ビジョナリー・カンパニー2-飛躍の法則 [本(発想と効率]
『ビジョナリー・カンパニー2』
ジェームズ・C・コリンズ(経営コンサルタント)
日経BP社(2001)
真に優れたリーダーを知る良書。まず人を集めよ!
「ビジョナリーカンパニー2」はスゴ本(スゴ本)
で、興味を持ったので。
経営陣の報酬の形態は関係なし。
経営陣への報酬より経営陣を選ぶことが大切。
第五水準の指導者は、謙虚だが力強い。
窓と鏡の思考法を持つ。
成功したときは幸運と考え、失敗は自分の責任とする。
こうすると成功したときは、その要因を機会から読み取るし、
失敗からは自分の修正点を学ぶことができるからだ。
逆に、うまくない経営者たちは、
失敗の原因を不運と自覚していた。
これは自己革新に結びつかない思考法なのは明白。
第五水準の指導者はあまりいない。
なぜなら個人的な野心と謙虚さが矛盾するからだ。
第五水準の指導者は、相応しい能力はあるが、
その立場に上ろうとしないのだ。
第五水準の指導者は社内からの昇進がほとんどで、
外部から招聘することは少ない。
現場たたき上げや生え抜きが強いわけだ。
経営陣の選び方。
何をすべきからでなく誰を選ぶかから始める。
そうすると環境の変化に適応しやすいのだ。
そもそも環境は既に与えられていて変えられない。
だから何をすべきかを先に決めてはうまくいかない。
最高の人材は管理の必要がない。
指針のみでよい。
最高の人材は問題解決でなく最高の機会の追求に使うこと。
クローザーを敗戦処理に登板させるなってこと。
従業員の意欲を引き出すのではなく、
意欲をくじかないようにする。
最後には勝つという確信と現実の直視。
何をするか自負心でなく能力で決めること。
現実を見ることと、能力への信念が必要だ。
やるべきリストより止めるべきリストが重要。
全くだな。私も止めるべきリストを作ろう……
技術は勢いを促進するが勢いを作るわけではない。
技術革新に幻想を見てはいけない。
偉大な企業への飛躍は外からは劇的で革命的に見えるが、
内部からは小さな積み重ねとしか映らない。
一歩一歩の小さな努力が、飛躍を見せるのだ。
偉大さの永続に基本的価値観が不可欠。
ただし何が基本的価値観かはさまざま。
なぜ偉大でなければならないか?
自分にとって大切な仕事なら偉大さを求めずにはいられない。
問いが出るのは仕事選択を間違えている。
これらを読んで確信したこと。
光武帝劉秀はまさに典型的な第5水準の指導者である。
天下への野心は全くなく、周囲に担がれて皇帝になった。
自身は基本方針を持たず、
優れた部下を集めることで天下統一した。
謙虚であり、自分の天下取りを運によるものと認識していた。
部下に大まかな方針を与えたが、
細部は完全に任せてフリーハンドで行動させた。
絶対の自信を持っていたが、現実を直視して行動した。
仕事が大好きであり、それに集中して楽しんでいた。
将軍として戦場を駆け抜け、皇帝として君臨したが、
それでいて幸福な家族を構築することにも成功したのだ。
第5水準の指導者は珍しい存在であるが、
第5水準の人間そのものは珍しくない。
いつの時代にもある程度いるのである。
しかし、第5水準の指導者は、野心が強くないから、
本来、リーダーにならないから珍しいのだ。
劉秀の場合、鄧禹がそれを押し出した。
鄧禹が、"あなたが皇帝になるべき"と言い続けたのだ。
そして、その後の劉秀を支える家臣を選んだのも鄧禹である。
鄧禹という人物がいかに驚くべき人物かがわかる。
リーダーになるはずのない第5水準の指導者を見出し、
成功の最大の鍵である、人を集めることに成功した鄧禹。
それを成し遂げたが何と24歳(数え年)のときだというのだから、
驚愕というか、ほとんど神秘である。
今の日本で言えば、
突如、一人の大学生が、首相と内閣の大臣をすべて指名し、
それが最高の改革政権として活躍するということである。
有り得なさすぎる。
劉秀より鄧禹の方がずっと驚異的存在なのだ。
私は、劉秀の人物像は理解できたと思うのだが、
鄧禹という人物はまだ完全に把握できていない。
・今日の一言
光武帝は第5水準の指導者である。
Emperare Guang-wu is a Level 5 leader.
광무제는 제5수준 리더이다.
光武帝是第五级领导。
ジェームズ・C・コリンズ(経営コンサルタント)
日経BP社(2001)
真に優れたリーダーを知る良書。まず人を集めよ!
「ビジョナリーカンパニー2」はスゴ本(スゴ本)
で、興味を持ったので。
経営陣の報酬の形態は関係なし。
経営陣への報酬より経営陣を選ぶことが大切。
第五水準の指導者は、謙虚だが力強い。
窓と鏡の思考法を持つ。
成功したときは幸運と考え、失敗は自分の責任とする。
こうすると成功したときは、その要因を機会から読み取るし、
失敗からは自分の修正点を学ぶことができるからだ。
逆に、うまくない経営者たちは、
失敗の原因を不運と自覚していた。
これは自己革新に結びつかない思考法なのは明白。
第五水準の指導者はあまりいない。
なぜなら個人的な野心と謙虚さが矛盾するからだ。
第五水準の指導者は、相応しい能力はあるが、
その立場に上ろうとしないのだ。
第五水準の指導者は社内からの昇進がほとんどで、
外部から招聘することは少ない。
現場たたき上げや生え抜きが強いわけだ。
経営陣の選び方。
何をすべきからでなく誰を選ぶかから始める。
そうすると環境の変化に適応しやすいのだ。
そもそも環境は既に与えられていて変えられない。
だから何をすべきかを先に決めてはうまくいかない。
最高の人材は管理の必要がない。
指針のみでよい。
最高の人材は問題解決でなく最高の機会の追求に使うこと。
クローザーを敗戦処理に登板させるなってこと。
従業員の意欲を引き出すのではなく、
意欲をくじかないようにする。
最後には勝つという確信と現実の直視。
何をするか自負心でなく能力で決めること。
現実を見ることと、能力への信念が必要だ。
やるべきリストより止めるべきリストが重要。
全くだな。私も止めるべきリストを作ろう……
技術は勢いを促進するが勢いを作るわけではない。
技術革新に幻想を見てはいけない。
偉大な企業への飛躍は外からは劇的で革命的に見えるが、
内部からは小さな積み重ねとしか映らない。
一歩一歩の小さな努力が、飛躍を見せるのだ。
偉大さの永続に基本的価値観が不可欠。
ただし何が基本的価値観かはさまざま。
なぜ偉大でなければならないか?
自分にとって大切な仕事なら偉大さを求めずにはいられない。
問いが出るのは仕事選択を間違えている。
これらを読んで確信したこと。
光武帝劉秀はまさに典型的な第5水準の指導者である。
天下への野心は全くなく、周囲に担がれて皇帝になった。
自身は基本方針を持たず、
優れた部下を集めることで天下統一した。
謙虚であり、自分の天下取りを運によるものと認識していた。
部下に大まかな方針を与えたが、
細部は完全に任せてフリーハンドで行動させた。
絶対の自信を持っていたが、現実を直視して行動した。
仕事が大好きであり、それに集中して楽しんでいた。
将軍として戦場を駆け抜け、皇帝として君臨したが、
それでいて幸福な家族を構築することにも成功したのだ。
第5水準の指導者は珍しい存在であるが、
第5水準の人間そのものは珍しくない。
いつの時代にもある程度いるのである。
しかし、第5水準の指導者は、野心が強くないから、
本来、リーダーにならないから珍しいのだ。
劉秀の場合、鄧禹がそれを押し出した。
鄧禹が、"あなたが皇帝になるべき"と言い続けたのだ。
そして、その後の劉秀を支える家臣を選んだのも鄧禹である。
鄧禹という人物がいかに驚くべき人物かがわかる。
リーダーになるはずのない第5水準の指導者を見出し、
成功の最大の鍵である、人を集めることに成功した鄧禹。
それを成し遂げたが何と24歳(数え年)のときだというのだから、
驚愕というか、ほとんど神秘である。
今の日本で言えば、
突如、一人の大学生が、首相と内閣の大臣をすべて指名し、
それが最高の改革政権として活躍するということである。
有り得なさすぎる。
劉秀より鄧禹の方がずっと驚異的存在なのだ。
私は、劉秀の人物像は理解できたと思うのだが、
鄧禹という人物はまだ完全に把握できていない。
・今日の一言
光武帝は第5水準の指導者である。
Emperare Guang-wu is a Level 5 leader.
광무제는 제5수준 리더이다.
光武帝是第五级领导。
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Kay-akira Hirotaさん、こんばんわ。
ブログにコメント頂いた江嵜です。
コメントでご指摘していただいたおかげで、
迅速に修正することができました。
ありがとうございます。
ブログの良いところの一つは、
どんな方でも先生(大げさ?)になってくれる点ですね。
今後とも宜しくお願い致します。
さて、
『ビジョナリーカンパニー2』・・・積読中。
このお正月休みに読みたいと思います。
長文失礼しました。
by 江嵜慶 (2007-12-30 01:37)
この本は面白いですよ~
by Kay-akira_Hirota (2007-12-31 00:17)