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民権と憲法(岩波新書・シリーズ日本近現代史②) [本(日本史]

『民権と憲法』
牧原憲夫(日本近現代史)
岩波新書(2007)


憲法と国民の成立までの流れを知る良書。

自由民権運動の高揚と敗北によって
帝国憲法体制が成立した。

民衆から非常に憎まれていた大久保利通。
明治政府は民衆からは歓迎されていなかったのだ。

ほぼすべての耕作地を農民の私有地と認めた地租改正。
これは西欧の市民革命より徹底した土地改革らしい。

夏目漱石は徴兵制未施行の北海道に本籍を移したという。
兵士になるのは嫌だよね。

国家は政府と人民からなる。
"政府と国の区別をはっきりさせなければならない"
という明治知識人の言葉。
これは今の日本人も考えなければならないことだ。

民権運動の目的は二つ。
議会開設の要求と国民意識を民衆に持たせること。
決して民衆のために行ったのではないのだ。

明治政府、民権運動家、民衆の三極対立の構造。
民権派と政府は近代国家の建設と民衆の国民化で、
民衆と民権派は反政府ということで共闘したのだ。

1881年、東京の火事の58%は放火によるもの。

江戸時代の仁政の観念。
高利貸しのような不徳の者を説諭して、
多少なりとも譲歩させるのがお上の役割だ。
江戸時代の村は流民や乞食が少なかった。
それは村の土地を他村に売却するのを恥として、
借金を庄屋が立て替えたからである。
一村団結の精神があったのだ。

しかし、明治維新で土地の取り上げや高率の小作料も自由になった。
地主小作関係が苛酷になり大土地所有者が出現したのである。

公害で有名な足尾銅山は全国銅生産の39%を占めた。
最新設備を持つ鉱山であった。

因果関係の論証されない推論は科学的でないと、
脚気の研究を否定した陸軍。森鴎外である。
論証と実証のバランスの難しさを示すエピソードである。

猛威を揮ったコレラ。
1879年と1886年には、10万を超える死者が出たという。
今からは考えられないことである。

紡績工場の1割はつねに欠勤し、多くは無届けだった。
日本人は昔から勤勉だったというわけではないのだ。

小笠原諸島はイギリスが1827年領有宣言した。
当時、アメリカ人とハワイのカナカ人のみ。
後の1861年も日本人はいなかった。

日本の植民地に不可欠なものは神社と遊廓。
海外進出するとまずこの二つを建てるらしい。

学歴主義こそ機会の平等を示す。
優勝劣敗、自己責任というの自由競争の典型なのだ。

日の丸、君が代、御真影、万歳という国民統合の四点セット。
これは1889年2月11日より始まったもの。
ところで、この御真影なんだが、
香川照之に似ていると思うのは私だけだろうか?

・今日の一言
自由民権運動の高揚と敗北の中で帝国憲法が成立した。
자유민권운동의 고양과 패배 안에서 제국헌법이 성립했다.
在自由民权运动的发扬和败北中帝国宪法成立了。
The imperial constitution was concluded in the growing and defeat of the popular rights movement.

タグ:牧原憲夫
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krause

ご訪問、niceをありがとうございます。こちらからはいつもnice押印ばかりですいません。
by krause (2007-10-19 05:25) 

Kay-akira_Hirota

とんでもないです。こちらこそniceしか押してませんし……
by Kay-akira_Hirota (2007-10-20 00:10) 

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