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議論のルールブック(新潮新書) [本(論理思考]

『議論のルールブック/岩田宗之/新潮新書/2007』
著者:フリーエンジニア
評価:ネットでの議論の方法を考える

もともとウェブページの文章をまとめたもの。

議論ができないのは、人の話を聞く能力が足りないから。
議論とは人の話を聞くことである。
また言葉は伝わらないのが当たり前と考えるべきという。

不存在の証明を悪魔の証明と呼ぶ。
何かがあることを証明するには、それを見つければよいだけだが、
ないことを証明するには、その範囲をすべて調べなければならず
ほとんど不可能なのだ。

この世には科学で説明できないこともあるという決まり文句。
これを言う人は科学を盲信している人だという。
この言葉の裏には、
ほとんどのことは科学で説明できるという前提が隠れているのだ。

インチキ理論の提唱者には"間違っている"と言わず"、
まだ足りないところがある"と言うべき。
そうすれば喧嘩にもならなくて便利なのだ。

議論の意義。
議論はそれぞれが違う発言をすることに意義がある。

議論の三分類。
討論:観客が意見を聞き結論を決める
議決:発言者が結論を決める
対話:発言者が意見を聞く
いまの議論がこのどれに該当するか考えることが大切だ。

一般論は普遍的な答えではない。
特別な条件がないときの考え。
だから特別な例外で反論しても意味はない。

主張には前提がある。
議論で対立することで隠れた前提が明らかになる。
そして新しい主張が生まれる。これをヘーゲルは止揚と呼んだ。

主観的な意見は一片の真実を含んでいる。
だから主観的な意見を否定するのもまた変なのだ。

"聞いたことに答えろ"は傲慢だ。
教えてもらう立場の言葉ではないという。
確かにネットには"教えて君"が多すぎる。

自由に責任が附帯するのは言葉の定義。
罪はもう二度としないと決めれば再発しないもの。
自由意志で選択したもののみが罪足りうる。

このあたり罪と責任について、
面白いので私ももう少し考えてみたいと思った。

『学者のウソ/掛谷英紀/ソフトバンク新書/2007』
著者:映像メディア工学、先端学際工学
評価:著者の文章読解力が悲惨・志は高いが力不足

嘘と間違いを区別しない上に、
部分と全体のすり替えや勝手な定義が多すぎる。

ゆとり教育批判。
ゆとり教育は個性は育ってこそ擁護できるが、
育っていないという。
これは同感。

緑のダム構造の問題点
洪水の危険はより高まったというが、
水害の発生件数は昔に比べて大幅に減っているという。
これは昔はいつを示すのかが問題。
著者は江戸時代にしているが、
元文は数十年前を想定しているのではないだろうか?

ダムの保水量は森林の20-30%。
森林7割の日本では森林は増やせないからだめという。
しかし、森林面積でなく森林の質の問題ではないのか?
林業の荒廃で森林が整備されていないことが問題だと思うのだが?
どんな森林でも保水力は同じだと思っているのだろうか。

年3000億の新エンゼルプランで、保育所の充実を計ったが、
出生率は回復せず。予測は間違いとする。
そもそも保育所は充実したのだろうか。そういう話は聞かないのだが。
著者は少子化対策について赤川氏の解析を出すが、
その赤川氏の統計解説自体もかなり恣意的と感じられるものだし。

出生率は失業率と相関するという。
これは同感で、本当の少子化対策は、景気対策である。

実存主義は自己決定原理の生みの親、
自分のあり方を自由に欲求できるとしたという。
そんな話は聞かない。強引な解釈ではないだろうか?

自分の利益に反対しないマスコミの例。
デジタル放送への公的資金の投入。
当然、マスコミは批判しない。
アガリスク宣伝を載せた新聞に自己批判なし。
自己破産件数は消費者金融CMの本数に連動する。
失業率や倒産数とは連動しない。
これもマスコミの責任である。
さらにメガバンクと消費者金融が、
手を組むことへの批判記事を書くと広告出稿ストップの圧力も。

マスコミはしばしば視聴率のためというが
その視聴率ですら、自分の利益よりは大事ではない。
最高税率引き下げを行ったとき、
これは金持ち優遇として視聴者受けするのに
批判をほとんどしなかったのだ。
フジや朝日の平均年収1500万以上で総合職はさらに高い。
自分の利益には反対しないのがマスコミであるという。
こうしたマスコミ批判は大胆であり面白いと思う。

ジェンダー・フリーとは、
女らしさはすべて社会から押しつけられたものだという。
これは勝手な定義だろう。
社会から押しつけられた女らしさを解放すべきというのが、
ジェンダー・フリーのはずである。

世襲型の会社は長期的視点で会社を運営するという利点があるという。
これは会社への愛着やアイデンティティーの問題であり、
世襲である必要はないと思われる。

痴漢対策としての女性専用車両は、
痴漢可能性の高い時間帯に絞っていないし、
年齢制限がないのがおかしいという。
非現実的過ぎて馬鹿馬鹿しい。実行できないのはすぐわかるではないか。
政治や政策はその結果で判断すべきものである。
だから、実際の痴漢件数で判定すべきである。

著者は論者の右傾化論に、若者の不安はいつでもあったから変だという。
しかし、若年失業率が高くなったのは近年特有の現象である。
またインターネットの右傾化に説明なしという。
これは匿名とアイデンティティーの問題でありはっきりしている。
左翼メディアも元気だというが、
右翼メディアとの比率で見れば低下はあきらか。

倫理学の可逆テスト
行為主と行為対象を入れ替えてそれぞれの立場に立ってみること。
その例として奇怪な論理の意見を述べている。
国旗掲揚反対派は
北朝鮮や中国の国旗掲揚強制を問題視していないので、
テストをクリアしているという。
どう読んでも全く逆。
北朝鮮や中国の国旗掲揚強制を問題視しなければ駄目だろう。

洗脳と納得の違いは後で正しかったと思わせるものという。
後で正しかったが、何度も反転することがあり判断にならない。
あるとき正しいとされたことが間違いとわかったのが、
さらに正しいと判明することもある。
"後で正しい"などは判定基準にはならない。

夫婦ともフルタイムで働けるのは経済的強者だという。
少し変だ。一番苦しいのは、その中間の存在である。
主婦のいる家庭は経済的に豊かな家庭が多い。
一番苦しいのは派遣やパートの共働きである。

現行の男女共同参画社会は格差を拡大するという。
ならば男女共同参画社会が悪いのではなく、
その手法の問題であるのに、理念ごと批判するのはおかしいだろう。

山田昌弘批判
企業は博士号取得者を取りたがらないというが、
そういう印象はないという。
はっきりいって個人体験では意味がない。
著者は理系であり、文系とは全く状況が違う。

山田昌弘氏がフリーター博士は20年後10万人を超えるというが、
有り得ないとし、間違っていたら預託金没収宣言している。
しかし、文脈からみても山田氏の発言は警告であるし、
同じ条件の予測でなく不公平だろう。
著者は条件を分けて1.05万と3.45万の二つの数値を挙げている。
不公平と言わざるを得ない。

どうやら、批判対象の文章をまともに読んでいないか、
あるいは、背景となる文脈や周辺資料に当たっていないか、
著者の読解能力に欠陥があるか、このいずれかであると思われる。

・今日の一言
議論とは人の話を聞くことである。
Argument is listening to other people.
논의는 남의 이야기를 듣는 것이다.
所谓议论是听别人的话。

タグ:岩田宗之
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コメント 2

犯罪被害者支援もまず被害者の声を聞くことからです。
by (2007-12-06 09:58) 

Kay-akira_Hirota

裁判も議論ですものね。
by Kay-akira_Hirota (2007-12-08 00:03) 

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