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中国古代農業技術史研究(東洋史研究叢刊) [本(東洋史]

『中国古代農業技術史研究』
米田賢次郎(東洋史)
同朋舎出版(1991)


漢から六朝の農業を知る。

華北乾地農法の特徴。
降雨の大豊作では平年の4倍に。
豊作と凶作の落差が激しいのだ。

飢饉を乗り切るには、
小さい単位の相互扶助より大きな単位で相互扶助が効果的。

大きな単位として荘園は農業技術改革のセンターとなった。
後漢では一部で既に田植えが始まった。
またかいこの糞、乾糞など混合肥料が使われた。

漢の六朝の水稲作技術は一般に直播連作であり、
先進地域では水陸の年二毛作も。
水田の収穫量は畑作の3倍とされる。

南陽の主要農業は水稲。
後漢の南陽では、冬に稲、夏に麦の米麦二毛作が行われていた。

後漢から魏晋南北朝は、
華北乾地農法の前漢から江南水田農法の隋唐への移行期であった。

稲は本来高温多湿地の作物も、
水量が確保されれば中国本土のどこでも栽培可能。
狐奴、河北省順義という長城に近い地で張堪は水田を開いた。

建武16年、建初元年には牛の疾病が国家問題となったが、
これは牛耕の普遍化を示す。
牛の飼育には共有地か未開墾地が必要であり、
牛は荘園主の所有であった。

光武帝の住む南陽では潅漑設備と牛を使って、
米麦二毛作であり、米はすでに田植えの方式で、
肥料もふんだんに使われていたらしい。

後漢はまさに経済的充実の時代であった。
豪族による地域支配こそが古代中国を発展させたのである。
だからこそあれだけのたくさんの学者と学生を維持できたのだろう。

・今日の一言
後漢時代の南陽では早くも米と麦の二毛作が始まっていた。
In Nanyang during the Later Han period they already started to raise two crops a year on the same land: first rice, then wheat.
후한(後漢)시대의 난요(南陽)에서는 벌써 쌀과 보리의 이모작이 시작되고 있었다.
在后汉时代的南阳市已经开始实行大米和小麦一年收获两次。

タグ:米田賢次郎
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