い子どもを
特定する方法を問うべきと指摘する。
暴力メディアと暴力行為はその相関は確実だが、その因果は明確ではない。
このことは、
そもそも遺伝的に暴力的な人間が暴力的ゲームをすることを示す。
実はこのことの方が怖いし、危険なのは理解できるだろうか?
なぜならこれは暴力的ゲームの所有者を、
潜在的犯罪者として警察にマークさせることを正当化するからだ。

もしあなたが暴力的ゲームを好んでいるが、
それで暴力が促進されるはずがないと主張するなら、
自分自身が暴力的な犯罪者予備軍であると認め、
警察にマークされてもそれを容認できなければならない。
なぜなら相関は証明されているからだ。

バージニア工科大学銃乱射事件の残念な結果。
精神疾患と暴力行為を不当に結びつけるようになったこと。
精神疾患を抱えるもの加害者より被害者になることが多いという指摘。
ここにも本当に恐ろしいことは、
殺人と放火では明白に精神障害の比率が高いという事実である。

アンケート対象は12-14歳の子どもで、664+590人。
子どもというと普通、幼児期について考えると思う。
思春期にもなると知識は不足しても思考力は完成しているから、
明白な影響はないと思う。
思考力の完成していない幼児期か問題なのに、
そこを無視して
"メディアの暴力にさらされると
暴力行為を行うようになるという考えは明かに間違っている"
などと断言するなど論外である。

暴力ゲームと暴力行為の相関を確認しただけで、
どこにも因果関係を否定する根拠が登場しない。
あるいは逆の因果を示すデータもない。
自分の実験に因果関係を証明する要素がないだけで、
因果関係を否定するなんて呆れてものが言えない。
0はマイナスではないのだ。

暴力映像と暴力行為の関係については、
2009年にファーガスンとキルバンが、
1998-2008の論文からメタ分析している。
Ferguson, C.J.& Kilburn, J 2009
The public health risks of media violence:
A meta-analytic review. The Journal of Pediatrics, 154, 759-763

結論から言うと、
暴力映像の定義を狭く取った場合、
統計的には有意だが実際には無視できるレベル。
ないに等しいがあることはある、
しかし逆に暴力を減らすということもない。

ただし暴力映像の定義を広くとると、
無視できるレベルでなくなることから、
どんな暴力映像でも影響があるのではなく、
どのようなものが悪影響があるのかが今後のテーマになると思われる。

さらに暴力メディアの受けやすいタイプの子どもを
特定する方法も研究されることになるだろう。

この本で最も大事な指摘はニュースの暴力の持つ悪影響。
事件ニュースが暴力を促進するのはほぼ確実だからである。

・今日の一言
暴力のニュースは子どもに悪い影響を与える。
폭력 뉴스는 어린이에게 나쁜 영향을 준다.
暴力消息会给孩子们坏影响。
Violent news are a bad influence on children.
Violent news have a bad effect on children.

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